2015/04/27 - 2015/04/27
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prinprinさん
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聖ヴィート大聖堂が混んでなかったので、薄暗い中で ミュシャのステンドグラスをしばらく見ていたら、目の前を通り過ぎようとしたご婦人が私の足につまづきました。
おっ~と! カメラを安定させようと、無意識に足を前後に20cmほどずらしたままでした。お互い「Sorry」ですみましたが、もし転んでケガをさせていたらと思うと怖かったです。・・・反省
(メモ : 三十年戦争以前)
1517年マルティン・ルターの“宗教改革”が始まり、ルターがドイツ語に訳した聖書は活版印刷
技術によって大量に発行される。神聖ローマ帝国は教皇を支持していた為、
皇帝に支配されていたボヘミアもルターに賛同し新教徒が増えた。
1526年ボヘミア・ハンガリー王ラヨシュ2世がモハーチの戦い(対オスマン帝国)で敗死。
嗣子が無いため妻の兄 フェルディナント1世(オーストリア大公、皇帝カール5世
の弟)が両王位を継承する。→ 以後ハプスブルク家がボヘミア・ハンガリー王位
を世襲し、オーストリアに組み込まれる。
1555年“アウクスブルクの宗教和議”で、諸侯には旧教・新教の選択の自由を認め、
領民は同じ信仰の領主の元で居住することを認めた。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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マラストランスカーで22番トラムに乗りかえて、2つ目の停留所プラシュスキー・フラド(プラハ城)で下車。
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木立ちの向こうに聖ヴィート大聖堂の尖塔が見えます。 (^^♪ ワクワク
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カレル庭園を覗いてみたが、夏の離宮は見えない。
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10:20 北門からプラハ城へ
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第2の中庭のインフォメーションセンターで、チケットを買います。
プラハ城 城・宮殿
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第3の中庭へ入ろうとすると、いきなり聖ヴィート大聖堂が現れた。
大聖堂は普通 街の中にあるので、城の中にあるのは珍しい。バラ窓は直径11m世界最大級の大きさ、2万6千枚以上のガラスが嵌められている。聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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1931年製作 ミュシャのステンドグラス、“聖キリルと聖メトディウス”。 色ガラスの破片をつないだわけでは無いので、正確には“ガラス絵”かもしれませんが、陰影が効いてロマンチック。
赤い服の少年は、チェコの守護聖人ヴァーツラフ。
下のほうに、スポンサーのスラヴィエ銀行の社名が入っています。 -
はるか高い所にパイプオルガン。
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主祭壇は、意外とあっさり。 天井高34mのゴシック様式。
キリスト教を取り入れたヴァーツラフが死去した(929年)9月28日に、冠を被ったヴァーツラフの頭蓋骨を捧げ持った プラハの大司教(カトリック)がミサを行うそうです。 -
礼拝堂の1つ
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天使たちに担がれたヤン・ネポムツキーの棺 (2トンの銀製)
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聖ヴァーツラフ礼拝堂
聖ヴィート大聖堂で最も重要な場所で、1364年完成、聖遺物が保管され、歴代のボヘミア国王の戴冠式が行われました。
壁の中央にチェコの守護聖人 聖ヴァーツラフの像、壁の上半分は、聖ヴァーツラフの生涯を描いた絵。 下半分は、1300以上の半貴石とキリストの受難が描かれた絵で飾られています。 -
聖ヴァーツラフ礼拝堂
奥下に見えるのがヴァーツラフの墓。 右奥の扉には7つのカギ穴があり、聖ヴァーツラフの王冠などが治められていて、国王や大司教など7人揃わなければ開けられませんでした。 -
ステンドグラスの1つ
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聖ヴィート大聖堂。
右側(東)が最も古い部分で、14世紀ゴシック様式。 -
昔 正門だった扉の上部
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聖ヴィート大聖堂。 中央の塔は古くから建設が始まり、少しずつ建て増しをしていき、屋根は18世紀にできた物。
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11:30 第3の中庭に車が数台入って来て、大統領府↑(新王宮)に警察官がロープを張りだしたので、VIPでも来るのか?と思って、ふと横を見たら人だかりができていた。 何???
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音楽隊がやって来た。 大統領府のバルコニーで演奏を始めました。
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12時の衛兵交代式って正門でやるんじゃないの?
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大統領府の旗には、国章の下に、ヤン・フスの最後の言葉「真実は勝つ(Pravda vítězí)」の文字があしらわれています。
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20分くらいやっていたのですが、どっちが代わる部隊で、どっちが代わられる部隊か、私にはわからなかった。
音楽隊が演奏する 初めて聞くファンファーレが面白かったです。 -
旧王宮、16世紀“ヴラディスラフホール”
1989年12月29日、ビロード革命に成功したハヴェル大統領の就任式が行われた場所です。ヴィラディスラフホール 城・宮殿
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三十年戦争のきっかけ第2次プラハ窓外投擲事件が起こった “ボヘミア官房”。
1609年、皇帝ルドルフ2世 (政治的には無能で、帝国の首都をプラハに移し、芸術・学問・錬金術師を保護) は反乱が起こることを恐れ、ボヘミアでもプロテスタントの信仰を認めていたが、
1617年カトリック強硬派フエルディナント2世がボヘミア王位に就くと、プロテスタントの弾圧を始めた。
1618年プロテスタントの民衆がプラハ王宮を襲った(第2次プラハ窓外投擲事件)ことをきっかけに、プロテスタントのボヘミア貴族は多数のカトリック聖職者を追放し、
1619年フエルディナント2世が神聖ローマ皇帝も兼ねるようになると、議会でプロテスタントの新王を擁立してハプスブルク家に対抗した。(1618~1648年 三十年戦争) -
テラスから見たボヘミア官房。 かなり高い! 建物の左下に、地上を歩いている人が見えます。
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テラスからの展望
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国の最高裁判の審議が行われた“議会の間”
玉座を中心に大司教や聖職者の席が並んでいます。壁にはマリアテレジア夫妻の写真。 -
ボヘミアの王冠。 もちろんレプリカです。 杖は世俗の権力、玉は神の世界の象徴です。
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右は旧王宮の出口。 でも左側の小さな入口を入って行くと、
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土地公文書管理官を務めた貴族たちの紋章が描かれている“地方公文書保管室”
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土地公文書を保管した書棚
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聖ヴィート大聖堂の東側。
祭壇のある 最も古い部分で14世紀の物。 典型的ゴシック様式で、石を積み上げて窓を大きくとるので柱が細く、外側にハリを造って支えています。 -
聖イジー教会 (Basilica of St.George)
外側は18世紀に改築されましたが、内部はヴァーツラフの時代の物が残っています。聖イジー教会 寺院・教会
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聖イジー教会
ゴシック様式が生まれる前のロマネスク様式なので、たくさんの石を使って建物を支え、素朴で窓が小さい。 -
天井画は傷んでいて、ほとんど見えません。
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13:10 ロブコヴィッツ宮殿のカフェで休憩。
ロブコヴィッツ宮殿 城・宮殿
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東門へ交代しに行く衛兵かな? サングラス姿がかっこいい。
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14:00 黄金小路へ
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黄金小路。 右側はマリア・テレジアの時代に撤去されたため、左側だけショップが並んでいます。
22番水色↑の家が、カフカが仕事部屋に使っていた家。(父親と折り合いが悪く、小説を書くために末の妹が借りてくれた。)黄金小路 散歩・街歩き
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2階の展示室。
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廊下が古くて面白い。
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Σ( ̄ロ ̄lll) んんっ!
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錬金術師の実験室?
(メモ : ルドルフ2世)
ルドルフ2世は国政に関心を示さず、1583年、帝国の首都をプラハに移し、プラハは文化的に大いに繁栄した。
芸術や学芸を愛した王は、珍しい動植物の収集(今では絶滅した大型鳥ドードー等)、
天文学(ブラーエ。ケプラー)や占星術(まだ天文学と境目がはっきりしていなかった)、
錬金術〜賢者の石(触媒)を使って、鉛など卑金属を貴金属に変える。 不老不死の秘薬作り。 パラケルススは血液や精子を混ぜて知能のある人口生命体を作る実験(≒現代のクローン)、
魔術にまでのめり込んだ。
画家アンチボルド(野菜・果物・花で埋め尽くしたグロテスクな肖像画で有名)に宮廷の装飾・衣装や馬上槍試合の運営までさせ、宮中伯にした。 -
聖ヴィート大聖堂のファサードは、19世紀民族意識が高まり、寄付を募り、オーストリア帝国政府の許可を得て、建設工事を再開し、ゴシックの建築様式を受け継いで造られました。 バラ窓の下には、大聖堂を完成に導いた 背広姿の4人の建築家たちが彫られていて、右端の人は手に聖ヴィート大聖堂の模型を持っています。 聖ヴィート大聖堂はついに、カール4世が建設を始めて約600年後、聖ヴァーツラフの没後1000年に当たる1929年までに完成しました。
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14:45 第2の中庭、コール噴水と聖十字架礼拝堂
プラハ城を出たら、衛兵交代式がどうして第3の中庭で行われたか解りました。 -
軍用車がずらり。 私は北門から入城したので知りませんでした。
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今の戦車ってキャタピラじゃないんですね。 市街戦を想定しているのでしょうか?
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フラッチャニ広場って広い。左はスグラフィット装飾のシュヴァルツェンベルク宮殿。
向いのトスカーナ(トゥーン・ホーエンシュタイン)宮殿は、現・外務省。フラッチャニ広場 広場・公園
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その向いは、大司教館(18世紀ロココ様式)
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15:00 歩いて帰ります。 左は、マリア・テレジアの時代にウィーンの宮殿に似せて改修された大統領府(プラハ城 新王宮)。正面右はスターバックス。
スターバックス コーヒー (プラハ城店) カフェ
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けっこうな下り坂。 正面はフラッチャニ広場への階段。
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ウーヴォス通りも けっこうな坂道。 明日ストラホフ修道院に行く時も、トラムで行くことにしよう。
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作家ヤン・ネルダが住んでいた 47番“ふたつの太陽”
2つの太陽の家 建造物
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青いプレートで番号が付いています。 ネルドヴァ通りの右側が奇数、左側が偶数でした。
49番“白鳥”、 41番“赤い獅子”、 27番“金の鍵” 表札だけじゃなく、建物もかわいいです。 -
SL型バスが上がってきました。
(メモ)
1620年、フス派などチェコのプロテスタントの貴族達が2万民の軍を集めて、皇帝軍に立ち向かったビーラー・ホラの戦い(30年戦争)でわずか2時間で惨敗すると、
処刑された貴族たちの生首はカレル橋に何年もさらされ、土地や財産も没収された。
カトリック以外の宗教は全て禁止され、改宗を拒む者は祖国を後にするしかなった。
この時、欧州に散り散りになった人は15万人とも言われ、残された家屋敷は(30年戦争で功績のあった)カトリック教徒に与えられた。 -
14番、金髪かと思ったら、髪がヘビ! その眼を見ると石になるという ギリシャ神話の怪物“メデューサ”のようです。
11番“赤い羊”、 12番“3本のバイオリン” -
モーツアルトが滞在したトゥーン・ホーエンシュタイン宮殿(伯爵家)。 現イタリア大使館。
2羽のワシが彫られた ひときわ大きな建物で、屋根まで素敵ですが、大きすぎて撮れない。 -
ジンジャーブレッド店のショーウィンドー
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現ルーマニア大使館。 5番“ムーア人像”(北アフリカのイスラム教徒)
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6番(左)“赤いワシ”…2階と3階の間の丸い装飾に鷲の絵。
4番(右)“3匹の赤い鹿”…屋根の上にネポムツキーが立っています。 -
聖ミクラーシュ教会。1703年建設開始した、プラハで最も大きなイエズス会の教会。
聖ミクラーシュ教会 (マラーストラナ) 寺院・教会
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豪華なバロックの教会で、ピンクや薄緑色の大理石を使って綺麗です。
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マラー・ストラナ広場
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16:00 カレル橋を渡り、のどが渇いたので ホスポダ“ウ・ズラテーホ・ティグラ”でビールを1杯飲んで、ホテルに帰りました。
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