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竹島の紹介の続きです。竹島橋に到着した頃は干潮時間帯で、潮干狩りの人でいっぱいでした。竹島は、三河湾に浮かぶ神社がある無人島で、三河湾国定公園の人気スポットです。(ウィキペディア)

2015春、蒲郡の名所(2/16):4月22日(2):蒲郡、竹島、潮干狩り光景、鳶、ユリカモメ

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2015/04/22 - 2015/04/23

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旅行記グループ 2015春、竹島水族館

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

竹島の紹介の続きです。竹島橋に到着した頃は干潮時間帯で、潮干狩りの人でいっぱいでした。竹島は、三河湾に浮かぶ神社がある無人島で、三河湾国定公園の人気スポットです。(ウィキペディア)

交通手段
JRローカル

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  • 引き潮の時は、餌取りの絶好のタイミングのようです。夏羽に換わったユリカモメさん達が、潮の引いた干潟を歩き回っていました。

    引き潮の時は、餌取りの絶好のタイミングのようです。夏羽に換わったユリカモメさん達が、潮の引いた干潟を歩き回っていました。

  • 潮が引いたり寄せたりする時に干潟の生き物が動き始めるようです。それを狙っているようなユリカモメさん達でした。

    イチオシ

    潮が引いたり寄せたりする時に干潟の生き物が動き始めるようです。それを狙っているようなユリカモメさん達でした。

  • 上空を旋回していたトビ(鳶)です。トビは、タカ目タカ科に属する鳥類で、歌詞にもあるように、トンビとも呼ばれます。童謡の『トンビ』や三橋美智也さんの『夕焼けトンビ』が有名です。

    上空を旋回していたトビ(鳶)です。トビは、タカ目タカ科に属する鳥類で、歌詞にもあるように、トンビとも呼ばれます。童謡の『トンビ』や三橋美智也さんの『夕焼けトンビ』が有名です。

  • 大勢の潮干狩りの人で賑わっていた干潟の光景です。地元の新聞でも竹島の潮干狩りの写真が掲載されていました。

    イチオシ

    大勢の潮干狩りの人で賑わっていた干潟の光景です。地元の新聞でも竹島の潮干狩りの写真が掲載されていました。

  • 竹島橋の上から失敬させてもらった、後ろ姿の潮干狩りの光景です。リュックを背負った常連さんのようでした。ポリバケツには三分の一から四分の一ほどの成果が上がっているようです。

    竹島橋の上から失敬させてもらった、後ろ姿の潮干狩りの光景です。リュックを背負った常連さんのようでした。ポリバケツには三分の一から四分の一ほどの成果が上がっているようです。

  • こち他の方もリュックを背負って、腰掛を用意し、ツバ広の帽子です。日焼け対策も万全のようでした。後方の黒いバケツには、既に溢れるほどのアサリの成果が見えました。

    こち他の方もリュックを背負って、腰掛を用意し、ツバ広の帽子です。日焼け対策も万全のようでした。後方の黒いバケツには、既に溢れるほどのアサリの成果が見えました。

  • こちらの方は、帽子なしでの奮闘です。リュックではなく、肩掛けのショルダーでした。右前方の黒いポリバケツには二分の一ほどの成果です。この型も折り畳みの椅子を用意されていましたが、今のところは荷物置き場でした。

    こちらの方は、帽子なしでの奮闘です。リュックではなく、肩掛けのショルダーでした。右前方の黒いポリバケツには二分の一ほどの成果です。この型も折り畳みの椅子を用意されていましたが、今のところは荷物置き場でした。

  • 引き潮の時に掘られた無数の貝採りの穴ですが、それほど深い穴ではありませんから、満ち潮になれば、元の平坦に戻るようです。これだけの潮干狩りの客のためには、相当量の稚貝が放流されているようでした。

    引き潮の時に掘られた無数の貝採りの穴ですが、それほど深い穴ではありませんから、満ち潮になれば、元の平坦に戻るようです。これだけの潮干狩りの客のためには、相当量の稚貝が放流されているようでした。

  • 一面に広がる低い波の光景です。どうやら引き潮の時に現れる縞模様のようでした。寄せる波とは印象が異なっていました。

    一面に広がる低い波の光景です。どうやら引き潮の時に現れる縞模様のようでした。寄せる波とは印象が異なっていました。

  • 夏羽に替わって、頭部が黒くなったユリカモメさんです。この顔を見ると、つい、オペラ座の怪人と印象の強いメロディをを連想してしまいます。

    夏羽に替わって、頭部が黒くなったユリカモメさんです。この顔を見ると、つい、オペラ座の怪人と印象の強いメロディをを連想してしまいます。

  • 竹島橋を半ばほど渡った、前方の光景です。樹木の井生い茂る竹島が、随分と大きく見えてきました。竹島は暖地性の植生であり、対岸の植物相とは大きく異なるととされます。このため、昭和5年(1930年)に天然記念物に指定されました。

    竹島橋を半ばほど渡った、前方の光景です。樹木の井生い茂る竹島が、随分と大きく見えてきました。竹島は暖地性の植生であり、対岸の植物相とは大きく異なるととされます。このため、昭和5年(1930年)に天然記念物に指定されました。

  • 竹島橋を半ばほど渡った場所から振り返って眺めた北方面の光景です。右手前方に、お城のような『蒲郡クラシックホテル』が見えています。その麓には、無料開放されている『海辺の文学記念館』があります。こちらは、竹島見学の後に立寄りました。

    竹島橋を半ばほど渡った場所から振り返って眺めた北方面の光景です。右手前方に、お城のような『蒲郡クラシックホテル』が見えています。その麓には、無料開放されている『海辺の文学記念館』があります。こちらは、竹島見学の後に立寄りました。

  • 『八百富神社』の扁額が懸かった石の鳥居の光景です。左側には『五即位式記念』の文字もありました。鳥居の裏側には、『大正4年9月奉納』の文字がありましたので、大正天皇即位記念のようです。

    『八百富神社』の扁額が懸かった石の鳥居の光景です。左側には『五即位式記念』の文字もありました。鳥居の裏側には、『大正4年9月奉納』の文字がありましたので、大正天皇即位記念のようです。

  • 右が八百富神社の文字が刻まれた石碑、左が春日灯篭風の石灯篭の光景です。石灯篭の左には、『竹島弁財天』の真新しい石碑もありました。

    右が八百富神社の文字が刻まれた石碑、左が春日灯篭風の石灯篭の光景です。石灯篭の左には、『竹島弁財天』の真新しい石碑もありました。

  • 八百富神社の由緒を記した立看板です。最新は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祭神とし、安徳天皇時代の養和元年(1181年)3月に、藤原俊成によって創建されたことなどが記されていました。

    八百富神社の由緒を記した立看板です。最新は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祭神とし、安徳天皇時代の養和元年(1181年)3月に、藤原俊成によって創建されたことなどが記されていました。

  • 『八百富神社境内のご案内』のタイトルがあった看板です。八百富神社を中心に5つの神社が記されていました。八百富神社以外では、宇賀神社、大国神社、千歳神社と八大龍神社の四つです。

    『八百富神社境内のご案内』のタイトルがあった看板です。八百富神社を中心に5つの神社が記されていました。八百富神社以外では、宇賀神社、大国神社、千歳神社と八大龍神社の四つです。

  • 右の石碑には、『天然記念物・八百富神社社叢』の文字が刻まれていました。昭和5年(1930年)に国の天然記念物に指定された時の石碑のようです。左側の屋根付きの立派な看板には、昭和5年8月25日・文部省の名前で、天然記念物に対する注意書きが箇条書きされていました。

    右の石碑には、『天然記念物・八百富神社社叢』の文字が刻まれていました。昭和5年(1930年)に国の天然記念物に指定された時の石碑のようです。左側の屋根付きの立派な看板には、昭和5年8月25日・文部省の名前で、天然記念物に対する注意書きが箇条書きされていました。

  • 銅葺の立派な屋根を持った立看板のアップ光景です。箇条書きされた注意事項を要約すると、①土砂の採取禁止、②樹木草類の伐採と植栽禁止、③工作物の県でつ禁止、④指定区域内の現状変更の禁止の四つでした。違反した場合は、『国宝により処罰』の文字も添えられていました。旧法での規定でしょうが、新法への読み替えもされているはずです。

    銅葺の立派な屋根を持った立看板のアップ光景です。箇条書きされた注意事項を要約すると、①土砂の採取禁止、②樹木草類の伐採と植栽禁止、③工作物の県でつ禁止、④指定区域内の現状変更の禁止の四つでした。違反した場合は、『国宝により処罰』の文字も添えられていました。旧法での規定でしょうが、新法への読み替えもされているはずです。

  • 竹島側から眺めた鳥居の光景です。竹島にはいくとも鳥居がありますから、『大鳥居』と呼ばれているようです。かつて、東郷平八郎記号の扁額がありましたが、戦時に供出されて、今は別の扁額に懸けかえられたようです。

    竹島側から眺めた鳥居の光景です。竹島にはいくとも鳥居がありますから、『大鳥居』と呼ばれているようです。かつて、東郷平八郎記号の扁額がありましたが、戦時に供出されて、今は別の扁額に懸けかえられたようです。

  • 蝋燭の幟で飾られた参道の光景です。神社がある頂上までは、暫く石段が続きそうでした。参道脇には、石灯篭も置かれていました。<br />

    蝋燭の幟で飾られた参道の光景です。神社がある頂上までは、暫く石段が続きそうでした。参道脇には、石灯篭も置かれていました。

  • 途中まで登った石段から見下ろした、竹島の北側方面の光景です。竹島橋が中央右手に、干潟の潮干狩り光景が、その左側に見えていました。

    イチオシ

    途中まで登った石段から見下ろした、竹島の北側方面の光景です。竹島橋が中央右手に、干潟の潮干狩り光景が、その左側に見えていました。

  • 石段の上から、じっとこちらを見つめていた黒猫さんです。石段を登りあ得た時には、その姿はありませんでした。

    石段の上から、じっとこちらを見つめていた黒猫さんです。石段を登りあ得た時には、その姿はありませんでした。

  • 筋肉隆々の狛犬の光景です。

    筋肉隆々の狛犬の光景です。

  • 同じく、一対になった筋肉隆々の狛犬の光景です。

    同じく、一対になった筋肉隆々の狛犬の光景です。

  • 振り返って眺めた石段光景です、両脇には、隙間なく幟が立てられていました。

    振り返って眺めた石段光景です、両脇には、隙間なく幟が立てられていました。

  • 更に登った場所から眺めた海の光景です。竹島から東北方面になります。

    更に登った場所から眺めた海の光景です。竹島から東北方面になります。

  • 竹島の頂上に到着しました。竹島全体が、八百富神社の境内のようなものですが、この阿たちは石畳の、一番と立派な境内でした。

    竹島の頂上に到着しました。竹島全体が、八百富神社の境内のようなものですが、この阿たちは石畳の、一番と立派な境内でした。

  • 最後の石段を登った後、振り返って眺めた石段と幟の光景です。

    最後の石段を登った後、振り返って眺めた石段と幟の光景です。

  • 神社には不可欠の、浄めの水の光景です。

    神社には不可欠の、浄めの水の光景です。

  • 『国指定天然記念物・八百富神社社叢』のタイトルがあった説明看板です。蒲郡市教育委員会名でした。昭和28年7月からの調査で、238種の口頭祝物が自生していることなどが紹介されていました。

    『国指定天然記念物・八百富神社社叢』のタイトルがあった説明看板です。蒲郡市教育委員会名でした。昭和28年7月からの調査で、238種の口頭祝物が自生していることなどが紹介されていました。

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