2012/09/01 - 2012/09/08
337位(同エリア1512件中)
AKさん
2歳の子供連れで、1週間パラオでゆったり夏休みを過ごしました。
Palau Pacific Resort(PPR)という、国営(?)のリゾートホテルに宿泊し、基本ホテルステイでしたが、1日だけ独りPeleliu island戦跡巡りのツアーに参加しました。
戦時中、パラオには満州方面から関東軍が守備隊として派遣されており、要塞化されたペリリュー島では激戦が繰り広げられました。 (この”The Battle of Peleliu”は、スピルバーグ監督(Steven Spielberg)が手がけた、HBOドラマ「The Pacific」のPart5、Part6、Part7でも取り上げられています。)
戦闘からは約68年経過しており、当時の面影を感じることはあまり出来ないものの、ペリリューには、戦死した人たちを祀る慰霊碑等の他、日本軍陣地や、放棄された戦車、大砲、墜落した航空機の残骸などが残されています。
写真は、1944年9月15日に米軍海兵隊が上陸した通称オレンジビーチ(米軍のコードネーム)です。
- 旅行の満足度
- 5.0
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泊まっていたホテル(パラオパシフィックリゾート)で申し込んだペリリュー島1日ツアーに参加しました。 このツアー、毎日開催されるわけでは無く、申込時点(火曜日)での直近開催日は金曜日でした。
ツアー会社の人曰く、「あまり若い人はいない」とのことでしたが、新婚旅行カップルや若い女性2人連れ等もいて、38歳の私は年長の部類でした。
ツアーは、パラオロイヤルリゾートから出発しました。
小さな船に乗り、ペリリュー島までは約1時間半。 青い海を軽快に走るボートは、乗っているだけで気持ちよくなりました。 -
出発してすぐ、マラカル島にある船着き場を指差し、「外航船が入る港はここだけで、昭和19年4月に陸軍第14師団が到着した場所」との説明がありました。
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次のスポットは、浅瀬に沈む零戦。
墜落したのではなく不時着した機体だそうで、昭和19年3月末のパラオ大空襲の際、邀撃に出た機体だそうです。 パイロットは近所の島まで歩いて生還したそう。
満潮だった為に船で近づけましたが、干潮時には機体が海面に出るくらいの浅瀬です。 (不時着時は、おそらく干潮だったんだと思います。) -
途中の海は、青色、緑色いろいろできれかったです。
また、小さい島がぽつんぽつんとあちこちに見えました。
ペリリューの戦闘中、ペリリュー島からコロール島まで海中50kmを泳いで伝令したらしいですが、途方も無い距離です。 -
ペリリュー島の北の船着き場に到着しました。
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島内はマイクロバスに乗って移動。
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走り始めてすぐ、コンクリート製のトーチカがありました。 島中、至る所にトーチカがあります。
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最初に向かったのは千人洞窟。
島にはトーチカや洞窟(天然、人工両方)があちこちに有りますが、この千人洞窟はその中でも最大のものだそうです。 -
千人洞窟の内部。
遺骨はきれいに片付けられてありましたが、意図的になのでしょうか、様々なものが散らかっていました。 -
洞窟内部に散乱する空き瓶。
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洞窟内部からみた出入り口。
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見えにくいですが、洞窟近くの壁は一面要塞化されています。 (空いている穴は銃口を出す為の穴です。)
北部から的が上陸してくるのに備えていたそうです。 -
上写真の要塞化された場所から道路一本隔てるとすぐに海岸。
ここから上陸する場合に備えていたようです。 -
近くには、南洋桜が咲いていました。
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次に向かったのは慰霊碑。
日本人の慰霊碑は、共同墓地の中にあります。
集団の慰霊碑に加え、遺族が建てた個人の慰霊碑も有りました。
戦場で亡くなった、その一人一人に家族が有り、大切な生活が有ったのだということを改めて痛感しました。
作戦立案の際には、その辺りのことも真剣に考え、無謀な作戦は避けるべきであること(現場の人間が死ぬことはなくとも、労力を浪費せぬよう)、現代の企業戦略/国家戦略を考える際の教訓になると思います。 -
次は、海軍司令部跡に行きました。
ペリリューには、西カロリン海軍航空隊の司令部が置かれており、その跡地です。 -
1944年9月15日の米軍海兵隊ペリリュー上陸前には、大量の空爆&艦砲射撃が実施されており、航空隊司令部などは重点目標だったと思うのですが、鉄筋コンクリートの骨組みはしっかり残っていました。
「ガチガチに鉄筋コンクリートで建設すると、ちょっとやそっとの爆撃では倒れないのだな」とかなり驚きました。 -
とは言え、壁や床はぶち抜かれているところが散見されます。
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爆弾が直撃した場所でしょうか、円状にコンクリートが吹き飛んでいます。 鉄筋は頑張って残っています。
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浴槽跡。
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トイレ跡
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司令部の横には、防空壕がありました。
中は狭く真っ暗。 急いで駆け込むと、入り口で頭を打つリスク大です。 が、駆け込む際にはそんなこと気にしている場合じゃなかったんでしょうね。 -
次は、95式軽戦車。
この戦線では、日本軍は17両の軽戦車(定員3名)を投入し、歩兵の斬り込み隊を周囲に乗せて、米軍に突っ込んでいったそうですが、米軍はその時点で対戦車攻撃班を完備、待ち伏せしていたそうで、大した戦果を上げること無く全滅したそうです。
現在、1両のみ残骸が残っています。 -
次は飛行場滑走路。
95式軽戦車の残骸が有った場所からそう遠く無い場所にあります。
地面はコンクリートで固められてあり、現在でも小型機であれば離発着出来そうな感じです。 メインの滑走路は、1.6Kmあるそうです。 -
滑走路からそう遠く無い場所に、米軍の上陸地点「Orange Beach」があります。 浜辺からは、もう一つの戦場、アンガウル島も見えます。
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オレンジビーチの海岸は、想像していたよりも砂浜の幅が狭く驚きました。
ここに、1994年9月15日、第一海兵師団を中心とする米軍部隊が上陸し、日本軍の大砲がそれを迎え撃ったそうですが、砂浜に到着するまでの浅瀬で戦闘が行われた様子が目に浮かびます。おそらく、現在は木々に覆われて見えていないところのあちこちに、浜辺を狙う要塞化された陣地が有ったのだと思います。
また、オレンジビーチから飛行場までは予想以上に近かったことにも驚きました。 -
次は、墜落した零戦の残骸を見ました。
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日本の政府が援助して整備している、慰霊公園で昼ご飯を食べました。
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公園からの景色は最高にきれいでした。
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公園からの景色2。
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次は、高崎の歩兵第15連隊の指揮所が置かれていたという、コンクリート製の要塞を見ました。
艦砲射撃、空爆、陸上戦闘等あったにも関わらず、破壊された様子はあまりありませんでした。 鉄筋コンクリートの要塞って、すごいものだな、と改めて驚きました。 -
歩兵第15連隊指揮所の中です。
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近くには、九四式三十七ミリ速射砲が置いてありました。 結構、活躍した砲だそうです。
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次は、分かりにくいですが、米海軍の雷撃機アベンジャー(TBF)です。
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次は、米軍の水陸両用戦車(輸送車)LVTの残骸。
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LTV別のアングルから。
装甲はほとんどありません。 -
次は、洞窟に艦砲を備え付けたものを見ました。
此れだけの砲をここまで運んだのは大変だったろうと思いますが、敵が攻めて来るのと反対方向を向いており、弾を発射した形跡はないそうです。 (だから、キレイなまま残っているのかもしれませんが。) -
洞窟側から艦砲を見た図。
尚、砲の上には、不発弾がくっついているそうです。 -
次は日本軍の陣地跡。
ドラム缶に砂を詰め、弾を防いだそうです。 -
ドラム缶には弾痕がくっきりと残ります。
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ブラディノーズリッジ付近には、ペリリュー神社というのがあります。 ニミッツ提督の言葉が記された碑も有りました。
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そのすぐ近くには、米国第一海兵隊の碑があります。
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神社が有った地点から少し山を登ると、大山大佐他が自決した場所が有り、慰霊碑があります。 たくさんのお供え物がありました。
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慰霊碑のすぐ横の洞窟内にも、たくさんのお供え物が有りました。
中に入ってみると、酒の匂いが充満していました。 お酒をまいて供養されているんだと思います。 -
近くには、砲撃で破壊され、半分埋められたような洞窟も有りました。 崩れた岩の一部は、火炎放射器で焼かれて黒くなっており、生々しいです。
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大山大佐自決の地点から少し上ると、ペリリュー島の一番高いところに出ます。
草木で隠れているところは有りましたが、360度に近い視界。戦闘時の要衝だったのだと思います。 -
頂上からの風景です。
戦闘中は、木々は爆撃で焼き払われていたそうなので、ここに立つといろんな動きがまる見えだったんだろうと思います。 -
その後、道路脇にあったトーチカ(待避壕?)に立ち寄りました。
一見、トーチカには見えません。 -
が、横にまわると出入り口が有ります。
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こちらは、コンクリートで固めたのが一目瞭然のトーチカ(待避壕?)です。 かなり頑丈そうです。
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壕の中はこんな感じでした。
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その後、バスから船に乗換え、ペリリュー島を後にしました。
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おしまい
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この旅行記へのコメント (1)
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- Rikkyさん 2014/01/16 14:03:38
- 玉砕の地ペリリュー島
- 貴重な報告有難うございました。南太平洋で散った英霊に対し、敬意を表します。二度と戦争を起こさないことを形骸化しないで、後世に伝えていかねばなりません。私も二年間生活した経験を生かしながら、市民に伝えています。対岸のアンガール島でも玉砕がありました。
当時の司令長官大隊長は中川 州男大佐です。
ご興味がおありでしたらご連絡願います。
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