2015/04/28 - 2015/04/29
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prinprinさん
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プラハまで行って人気のチェスキー・クルムロフに行かないのはもったいない?
と迷っていた時、 フルボカー城に行かれたトラベラーさん方が、小さな白いお城を“チェコで最も美しい城”と書かれているので、HPを見てみました。
ウン! これは私の好み。 (*^_^*) 絶対行く~♪
(メモ : チェスキー・クルムロフ)
この街はドイツやオーストリアの貴族たちによって次々と支配され、権力者が変わる度、手が加えられました。
チェスキー・クルムロフ城は、13世紀 この地を治めたヴィトコヴィツ家がゴシック様式で築き、14世紀にロジェンベルク家の手に渡り、16世紀 町は手工業と交易で繁栄し建物が建設されて色彩鮮やかなルネッサンスの都市となりました。
ロジェンベルク家の財政は次第に破綻を来たすようになり、借金の抵当に入れられたチェスキー・クルムロフは、1601年 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の手に渡ります。
1622年、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世は 三十年戦争において財政面を含む貢献のあったエッゲンベルク家にこの町を与え、バロック様式の建築物が加わります。
1719年、エッゲンベルク家が断絶し、有力貴族シュヴァルツェンベルク家が町と城を相続。 城もバロック様式に改築され、城内劇場(バロック劇場)が増築されました。
増改築が重ねられるうち、プラハ城に次ぐチェコ第2の規模の城郭となりました。
19世紀に入り、シュヴァルツェンベルク家は、新たに英国風のネオ・ゴシック様式に改築されたフルボカー城に居城を移します。
産業革命期にあってチェスキー・クルムロフは主要な鉄道網から外れ、大規模な工業化もみられなかったため、緩やかに衰退していきました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9:00の Student Bus に乗ると、やはり雨が降ってきた。 (T_T)
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11:55 チェスキー・クルムロフに到着。
“歩き方2014~15”で読んだとおり、屋根付きのバス停を過ぎてみんな降りた(と思う)ので、終点だと思って私もバスを降りました。 私の乗ってきた Student Bus(左端)は、ずっと停まっていました。 -
ディズニーランドのような 旧市街の入口。
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???
バスを降りたターミナルが終点と信じているので、どうして中央の広場より手前に赤い門があるのか理解できない。 -
小雨が降って、4月末だというのに、この日にかぎって最高気温9℃。 るなさんが教えてくれた天気予報のサイト"イル・メテオ"で、日本にいる時から解っていたから、防寒は万全です。
http://www.ilmeteo.it/meteo-europa/Cesky%20Krumlov%20%28B%F6hmisch-Krumau%29
国名はイタリア語で入力。 国旗を選択すると日本語になります。 -
旧市街の中心、ズヴォルノスティ広場。
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オーナーとお母様が握手をして迎えて下さって、友人の家に招かれたようです。 全3室の宿なので24時間対応のフロントは無いけど、ご主人が“何かあったら電話して”と携帯電話の番号を教えてくれました。
ペンション ノスタルジー ホテル
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キャッスルビューで、バスタブ付きの部屋にしました。
予約サイトで32㎡スイートになっていましたが、去年バリ島で泊まった45㎡より広かったです。 -
私たちの部屋だけダイニングキッチンの奥にあるので、2DKのアパートを借りて、そこに朝食を作りに来てくれる、って感じです。 有料の洗濯機があって、陽気なお母様が洗濯物を乾燥機に移してくれると言ってくれたので、お願いして街歩きに出かけました。
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ラトラーン通りの左の階段(ザーメツケー・スホディ)を上がって行くと、
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第1の中庭
チェスキークルムロフ城 城・宮殿
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今考えれば、この柵の下に熊がいたはずですが、塔壁面のだまし絵に気をとられて見忘れました。
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第2の中庭。 塔は13世紀前半、質素なゴシック様式で建てられ、1580~90年に現在のルネッサンス様式に改修された、城で最も古い部分です。
塔に登ってみました。 -
第2の中庭。 右側の黒い建物は兵舎。 その奥の白い建物はバター製造所。
左手前の建物は、1680年代に硬貨鋳造所として建てられたが、1702年の法律改正で1度も鋳造されませんでした。
中央が公爵の住居。お城の下の方は窓が小さい12世紀ゴシック様式。 -
ヴルタヴァ川と、さっき渡って来たラゼブニッキィ橋。 私の泊まった部屋も見えています。
左端の白い建物が、ホテル・ルージェ(薔薇)。 -
第1の中庭。 正門(赤い門)の左は塩貯蔵庫(観光案内所)。 右は馬屋。 エッゲンベルク醸造所も見えます。
360度ぐるっと見渡せて、バスターミナルが2つ見えました。 終点と思って降りたターミナルは、終点の1つ手前 (Český Krumlov,Špičák) だと解かりました。 -
塔の建物(博物館)。 塔には18世紀中頃から番人が住みこんで時計を回し、鐘を鳴らし、塔を見回った後ファンファーレを吹いていました。
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第2の中庭。 明暗のコントラストで描かれた建物は、兵舎として使用されました。 衛兵の組織は18世紀に結成され、城を守るだけでなく、要人がプラハやウィーンに赴くときの護衛や、また楽士として、週末、町で演奏会を開き民衆を楽しませました。
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ヴルタヴァ川とラゼブニッキィ橋。
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第3の中庭で 14:30のガイドツアー(ルート1)の開始を待ち、ヴルタヴァ川側の第4の中庭に近いドアから館内へ入ります。
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最初の部屋(聖ジョージ礼拝堂)だけ写真を撮ってもいいと言われた。
→ 16世紀ルネッサンス様式(最後のロジェンベルク家)の部屋たち
→ 上階のホールで、金の馬車(1638年製)
→ 17〜18世紀バロック様式(エッゲンベルク家、シュヴァルツェンベルク家)の部屋たち
→ 下階に戻って、ロココ様式の仮面舞踏会ホール(1748年制作) → 第4の中庭に出ました。城内ツアー 城・宮殿
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城の橋を渡ります。
(メモ : 金色の馬車) カトリック強硬派フェルディナント2世は三十年戦争(1618~48年)をひき起し、1634年 皇帝軍司令官ヴァレンシュタインを暗殺すると、息子フェルディナント3世を皇帝軍司令官にし、 1637年死去した。
父王の死去でフェルディナント3世が神聖ローマ皇帝に選出されたことを、エッゲンベルク家ヨハン・アントンがローマ教皇に伝えに行った時、贈り物を運ばせた金色の馬車(1638年ローマで製造)は、その後1度も使用されなかった。プラーシュティ橋 建造物
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プラハ城(旧王宮)が、公的な場を古い状態で公開しているのに対して、
チェスキー・クルムロフ城は、豪華なサロンや住居を再現して見せているので、よく言えば綺麗です。
でも最後にロココ様式の仮面舞踏会ホールを見たら、あまりに滑稽で(失礼!)見てきた部屋を忘却~。
真似して、覗き窓から撮ってみた。 -
聖ヴィート教会
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正面の門を出て、右に行くと旧市街に戻り、左に真っ直ぐ行くと城の庭園ですが、
門の手前左側に展望テラスがありました。 -
展望テラスから
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展望テラスから
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城の庭園に行ってみた。
城の庭園 城・宮殿
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冬季乗馬学校
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坂を下り、
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橋をくぐって旧市街へ戻ります。 横長いアーチのフロアが、歩いて渡った廊下。
上の屋内廊下は城内劇場に行くのですが、公開は3日後(5月1日)からなので残念。プラーシュティ橋 建造物
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旧市街北側の橋を渡って、
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橋の上から、
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旧市街。 ときどき小雨が降るので、道にショップのディスプレイがなくて寂しいです。
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ショップのウインドー
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晴れてれば、パラソルの下でマッタリできるのに。
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ホテル・ルージェの前の展望台から
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17:20 疲れたので、RESTAURANT コンヴィツェCONVICE の角から路地を下って、ペンション・ノスタルジーに帰りました。
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7:45 おはようございます。
バスの時間に合わせて、朝食を早く用意してくれました。 もう1泊したかった~! -
右側の白い建物が、16世紀頃はイエズス会の修道院だった ホテル・ルージェ。
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ホテル・ルージェの前の展望台入口
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イチオシ
バスターミナルの近くからも眺めが良いです!
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9:00 Český Krumlov,,aut.nádr. バスターミナルというより、駐車場にバス停を置いただけで、到着した時降りた Český Krumlov, Špičák のほうが整っていました。
バス バス系
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今日は打って変っていい天気。 チェスケー・ブディェヨヴィツェまで40分です。
フルボカー城へ行くには、そこで路線バスに乗り換えるのですが、路線バスの乗換えも検索できて、列車や Student Bus の予約サイトにリンクしているので便利でした。 http://jizdnirady.idnes.cz/vlakyautobusy/spojeni/ -
9:40 ショッピングセンターの3階にあるバスターミナルに到着。
9:50 路線バスに乗り換えて出発。バスターミナル(チェスキー ブジョヴィツェ) バス系
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フルボカー辺りは養魚場がたくさん。
このバス路線は、1時間に5本あったり 1本しかなかったりなので気をつけて下さい。 -
10:15 Hluboká nad.Vltavou,,pod kostelem(ヴルタヴァ奥地の教会の下)で下車します。“教会の下”というバス停ですが、バス通りから教会は見えません。 ベズルチョヴァ通りをてくてく歩き、
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10分でフルボカ城に到着。
英国に繰り返し訪れた公爵が、ウィンザー城をモデルに1841年から改築された居城で、正面から見るとコンパクトですが、奥に長い構造になっています。フルボカー城 城・宮殿
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左の建物でチケットを買い、この正面の扉を入った所が集合場所です。
11:00の見学ツアーに参加しました。 日本語の説明書を貸してくれます。 -
朝のサロン。 撮影禁止なので絵葉書です。
家具も寄木象嵌細工やルネッサンス期の凝った物があり、豪華な内装にうっとり。 -
お城の出入口。 丘を下りてフルボカー・ナト・ヴルタヴォウの町へ戻ります。
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町の中心、マサリコヴァ通り。 あまりに天気が良いので、フレビーチェク(オープンサンド)やメドヴニーク(チェコ伝統のケーキ)とコーヒーを買って、教会の広場に持って行って昼食にしました。
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12:50 バス停の前を、観光馬車がパッカッパッカッ・・・・。 農耕馬みたい、カワイイ!
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チェスケー・ブディェヨヴィツェで Student Bus に乗換え、13:40発→15:55プラハ着
海外で乗換えがあると心配なのですが、順調でよかった。 -
Student Bus の予約サイトは、予約変更も座席指定もできて便利でした。
https://bustickets.studentagency.eu/ -
16:00 プラハ、ナ・クニーゼツィー・バスターミナル
教会のオルガンコンサートに行きたいので、早めに帰ってきました。
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