2015/04/30 - 2015/04/30
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prinprinさん
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プラハ&ブダペストの旅
1~Yクラスだけどラウンジ利用 http://4travel.jp/travelogue/11008583
2~早朝のカレル橋で http://4travel.jp/travelogue/11011379
3~旧市街広場をぶらぶら http://4travel.jp/travelogue/11014483
4~ヴァルトシュテイン宮殿、ホテル・アウロス、ぶら下がる男発見!
http://4travel.jp/travelogue/11021978
5~プラハ城で?衛兵交代式? http://4travel.jp/travelogue/11017421
6~ちょこっと編 カンパ島散歩 http://4travel.jp/travelogue/11040984
7~チェスキー・クルムロフ城とフルボカー城 http://4travel.jp/travelogue/11035452
8~新市街、教会コンサート、ユダヤ人地区 http://4travel.jp/travelogue/11040014
9~ストラホフ修道院、ロレッタ教会 http://4travel.jp/travelogue/11043266
★10~市民会館、旧市街をぐるぐる、夜行寝台でブダペストへ
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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15:10 火薬塔。 スタロムニェストスカー Staromestska でトラムを降り、15分ほど歩いた。
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市民会館は、コンサートではなくガイドツアーで見学することにしました。
1383~1484年ここにはボヘミア王侯貴族の宮殿があったが、彼らがプラハ城へ戻り荒廃していた。
1631年 神学校が開かれ、
1777年それがクレメンティヌムに移されて、兵舎として使用され、
19世紀後半に士官学校になる。
1902~03年に建物が取り壊されて広大な空き地になり、
1905~12年 市民会館が建設された。市民会館 建造物
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玄関ホール。
今日最後のガイドツアー15:30のチケットを買っています。
ガイドツアーのチケット売り場は、正面階段手前の左側。 その奥のお土産コーナーが集合場所で、イスに座って、日本語の説明書を読みながら待っていました。 -
スメタナホール。
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アーチ型の天井と、曲線のステンドグラス。
ステージ奥にパイプオルガンがあり、飾りのブロンズ・レリーフはもちろんスメタナの肖像です。 -
アーチ型天井。
1881年、国民劇場完成。 1883年、再建。 共にスメタナのリブシェでこけら落とし。
1885年、ルドルフィヌム(ドヴォルザーク・ホール)ドヴォルザークの指揮でこけら落し。
1888年、国立オペラ座(新ドイツ劇場)ワーグナーのマイスタージンガーでこけら落し。
1912年、市民会館(スメタナ・ホール)完成。 -
曲線がふんだんに使われ、鉄とガラスのアールヌーボーそのもの。
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カフェ。
正面の鏡の扉の奥は調理場だっ所で、現在はコンダクター・サロンとして使われています。 -
花飾りをつけた女性のレリーフは漆喰製。
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ボジェナ・ニェムツォヴァ―のサロン。
それぞれの部屋の名前は、19世紀末の政治家や重要人物の名にちなんでいます。 -
ボジェナ・ニェムツォヴァ―のサロンにある、ガラスモザイクが施された噴水をアップ。
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オリエンタル・サロン 〜 トルコのイスラム美術を手本にデザインされ、チェスやカード等のゲームを楽しむためのサロン。
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グレーグル・ホール 〜 パーティーや社交のためのホール。
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グレーグル・ホール 〜 壁は人工大理石と漆喰製、上階は演奏家のためのステージ。
3つの壁画のうちの1つ“慈悲の歌”。 -
市長ホール 〜 ミュシャが室内装飾を任された、正面玄関の上にある部屋。 天井画、ガラス絵、カーテンに至るまでアール・ヌーボーで統一されています。
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市長ホール 〜 天井のフレスコ画は、スラヴ民族の統一を表現した“スラヴの団結”。
スラヴ民族の生活の様子が円形に描かれ、中央には翼を盾にしてスラヴの人々を守る大ワシ。
円形天井の回りの人物画は、チェコの歴史上の重要人物で、ヤン・フスもいます。 -
市長ホール 〜 3つの壁画のうち、右“男らしさ(現代)”、左“自身の力(未来)”。
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市長ホール 〜 自由の象徴、孔雀を刺繍したカーテン。
ミュシャは、市民会館建設に関わる作品・デザイン制作も、まったくの無償で引き受けたそうです。 -
リーグル・ホール 〜 “チェコの春”と名付けられた2つの壁画には、10人のチェコの作曲家・画家・作家。
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リーグル・ホール 〜壁の装飾が素敵だった。
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16:35 スラトコフスキー・ホール 〜 演説や講義を行うためのシンプルな部屋で、現在はステージでコンサートが催される。
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1912年、市民会館完成。
1918年、市民会館でチェコスロバキア共和国独立宣言。←第1次世界大戦敗戦
1938年、ナチスドイツが国境のズデーテン地方(含チェスキー・クルムロフ)に進駐。(英仏は容認)
第2次世界大戦中、ドイツ軍に使用されて荒らされたが、戦後、金銭的理由で修復できず、
社会主義国となると、非常に安っぽいコンサート等に限って催され、どこにでもあるような汚らしい居酒屋にさせた。
ビロード革命後の1994〜97年、大々的に修復工事がされて、本来の姿が蘇る。 -
モザイク画 “プラハへの敬意”
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折りたたみ傘が壊れたので、パラディウムに行ってみました。
インフォメーション・カウンターがあるので、どのお店で売っているか教えてもらえて良かったです。パラディウム ショッピングセンター
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黒い聖母の家から新市街の方向へ。
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国民劇場やオペラ座より約100年前の1783年完成したエステート(スタヴォフスケー)劇場。
ウィーンで評判にならなかった“フィガロの結婚”が、1786年12月から公演されて大成功し、
翌年10月“ドン・ジョバンニ”の初演が、モーツアルト自身の指揮で行われた。
その後劇場は低落したが、1813〜17年ウェーバー26歳(モーツアルトの妻のいとこ)がエステート劇場の指揮者となり、傾きかけていた劇場を復興させる。
19世紀初頭、欧州ではイタリアオペラばかり上演されていたが、ウェーバーは、“舞踏への勧誘”や、ボヘミアを舞台とした“オペラ・魔弾の射手”など、ドイツ魂を意識する作品を作曲した。スタヴォフスケー劇場 (エステート劇場) 劇場・ホール・ショー
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カロリヌム(カレル大学本部)、1348年創設当時の重厚な出窓だけが残っている。〜カレル橋や聖ヴィート教会と同じく、パルレーシュが設計。
左はエステート劇場。カロリヌム 建造物
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ジェレズナー Zelezna通り。 窓が各階違うし、バルコニーもあって、屋根窓と塔までついてる。 (@_@;) 凝るねぇ〜
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17:40 旧市街広場へ戻ってきました。
プラハ旧市庁舎 建造物
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旧市庁舎の塔。 プラハに来て最初に上りました。
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旧市街広場、ゴルツ・キンスキー宮殿。
(キンスキー伯爵家出身のベルタ・フォン・ズットナーは、女性初のノーベル平和賞受賞者) -
現、チェコ共和国通商省
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ティーンスカー・ウリチカ通り(ゴルツ・キンスキー宮殿の裏)。 正面はティーン教会。
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ティーン教会の裏側。 建物で取り囲まれて外部と遮断されている“ウンゲルト”の入口 〜外国の商人たちが寝泊まりをし、市を出した場所で、無料で泊まれたので、ドイツ語でウン(否定の接頭語)ゲルト(金銭)。
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18:35 ウンゲルトの入口は西側と東側の2か所あります。
左の建物が、“ボタニクス”。 自然派コスメを詠っているだけあって香りが無い。マニュファクトゥーラでお土産を買っといてよかった。 中国人の団体客がうるさ過ぎるのですぐ店を出た。ボタニクス 専門店
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ウンゲルトの東口から出ると、路地に面した聖ヤコブ教会。 大きすぎて撮れない。
聖ジェームス教会 寺院・教会
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ティーンスカー通りを旧市街広場へ。 左はティーン教会。
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ティーン教会手前の建物は、作家カフカが通ったティーン学校。
(1908?22年 労働者傷害保険協会に努め、1924年40歳 結核で死去)
その左が“石の鐘の家”で、1階の右端角に石の鐘がぶら下がっています。←見える? -
旧市街広場。 ゴシック建築を19世紀末シュトルフ出版社が改築、馬にまたがったチェコの守護聖人 聖ヴァーツラフを描いた“シュトルフの家”
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19:30 Colloredo−Mansfeld palace のコンサートに行きました。
カレル通りからは宮殿とわからないのですが、会場に入ってみると中央に大きなシャンデリアがあり、古い時代の雰囲気そのままです。
今朝シナゴーグで、“シャッターを押してあげる”と言われてカメラを渡した時、レンズのキャップを返してもらうの忘れたのですが、コンサート会場でそのフィリピン系アメリカ人夫婦とばったり再会! 私の手元に戻ってきました。(#^^#) アリガト -
最前列の席だったので、昨日行った教会コンサートと違って、音がダイレクトに聞こえます。
スメタナのモルダウも少し演奏されて嬉しかったです。 日本にも、こんな会場があるといいなぁ。 -
20:55 旧市街広場。今日最後のからくり時計を待つ人たち。
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おなかが減ってなかったので、市民会館のカフェ(正面左側)、Kavarna Obecni Dum で、ランチメニュー(290Kc)とビールで、夕食にしました。
23:45の夜行寝台EN477メトロポール号でブダペストへ向かいました。カヴェールナ オベツニー ドゥーム カフェ
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