2014/11/30 - 2014/12/01
287位(同エリア1512件中)
mingさん
ペリリュー島は太平洋戦争の激戦地として有名である。ゼロ戦や戦車が戦争当時のままの状態で保存されている。旧海軍通信司令部跡は爆撃の激しさを生々しく伝えていた。
【生活費】6万円
【ツアー】15万円
【通貨単位】1ドル=118円
【英語通用度】全員
【旅程】5日間
11/27成田→パラオ
11/28ブルーコーナー
11/29ジャーマンチャネル
11/30ペリリュー島
12/1帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- エス・ティー・ワールド
-
(1)『ノースドックに到着』
11/30 10:20コロール島から1時間かけてペリリュー島に到着した。
ペリリュー島はパラオの南端に位置し、太平洋戦争の激戦地として有名である。 -
(2)『戦争博物館』
11:10 バスで島内を移動し、戦争博物館に到着した。
戦争中は武器庫として使用されていたが、写真右上の窓は米軍の艦砲射撃の直撃を受け、後に補修された箇所であった。
博物館内には、当時の写真や銃などが展示されていた。
中でも印象深かったのが、駐在兵たちの寄せ書きであった。
日本兵の名前の他に、中国兵・台湾兵の名前が記載されており、国境を越えて共に戦った戦友であった事実を初めて知った。 -
(3)『爆弾処理』
博物館裏には、爆弾処理が終わった当時の爆弾が展示されていた。
現在も森の中には、戦争中の爆弾が残っており、オーストラリアが定期的に爆弾処理を行っている。 -
(4)『東洋一の飛行場』
ペリリュー島には、当時東洋一と呼ばれた1600mの滑走路をもつ日本軍の飛行場があった。
4の字になっているのは、風が強いパラオにおいて東風でも西風でも離着陸に耐えられるように設計がされていた。
米軍にとって、日本軍の南方戦線の拠点であるレイテ島攻略を有利に進めるため、この飛行場のあるペリリュー島攻略に戦略的意義を置いていた。
そのため、日本軍は満州軍の中でも最強である関東軍の主力をペリリュー島に投入した。
1944年9月15日、米軍の主力である第1海兵連隊の上陸作戦により、日米の精鋭兵同士の激突が展開された。 -
(5)『海軍通信司令部跡』
12:00 海軍通信司令部跡に到着した。写真中央にある空洞は艦砲射撃による1トンもの爆弾が落ちた跡であった。
壁には銃弾の跡があり、攻撃の凄まじさを残していた。
建物自体の造りは頑丈で、柱などはマンションを建てるくらいの強度で建てられており、当時の建築技術の高さを物語っていた。 -
(6)『日本軍戦車』
12:20 路上に日本軍の戦車(=三菱製の3人乗り)が置いてあった。
米軍は上陸作戦開始から8時間後に、最大の目的であった飛行場の制圧を完了した。
その後、飛行場奪還作戦として投入されたのがこの日本軍戦車であった。
装甲が薄かったため、戦車隊は初日で壊滅した。
また、日本軍戦車はビス留めであったのに対し、米軍戦車は溶接で組み立てられており、技術の差も歴然としていた。 -
(7)『ゼロ戦ポイント』
13:10 ゼロ戦ポイントに到着した。
この機種は52型で、1943年8月以降の太平洋戦争末期に開発されたゼロ戦の最終形である。
この機体は着陸に失敗し、そのままの状態で70年間保存されている。 -
(8)『ゼロ戦コックピット』
ゼロ戦の特長は、攻撃力と飛行距離である。
両翼に装備された20mm機関砲2門は、現在の戦闘機でも使用しているほど強力な破壊力を誇っていた。
総重量2700kgは米軍機の約3分の2という徹底した軽量化を実現し、飛行距離3000kmは米軍機の約2.5倍という驚愕の性能であった。
一方でゼロ戦には致命的な欠点があり、軽量化と引き換えに機体の装甲が弱いために、撃墜されやすいという弱点を持っていた。 -
(9)『オレンジビーチ』
13:30 上陸作戦が開始されたオレンジビーチに到着した。ターゲットである飛行場に近い西側の海岸である。
珊瑚礁があるため、米軍は岸辺まで接近できず、離れた場所からの上陸作戦となった。
日本軍は泳ぎの達人である糸満兵が海に地雷を仕掛けるなど、米軍が一時撤退するほど苦戦をさせた。 -
(10)『米軍水陸両用戦車』
13:40 滑走路を抜け、米軍の水陸両用戦車の場所に到着した。
78ミリ砲の砲台を装備しており、日本軍の戦車は装甲が薄かったため1発当たれば粉々となるほどの破壊力であった。
一方、日本軍の砲台は37ミリ砲で、米軍戦車には弾が通らないほどの戦力差であった。
また、キャタピラー部分がフロート(=浮き)の役割をしており、戦車が海を渡ってくることにも驚いたと言われている。
日本軍にとっての戦車攻略法は2つあった。
1つは、岩山のトンネル陣地から戦車のふたを開けて水を飲んでいる米兵を一瞬で狙撃する方法。もう1つは、写真の戦車右側にあるように、決死隊による棒地雷での体当たりであった。 -
(11)『日本軍砲台』
米軍水陸両用戦車のすぐ奥の階段を登ったところに設置してある、日本軍の20ミリ砲台である。
この砲台は使用されなかったと言われている。なぜなら砲撃することで日本軍の居場所を知らせることになり、米軍の艦砲射撃で逆に基地ごと破壊されてしまうためである。 -
(12)『1000人洞窟の入口』
15:00 ノースドック付近の1000人洞窟に到着した。
ペリリュー島の戦いは、日本にとって転換点となる戦いであった。
銃剣や軍刀を手に部隊ごと飛び込む「バンザイ突撃」での玉砕戦法から、飛行場北部の急峻な岩山の500箇所以上に及ぶトンネル陣地に潜み、長期持久戦で米軍に損害を与える戦法へ変わっていった最初の戦いである。
トンネル陣地を活かした日本軍のゲリラ戦で、米軍の負傷者はさらに増え続けていった。
上陸から2週間経過し、米軍は最新兵器である火炎放射器を搭載した装甲車を投入した。炎を130メートル先まで噴射することができ、トンネルに近づくことなく日本軍の陣地を丸ごと焼きつくした。
74日に及んだペリリュー島の戦いは終わった。この米軍の容赦ない戦法は、硫黄島や沖縄戦へと引き継がれていった。 -
(13)『1000人洞窟の内部』
1000人洞窟の内部は文字通り1000人が潜むことができるほどの巨大な洞窟である。
サンゴでできた硬い石灰岩を掘り進み、複雑に入り組んだトンネル陣地を構築していた。遺骨や遺品は回収されたが、旧日本軍が飲んでいたビール瓶や弾丸などが当時のまま残っていた。
壮絶な戦場となったペリリュー島であるが、パラオの人々にとって日本人は「パラオのために戦ってくれた」、「産業を近代化してくれた」として親近感を抱いていることも事実であった。
ペリリュー島での戦いが始まる前に、パラオの人々は日本軍と共に米軍と戦うと申し出た。だが、日本委任統治領内のパラオの人々を守るため、戦火の及ばぬ他の島に疎開させ、彼らの先祖の島を守るために米軍を迎え撃った。
また、1994年のパラオ共和国独立の際、ペリリュー島と同じく激戦地であったアンガウル島は「パラオ独立」か「アメリカ統治」かの二者択一で、「日本復帰」を真剣に訴えたというエピソードがある。
1920年(=大正9年)に「南洋庁」設置以降、日本は学校の設立やインフラ整備に加え、マグロ漁などを地元民と協業したり、醤油や沢庵などの食文化を伝えた。
戦前のドイツの資源採掘や戦後のアメリカのお金だけの援助とは一線を画するところに、パラオと日本の見えない絆が育まれていたのは事実であった。 -
(14)『コロール島のメインストリート』
16:30 パラオホテルに到着した。コロール島はWCTCショッピングセンターを中心に、東のパレイシアホテルから西の美登寿司まで700メートルほどに凝縮された小さな街である。
かつて信号機が2基あったが、壊れて直せなかったため、現在はパラオに信号は存在していない。 -
(15)『鳥鳥の親子丼』
パラオホテルから東へ2分ほどのところに、日本料理の鳥鳥がある。
親子丼(=$8)、タロ芋のコロッケ(=$5)など、日本食が比較的低価格で食べられる。
夕食時には日本人で超満員となる人気店である。 -
(16)『パラオホテル』
東野・岡村の旅猿でも登場した1983年オープンの老舗ホテルである。
市街地の真ん中にあり、宿泊客のほとんどがダイバーである。
空港まで車で20分というロケーションの良さが一番の売りである。
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