2016/12/02 - 2016/12/09
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ヨーロッパはいつ行っても楽しく、美しく、どの国も歴史と文化を感じさせます。
そして、12月のヨーロッパは、クリスマス・マーケットの楽しみがあります。
今回は、チェコ(プラハ、チェスキー・クルムロフ) ⇒ オーストリア(ザルツブルク、ウィーン) ⇒ ハンガリー(ブダペスト)と周遊する8日間のツアーでしたが、12月上旬なのでまだ雪もなく、どの街に行ってもクリスマス・マーケットが中心街で賑やかに広がっていました。
また、モーツアルトをはじめ、数多くの音楽家を輩出した中欧は、街全体が音楽に包まれているような気がします。
15年前に訪れた時はウィーンでシェーンブルン宮殿コンサート、10年前はクアサロンでのクラシックコンサートとオペラ座のオペラ鑑賞、そして今回は、アウエルスペルク宮殿でのレジデンツ・オーケストラ・コンサートとプラハでは聖ミクラーシュ教会でのコンサート。
天気にも旅のお仲間にも恵まれ、楽しく充実したクリスマス・シーズンの中欧の旅になりました。
写真は、プラハの旧市庁舎の塔から見たティーン教会の夜景と、大勢の人で賑わう旧市街広場のクリスマス・マーケット。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
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-
今回のツアーは成田の集合が9時5分なので、成田ビューホテルに前泊。
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翌朝、出発前にホテルのフォレストガーデンを散策すると、見事な紅葉が・・・
チェックアウト後、ホテルのシャトルバスで成田空港へ向かいます。 -
成田は快晴・・・中欧も旅行中は晴の予報なので、期待が持てます。
前回(10年前)の中欧旅行の時はオーストリア航空の直行便でしたが、この9月に運航が終了したため、中欧へは乗り継ぎで行くことになります。
今回のフライトは、スイス インターナショナル エアラインズ (スイス国際航空) ・・・2回目の利用です。
1931年にスイスの国営航空会社として設立したスイス航空が前身ですが、2002年に経営破綻し、現在はルフトハンザドイツ航空の子会社になっています。 -
スイスのチューリッヒ空港をベースにして、ヨーロッパをはじめ世界各国に路線網を持つスイス国際航空。
11時5分発のフライトでチューリッヒに行き、チェコ・プラハ行きに乗り継ぎます。 -
飲み物サービス後の昼食タイム。
これは、カサレッチェパスタのチーズソース・パプリカ入り。 -
もう一つのメニューは、牛肉の味噌煮にサツマイモ・人参・スナップエンドウとライス。
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前回は男性のCAもいましたが、今回は女性だけ。
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いつもながら、この時期のシベリアは真っ白。
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チューリッヒ到着前の食事は、ライスヌードルの焼きそば。
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スイス国際航空は機内サービスが行き届いており、このチョコやオムスビ、飲み物などタイミングよくサービスしてくれます。
このチョコレートは美味しいので、楽しみにしていました。
遠慮して(?)夫と一個ずつ頂きましたが、配り終えた乗務員の方が、籠の中に残っていた5~6個のチョコレートを、私の膝の上に置いてくれました・・・よっぽど欲しそうにしていたのでしょうか?
勿論、日本語の映画もOK・・・3本も見てしまいました。 -
成田から約13時間のフライトでチューリッヒ空港に到着。
スカイメトロでターミナルに移動します。 -
ターミナルのショッピング街もクリスマスモード。
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待合室から見た17時前の外の景色・・・見事な夕焼けの向こうには、スイスアルプスの山々が聳えています。
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こんな夕焼けは、なかなかお目にかかることはありません。
皆さん、カメラを出してパチパチ。 -
チューリッヒ空港から、なかなか飛行機が飛び立たず、チョッと心配しました。
前回は、ウィーンからプラハに行く時に、乗った飛行機が整備不良とかで、急遽降ろされて、次の便まで待たされた苦い経験があります。
今回もまた~、なんて思っているうちに、何とか17時35分の定刻過ぎに無事飛び立ちました。 -
1時間20分のフライトで、19時前にヴァ―ツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港に到着。
飛行機から降りる時、三人掛けの窓側に座った女性の荷物を収納棚から出してあげた夫に、 ” アリガトウ ” と日本語でお礼を言ったのです。
” エッ! 日本語を話されるんですか? ” ” チョット ダケ ”
アー、早く分かればお話し出来たのに・・・残念でした。
プラハの空港の旧名はルズィニエ国際空港でしたが、最後のチェコスロバキア大統領でチェコ共和国の初代大統領を務めたヴァーツラフ・ハヴェルを讃え、2012年に改名されました。
チェコはピルスナービールの発祥地で空港のレストランにも ” PILSNER ” の文字が。 -
今日からプラハの旧市街に近い「 バルセロ プラハ 」に2連泊します。
地下鉄で旧市街から約15分、ブデェヨヴィツカー駅から歩いて10分。 -
2014年に改装された部屋は清潔感がありますが、こぢんまりとして少し狭い。
トイレにはドアがありましたが、洗面所にはドアがなく、日本人にはチョットね~・・・それと、バスタブのお湯の出し方がよく分からなくて、シャワーの水を頭から被ってしまいました。
でも、ベッドは最高!・・・よく眠れました。 -
<2日目>
朝食はビュッフェ式。
6人掛けのテーブルに同席した姉妹のお二人と話が弾み、 ” 午後のフリータイムはご一緒しましよう ” ということになりました。
結局、今回の旅は、このお二人と行動することが多く、お蔭で夫婦二人より一層賑やかで、楽しい思い出深い旅になりました。
海外旅行の楽しみの一つは、このような 「 人との出会い 」 にもあると思います。
短期間の国内旅行と違って、初めての方々と知り合って仲良くなり、刺激や感動を得られることが、海外旅行の楽しみの一つです。 -
ホテルを9時に出発し、ヴルタヴァ川を渡って旧市街側からプラハ城へ。
ヴルタヴァ川には18カ所に橋が架かっています。
バスで渡るのはレギー橋、その先(下流)にあるのが、ヴルタヴァ川に架けられた最古の石橋・カレル橋。 -
プラハ城前の「フラッチャニの丘」から見た、プラハの朝景色。
2009年にオバマ大統領が、核なき世界を目指す「プラハ演説」を行った場所が、このプラハ城前のフラッチャニ広場で、この演説と「核なき世界」に向けた国際社会への働きかけが評価され、オバマ大統領は2009年のノーベル平和賞を受賞しました。 -
プラハ城は9世紀半ばに建設が始まり、ボヘミア王国の全盛期であった14世紀、カレル4世の時代に、ほぼ現在の姿になりました。
現在はチェコ共和国の大統領府として使われ、ギネスブックによると、プラハ城は世界で最も古くて大きい城とされています。 -
プラハ城の西の正門には、1760年代制作の巨人像が置かれ、門の左右にはボヘミア王国の象徴であるライオンの像とモラビア王国の象徴であるワシの像があります。
巨人像は右が棍棒、左が短刀を持っています。 -
正門は二人の衛兵が警護し、衛兵の交代式は一時間毎に行われます。
今は10時前なので、交代の衛兵が向かっています。 -
プラハ城の入り口から「第1の中庭」を通って「第2の中庭」へ。
左にあるのは「コールの噴水」。 -
城内にある「聖ヴィート大聖堂」は、プラハ城見学の一番の目玉。
925年に最初の教会が建てられ、1344年にカレル4世によって聖ヴィート大聖堂の建設が始まり、ゴシック様式の教会が完成したのは、何と約600年後の1929年です。
これが大聖堂の正面で、上部にはバラ窓。 -
聖ヴィート大聖堂の全体図。
正面に82mの二本の塔、中ほどに99mの鐘楼が建っています。 -
今日はクリスマス・シーズンの土曜日とあって、大勢の人で大混雑。
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聖ヴィート大聖堂は沢山の塔があるので、ガーゴイル(雨どいの水の排出口)もアチコチに。
ガーゴイルによって建物の外壁から離れた位置に放水することで、外壁の痛みを防ぐ効果を狙っています。
また「魔除け」の意味合いもあり、ガーゴイルの口から流れ出る雨水は「悪霊の水」とされ、あまり良いものではないそうです。 -
この大聖堂での注目は「ステンドグラス」・・・入ってすぐにあるのが、この教会で一番有名なミュシャ(1860~1939)の作品。
アルフォンス・ミュシャはチェコに生まれ、フランスで活躍し、成功後はチェコに戻って民族意識の高揚を訴えた芸術家です。 -
1931年作の「聖キリルと聖メトディウス」・・・このミュシャのステンドグラスは、チェコの守護聖人と呼ばれたボヘミア王・ヴァーツラフとその祖母・聖リュドミラを中心に描き、その周りにボヘミアでキリスト教の布教に生涯を捧げた弟のキリルと兄のメトディウスの生涯を描いています。
また、最上部はキリストが描かれています。 -
ステンドグラスの中央に描かれた少年は、チェコの守護聖人である聖ヴァーツラフで、左隣が祖母の聖リュドミラ。
聖ヴァーツラフを少年として描く際、ミュシャは自身の息子・イジーをモデルとしました。
このステンドグラスは、色ガラスを組み合わせたものではなく、ガラスの上に油彩で描かれています。
今回の旅行の目的の一つは、このミュシャのステンドグラスを観る事でいたが、色彩がとても美しく、魅了されました。
ステンドグラスのお仲間にも、ミュシャが好きで作り続けている人もいるので、お土産にミュシャのグッズを何か買うことにしました。 -
大聖堂は、ほとんどの窓がステンドグラスになっています。
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大聖堂には19もの礼拝堂が並んでいます。
これは「旧大司教の礼拝堂」。 -
窓が大きく、どの窓もステンドグラスで美しく飾られています。
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枢機卿シュヴァルツェンベルクの像・・・フリードリヒ・ヨハネス・フォン・シュヴァルツェンベルク(1809~1885)はザルツブルクの大司教を務め、その後、プラハ大司教に就任した人です。
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「ネポムツキー事件」を描いた絵画。
宮廷司祭だったヤン・ネポムツキー(1345~1393)は、ある時、王妃の懺悔を聞きます。
これに対し国王は王妃の不貞を疑い、ネポムツキーに懺悔の内容を明らかにするよう迫りましたが、ネポムツキーは脅されても一言も喋りません。
これに激怒した国王はネポムツキーの舌を切り取り、カレル橋から突き落として殺してしまいます。
その時、天使たちが天から降りてきて、神の祝福の象徴である棕櫚の枝でネポムツキーを天に導いたという伝説が残されています。 -
チェコの守護聖人である「聖ヤン・ネポムツキーの墓」・・・この墓碑は2トンの銀を使用しているそうです。
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1723年に造られた「レオポルト・シュリック伯爵のバロック式墓碑」。
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パイプオルガンの所で、テレビ局の人が取材していました。
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大聖堂のバラ窓は、20世紀に入ってから完成・・・「天地創造」を表しているそうです。
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聖ヴィート大聖堂の天井は、内陣の高いゴシック様式特有のヴォールト天井で、トレーサリー装飾が蜘蛛の巣状に交錯して、対角に結ばれた美しい模様になっています。
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約30分の見学を終えて「第3の中庭」へ・・・ここからは、聖ヴィート大聖堂の威容がよく分かります。
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その先に飾られていた、キリストの誕生を表した藁人形・・・クリスマスシーズンですね~ 雰囲気が最高です。
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聖ヴィート大聖堂の東側・・・ゴシック様式の建築手法である飛梁(とびばり:尖塔補強用のアーチ)が美しい姿を見せています。
広場は、クリスマス・マーケットで賑やか。 -
赤煉瓦が印象的な「聖イジー教会」は、プラハ城内にいくつもある教会中で最も古い教会・・・920年頃に建てられ、1142年のプラハ城の火災の後に改修され、現在のロマネスク様式の外観、二つの尖塔などが設けられました。
微妙に太さが違う白い二つの塔は、左の塔が女性を表わし、右の塔が男性を表わしているとのこと。
聖イジーとは聞き慣れない言葉ですが、英語では聖ジョージ、ギリシア語だと聖ゲオルギウスです。
教会の左側に続く建物は聖イジー修道院で、現在は博物館になっています。 -
「黄金の小路」・・・この名は、皇帝ルドルフ2世が錬金術師を住まわせていたという話から付けられましたが、実際は衛兵のための住まいだったといわれています。
1597年に建てられた小さな家が並ぶ通りで、現在はカフェやお土産屋、ギャラリーなどが軒を連ねています。 -
22番の家は、プラハで生まれたユダヤ人作家のフランツ・カフカが、1916年から1年間、仕事場に使った家・・・現在は、お土産屋や展示館になっています。
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黄金の小路を進んで、プラハ城の出口へ。
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プラハの旧市街を一望できる旧登城道にも、大勢の観光客が・・・
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プラハは『百塔の街』として知られる中世の町並みを残す美しい街です。
これはマラーストラナ地区の街並み。 -
旧市街に見える2本の尖頭はティーン教会。
遠くに見える塔は、共産党政権時代の1992年に建てられた216mのテレビ塔・・・プラハの街には不釣り合いですね。 -
テレビ塔の左側の眺望。
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フラッチャニの丘を下ってカレル橋に向かいます。
これは、新しいタイプの大型トラム(3両連結)・・・何故か日本語が書かれた広告が。 -
カレル橋の下をくぐって見上げると、カレル橋の橋塔が見えました。
カレル橋は、カレル4世の時代の1357年に建設が始まり、1402年に全長516m、幅10mのアーチ型の橋として完成。 -
橋の欄干には30体の聖人像が、ほぼ等間隔に向かい合って立っています。
聖人像の多くは17世紀後半から18世紀前半に設置されたもので、多くの像はレプリカに替えられています。 -
30体の像のうち最も人気があるのは、1683年制作の聖ヤン・ネポムツキーの像・・・橋のほぼ中央にあります。
十字架に磔にされたキリスト像と棕櫚を持ち、頭上に5つの星が輝いています。 -
足下のレリーフに触ると ” 幸せが訪れる ” と言われているので、ピッカピカに輝いています。
人ごみをかき分け、私もタッチ!・・・この前来た時も触って、今日まで幸せ(?)でした・・・これからもご利益が続きますように。 -
逆光でよく分かりませんが、日本人に人気のあるフランシスコ・ザビエル像・・・ザビエル像を支える土台には、東洋人らしき像もありますが、日本人かな~。
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橋の上は、観光客でいっぱい。
この時、事件が発生!・・・ツアーメンバーの二人が行方不明になり、添乗員さんとガイドさんが二手に分かれて捜索・・・その結果、無事見つかりましたが、ガイドさんの説明は、よく聞いて行動しないといけませんね。
と言う私達も、後日ウィーンで、最後にバスから下りたら誰もいないという悲劇に見舞われましたが・・・ -
日本ではモルダウ川として知られているヴルタヴァ川は、プラハの旧市街とプラハ城側を隔てています。
チェコ出身の偉大な作曲家・スメタナの『わが祖国』のメロディーが浮かんできます。
それにしても、カモメの多いこと・・・ -
カレル橋からは、ヴルタヴァ川の美しい景色を眺めることができます。
この橋は、朝、バスから見たレギー橋。 -
30体の像の中で最も古いものは、1361年の文書にあるキリストの「十字架像」。
最初の像はプラハ国立博物館に保管され、現在、橋に設置されているのは、1629年に作られたものです。
橋上には音楽を演奏する人、アクセサリーをを売る人、似顔絵を描く人などいて、退屈しません。 -
カレル橋の両側には橋塔があり、展望台になっています。
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橋塔のそばにある「アッシジの聖フランチェスコ教会」の前に、カレル4世の像が建っています。
カレル4世は、聖ヴィート聖堂の建立(1344年)、アルプス以北で最初の大学(プラハ大学)の創設(1348年)、新市街の創設(1348年)など、こうした建築事業を通じてプラハを『黄金のプラハ』と呼ばれる大都市に変えていきました。
このカレル4世像は、プラハ大学(カレル大学)設立五百年を記念して、1848年に設置されたものです。 -
この像の前から見たプラハ城とカレル橋の眺望が素晴らしい!
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カレル橋を渡って、旧市街広場へ行く途中の通りは、お土産屋さんや飲食店などが立ち並び、大勢の人でごった返しています。
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今回のツアーでも、こんなに混雑している街は他にはありませんでした・・・クリスマスマーケットが開かれている12月の最初の土曜日だからでしょうか。
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マリオネットのお店。
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携帯電話中のストリートパフォーマー。
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今回のツアー参加者は31名・・・皆さん、大混雑の中を迷子にもならないでティーン教会がある旧市街広場まで来ました。
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1490年頃に造られた旧市庁舎の時計塔・・・上から仕掛け時計、天文時計、カレンダー時計。
仕掛け時計は、9時から21時の毎正時に、キリストの弟子(十二使徒)がからくり人形のように順番に動きます。
プラネタリウムと呼ばれる天文時計は、当時の天動説に基づいて、地球を中心に回る太陽と月、天体の動きを示し、1年かけて一周し、両脇の人形は「虚栄心」「貧欲」「死神」「異教徒の侵略」を表しています。
カレンダリウムと呼ばれるカレンダー時計は、外側の白い部分には365日分の聖人の名が記され、1日に一目盛り動く暦になっており、両脇にある人形は「歴史記録者」「天使」「天文学者」「哲学者」を表し、毎正時になるとプラネタリウム右の死神が紐を引っ張って、鐘を鳴らします。 -
旧市街広場のクリスマス・マーケットは大賑わい。
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昼間からホットワインを飲んだりして楽しそう・・・ワインとシナモンの良い香りが漂っています。
これが、ヨーロッパのクリスマス・マーケットですね・・・フリータイムになったら私達も飲みましょう。 -
我々ツアー客は、クリスマス・マーケットを楽しむ前に、旧市街広場に面したボヘミアングラスの老舗・エルペットでショッピングとトイレ休憩。
前回もこの店に来たので、懐かしい感じで、日本人の店員さんも多く、ホッとします。
恒例の商品の説明の後、そろそろ何かショッピングしたい気持ちにもなっていましたので爪ヤスリをお土産にまとめ買いしました・・・出発前に読んだブログにも、ここの爪ヤスリはとても使い心地が良いと書かれていてお勧めでしたので、迷わず購入しました。 -
そしてこのお店は、配布されたカードにあるバーコードでトイレが3回使えます・・・午後のフリータイムの時にもお世話になり、助かりました。
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ショッピングの後、エルペットからヴァ―ツラフ広場の方へ向かいます。
ストリート・パフォーマーと一緒に良い子も記念写真。 -
ハヴェル市場の周りも大混雑。
突き当りに見える建物は「国立博物館」・・・国立博物館は1818年に開館し、この本館は、1891年に建設されています。 -
12時を過ぎているので、皆さん、ホットドッグやハンバーガーをパクリ。
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ヴァ―ツラフ通りから少し左に入ったレストラン「REPRE」で昼食。
チェコの伝統的な料理を安く食べれる人気の店です。 -
早速、ピルスナービールを・・・本場のビールは最高!!
メイン料理はローストポークで、一緒にお皿に乗っているのはチェコ人の国民食(?)である「クネドリーキ」・・・小麦粉に玉子・牛乳・水を入れてこね、パンの形にして茹でたものをスライスして、メインディッシュの付け合わせにします。
これ自体には味がなく、メイン料理のソースをつけて食べるようですが、日本人向きではないかも・・・勉強不足だったため、この時は食べ方が分からず、 ” 美味しくないな~ ” と思いました。 -
昼食後はフリータイム。
朝食の時に約束したTさん達姉妹と4人で旧市街の方に向かいます。
10年前に来た時は観光馬車が走っていましたが、今はリムジンタイプの観光用オープンカー。 -
最初に「火薬塔」へ登ってみました。
市民会館の隣に並んでいる火薬塔は、高さが65m・・・15世紀後半にゴシック様式で建てられた石の門で、旧市街の市壁の一部でした。
火薬塔という名は、17世紀に大砲の倉庫として使われたことによるもので、屋根も建物全体もカレル橋の橋塔とそっくりなのは、設計者がカレル橋の橋塔を手本に制作したからとか。 -
展望台の入り口が分かりにくかったのですが、小さな木のドアを開けて、石の壁の細い螺旋階段を登ると・・・
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美しいステンレスグラスが現れました。
ここにあるチケット売り場で入場料:100コルナをお支払い。
途中の展示物を見ながら更に登り・・・ -
合計で186段の階段を登り切ると、待っていたのは44mの高い所からの旧市街やプラハ城の眺望!・・・美しい世界遺産の街並みが広がっています。
頑張って上まで登った甲斐がありました。 -
これは、火薬塔の隣にある市民会館のドーム。
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市民会館前のストリート・パフォーマー・・・この宇宙飛行士は、どうやって宙に浮いているのでしょうか?
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アールヌーヴォー様式の建物である「市民会館」は、1906年に建設が始まり、1912年に完成しました。
1918年にオーストリア帝国からチェコスロバキアが独立宣言した場所であり、今は「プラハの春音楽祭」のメイン会場になっています。 -
この模型を見ると、火薬塔と市民会館が隣接しているのが分かります。
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建物の中は豪華な装飾が施されており、日本の市民会館とはかなり違います。
正面入口を入ると、スメタナホールへと続く階段があります。 -
内部には、美しいホールやサロンがあります。
これは1階のレストラン・・・まるで宮殿のようで、壁画も美しい! -
レストランの先にある売店…シャンデリアが素敵です。
市民会館で特に有名なのが、プラハの春国際音楽祭で知られる「スメタナ・ホール」とミュシャが内装を手がけた「市長の間」ですが、今回は見学出来ませんでした。 -
市民会館から旧市街広場に向かう途中の路上にも、いろんな店が出ています。
可愛そうだけど美味しそうなブタちゃん。 -
旧市街広場に戻り、ティーン教会へ・・・「ティーン」とは塁壁(城壁)のことで、正式名称は「ティーンの前の聖母マリア教会」。
高さ80mの二本のゴシック風の尖塔をもった教会で、旧市街広場でひときわ目立つ教会ですが、この教会の入り口が分かりにくい。 -
当初の小さな礼拝堂が14世紀にゴシック式の教会に建て替えられ、15世紀からフス派(プロテスタント)の教会となります。
三十年戦争(1618~1648)の後、カトリック教会に変えられ、それに怒ったフス派が教会の前に建物を建てて、入り口を塞いだ関係で、今でも教会の前にあるレストランを通り抜けて行かなければならないのです。
我々4人は教会の周りをぐるりと一周し、やっと入り口を発見しました。
なお、教会内部は撮影禁止となっている珍しい教会です。(写真はHPより) -
旧市街広場の中心にあるチェコ民族の英雄「ヤン・フスの像」。
このフス像は、1915年のフス没後500年記念に建てられたものです。
ヤン・フスは、ルターの100年前に宗教改革を試みた先駆者。
1412年、十字軍の遠征費用を賄うための免罪符が売り出されたことに反発を強め、最後は異端者として1415年に火刑となりました。 -
ヤン・フス像の先に見えるのはフス派教会の「聖ミクラーシュ教会」(英語では聖ニコラス教会)・・・12世紀に創建された、ボヘミアバロック様式の美しい教会です。
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外観の美しさもさることながら、内部も壮麗で、大理石の祭壇や・・・
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豪華なボヘミアングラスのシャンデリアなど見どころがあります。
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聖ミクラーシュ教会の入り口で、教会コンサートのチケットを売っている初老のご婦人・・・Tさんの提案で19時からのチケットを4人で購入しました。
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巨大な豚肉の塊を直炭火でジュージューと焼く「プラハ ハム」・・・垂れた肉汁からあがる煙の香りが、お腹の虫を刺激します。
プラハの観光スポットで、よく目にする光景です。 -
旧市庁舎の塔からのプラハを見たくて、エレベーターの切符を買って、並ぶこと30分以上・・・16時40分に、やっと70mの塔に登れました。
ちょうど黄昏時で、昼間と違ったプラハの幻想的な美しさに、しばし見とれます。 -
やっぱり登って正解でした・・・ヴルタヴァ川向こうのプラハ城もよく見えます。
夕闇に浮かんだ聖ヴィート大聖堂が印象的でした。 -
眼下には、旧市街広場のクリスマスマーケット・・・
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ライトアップされたティーン教会が美しい・・・
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そして左側に聖ミクラーシュ教会。
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17時からの仕掛け時計を見るために、急いで螺旋のスロープを歩いて下りました。
1338年に1軒の商家を買って市庁舎とした後、その建物に塔を継ぎ足して造ったのが天文時計のついた塔です。
さらに商家を順次買い足し、合計六軒の家をつないで旧市庁舎が出来ました。 -
17時になりました・・・上の鶏が羽ばたき、時計の周りの人形が動きます。
すると、死神が紐を引き、鐘を鳴らし、砂時計を逆さにすると、十二使徒が登場。
鐘の音と共に十二使徒が一人ずつ窓から顔を出し、最後に鶏が一声鳴いて仕掛け時計は終了。
30秒程でアッという間に終わり、日本のからくり時計と比べると、それほど大したものではない気もしますが、これが15世紀に作られたというのは凄いことです。 -
この後は、ヴルタヴァ川からのプラハ城の夜景を見に、カレル橋に戻りました。
何とも言えないファンタスティックな眺め・・・右下の川岸には沢山のカモメが羽を休めています。 -
ライトアップされたカレル橋の橋塔も、昼間とは違った趣です。
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コンサートのために、再び旧市街広場へ。
プラハのクリスマス・マーケットの時期は、ホットワインの香りと共に「トゥルデルニーク」の甘~い香りが漂ってきます・・・発酵させた生地を伸ばして棒に巻きつけ、それを炭火の上でクルクル回転させながら焼き上げる、チェコ伝統の焼き菓子です。 -
焼き上がったら、挽いたナッツを混ぜた砂糖をまぶします・・・外はカリッと、中はフカッとして美味しい。
結局、今日の夕食は、これで済ませました・・・それも街角の石の階段に座って。
レストランでディナーを想像していた私は、 ” エーッ ” ・・・マー、これも旅の楽しさでしょう。
私達夫婦では考えられなかった行動ですが、これも旅友のお蔭でしょうか・・・楽しい思い出になりました。 -
19時からの聖ミクラーシュ教会でのコンサート・・・早目に行って、一番前の席に座りました。
今日のプログラムは、「Camerata Pragensis Orchestra」とオルガン奏者のアレシュ・バールタによるコンサート。 -
19時になると、突然、パイプオルガンの音が響き、モーツアルトの『教会ソナタ 第17番 ハ長調 K336』の演奏が始まりました。
この教会のオルガンはちょっと小さめですが、堂内の音響のよさの関係か、とても音がよくて、オルガン演奏の大迫力が教会全体を包み、感動的でした。
因みに、モーツァルトがプラハに滞在していた際、この教会のパイプオルガンを演奏したことがあり、亡くなった時には、この教会で盛大な追悼ミサが行われました。 -
バッハ・ヘンデル・モーツァルト・ヴィヴァルディなどの作品が全部で7曲・・・約1時間のコンサートで、とても良い経験でした。
ただ、教会は寒かった! 本当に寒かった・・・ -
教会コンサートで冷えた体をクリスマス・マーケットのホットワインで温め、ホテルまでは地下鉄で。
切符を買って、長~いエスカレータに乗って、ホームへ下ります。 -
女性三人が先に電車に乗り込み、電車の写真を撮って一歩遅れた夫が乗ろうとした時、発車音も何の前触れもなく、突然ドアが閉まりかけました。
日本なら、閉まりかけのドアを開けてくれますが、違います・・・私達は慌てて夫の腕や洋服を掴み、電車内へ引きずり込みました。
ここに夫を置いて行く訳にはいきません、必死でした。
やっとのことで無事乗り込むことが出来ましたが、日本の電車の親切なことに慣らされている我々には、チョッとビックリな出来事です。
とも角、電車に乗ってホテルに戻り、無事にプラハの一日が終わりました。
明日は、チェスキー・クルムロフに向かいます。
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