2014/12/01 - 2014/12/04
2008位(同エリア4063件中)
まりも母さん
レトロ探して長崎へ 2日目 午前 グラバー園と四海楼でちゃんぽんランチ
http://4travel.jp/travelogue/10963721
の続き、長崎旅行2日目午後です。
お昼を食べて まずは近くの大浦天主堂へ。
その後は あらかじめチェックしてきた古い建物見物に南山手、東山手を歩き廻りました。
途中 冷たい雨が降ってきたかと思ったらあられまで!
それでも 調べてきた建物にプラスして
もらった資料から 外観のみしか見ることはできませんが 古い一般住宅までめいっぱい レトロを探しまくりました。
画像が多いので 本日の町歩きは午前・午後・そして夕方の3部に分けて掲載致します。
他 長崎の旅行記は下記の7部です。
レトロを探して長崎へ
1日目石橋をめぐり、坂道をのぼる初めての長崎
2日目 午前 グラバー園と四海楼でちゃんぽんランチ
2日目 午後 大浦天主堂~南山手・東山手寒波に負けず歩き尽し
2日目 夕方 案外面白かった出島と山手からの夜景
3日目 午前 原爆資料館と浦上天主堂
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
お昼を食べた四海楼から グラバー園方面に少し戻った所に大浦天主堂があります。
午後の町歩きはここからスタートです。
大浦天主堂 正式名 日本26聖人殉教者天主堂
元治2年(1865)フューレ神父・プティジャン神父設計
国宝 日本最古の教会堂です。
ここは有料拝観ができます。
大人300円を階段下の受付で支払い あとは自由に拝観。 -
天主堂へあがる階段の途中 左側には ローマ法王ヨハネパウロ二世や磔のキリスト像などが。
この天主堂が建てられることになった当時は キリスト教禁止令の最中です。
外国人居留地の フランス人カトリック教徒の為に造られる事になった教会でした。
フランスから赴任して来たプティジャン神父が尽力して出来た礼拝堂です。 -
こちらがプティジャン神父の像。
大浦天主堂を建て、信徒発見の場に立会い、明治17年(1884)大浦で死去。
この天主堂祭壇の下に埋葬されています。 -
入り口右側には煉瓦造の旧大司教館
大浦天主堂創建50周年の事業として建替えられたものです。
歴代の司教の住居であり 長崎教区の本部として使われてきました。 -
旧大司教館
大正4年(1915)マルク・マリー・ド・ロ神父 鉄川与助 共同設計
長崎県指定文化財
かなり大きな建物です。
現在は 司祭を目指す神学生の寄宿学習施設として使われています。 -
天主堂入り口には「日本之聖母像」
日本に沢山の隠れキリシタンが居た事、その発見がされた知らせに フランスから贈られた聖母像。 -
白亜のマリア様はとても美しい聖母像です。
礼拝堂が出来て1ヶ月後 物珍しさから見物に来る日本人にも扉を開いていた天主堂へ
浦上の隠れキリシタンがやって来て キリスト教信者である事を告げます。
禁教令により1596年に26名のキリスト教徒が処刑されてから250年もの間
長崎の各地に隠れて信仰を続けていたキリシタンが ここに発見された という すばらしい知らせに贈られたマリア像。
日本之聖母 とはプティジャン神父の命名だそうです。 -
天主堂内にも入って見学が出来ます。
ここが正面入り口。
扉の上にアーチ型のステンドグラスがはめてあります。
通常、鉛で色ガラスをはめていくステンドグラスですが 当時の日本にはそのような技術を持ったステンドグラス職人はいません。
教会建設を請け負ったのが大工であったのと同じように
建具職人が 木製の枠でガラスをはめたステンドグラスを作成したのです。
(原爆や台風被害で3度修復がなされています) -
内部は写真撮影禁止ですが、建物の外からも扉が開いているので
表から撮ると大雑把には写ります。
天井がリブ・ヴォールトという天井様式。
ゴシックスタイルの美しい形状になっています。
NHKの放送で知ったのですが、この 複雑なカーブを描いた天井は 日本の左官職人によって作られたものです。
内側から(屋根裏)見ると 竹を縄で組み、土や漆喰を塗った 土蔵の壁と同じような造り。
竹のしなやかなしなりが この天井のカーブを造っていると言う
すばらしい職人技術なのです。
本場の技術者が来日して建てたものではなく
大工や左官職人、指物師と言った日本の職人が
工夫と技術で 設計者の注文通り 自分では見た事のない物を造った・・・これが日本の古い西洋建築の醍醐味であり 私が古い建物を愛する所以です。
グッドジョブ!とは正にこんなお仕事の事でしょう!
堂内は 荘厳な雰囲気に満ちたすばらしい空間です。
祭壇のステンドグラスは 最初はフランスから贈られたものがありましたが
長崎原爆で壊れ、現在にものは 戦後にフランスで作られたものです。 -
旧羅典神学校 明治8年(1875)マルク・マリー・ド・ロ神父設計
国指定重要文化財
プティジャン神父によって作られた日本人司祭育成の為の神学校。
建物は見た目 白いのですが、木骨煉瓦造
明治期の建物としては3階建て 地下1階(傾斜地にあるので入り口より下の地下があります)のある大型の西洋建築で 大変珍しい建物です。
中にキリシタン資料室があり見学が出来ます。 -
入り口から続く1階奥に資料室と左に売店兼展示室があります。
建物のある土地に高低差があるので 1階から入りましたが この階段で地下へ降りられるようになっています。(地下は一般の立入りは禁止)
途中で曲がった階段です。階段上の天井 格子天井が曲面となっているのが大変珍しいです。 -
資料展示室には 隠れキリシタンに関する資料展示が色々ありました。
観音像に見せかけた聖母像 仏像の見えない部分にクロスを刻んだ物。
名高い キリシタン弾圧に使われた踏み絵など。
ガラスケースの中には 一見マンダラのような天国や地獄の版画と石版画の原版。 -
これは、地獄の図のようです。
どのような布教活動の時に使われたんだろう?? -
旧羅典神学校の建物後ろには更に階段が続いていました。
この先もどうなっているのか気になる所ですが 勝手に入ってはまずそうなのでやめておきました。
階段の煉瓦が かなり古そうですし この上にも教会の施設がありそうですけどね・・・。 -
入り口横にはオラショのお店 があります。
宗教グッズの売店です。
教会入り口で自撮り棒にスマホをつけて写真を撮っている女の子やたちなど沢山の人が居ましたが このオラショのお店に入る人はあまりいませんね。
お土産売り場とは違いますので。
私は ここで メダイやマリア様の像まで買っちゃいましたよ。
正直 クリスチャンではないので、やや不謹慎かもしれませんが
マリア様像はクリスマスも近いので家に飾るのです。
天使や聖母絵のカードもポストカードだけでなく 小さなものも売っていて、20円位からありました。
まりも母 クラフトも結構やるので デコパージュ的なものの材料にぴったんこなんです。 -
大浦天主堂の前あたり グラバー通りはお土産店がいっぱい並んでいます。
そんなにぎやかな通りに また猫さんが!
首輪をしてる子としていない子、仲良く遊んでいましたよ。
ここからは チェックしてきた地図を持って 近い場所からレトロな建物を探して歩き廻ります。 -
旧香港上海銀行長崎支店記念館 明治37年(1904)国指定重要文化財
長崎市内の石造り洋館では最大 -
こちらが入り口です。
中に入れば内側も見られますが
展示は香港上海銀行長崎支店の歴史、孫文・梅谷庄吉について、華僑や貿易港長崎の歴史など。
ゆっくり見ている時間は無さそうなので 今回はスルーとします。
入館300円 -
コリント式の大オーダーが4本並ぶ壮観な建物。
バルコニーが大浦海岸通りに面していて大変目立ちます。 -
べっこう工芸館(旧長崎税関下り松派出所)明治31年(1898)
国指定重要文化財 煉瓦造
中国で生み出された技法がポルトガル人経由で長崎に伝播し、この地で発展したのが長崎のべっこう細工です。 -
平成14年からべっこう工芸館として使用されています。
入館100円
貴重なべっこう細工が沢山展示してあります。
べっこうの原料 タイマイはワシントン条約で輸入は禁止されているようで 在庫で製品化を続けてはいるそうですが 業者さんは厳しい状況にあるようです。
こちらも外観のみ見学です。 -
海岸通りを歩いて、チェックした次の場所へ。
宝製綱株式会社(旧ラムネ工場)明治35年(1902)ロバート・ネール・ウォーカー設計
煉瓦造
グラバー園内で見た 旧ウォーカー邸の主 ロバート・ネール・ウォーカーが設立した
ウォーカー商会が作った 日本初の清涼飲料水バンザイサイダーを造っていた場所です。
現在は 宝製綱株式会社のロープ工場として使われているそうです。
建物は昔のままに残されているよう。 -
煉瓦はイギリス積み。
窓のアーチも美しいです。
アーチの両端とキーストーンには石が使われていて、意匠的にも素敵です。 -
長崎市須加五々道美術館 (旧南山手乙9番館)
明治中期の建築という以外はあまり詳しい事が判りません。
G・ナパルコフというロシア人が建てたものだそうです。
解体修理・復元が行われ、
現在は長崎市出身の画家 須加五々道(すかごごどう)の作品が展示されている美術館です。
入館100円 -
内部は復元されていますが ここを自分の作品の美術館に使いたいという須加五々道自身の希望の壁色などに塗られているようです。
こちらも中までは見学しませんでした。 -
南山手地区町並み保存センター(旧雨森邸・南山手8番館)明治時代中期
イギリス人のウィルソン・ウォーカーが建てた住宅
入館無料で中も見学できます。
ウィルソン・ウォーカーは バンザイサイダーを作った ロバート・ネール・ウォーカーの兄です。
グラバーと共に キリンビールの前身ジャパン・ブルワリ・カンパニーを創立した方です。
この建物ある地区は 国選定重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として 数多くのレトロな洋館が残っています。 -
天井にはメダリオンのついた照明。
メダリオンの装飾は 長崎に来て初めて見ました。 -
天井と壁のつなぎ部分のモールディング、彫刻のある入口の飾りも美しいです。
-
各部屋のメダリオンはデザインが異なります。
-
内部は居留地時代の古写真などの町並みに関する資料の展示や情報の提供
それに居留地の模型が展示されていました。
ここで初めて「長崎旧外国人居留地地図」と手描きの「おさんぽマップ」のコピーをもらいました。
このふたつは 個人宅も掲載があり レトロな建物をなるべく沢山見て歩きたい私たちにはとてもありがたいものでした。
今まで訪れた他の場所には 置いてなかったですねぇ・・・。 -
頂いた地図には 私があらかじめ調べて来ても見つからなかった個人の建物も一応掲載がありました。
それらも外から見てみる事にします。
かなり細かく 重伝建地区を歩きまわる感じですが 色々な建物が見られるでしょうし それこそが 町歩きの面白さです。
早速 一つ目の住宅。個人宅です。
脇の階段を上がると その先がグラバー園入り口で 先に見てきた南山手16番館があります。
つる性の植物でびっしり覆われたのは段差のある土地の石垣です。
この住宅は きれいに手入れがされていますので一見新しそうに見えますが
ポーチのデザイン、屋根に和瓦を使っている所など 他の長崎の洋館と同じ特徴があります。 -
もう少し進むと道路の脇に「居留地境」の石碑が。
-
そこから少し進んだ先になが~~い石畳の狭い坂道がありました。
「ドンドン坂」坂がきつくて雨が降るとドンドンと音をたてて流れる・・・と聞いたのですが。 -
ドンドン坂を入ってすぐのおうちの石の門がすごい!
平らな石、いっぱい積んで、アーチ門になってる!!どうやって作ったんだろう??
別に古いものでは無さそうだけど こういうビックリな物が見つかるのも町歩きの醍醐味ですねぇ。 -
坂を少し上がった右側に ピンクにペイントされた洋館が何軒かあります。
冠木門風な門扉のある テラスの素敵な住宅は個人宅です。
坂道沿いの塀も 石垣や煉瓦塀などで なかなか風情があります。 -
坂の途中に石畳の横道があり その道の上下に同じような下見板張りの住宅が並んでいます。
頂いたマップに掲載されれいる個人住宅で 3.4軒の家が残っていますが
空き地になった所もありますので きっと以前はもっと沢山の家が並んでいたのでしょう。
元々一緒に建てられた賃貸住宅だったのではないか と想像できます。
今は 増築されている家もあるようですが 同じようなデザインで増築されていました。
重伝建地区だけあって 保存に前向きなオーナーさんがそうして使っているのは大変喜ばしい事です。 -
ドンドン坂のやや上の方です。
側溝 画像ではちょっと判りにくいのですが、上部ではU字型をしています。
この側溝は 上から下までの間にU字型からV字型になり一番下では四角いトヨ型に変化してるそうです。
水の流れる速度、量、落ち葉などのごみが流れる為の工夫だそうです。
土木的価値のある遺構のようです。 -
ドンドン坂を上がりきったあたりに 大きな洋館がありました。
高い塀で囲まれているので中は良く見えません。 -
このあたり、お城のような高い石垣が多いです。
居留地の宅地を作る時に整備された古いものなのでしょう。
明治初期からこのような造成地が造られていた訳ですから
やはり お城のような石垣の技術を使うのが手っ取り早かったのではないかな?と考えられますね。 -
大きな洋館は 幼きイエズス会修道会 清心修道院・マリア園という 養護施設でした。
明治31年(1898年)セネンツ設計
大浦天主堂のプティジャン神父がパリからシスターを迎えて孤児と共に修道会をはじめた という歴史ある場所でした。
敷地中には ゴシック様式の礼拝堂もあるそうです。 -
前方に けっこう大きなピンクのペイントの洋館が見えて来ました。
これも古そうだな~。地図には個人宅 と載っている場所のようです。
BSアンテナがついているから 誰かが住んでいるのかな?
いや、どうやら空き家のようです。きっと最近まで誰かが住んでいたのでしょう。
調べてみると、これは
旧杠葉病院本館(元英領事館員の住宅) 明治中期 -
その近くにはこの建物。
旧杠葉病院別館(旧レスナー邸)明治中期
以前は 道路を挟んで病院が2つの建物を使っていたようです。
おさんぽマップには「ステンドグラスの玄関がすてきな洋館」と書かれていますが 表の扉が開いていないと見られないそうです。
敷地も広いお屋敷です。
現在は医療法人協治会の施設として使われているようです。 -
坂道を登ります。ここは広い階段状になった坂道でした。
グラバー園脇の道へ向かうと 雨かと思ったらあられが降ってきました。
どうりで寒いと思った~。小さな氷の粒で お茶漬けのあられと大きさもさほど変らない位の小さな粒です。
折りたたみの傘を出して更に歩きます。
知らない場所なので ダンナが地図を持ち
私はカメラも下げているので 傘をさして建物を見るのは結構つらい~。
しかも折傘がこの後壊れました・・・。
でも あられはすぐに止みました。
今日は曇りで寒いけど、雨が降っても 数分で止む位で なんとかなっております。
南山手地区の伝統的建造物群保存地区はほぼ歩きましたので
グラバースカイロードを降りて 次は 東山手地区へ向かいます。 -
石橋電停を通り越し オランダ坂に来ました。
-
オランダ坂の一番下には 煉瓦造りの建物があります。
この建物 正面に廻ると超普通の和館のタバコ屋サンなんですよね・・・。 -
東山手洋風住宅群(7棟)明治20年代後半頃
ほぼ同じ建物が並んでいる事から 社宅か賃貸住宅ではないかと 推測されています。
6棟は内部が見学できます。
居留地時代の写真・ビデオが見られる東山手地区町並み保存センター、
古写真・埋蔵資料館、国際交流の場・ワールドフーズレストラン東山手「地球館」などに使われています。 -
町並み保存センターに入ってみます。
2階へあがると テラスの真ん中に仕切りがあります。
二段の土地にある下の建物と 上の建物は少し形がちがっているようですが
この上の建物は1軒の建物が左右で分かれた
アパートのように使われていたのではないか?と思いました。 -
瓦屋根で格子天井のあるテラスなど、やはり長崎の洋館の特徴が良く現れています。
-
下には レストランや資料館に使われている建物が並びます。
主屋の後ろにはそれぞれ同じような瓦の乗った 小屋が見えます。
煙突のある小屋もあるし あれは何だろう??
まだまだ 東山手の見る場所は有りそうなので 下の住宅は前まで行かずに先に進みます。 -
石垣に「英国聖公会会堂跡」の記念碑が埋め込まれている角を曲がり
海星高校体育館脇の階段のある上り坂を上がり
活水学院の建物の横を進み 東山手12番館を目指します。
活水学園の敷地は ずっと煉瓦塀が続いていて良い雰囲気です。
この坂の下 左側に目指す場所があります。 -
旧居留地私学歴史資料館(東山手12番館・旧ロシア領事館)
明治元年(1868)国指定重要文化財
建築主はアメリカ人商人のウォルシュだが、当初からロシア領事館として使われた建物。
その後 アメリカ領事館やメソジスト派(婦人外国伝道協会)の宣教師の住宅として利用され 活水学院に譲渡されましたが
昭和51年(1976)長崎市に寄贈され
現在は 居留地時代に建設されたミッションスクールに関する歴史的資料が展示されています。
入館は無料です。 -
とても広いベランダがついています。
東山手地区にある中では一番古い洋館です。
ドアが閉じていました。中に暖房が入っている為です。
暖房の入った洋館はめずらしいですね。
公開のためドアが開いていたり、古いので、今時使える暖房設備が無い という事で。
だいたいどこも寒いんだなぁ。 -
大きな部屋は3つあります。家具なども置いてありました。
-
「漆喰天井蛇腹塗り」と 天井と壁の境目に装飾である 部材の断面が展示されていました。
木製のモールディングが無い昔は 漆喰でこのような装飾をつけていましたが
断面を見ると 全部が漆喰なのではなく
角のあたりは板で 上げ底状態になっているのですね。なるほど~。
でも 機械で作る訳ではないので 左官職人がコテ作業で作ったのですよねぇ~。
メダリオンとかモールディングが好きな私には 大変興味深い。 -
こちらが 多分 東山手十二番館の附属屋 領事館の住居部分です。
こちらも主屋と同時に国指定重要文化財に登録されています。(非公開)
手前の柵のところに「活水同窓会」のプレートがあったので この建物がそうかと思っちゃったよ・・・。 -
お隣にも洋館が見えます。
活水女子大学12番校舎(旧宣教師館)明治35年(1902)
その奥にチラッと見えるのは
活水学院同窓会館・ラッセル記念館
どちらも学校の敷地内で入って見る事はできません。(一般非公開) -
一見洋館のようで 玄関あたりが和館っぽい不思議な建物。
結構古そう。
もらったマップによると「活水学院職員住宅」って書いてあるあたりなのですが。
これがそうなのか?いつ頃の建物なのかは不明です・・・。 -
坂を降りて 東山手甲13番館へ来ました。
東山手甲13番館(旧フランス領事館兼フランス代理領事アンドレ・ブクリ邸)
明治27年(1894)
当初は賃貸住宅として建てられ 旧香港上海銀行長崎支店支店長のイギリス人やアメリカ人などが居住。
昭和初期からフランス領事館兼住居として使われました。
現在は無料の休憩・観光案内所で、カフェコーナーもあります。 -
東山手甲13番館は建物の手前に庭があります。
南国チックな大きな木が生えています。 -
お庭にはガーデンチェアとテーブルがあり 休憩が出来ます。
さっきはあられが降るほど寒かったけど 今は日も射して・・・そうすると結構暖かい。
外の椅子に座って 持ってきた飲み物を飲んで少し休憩しました。 -
この建物も長いテラスがあります。
2階のベランダの下って場所です。 -
中に入ると クリスマスリースやツリーなどが飾られていました。
-
建物の奥に進み 狭い階段を上がって2階へ上がってみます。
踏み板が随分磨り減っています。廊下の天井も格子天井ですね。
長崎では本当に良くこの天井を見ます。 -
2階にはいくつものお部屋があり 領事館時代の様子にデスクなどが展示されているお部屋もありました。
先ほど上がってきた階段の反対側、玄関近くの方にもうひとつ階段がありました。
こちらの方が広く 先ほどの狭い階段は 使用人用の階段なのでしょう。 -
1階はカフェスペースになっています。
隣のお部屋にカウンターがあり、飲み物などをオーダーします。
雑貨の販売や作品展示室にもなっていましたよ。 -
コーヒー、ジュースなど飲み物が300円
水出しのダッチコーヒーが「売り」みたいだけどそれでも350円!
ワイン、ビールも400円位。トーストとカステラもあります。
居留地セットというのにしてみました。
カステラアイスにコーヒーのセットで450円
このカフェは長崎のオフィス向けコーヒーなどを扱っている会社の運営のようです。
運ばれてきたカステラサンドは なぜかチョコカステラと抹茶カステラだった(特にフレーバーは聞かれなかった)
ダンナと半分取り替えて食べましたよ。
お部屋があったかだったので美味しく食べられました。
ここには観光案内のおじさんが居て 観光の相談にものってくれます。
これから行くと良さそうな場所のパンフレットなども持って来て下さいました。 -
ゆっくり休んだので 東山手居留地地区最後のポイントへ出発です。
表までおじさんが見送りに来てくれました。
で、この塀に刈り込んだハートを教えてくれましたよ。
つる植物がハート型に刈り込まれているのです。
来た時は 近すぎて気がつかなかったよ。
そう言えば 長崎には 色んな所にハートが隠れているらしい。
グラバー園の敷石に中にハートの石があったり 眼鏡橋あたり、中島川の護岸にもハートストーンが埋め込まれているんだって。
ラブラブカップルなら そんなハート探しも楽しいでしょうが~
私ら 熟年夫婦なもんで ハートじゃなくて 今回は廃墟とか古っちい建物の方が目当てなんですわ~。
でも、ハートの刈り込みは、かわいいですね。 -
最後の見学場所は、
旧長崎英国領事館 明治40年(1907)在上海英国政府建築課技師ウィリアム・コーワン設計
国指定重要文化財
野口彌太郎記念美術館として使われていたが修復が必要になり
美術館は移転 現在は閉鎖中
この画像は 本館裏の付属屋と職員住宅の建物で こちらも本館同様 重文指定です。 -
付属屋の入り口あたり。
煉瓦造のイギリスっぽい建物。
丸窓の煉瓦がかわいいです。
良くみると たしかに煉瓦もかなりズレたり と傷みがあるようですね。 -
赤く塗られたのは煉瓦の色に合わせてなのか??
木造の職員住宅。
色はこんなですが 和館の趣。中には畳敷きの部屋があるのだそう。 -
敷地西側に路地があり 煉瓦塀がずっと続いています。
「塀にのぼるな」と書かれていますが
塀の上まで登らなくても塀の中が覗けます。
かなり広い敷地のようで 本館裏に続いた建物が見えます。 -
正面に廻ります。
煉瓦造の赤い中に花崗岩の白がアクセントになっています。
東京近郊ではいくつも見る事が出来る 辰野式のような色合い。
丸い石の窓がなかなか印象的です。 -
煉瓦塀は正面まで続き 門が左右2ヶ所にあるのです。
建物が大きいので 正面にどーんと広めの門がありそうなものなのに 案外こじんまりした門が2つなのです。 -
イオニア式オーダーが2本並びで立っています。
横の窓・・・鎧戸が一枚取れちまってますぅ。
やっぱ、大々的な修復が必要なんですね。
重文の建物と言っても 予算がザブザブ使える訳ではないらしく
修繕・修復はなかなか思うようにできない と 家の近所の旧制土浦中学(重文)で聞きました。
この建物も しっかり予算と計画が出来て 大規模修繕されるのを待っているのでしょう。 -
通りの反対側に渡って全景を見ます。
左奥には後ろの建物も少し見えますね。
今日一日歩いて見てきた建物の中でも 規模の大きな見ごたえのある建物なので
傷みが進まないうちに 早く修復されて 有効利用・公開されるのを希望します。
今日は寒い中、雨降ったり、あられ降ったり、時には晴れ間も出て 変な天気でした。
坂を登ったり降りたり、およそ6キロ歩いてレトロな建物を見まくりました。
洋館好きには充実度の高い場所ですね。
そして 印象に残ったのは 長崎の方はとても親切です。
今日の見学はこれで終了!路面電車で一旦ホテルに帰ろう・・・と思ったのでした・・・。
が、続きがあったのですよね~。
この続きは
レトロを探して長崎へ 2日目 夕方 案外面白かった出島と山手からの夜景
へ記載いたします。
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