2014/12/01 - 2014/12/04
1496位(同エリア3724件中)
まりも母さん
レトロを探して長崎へ 3日目 午前 原爆資料館と浦上天主堂
http://4travel.jp/travelogue/10969564
の続き、長崎旅行3日目午後です。
長崎でぜひ行ってみたいと思ってた 軍艦島見学ツアー。
外海にある島なので、風や波が高いと船が欠航になるし、出航しても上陸ができないこともあるそうです。
今回の長崎旅行中、寒波が来ていた日本列島は、雪が降ったり 風が強くて、
昨日は、どのツアーも欠航だったもよう。
滞在中、いつなら行かれるか・・・天気予報をチェックして3日目の午後が一番マシだろう、と昨夜webサイトから予約をしました。
そして、行って来ましたよ。端島 通称 軍艦島へ。
画像が多いので、本日分は午前・午後2部に分けて掲載致します。
他 長崎の旅行記は下記の7部です。
レトロを探して長崎へ
1日目石橋をめぐり、坂道をのぼる初めての長崎
2日目 午前 グラバー園と四海楼でちゃんぽんランチ
2日目 午後 大浦天主堂〜南山手・東山手寒波に負けず歩き尽し
2日目 夕方 案外面白かった出島と山手からの夜景
3日目 午前 原爆資料館と浦上天主堂
3日目 午後 行って来ました!軍艦島上陸ツアー
4日目 吉宗茶碗蒸しランチとレンタカーで〆のドライブ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 ANAグループ 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
お昼を食べて、集合時間に遅れないように事務所へ。
予約は済んでいるので、受付で、支払いをします。
今回利用したのは、軍艦島コンシェルジュ
色々検討してこちらを選びました。
ツアー代金3600円(平日)+入場料300円(長崎市に払います)合計金額をクレジットカードでまとめて払えました。
他に3.4社ツアーを行っている会社がありますが、微妙に値段がちがったり、船の大きさも違います。
欠航の場合、この会社は返金もあります。(出航して、上陸できない場合は、返金はないです)キャンセル料もかかるところ、直前までOKな所などありますので、
天候にも左右されるこのツアーは予約するも難しいですねぇ。
平日はともかく、土日祝日は結構予約でいっぱいみたいです。
この会社は上陸率が高い事、そこそこ船も大きいので船酔いしにくいかなぁ、と。
それに、上陸後離岸した後、島の反対側までの周遊があります。
軍艦島コンシェルジュ
http://www.gunkanjima-concierge.com/
乗船時間になるまで、待合室でビデオを見ながら待ちます。 -
おしゃれな桟橋が事務所建物の前にあり、これを渡って、乗船です。
-
船はマーキュリー号 130人乗りの高速艇
-
写真が撮りたいので、2階のデッキ席に行きました。
-
斜面に並ぶ住宅の建物。平らな土地が少ない長崎のこんな景色は、なかなか壮観です。
-
ドックには豪華な客船が見えました。
イギリスの発注した客船で、今は、内装工事が行われているのだそうです。
来年、完成、進水式を迎え、運航する船だって。
いつかこんな船に乗ってみたいかも〜。 -
長崎湾を出向して、まもなく、高い大きな橋、女神大橋をくぐります。
とても高い橋です。
造船所も沢山みえましたが、大型客船なども通る場所なので、これだけ、高さのある橋なのだそう。 -
高い橋の下をくぐるのもなかなかの迫力。
しかし、風が強い!2階デッキは吹きさらしなのでかなり寒いですぅ。 -
タンカーでしょうか?
色々な大きな船も見えます。
デッキ席は風が強くて、めちゃくちゃ寒いです。
乗る前に待合室で、船酔い止めの薬を念のため飲んだのだけど・・・
酔うどころじゃない。寒くて、眠気もなにも吹き飛ぶ感じ・・・。 -
大きなクレーン。港湾で、コンテナを積み下ろしするクレーンも巨大ですが、造船所のクレーンはそれより大きそう。
-
先の方にもうひとつ橋が見えて来ました。
伊王島へ渡る、伊王島大橋です。2011年に出来た橋。それまでは、伊王島へは、長崎から船でないと行かれなかったそう。
この橋を過ぎると、長崎の外海です。波が高くなるらしいです。 -
端島が見えてきました。
通称「軍艦島」
島の地下にある海底炭鉱を掘る為に発展した半人工島。
文化7年(1810)に石炭が発見されてから60年後 明治3年(1870)に開抗。
三菱石炭鉱業の炭鉱として開発され、島に沢山の人が住み、小さな完全都市の様相に発展しました。
その後、主要エネルギーが石油に移ると共に衰退し、昭和49年(1974)閉山するまでは人が住んでいましたが、
全ての住民が島を離れ、無人島となり、現在進行形で風化の一途をたどっています。
しかし、この島には、石炭で栄えた時代の産業遺産、明治から昭和の人々の暮らし様が
残されたままで、今となっては、貴重な歴史遺産となっているのです。 -
見学のツアー船がつくのは、ドルフィン桟橋。
前のツアー船がまだ接岸中。
外からも廃墟化している様子が良く見えます。 -
ドルフィン桟橋は、これが三代目の桟橋で昭和37年製。それ以前の桟橋は台風で流されてしまったそうです。
桟橋は、島の構造上、作るのが難しく、(コンクリートで囲った、人工的な護岸で港は無い)
昔は、はしけ船と不安定な可動式桟橋で島への出入りをしていたのだそうです。 -
見学できるのは、桟橋から島の南〜西部分のみ。
崩壊が続いている建物群なので、安全な見学エリアしか入る事は出来ません。 -
2009年4月から始まった、見学ツアーは、現在4社ほどが、それぞれ1日2便づつツアー船を運航しています。
桟橋も、観光客が上陸しやすいように、手すりなども設置されてはいますが、やや足元は不安定かも。
見学には、事前にツアー会社に誓約書も提出します。(長崎市宛て)
ヒールの靴はダメとか雨傘は使用不可(雨合羽を使う)などそれぞれのツアー会社に乗船のルールがあります。 -
ドルフィン桟橋の横あたり、海の方に壊れたコンクリート部分が。
石炭を積み込む桟橋台の跡のようです。 -
四角い石が積まれた島の護岸。
元々の本当の島部分は現在の島面積の1/6とも言われる小さな岩礁部分のみ。
その地下で炭鉱が見つかり、開発する為に、岩礁の周りを人工的に広げて大きくして行ったものです。
明治期の土木 しかも、潮流・強風・水深のある場所に作ったのですから、大変な作業だったでしょう。
石を石灰と赤土を混ぜた天川と呼ばれる接着剤で積んだ工法だそうです。
明治・大正期はこのような石積み、昭和になると護岸はコンクリートで固められるようになりました。 -
一番高い場所にある 3号職員住宅 昭和34年(1959)
幹部職員が住んだ、島内のVIP住宅。
ガイドさんの話しでは、屋上は若者のデートスポットだったそうです。眺めも良さそうだしね。 -
上陸しました。
見学ツアーで上陸できるのは1時間と決まっているそうで、どのツアー会社も1時間までです。
風、波が強い場所で、現在もどんどん建造物の風化が進んでいるそうで、一般の見学者が立ち入る事の出来ないエリア(居住地エリア)はかなり危険な状態の場所も多いそうです。 -
島には、元々植物は生えていませんでしたが、長い年月の間に鳥が運んだ種から少しの樹木、植物が伸びている場所もあります。
通常、廃墟となるとあっという間に植物に覆われてしまうものですが、潮風や波をかぶる過酷な条件のこの島にはさほど大きな木はありません。 -
整備された見学路と3箇所の広場で見学です。広場では、ガイドさんの説明があります。
同じツアーには欧米人、韓国人、それに台湾からの団体さんも参加していました。 -
印象的な煉瓦の建物跡。資材事務所。(築年不明)
後ろは、鉱山の総合事務所の建物跡です。 -
階段が見えます。
第二竪坑へ行く為の階段です。
竪坑は地下の坑道へ繋がる竪穴の事で、作業員はその竪穴をエレベーターのようなケージで地下数百メートルまで降りていった訳です。
第二竪坑は深さ636m。実にスカイツリーの高さより2m深い・・・。それをものすごい速さで檻のようなケージに乗ってで降下したのです。
地上部にロープを張った櫓があったはずですが、そちらは失われています。
以前, 日立市の「日鉱記念館」を見学し、その時、竪坑の上に建つ櫓や、「巻揚機室」を見ています。
それと同じような設備で、坑道への出入りがされていた訳ですね。
この、竪坑への階段は、「命の階段」と呼ばれていたものです。
坑道に下りれば、どんな危険が待っているか知れず、階段を上り下りしながら、一日の作業の安全をかみしめていた場所だという事です。
坑道内は絶対の火気厳禁。タバコを持ち込まないよう、鉱員は身体検査も受けるほどの厳しさだったそうです。
命の階段を上がれば、やっとの一服ができたのです。 -
第二見学広場で説明を聞きます。
後ろの総合事務所の建物内には、今も残っているそうですが、お風呂場があります。
浴槽は三つあったそうです。
坑道で働いた男たちは全身真っ黒で戻ってきます。
周りを海に囲われた端島は真水が極端に不足していて、大切だった為、風呂はまず着衣のまま海水のものに入ります。
そして次に裸になって海水にもう一度。最後に真水の風呂に入る三段洗いだったのだそうです。 -
煉瓦造の部分は一部だけで、この部分は明治期からの旧第三竪坑捲座。蒸気動力巻揚で、竪坑へ降りる、巻上機があった建物です。
第三竪坑は昭和10年(1935)坑内ガス爆発で廃坑となり、その後、この建物は資材置き場と事務所に使われました。 -
潮の流れも早い絶海の場所にある端島ですが、廃墟となった建物の上空にはトビが飛んでいました。住む者は誰も居なく、生命の営みが感じられないこの島なのに、トビは何を求めて、ここへ来たのでしょうか・・・。
-
明治、大正期に積まれた護岸の土木工事の跡が良く判ります。
昭和になって、コンクリートで固め直しがされてしまった場所も多く、このような石積みが見られる場所はそう、多くはありません。
こうして昔の土木技術も見られる貴重な遺構でもあるのです。 -
船からも見えましたが、護岸に一部穴が空いている場所がありました。
護岸で囲われているとは言え、
台風などが来ると、建物まで海水をかぶるものすごい状態になったそうです。
入ってきた海水の排出口であったのかもしれません。
また、翌日聞いた話ですが、まだ立入禁止だった頃、こんな場所から上陸して中を探検する釣り人も結構居たそうです。 -
島の南側にあたるこの辺は、炭鉱事業の施設があった場所ですが、建物はかなり壊れています。
操業が停止され、壊された建物があったかもしれませんが、
台風がくれば、モロに海水をかぶるような場所ですし、潮風も強く、このあたりには植物も全く育っていません。
環境の過酷さが廃墟化のスピードを速めたのでしょう。 -
総合事務所の建物はコンクリート製の昭和の建物ですが、ほとんど、崩壊しています。
-
灯台が見えます。
炭鉱が創業していた時は、小さな島に最大で5千人以上の人が住んでいました。
人口密度の高さは世界一で、住宅の明かりで、島には灯台は必要なかったそうです。
無人島となり、真っ暗になった端島に灯台が建てられました。
現在のものは二代目で1998年の強化プラスチック製です。 -
端島は、2009年1月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産暫定リストに掲載されました。
2015年5月頃には、登録されるかも知れないという事ですが、
大きな課題としては、現状維持、という問題があるという事です。
日々、崩壊が進んでいて、1ヶ月後に来たら、この間まであった壁が倒れているなんてザラだそうです。
この状態をキープする、と言うのは難しいどころか、無理だろうと、ガイドの方も言っていました。 -
見学通路の最後部分、第三広場に近づくと、鉱員住宅の建物が見えて来ました。
-
大きく口を開けたコンクリートの向こうが見えます。
扉や窓ガラスは残っていません。 -
右側が30号棟
大正5年(1916)に建てられた日本最古と言われる7階建て鉄筋コンクリート造高層アパート。鉱員社宅です。
近代建築としては、極めて重要な建物です。設計者不明
この画像では判りませんが、ロの字型の建物です。
最初は4階建てでしたが、後に7階建てに増築されました。 -
100年も前に、良く造ったものです。
コンクリートを混ぜる真水の確保は大変だったようです。
鉄筋には竪坑に使った、ワイヤーロープも使われたそうです。
間取りは8畳一間の部屋がぐるっと 内廊下に向けて並んでいます。トイレは左角部分に共同のものがありました。 -
30号棟の外壁が崩落した部分。鉄筋がむき出しです。
鉄筋と言うより、鉄骨が入っているように見えますが、私は建築の専門家はないので、構造的な事は良く判りません。
しかし、これ、潮風に晒されて、どんどんサビが進行すれば、コンクリートを爆裂させたりしてかなりヤバそうなのはシロウト目にも判ります -
30号棟の後ろに見える25号棟 昭和6年(1931)5階建て
この中には島唯一の旅館「清風荘」もありました。 -
31号棟 昭和32年(1957)6階建て 地下に共同浴場、1階には端島郵便局、理容室がありました。
建物の上をトビが飛んでいます。 -
31号棟の1階入り口部分。外は瓦礫だらけ。
-
見学通路、広場を全部歩き、桟橋に戻ります。桟橋近くからは、島の北側にある建物が見えます。
これは、端島小中学校の建物。
屋上部分、一番上のコンクリートが落ちていますが、これは、今年の台風時に崩落したものだそうです。
大きな台風が通過すれば、このようにダメージが深く刻まれていく、進行形で廃墟化しているのです。 -
上陸しての見学を終了し、船に戻ります。
座席は決まっていないので、またデッキ席に行きましたが、
この後、船は島をぐるっと廻って、外からの見学になるので、デッキ席には来た時よりも多くのお客さんが上がって来ました。 -
桟橋から離れ、海から端島を眺めます。
三角屋根の建物は、第四竪坑への昇降機に使われたワイヤーの捲座が入っていた場所です。 -
屋根の落ちた、トラスの残る建物は、圧気機室。
地下深くの坑道内へ空気を送るために圧搾空気を作り、巨大な扇風機で循環させていたものです。
後ろには排気口もあり、生命に関わる重要施設であったのです。 -
船は端島を反時計回りに北側へ進みます。
67号棟のX階段が見えます。軍艦島の象徴的な建物のひとつです。
67号棟 昭和25年 男性独身寮 -
島西側の端の方になります。
左の建物は、端島小中学校。昭和32年(1957)
右側は島内最大の鉱員社宅65号棟 昭和20年 9階建て(一部10階) -
端島小中学校をズームしてみます。ガラスがまだ残っています。
とにかく、潮風の強い場所なので、住宅として建てられたものは、頑丈さが優先され、窓はあまり大きくありません。
学校だけは、子供たちの健康を考えて、採光の得られる場所に大きく窓を取った建物として作られました。
大きな建物は、今の所ちゃんと建ってはいますが、建物下の基礎部分は海水が入り、侵食され、かなり危険な状態にまで風化が進行しているそうです。 -
西側の突端部分。
新しいコンクリートが見えますが、これは、以前作られた護岸が崩壊した為、近年、修復されたものだそうです。
建物ばかりではなく、島の全てが、加速度的に廃墟・風化している事が良く判りました。 -
中央に見える4階建ての建物が69号棟端島病院 昭和33年(1958)
右側の少し白っぽい建物は、68号棟端島病院隔離病棟 昭和33年(1958)
炭鉱は危険な仕事場ですから、怪我人も多かった事でしょう。
そして、島には、真水が少なく、感染症は多かったそうです。
ましては、この狭い島内に5000人もの人が暮らしていたのですから、風邪や子供のはしかのような病はすぐに拡散する事も考えられます。
隔離病棟はそんな感染症の為の施設ではないかと推測できますね。
病院内の写真は、ネットで見ることもできます。
廃墟マニアが喜びそうな 手術室の無影灯の図なども見つかりますが、現在は落下して壊れてしまったようです。
病院の左の二階建ては ちどり荘と呼ばれる 教員住宅です。 -
高い場所にお社が見えます。端島神社 建物番号の1号です。
昭和11年(1936)にできました。
拝殿はすでに倒壊し、鳥居も倒れてしまい、祠だけが目立つ状態で残っています。 -
渡り廊下でつながった 鉱員社宅の建物。
いちいち下に下りなくても 51号棟と16〜20号棟の並んだ建物との行き来が容易にできました。
何せエレベーターの無い51号棟は8階建て、16〜19号棟は9階建てですから。(20号棟は7階建て)
16〜20号棟は大正7年(1918)と11年(1922)に建てられたもので、
51号棟は昭和36年(1961)なので、渡り廊下は51号棟が出来た時に接続されたのでしょう。 -
一番高い場所に建っているのが、3号棟昭和34年(1959)幹部職員や医師の住宅。
ここは、他の鉱員住宅とは異なり、VIP住宅だったので、それぞれに内風呂があったのだそう。
その手前に建つのも昭和に作られた住宅棟などです。 -
端島を東北方向から見た様子です。
この角度で見る島の形が、戦艦「土佐」に見える事から通称「軍艦島」と呼ばれるようになったと、言うのが通説です。
戦時中アメリカ軍が島を軍艦と間違えて、魚雷を打ち込んできた、と言うのは、大袈裟な作り話で、本当は、戦時中も稼動して、運搬船に積み込まれていた物がターゲットであったのだろう、という事です。 -
端島のすぐ近くには 中の島
緑のほとんど無かった端島から、船で渡って、ここで遊んだり、お墓や火葬場も端島には作る余裕がなかった為、こちらに作られました。 -
周遊も終え、長崎湾へ戻ります。ドルフィン桟橋には次のツアー船が接岸していました。
端島を離れ始めると、ポツポツと雨が落ちて来ました。
私たちの、見学中、雨が降ることも無く、ラッキーでした。
今回、乗船時から船の2階デッキ左側の席に座りました。
長崎湾を出て、最初に端島が見たのは右舷方向だったので、ありゃ〜失敗?と思いましたが、軍艦島周遊の際は左側の方がよかったです。解説のアナウンスを聞きながら、景色が良く見えました。
島の南まで周遊した後、右側からも良く見えるように船を廻してUターンしてくれます。
右側と左側、どちらが・・・と思うと左側かなぁ。
1階か2階か?と言えば、写真が撮りたいなら2階。ただし、冬はめちゃ寒いです。 -
炭鉱では、家族で住んで仕事をしている人、独身寮に入って仕事をしている人も居ましたが、中には外国人労働者も居たそうです。
朝鮮人労働者と中国人労働者。強制労働者として、過酷な状況下で働かされた、黒歴史もある事がガイドさんのお話にありました。
中には逃げ出そうと、海に飛び込んで泳いで行く者もいたそうですが、潮流は早く、生きて逃げ延びる事は出来なかったようです。 -
行きは反対側でよく見られなかった景色が 帰りは見えます。
白い教会の建物が見えました。
伊王島の馬込教会(沖ノ島教会)
長崎県には、沢山の教会があります。
五島列島の隠れキリシタンの教会群だけでなく、各島にはそれぞれ教会があるのです。 -
もうひとつ、神ノ島教会。
岬には白いマリア像も見えました。 -
煉瓦の建物も見えました。
全漁連長崎油槽所の敷地内のようです。
油のドラム缶とかを入れておいた建物かなぁ? -
造船所の大きなクレーンも見えます。
-
そして、長崎造船所のジャイアントカンチレバークレーン
明治42年(1909)工場設備の電気化に伴い設置されたスコットランド製。
今も現役で稼動している所がすごい! -
長崎湾に戻って来た頃には、あたりは曇り空もあって、すっかり夕方な感じに。
船を下りて、ツアーは終了です。
事務所に軍艦島関連のお土産も売っていて、見ている方も結構いたかな。
私たちは、路面電車に乗って、長崎土産を買いに、長崎駅方面まで行ってみました。 -
大波止電停で下りると、交差点にあの文明堂の総本店が。
黒漆喰のりっぱな建物です。
総本店ならでは、の商品ってあるのかな??
特選カステラやカステラ巻き、三笠山なんてあまりにもポピュラーで、お土産に買えないよなぁ・・・。 -
と、いう事で、建物だけ見てカステラは他で買う事に・・・。
-
と、その文明堂総本店のすぐ並びにやや、古そうな建物発見!
長崎県庁第3別館(旧長崎警察署 )
大正12年(1923)設計者不明 -
L字型の建物です。
文化財としての指定なども無く、このまま残されるのかが微妙な建物らしいです。 -
建物前には「南蛮船来航の波止場跡」の碑が。
跡っぽいものはあまり判りませんが、建物とは関係が無さそう。 -
近くのモールっぽいお店でで少し買い物をしました。皿うどんの麺のみが沢山入ったパックを買いました。こんなの関東では売ってない。
今月、クリスマスパーティーがあるので、長崎サラダを作ってみようと思ったのです。
持ち帰るまでにバリバリに砕けないといいけど・・・。
思案橋へ戻りました。
今日の夕食は、ホテルの近場に行ってみる事にしました。 -
すぐそばの思案橋横丁。
初日の夕飯に失敗したあと、ホテルに戻る時に歩いてざっとチェックしておきました。
なんだ、ホテル近くの方が、良さそうな店ありそうじゃないか〜と思っていました。
沢山のお店が並ぶ横丁は、なかなか楽しげな感じ。 -
「長崎おでん」を食べてみたくて来たのはおでん屋さん
桃若
店内に入ると先客は男性おふたり。カウンターにはお兄さんが一人居て、
私たちもカウンターでまずはビール。 -
まりも母がまずチョスイスしたおでん。
大根と豆腐、それに自家製のかまぼこ。
大根はよーくお出汁がしみて、ばっちり!
かまぼこは色々な具が入っていた、海老も入っていておいしかった〜。
お豆腐は、からしではなく、ゆずこしょうで食べるのをすすめられたので、そうしてみたら、これが美味かった!!
長崎おでんの条件は練物いっぱいであごだし使用だそう、このお店はあごだしではなく。鳥のだしを使っているので、正しくは長崎おでんでは無いのかもしれない・・・。 -
カウンター越しにお兄さんと二人のお客さんと話しも進みます。
お兄さんの話がおもしろかった。
今日は、軍艦島へ行った、と言うと「廃墟マニア?」なーんて。
お兄さんの話では、、端島のあたりは良い釣り場で、人気があるのだそう。
上陸禁止だった頃 釣り船で 内緒で上がった事もあるそう。
すでに、島の居住地内はめぼしい物は持って行かれてしまっていて、昔は色々持ち去りも多かったと言ってた。
それと、お兄さんが教えてくれたこの情報は、自分で調べても気が付かなかったけど、
池島の炭鉱は2001年に閉山して、現在人口激減中で新たな軍艦島化しつつある島なのだそうですが、
そこで、ヘルメットかぶって、トロッコにのって坑道に入れるツアーが行われているのだそう。
日本最後の炭鉱の見学と坑道内に入れるなんて、おいしすぎる内容のツアー・・・。
もっと早く知っていれば絶対行ったのになぁ・・・。
しばらくすると、女将さんとダンナさんが登場。
お二人の話しも面白くて、ビールも進んじゃう。
ビールばっかし飲んだから、お腹いっぱいになり おでんが5つしか食べられなかった・・・。
女将さんに、「吉宗には行かれました?」と聞かれたので、「あの茶碗蒸しの」と聞くと、
「ぜひ明日のお昼に行くといいですよ」とのおススメでした。
おでんもとっても美味しく、話も楽しくて、いいお店に来られてよかった。
最初にここに来ればよかった・・・と後悔しきり・・・。
長崎で見たかった場所は大体見てしまったので、明日はどうやって過ごそうか・・・
今日もホテルに帰って作戦会議です。
この続きは、
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