2015/04/26 - 2015/05/05
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ジャカランダさん
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3日目午後
水金九エリアの二つ、水湳洞と金瓜石の街歩き
&
黄金瀑布と十三層遺址
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
黄金博物園内で昼食を食べた後、
時雨國中学の脇を通り、金瓜石の住宅地の方へ
雨が多いから時雨という字を使っているんだろうか?
綺麗な名前だなぁと思う -
五号路の家並み
-
斜面に建つ家々を結ぶ階段
-
階段を降りると、
今度は緑が多い通りに家々 -
また降りると
次はちょっと寂し気な通り -
思ったより家が多い
-
下に降りる道があるので進んでみる
-
また家々
-
坂道に沿って家々が建ち並ぶ
-
五号路付近
-
コールタールが塗られた家
もしかして一昔前は金瓜石はまっ黒な家々ばっかりだったのかなぁ? -
道をどんどん下ると
-
車道に出た
トボトボとどこかへ向かう犬 -
せっかくなので黄金瀑布まで行ってみる
-
遠くに変色した川が見える
天気が良かったら陰陽海や十三層遺址もくっきり見えるかもしれない -
黄金博物園を出て、約45分ほどで黄金瀑布到着
黄金瀑布 滝・河川・湖
-
黄金瀑布
ここまでくればトイレがあるかと思ったが、
テントを張って何かを売っているお店しかなかった -
黄金瀑布
上から降りてくるときはずっと青々とした山だったのに、
突然、黄褐色の岩肌が表れ、滝となって流れている様は
なんとも不思議な光景 -
トイレに行きたい!
あの街に行ってトイレに行こうと思い、
黄金瀑布から見える街へ行ってみる -
街へ入る橋の上から
確かに黄金色だ!!黄金瀑布 滝・河川・湖
-
水湳洞の街
橋を渡り左に曲がって坂道を上ると道沿いに公衆トイレが、
右に曲がり洞頂路をまっすぐ行けば公園があり公衆トイレがあるのに、
そんな事とはつゆ知らず、まっすぐ街中を上る道を選んでしまう -
cafeと案内のある場所は改装中
-
やっと見つけたcafeもやってない
「トイレ貸してください」
「ごめん、小学校の方へ行ってみて」 -
そしてやってきた濂洞國小脇にあるcafe
またもCLOSE中で困惑していると
オーナー友人「大丈夫だよ。入って!」
オーナー 「!! う〜ん、今はちょっと・・・」
私 「トイレ貸してください!」
オーナー友人「ノープロブレム。大丈夫!、どうぞ」
オーナー 「・・・。(^^;)」
オーナー友人トイレまでエスコート
どっちがオーナーなんだか。。。
でも、おかげで助かりました♪ -
やっと落ち着いて水湳洞の街からの眺めを見ると
巨大な廃墟が対面に見えた
十三層遺跡十三層遺跡 史跡・遺跡
-
陰陽海が目の前に見える
-
陰陽海の方へ降りてみる
-
黒い屋根が印象的な長屋
-
ここもやっぱり急斜面に立つ
小さな集落 -
小学校前の階段を降りてくると
-
目の前にバス停
-
よかった
これで帰りの交通は確保できた -
黄金博物館−福隆遊客中心
ここから福隆にも行けるなんて(◎◎)
福隆までバスで行きたかったなぁ〜
でも今日は九分泊、荷物も置いてきてしまったし、次回のお楽しみとしよう -
バス停隣の公園
インフォメーションもあるしトイレもある
ひとまず帰りの心配がなくなったので、
のんびり街歩き -
目の前には巨大遺跡
-
上を見上げると
そこにも巨大遺跡 -
水湳洞精錬工場
-
”明治41年(1905年)、日本人が金瓜石付近で金鉱のほか、
大量の銅鉱を発見し、銅を精錬するために水湳洞選別し、精錬工場を建設しました。
採鉱から、破砕、比重差利用選別、精錬までの一貫作業がここで行われ、銅の生産量の多さで「アジア一の鉱山」とまでよばれました。
1987年に廃鉱となった後は維持管理が行われないまま、東北季節風や台風などの強風にさらされ続け廃墟となり、屋根と壁は朽ち果てて工場建屋の主結構のみが残されており、さながら古代ローマ時代の建築跡のような感じを与えます。” -
錬銅流程
-
金瓜石鉱山は、金鉱以外に大量の硫黄、ヒ素、銅を埋蔵しており、露天または坑道で採掘された鉱石は、
空中ケーブルやトロッコで選別・精錬工場の最上階に運ばれます。
その後、破砕、磨耗、比重差利用選別を経て得た粗銅を精錬所に送って精錬します。
これとは別に、比重差により選別された鉱石をアン化処理して金や銀を採取します。
精錬過程で排出される二酸化硫黄は人体に害があるため、全長約2kmにわたるコンクリートパイプを3本敷設して、民家のない山の背後にガスを排出していました。” -
水湳洞の駐車場から見上げた十三層遺跡
十三層遺跡 史跡・遺跡
-
”水金九地区のあちこちにも廃鉱などの廃墟があります。
特に水湳洞にある長仁排煙道と、山腹に位置する十三層遺址は、
太陽の下でも影に覆われます。
その姿から、世の変転が見えます。
九份と金瓜石は鉱石の産地で、
そして水湳銅地区は加工するところでした”
by携帯ナビゲーションシステムから -
十三層遺跡
-
十三層遺跡
-
”十三層遺址にある建物について、
コンクリートの土台しか残らないのは日鉱田中組時期の選煉廠で、
選煉廠の右にある白い建物は台金時期の工場でした。
あちこちに自生する雑草、選煉廠の給水塔、
さび付いた鉄筋コンクリートなどで組み立てる廃墟は、
過去と現在が交わる場所で、
鉱業の歴史と記憶が溢れる入り口と言われています。”
by携帯ナビゲーションシステムから -
基隆山東峰と
その麓の街「水湳洞」と
十三層遺跡十三層遺跡 史跡・遺跡
-
陰陽海と水湳洞漁港
漁港は一般の人は立ち入り禁止 -
陰陽海
曇っているので良く分からないが、
地下に含む鉱物が参加して黄色となり海に流れ出るため
黄色と青の綺麗なコントラストができる -
携帯ナビゲーションシステムの矛盾
陰陽海についての説明
”陰陽海は間違いなく人間の採掘によって形成されたもので、
酸性鉱山排水(AMD)の現象です。”
水湳洞についての説明
”金瓜石の採鉱作業が始まる前に、陰陽海はもう存在します。
地質上から見ると、このような自然現象は採鉱のいい指標になります。
海の色がこのようになったのは、金瓜石で鉱物質を含む谷川の水が海へ流れたためです。
海水は黄色に染まり、採鉱作業が終了しても元に戻りません。” -
水湳洞の街に戻り
陰陽海とは反対側の海に面した街へ -
街を降りる
-
陰陽海とは岬を挟んで反対側の海
-
街を降りると釣具屋さんがあり
基隆山が目の前に見える -
その手前、崖の上にある小学校
さっきトイレを借りた隣にあった小学校
随分と崖っぷちにある街だ -
基隆山と海
海では釣りを楽しんでる人が結構いた -
街中へもどりバス停へ
バス停前の真っ白な建物
Villaとあるので宿泊施設かな -
856番
黄金博物館行きのバスに乗る
日本語を少し話せるご老人がいて、
私達が九分に行くというと、乗換のバスを親切に教えてくれた
台湾旅行中、所々で思ったが、
台湾の方達は、本当にやさしくて親切な人が多いと思う -
黄金博物館前のバス停から見た金光路の町並み
-
ちょっと帰る前に街歩き
-
庭なんだか通路なんだか
-
遠く九分側に見えるはお墓群
あの山の反対側も沢山のお墓があったので、
一山全部墓地? -
金光路の町並み
-
金光路の町並み
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まるで迷路で、
急斜面にある集落なのでアップダウンもきつい・・・ -
金瓜石と水湳洞それと九分を入れて
この一体を”水金九”と言うらしい
ノスタルジックな老街
巨大廃墟遺跡
黄金色の川と海
様々の顔を持つ水金九エリア
非常に有意義な時間を過ごせた
次回は無耳茶壺山へ山登りと、福隆へバスで行ってみたい
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この旅行記へのコメント (2)
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- LH737さん 2017/09/27 21:24:09
- 水湳洞
- はじめまして。水湳洞の旅行記、詳しく紹介していただき
ありがとうございます。
ちょうど水湳洞バス停から見下ろしたところにレンガ壁の廃墟が数軒あるのですが
日本統治時代、そこで祖父母、母が3歳の時まで住んでいました。
祖父母は学校の先生で、時雨小学校、今は中学ですか、で先生をしてました。
今年そこに足を運んだのですが滞在時間が短く、
よく見れてなかったので旅行記を見ながらそうだったのかと
母と話していました。もう一度行く必要がありそうです。(^-^)
- ジャカランダさん からの返信 2017/09/28 09:55:50
- RE: 水湳洞
- はじめまして。
コメントありがとうございます。
コメント頂き、久々に水湳洞のブログを自分で見て、
水湳洞〜金瓜石一帯は、とても静かでノスタルジックな街並だった事を思い出しました。
私は時雨中学校から水湳洞まで歩いて下りましたが、
祖父母様は毎日あの道を通われていたのですね。
きっと、当時はとても活気があったのでしょうね。
私もまた行きたくなってきました。
水湳洞とゆかりのあるLH737様とコメントを交わせたおかげで、
日本統治時代の事に思いを馳せながら、また楽しく水湳洞の街歩きができそうです(^^)
LH737様も是非、また水湳洞を訪れてみてください。
ありがとうございました(^^)
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