2014/11/15 - 2014/11/19
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PHOPHOCHANGさん
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北京に到着したのは午前1時半過ぎ。つまりもう最終日です。
予約しておいたホテルは安さも然る事ながら、何時でも無料シャトルバスが迎えに来てくれるので選びました。
インフォメーション(ちゃんと開いてました)から電話してもらうと、「15分で行くから6番出口で待ってて」と6月に泊まったホテルと同じ台詞が返って来ました。
で、インフォメーションデスクと6番出口はかなり離れているのです。
しかも自分はフロアー間違いをしてしまった為に、かなりの時間を費やしてしまいました。
ようやく6番出口にたどり着き、辺りを見回すと、何と白い車体に青い文字で「京○○○」と書かれたマイクロバスが発車して行くのを目の当たりに。
「え〜〜〜〜っ!」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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中国国際航空1360便は定刻から1時間遅れて北京首都国際空港へ到着しました。
機内で寝ようと思ってたのですが、ホテルの送迎の連絡が出来るかが心配で眠いのに寝られず。
インフォメーションデスクが閉まっていたら自分で電話を探して連絡しなくちゃならないからです。「到着したから迎えに来てください。6番出口(ホテルのシャトルバスは皆此処へ来るのは学習済み)で待っています。」は言えても、ホテル側の返事が理解出来ないのは目に見えてますから -
ターンテーブルNo.33でスーツケースを受け取ります。成田はベルトコンベア幾つ在るでしょうか?
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6番出口です。空港周辺のホテルから迎えに来るシャトルバスは、皆此処で客を拾って行くようです。なので、車が入れ替わり立ち代り現れては去ります。混雑しているので駐車は出来ず、ホンの少しの間の停車って感じです。
なので、去られた時はホント焦りました -
後5分(電話をしてから30分)待っても来ないようだったら、もう1度連絡してもらおうと思っていたのですが、お陰様で眠そうなお兄さん&お姉さんが同じシャトルバスで迎えに来てくれました。さっきのは別の客をピックアップしたところだったのですね。
ってか、1人なのに部屋広過ぎ・・これってファミリールームだよね。マスターベッドルーム別だもん -
シングルベッド2台のみのガランとしたスペースは、さも此処で子供が遊べますよ的だし
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こっちのベッドはダブルサイズ。ドアも閉まります
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壁際にデスクと薄型テレビはお約束。でもこの角度だとベッドからはテレビ見難いです(見ませんが)
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バスルームも広いけど、シャワーブースは1つだから、此処までのスペースは必要有りません。寒々しいだけです
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やっぱりスリッパ4足(笑)。って一緒に入るとは思えないのですけどね
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部屋数は多そうです
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余計な事ですが、351〜399までがかぶってます
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381と339が隣り合わせって意味不明
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1階ロビー奥にダイニングルーム、っつうか食堂
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とってもチャイニーズな朝食。けど、和食苦手な自分は逆にこういうの大好きです。朝から生野菜とか無理だし(夜でもだけど)。
見た目以上に美味しかったです -
8時の送迎バスに乗ろうと、「8時までにチェックアウトします」ってチェックインの際にフロントに伝えておいたので、8時2分前くらいにフロントへ行くと、「シャトルバスは9時」だって。せっかく安く泊まれたのにタクシーなんかにお金を使ったら意味が無いので、ロビーで1時間待ち。こんな事なら部屋でゆっくりしてたかったです
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それでも送迎&朝食は無料で1部屋1泊3000円以下ってコスパは大変良いと思います。つまり、2人居れば1500円しない訳ですからね
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空港の荷物預かり所に30元払ってスーツケースを預かってもらいます。2度目なので場所も記憶してたし、これはスムーズでした
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到着階は下、出発階は最上階って世界ルール?
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北京市内へ向かう機場快速への通路
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渋滞も無く、かかる時間も短いし、結構頻繁に走ってるから,その便利さに対して片道25元は仕方無いのかな・・
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広過ぎるほど広々とした駅に滑り込んで来る車体は全てこの色、形です
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何度も使い回す切符です。走行ルートが載っています。市内から第3ターミナルへは直行ですが、空港から市内へは第1&2ターミナルを経由するので、Y字型のルートになります
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裏は(こっちが表)快速車両です
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シートカバー
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毎度霞んでる車窓からの風景
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なかなか近代的でカッコ良いです
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地下鉄に乗り換える為に最初の停車駅で下車。料金は終点までと変わりません
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地下鉄車内の案内図は判りやすくて助かります
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プラスチックのチケット。路線図が描かれています。北京の地下鉄網は充実してます
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地下鉄4号線の北宮門駅に着きました。此処が頤和園最寄りの駅で、北宮門入り口まで徒歩3分です
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連結型のバス
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当然左方向へ歩きます
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やはり世界遺産近辺のせいか、お洒落な感じの並木道になっています
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2度目の頤和園です。1度目はまだ個人観光客の入国に制限が有った頃、それでも激安ツアーで訪れました。なので中で過ごした時間はわずかでした。
頤和園(いわえん)は北京市の西北約10kmに位置する、1750年、清朝第六代皇帝の乾隆帝が母の還暦を祝うために離宮として改造した皇帝の夏の宮殿です。総面積は290haで、その3/4を人工の昆明湖が占めています。湖を中心に仁寿殿、玉瀾堂、楽寿堂等、大小さまざまな宮殿が立ち並び、掘った土で築かれた万寿山には 頤和園のシンボル仏香閣がそびえ立っています。昆明湖に沿って造られた長廊は長さが728mにも及び、梁には14000枚の花鳥風月、歴史、古典の絵画が描かれています。
乾隆帝の時代からおよそ100年後の1860年、頤和園は第二次アヘン戦争によってイギリスとフランスの連合軍によって破壊されました。
それを再建し、いっそう豪華にしたのが清朝末期の西太后です。健康に気を遣っていた西太后が住んだとされる「楽寿堂」や政務を執った「仁寿殿」など多数の宮殿が点在した頤和園の改修費は莫大であったため海軍の軍費を流用し、その為日清戦争で力を削ぐ原因にもなったと言われるほどでした。
1998年に世界文化遺産に登録されています
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頤和園入門票:夏季30元・冬季20元
頤和園総票:夏季60元・冬季50元(頤和園内の全ての庭園施設見学可)
入り口で「2〜3時間程度しか時間が取れないのだけれど」と言うと、「20元だけにしておきなさい」って答えが返って来ました。
駅の到着が11時でした。東京へのフライトの時間を考えると、昼食を済ませて2時には空港へ向かっているのが望ましいので、頤和園の全てを見る事は出来ません -
北宮門を入ってすぐ、萬壽山後湖景区にある蘇州街は皇室園林内に、1762年に乾隆帝により造られた宮廷市場です。江南地方の水郷を参考に造られたので蘇州街と呼ばれています。店舗数は60以上。店主は宦官。お得意様は自由に買い物を楽しむ事の出来なかった皇帝と皇后だったそうです。
乾隆帝の時代に誕生し、一度は破壊されたものの1990年に再建されました。今では土産物が手に入る人気スポットとなっています。 -
蘇州街へは別途入場料が必要なので、今回は橋の上から眺めるだけ。前回訪れた時には全くこの存在を気付きませんでした(ってか現地ガイドが一緒でしたから、スルーされて終わったのでしょう)
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この橋の左右(下の川沿い)が蘇州街です
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ヨーロッパ風の芝生の庭園より、こういう岩っぽいのが好き
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これは何かの建物の跡、何だろう?
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メインの湖沿いではなく、裏手に廻り、階段を上ってみました。そしたらたどり着いたのが此処
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てっきり仏香閣にたどり着けるものだと思って上って来たら一山後ろで、仏香閣は別料金なので、下の入り口でお金を払ってからでないと近寄れません
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その仏香閣
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韓国でもこんな塀見たよなと思いました
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初めて北京を訪れたのは息子が高校の修学旅行先が北京に決まった年でしたから、もう10年以上前になります。
その時はクラブツーリズムのツアーに参加し、此処頤和園にも足を運びました。
が、時間の関係でホンの一部しか見ておらず、それでもこの長廊は強く印象に残りました。
機会が有れば、もっとゆっくり見てみたい、そう思っていましたが、今回はゆっくりし過ぎて、他の区域を見る時間が無くなってしまいました -
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随分立派な建物ですがレストランです
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石丈亭。
長廊の西の端は此処まで来ています。PHOは西から東へと歩きました -
丈人石
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石舫。
『万寿山の西麓、昆明湖岸に浮かぶように造られた石造の船形建造物。建造は1755年(清の乾隆12年)で、36mの船体部分は大理石で造られている。
乾隆帝建造当初は中国式に楼閣が築かれたが、1860年の第二次アヘン戦争時に上部の楼閣部分が焼失、その後1893年(清の光緒19年)に再建されたが、その際上部の建造物は西洋式に変更され、「河清海晏(黄河も清く大海も波静か=天下泰平)」という言葉から「清晏舫」と名付けられた。再建後の楼閣も木造構造だが、外壁は塗料で大理石の紋様が描かれているため見た目には石造に見える。2層の楼閣にはステンドグラスで装飾された窓が造られ、各階には大きな鏡が置かれている。これは西太后が雨の日に室内で茶を楽しみながら、鏡に映る雨の様子を眺めたものと言われている。また船台部分から突き出ている4つの龍頭は排水施設で、楼閣に降り注いだ雨水が楼内の配水管を伝わってそれぞれの龍の口から吐き出される仕組みだ。』
by 感動大陸 中国観光地情報 -
昆明湖。西湖とも呼ばれています。
詳しくは『昆明湖は万寿山の前面に広がる湖で総面積は220ヘクタール。平均水深は1.5mで最深部で3m程度となる。
古来は北京西北部の多くの泉から流れ出る水が自然に溜まった湖泊で、七里濼、大泊湖などと呼ばれ、その後甕山(現在の万寿山)にちなみ甕山泊と呼ばれるようになった。
人工的な開鑿が始まったのは元代からで、上流の水源を拡大し、北京と大運河をつなぐ水路の水源として整備された。明代には湖面に多くの蓮の花が植えられ、湖岸の東屋や寺院との景観美が江南地方の名勝、杭州の西湖にも匹敵することから「西湖」「西湖景」などと呼ばれるようになる。史実によれば明の武宗帝や神宗帝もこの地で舟遊びを楽しんだとされている。』by感動大陸 中国観光地情報 -
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何でもホット、ジュースまで?
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長廊を端から端まで歩き通しました。
長廊についての解説です。
『万寿山と昆明湖の間、東の楽寿堂の邀月門から万寿山西端の石丈亭まで続く全長728メートル、273間の回廊で、中国の回廊建築の中でも最長、最大を誇る。
長廊が頤和園の人気スポットとして名を馳せているのはその長さはもとより、柱の梁の上に描かれた14000幅を超える絵画だ。長廊の絵画は18世紀中頃に時の皇帝乾隆帝が宮廷絵師を杭州に派遣し西湖の風景を写生させ、それを長廊に描かせたのが始まりで、その後花鳥画や神話・物語の一節を描いた絵が追加され現在の規模に至っている。三国志や西遊記などを題材とした絵も多く描かれており、中国人のみならず海外からの観光客にも楽しめる内容だ。』by感動大陸 中国観光地情報 -
これがその柱の梁の上に描かれた絵画の一幅です
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長廊には4つの八角重ね縁先の東屋が在り、留佳、寄瀾、秋水、清遥と名付けられているそうですが、此処がどれだか判りません
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修復されて色鮮やか
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ほぼ直線(湖に沿った緩やかな曲線)を描く長廊ですが、一ヶ所鍵型になった所が在ります。東端に近い位置ですが、曲がって行った先が売店と繋がっていたので、後から足したのかと思いました
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拝雲門。
この奥に拝雲殿(乾隆帝が建立した大報恩延寿寺を西太后が再建したもの)が在り、仏香閣へ上れます。
別料金かかるのと、時間が無いのとで行きませんでした -
それでも門に近寄ってはみました。このおば様が邪魔でしたが、人が次々来るのでやむを得ず
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仏香閣正面
『万寿山前面斜面に建つ仏香閣は頤和園を代表する建築物で、頤和園全体の構成の中心の役割も果たしている。乾隆年間(1736-1795)に9層の延寿塔が建設されたが、8層まで完成した時に勅命により中止になり、未完成の塔を取り払った跡に仏香閣が建てられた。1860年(咸豊10年)の第二次アヘン戦争時に英仏連合軍により破壊されたが、その後光緒年間(1875-1908)に再建された。
仏香閣は杭州の六和塔を模して造られたもので、20mの石の土台の上に高さ41m、4層3階の八角形の楼閣が聳えている。閣内は8本の大柱が頂点までまっすぐ貫いていて、上層が「式延風教」、中層が「気象昭回」、下層が「雲外天香」とそれぞれ名前が付けられている。内部には仏像が安置されていて、毎月1日と15日には西太后が焼香を行った。
仏香閣前面の回廊からは、昆明湖などが広がるパノラマを楽しめる。』
by感動大陸 中国観光地情報 -
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修復途中なのか、わざわざヤスリで擦ったかのように剥げてました
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長廊の終わりに見つけた石橋
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長廊堪能。モデル体型のお兄さんを見かけたので、ついシャッターを押してしまいました。ってか、いつも中国へ来るたび思うのは何処へ行っても背が高く、細マッチョな若者が多いなって事です(眼福)。わりと自信有り気な風に見えるのは何故?
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楽寿堂。
『楽寿堂は西太后が日常生活を送っていた大型の四合院。眼前に昆明湖を臨み、「水木自親」と呼ばれる門の外には西太后が乗船する際の桟橋が設置されている。「楽寿堂」の扁額は光緒帝の親筆によるものだ。
堂内は西側が寝室、東側が更衣室になっている。中央は西太后の居室で玉座や御卓、掌扇、屏風などが並び、玉座前の青花磁の器や4基の大香炉も含めすべて西太后が生前使用していた物だという。』by 感動大陸 中国観光地情報 -
前庭の壷
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光緒帝の印
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永寿斉。
楽寿堂に繋がる清末の総管太監(宦官の総元締め)李蓮英の園内の住まいです -
この窓も以前見て印象に残っていたモノの1つです。窓から見える風景(此処からは湖)は勿論の事、窓自体の形や其処に描かれた絵が皆それぞれ異なり、更にその絵が外側と内側2枚のガラスに違う題材ながらマッチするように組まれているので、とても芸術的です
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徳和園大戯院。
京劇の舞台。1891年に建てられ、高さ21メートルの3階建て構造は当時国内で最大のものでした。だもんで、当時の衣装をまとったお兄さんが入り口に立ってるのね -
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麒麟像
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仁寿殿。
『仁寿殿は正門東宮門をくぐった正面、仁寿門の奥に位置する。頤和園宮殿区の主要な建物の一つで、乾隆帝の時代には勤政殿と呼ばれ、光緒年間に再建された際に現在の名称に変更された。西太后や光緒帝が大臣の謁見を行った場所で、光緒帝が百日維新として知られる戊戌変法を行う際に康有為を謁見した場所でもある。
仁寿殿の名称は論語の「仁者寿」(仁の政治で長寿を全うすることができる)に由来し、西太后を褒め称える意味も含まれている。』 by 感動大陸 中国観光地情報 -
孔雀像
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寿星石。
寿老人のような変わった形なので、そう名付けられました -
これはお化けのように見えますが
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玉瀾堂。
『仁寿殿の裏側、昆明湖畔にある三合院式の建物。1750年(清の乾隆15年)に建てられ、第二次アヘン戦争での消失後、光緒帝により再建され、帝の寝宮として利用された。正殿の東配殿を霞芳室、西配殿を藕香榭という。
1898年に西太后を政治から排除し、明治維新を見習った政治改革を遂行しようとする戊戌政変が失敗に終わった後、すべての権力を奪われた光緒帝は、冬は中南海の瀛台、そして夏はこの場所に幽閉された。幽閉は10年間にも及び、史実では光緒帝は西太后の死の翌日に急死したとされる(但し状況から見て西太后により毒殺されたというのが一般的な見方)。建物は本来正殿裏の後門及び東配殿、西配殿の裏側からそれぞれ外に通じる通路が作られていたが、西太后はすべての通路を煉瓦で塞ぎ、光緒帝と外部との連絡を完全に遮断したという。この時の壁は今でもその一部を見ることが出来る。
大殿内に配置された玉座や御卓、調度品の多くは乾隆時代に作られたもので、正殿左右の「暖閣」と呼ばれるオンドルが設置された小部屋は、東側が朝食場所で西側は寝室として使われた。寝台などの家具や調度品は光緒帝当時のままである。』
by 感動大陸 中国観光地情報 -
窓から中を垣間見る事が出来ます
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宜芸館正殿。
光緒帝の皇后の園内の寝所です。光緒帝の皇后は姓をエホナラと言い、西太后の姪でした。光緒15(1889)年正月、皇后に立てられ、1908年光緒帝と西太后が病没し、溥儀が即位した時に皇太后となり、徽号を隆裕としました -
こちらも中を覗けます
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尻尾が長くて瑠璃色でした。何という鳥ですか?
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頤和園マーク入りのゴミ箱、気に入りました
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再び玉瀾堂。
やっぱり夫婦だから寝所は隣同士だったのですね -
東門出口を通り過ぎ、今まで来た事の無い(記憶に無い)区域にやって来ました。
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湖面に映る仏香閣とその後ろ(右)に、最初に上った楼が見えています。この丘が万寿山と呼ばれているところです
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まだまだホンの一部しか見ていませんが、そろそろ帰りの時間が近いのではないか?と時計を見ると、何と止まっています。あのバスの中でバラバラになった時計です。
スマホを取り出して見てみると既に2時過ぎ。これから乗るのが国際線のフライトである事を考えると、既に空港の近くまで戻っていなくてはならない時刻です。ガ〜ン!間に合うのか?今から出口に向かって、地下鉄の駅まで歩き、地下鉄、機場快速と乗り継いで〜と、かなりギリ。とにかく此処を出ますが、出口までがまた遠い…。 -
やっと地下鉄の駅にたどり着きました。東宮門から出て歩いたので、さっきより1つ手前の西苑駅に到着しました
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自動券売機は路線図か駅名一覧から乗る駅、降りる駅をタッチしてから提示された料金を入れます
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電車待ちもハラハラでした
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来た時と同じく、機場快速に乗り換えて第3ターミナルへ向かいます。
とてもじゃないけどカメラを手に持ってる余裕も無くなり、これ以降はバッグの中に仕舞っちゃいました。
チェックインカウンターで間に合った!と思ったのも束の間、セキュリティチェックが全く進まず、30分も待つ羽目に。
通過した途端、ゲートがとんでもなく遠い所だって事を知り、絶望しかけましたが、搭乗口までひたすらダッシュ。顔色変わってたと思います -
スマホの時刻は日本時間のままだったと気が付いたのは、搭乗口と言うかバス乗り場のベンチで隣り合わせに座った中国人の女の子がひたすら焦りまくる自分に「大丈夫」って言いながら時計を見せてくれた時でした。何しろカウンターのスタッフは待てと言ったきり席外しちゃってたし、もう遅れたと思ってる自分は、自分を乗せて搭乗機に向かう臨時バスが来るのを(信じて)行ったり来たりしながら待ってたのです。
1時間近くハラハラドキドキしてたのは完全に無駄な勘違いでした。
マジで、片道航空券の代金の事考えて泣きそうでした。
自分が時計を見て、止まってるのに気付いたのは、正に止まって数分後の事だったのです -
中国国際航空421便は定刻16:50に北京を発ちました。
ビーフorチキン?でビーフを選択したら、このミートボールが供されました。何だかお子様ランチみたいです。
が、行きと同じく、見た目に反して味はなかなかでした。
かなり馬鹿馬鹿しいドジを踏み続けつつも、無事に帰国して旅行記書かせれもらってます。
ご覧いただき有難うございましたmm(_ _)m
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