2014/08/12 - 2014/08/14
133位(同エリア390件中)
倫清堂さん
出雲での短い生活が終わらないうちに、どうしても行っておきたい場所がありました。
それは石見銀山と津和野です。
そして出雲での調査活動を続けるうちに石見神楽を知る必要が生じ、更に持ち前の欲張りな性格から山口県の一部や広島県までも含むルートを設定してしまったのでした。
-
石見銀山を事前に調べたところ、自家用車の進入は区域が限られており、大駐車場からバスにのって行くのがよいということが分かりました。
やはり世界遺産に登録された影響で、観光客が増えているようです。
早朝に出雲のアパートを出発し、約2時間かけて大駐車場のある石見銀山世界遺産センターに到着しました。
平日とあって車の数は少なめですが、お盆前なので昼前には第一駐車場はいっぱいになるだろうと警備の方が言っていました。
そこからバスに揺られること約10分。
大森バス停で降りると、近くにレンタサイクルの店があります。
下調べの時には気付かなかったのですが、自転車を使えば予定していた以上の移動が可能になります。
もう若くもないので電動アシスト機能付きを借り、石見銀山の最も見るべき場所である龍源寺間歩へ向かいました。
本来の長さは600メートルありますが、その4分の1を見ることができます。
江戸時代前期から昭和18年まで稼働していました。龍源寺間歩 名所・史跡
-
坑道を出たところに手作りの品物を売る店があり、目の前の沢で釣りをしている人がいました。
釣竿の先をよく見ると、そこにはキュウリが結んでありました。
これは遠野でも見た風景、河童釣りです。
釣り人の話では、10年も釣りをしていて釣れた数はゼロだそうです。 -
金属の神である金山彦神を祀る左毘売山神社は、石見銀山の守り神。
観光客が増えても参拝する人は少ないらしく、山上の社殿まで続く参道は荒れていました。
御創建は室町時代で、戦国大名からも篤く崇敬され、江戸幕府の初代石見銀山奉行であった大久保長安にも保護されていたとのこと。
拝殿の重層屋根は、天領独特の様式なのだそうです。佐毘売山神社 寺・神社・教会
-
もう一社、かつて石見を領した毛利元就公を祀る豊栄神社を参拝。
左毘売山神社よりも更に荒廃しており、社殿が倒壊してしまわないか心配です。
世界遺産登録で地域に活気が戻っているなら、なおさら神様への感謝を忘れてはいけません。
元就公の木像が安置されているのを知った長州藩士たちが私財を投じて、藩祖を祀るにふさわしい社殿を建てた神社です。豊栄神社 寺・神社・教会
-
イチオシ
バス停の近くまで戻り、羅漢寺を拝観しました。
ちょうど秘仏が御開帳となっており、本堂に上がらせて頂きました。
羅漢寺は、銀山で働いて亡くなった坑夫たちの霊を供養するため、代官田安宗武卿の援助によって、明和3年に開山しました。羅漢寺 寺・神社・教会
-
羅漢寺の向かい側に、五百羅漢を安置する岩窟があります。
現在の温泉津町福光の石工、坪内平七とその子及び一門の人々によって、約20年の歳月をかけて彫刻されました。 -
天領時代の街並みが残っています。
自転車で通り過ぎるのはもったいないような、風情ある街並みです。 -
代官所のある地区に鎮座する城上神社へ。
『延喜式』に記載される古社で、守護大名大内氏によって邇摩郡馬路村から遷座され、更に毛利氏によって現在地に遷座されて今に到ります。
御祭神は大物主命。
文化9年に再建された現在の社殿は、亀戸天満宮を模したものです。
中には入れませんでしたが、拝殿の鏡天上には極彩色の鳴き龍が描かれているとのこと。城上神社 寺・神社・教会
-
境内にある巨石、亀石。
貝の化石があることから、『延喜式』の当時から海防の神と崇められて、大内氏が愛宕山に遷座した時は石も移動されましたが、毛利氏が現在地に遷座した際に、石の移動は忘れられてしまいました。
亀石は、城神神社の境内へ向かうために自力で山を降りましたが、その重さのために麓の川に沈んでしまいました。
それ以来、人がその川を渡ると、奇妙な鳴き声が聞こえるようになりました。
不気味に思った人々が石を川から引き上げたため、石は大正時代まで道端に置かれましたが、ある日、村人の夢に石が現れて城上神社の境内に運んでほしいと告げたため、これを宮司に伝えたところ、ようやく亀石は現在の場所に移されたのでした。
参拝を終えて自転車を返却し、バスで駐車場まで移動。
予定より1時間ほど遅れて、次の目的地へ向かいます。 -
石見銀山から更に西へ進み、江津からは山間部へと入ります。
今回の主目的がなければ、絶対に来ることなどないような、左右どちらを見ても山ばかりの土地。
ガソリンスタンドもなく、メーターが残り3分の1を切ったあたりから不安になって来ました。
インターネットの地図では目的地が表示されないので、出雲で手に入れたチラシを頼りにその建物を探します。
だいぶ近くまで来たと思われた頃に電話で尋ねると、公民館のような建物だと教えられ、ようやく辿りつくことが出来ました。
場所は大元神楽伝承館。 -
かつては日本各地に独自の神楽が伝わっていましたが、伝承者の減少や明治時代の神道統制によって多くが失われてしまいました。
石見は国内で最も多く神楽が生き残った地域で、その中でも特に珍しい「託宣」が行われるのが大元神楽です。
託宣とは神を人に憑依させてその言葉を聞く神事のこと。
大元神楽伝承館には、6年に1度行われる大元神楽の舞台や祭壇をそのまま再現した展示があります。
託宣の様子はビデオ上映もされており、心して見なければ神罰が降りそうな厳かな雰囲気が伝わってきます。 -
多くの神楽面の他に、託宣で最も重要な「藁蛇」という綱も展示されています。
託宣が終わると、藁蛇は御神木に巻き付けられます。
伝承館には職員が一人しかおらず、しかも来客中とあって忙しそうでしたが、ビデオ機器の設定や資料のコピーなど、とても丁寧に対応してくださいました。 -
次に、再び日本海側の6号線に戻り、浜田を目指します。
しかしいよいよガソリンが残りわずかになってしまいました。
ネットで調べると、最寄りのスタンドは目的地の逆方向にあり、目的地方面のスタンドまではガソリンがもちそうにありません。
時間のロスは確実ですが、立ち往生も出来ないので、仕方なく最寄りのスタンドを目指しました。
最寄りとは言っても20キロほど距離があり、ようやく辿りつくとリッター174円という激高の値段。
ガソリン価格が高騰しているとは言え、この値段には心の中で泣きました。
給油を終えて改めて6号線を目指し、次の目的地の浜田護国神社に到着。浜田城跡 名所・史跡
-
島根県は土地が長いので、旧石見国の御英霊は浜田護国神社に祀られています。
竣工は昭和11年と新しく、当時は招魂社の名前でしたが、昭和14年に浜田護国神社と改称しました。
境内に木口小平の像があります。
木口小平は日清戦争に赴いた陸軍兵。
朝鮮半島の成歓で清国軍と激戦となり、ラッパ手の木口は突撃ラッパを吹く最中に被弾。
木口は戦死してもラッパを口につけたままであったことから、軍人の鑑として小学校の修身教科書に掲載されていました。
明治31年、木口が属した歩兵第21連隊が広島から浜田に移駐となったため、故郷の岡山にあった銅像も浜田護国神社に移されたのでした。 -
浜田から更に西へ向かい、いよいよ津和野へ到着。
とても長い道のりでした。
しかし日没までまだ時間がありそうなので、可能な限り多くの場所を訪れようと思います。
宿に車を置いて徒歩で散策を考えましたが、宿は中心部から外れているので無理でした。
仕方がないので民営の有料駐車場を利用することにします。
駐車場の番人のおじいさんが、しきりに永明寺を勧めるので、参考にすることにしました。
徒歩移動を始めてほどなく、鷺舞の像を見付けました。 -
津和野の街中には側溝が設けられていて、鯉が優雅に泳いでいます。
この辺りは殿町と呼ばます。 -
津和野藩の藩校、養老館跡も殿町にあります。
天明6年、8代藩主亀井矩賢が創設し、嘉永6年に大火によって焼失。
安政2年にこの場所に再建されました。
森鴎外や西周などもここで学び、学問を修めたのでした。
剣術・居合・柔術・槍術などの教場、書物庫などが残されています。藩校養老館(津和野町立民俗資料館) 美術館・博物館
-
養老館の並びにカトリック教会。
武家屋敷が並ぶ町並みに異彩を放っています。
幕末期、長崎の浦上村のキリシタンを改宗させるため、幕府は津和野藩に信徒153名を預けました。
信徒たちは明治6年に解放されますが、その間に拷問が行われ、死んだ者もあったとのことです。
カトリック教会には、信徒たちの記録や資料などが展示されているとのことです。津和野カトリック教会 寺・神社・教会
-
イチオシ
殿町の散策を終え、駐車場のおじいさんが勧めてくれた永明寺へ向かうことにします。
永明寺近くには、浦上の信徒らの霊を慰めるために建てられたマリア聖堂もあるらしいのですが、見つかりませんでした。永明寺 寺・神社・教会
-
永明寺は曹洞宗の古刹で、応永27年に建立され、藩主の吉見氏、坂崎氏、亀井氏の菩提寺でした。
坂崎氏とは、大阪の役で千姫を救出した坂崎直盛のこと。
千姫は2代将軍秀忠公の娘で、徳川と豊臣との融和のために秀頼公に嫁いで大阪城で暮らしていました。
家康公は直盛に対し、千姫を助けることができたら千姫を与えると約束していました。
直盛は顔の半分に大やけどを負いながら千姫の救出に成功しますが、そうとは知らない秀忠公が本多忠刻に嫁がせることを決めてしまったため、直盛は江戸を火の海にし、一矢報いて死ぬことを覚悟しました。
直盛は懇意にしている公家に千姫を嫁がせるつもりであったとも言われており、また自分自身が惚れていたという説もあります。
ただ、彼が決起する直前に柳生宗矩が説得に当たり、結局直盛が切腹したことでこの件は決着を見たのでした。
そういうわけで坂崎氏が津和野を治めたのは直盛1代のみです。 -
現在も建立当時の姿を保っている貴重な建築物ですが、住職は不在で、観光客も外国人を一人見ただけでした。
これだけの建物をこれからどのようにして保存して行くのか、重い課題だと思います。 -
駐車場から車を出して、10分ほど走った先の宿にチェックイン。
ここから徒歩移動。
哲学者西周の旧居は、歩いてすぐの所にありました。
特に職員が置かれているわけでもなく、西周の旧居と知らなければ、ただの古い空家にしま見えません。
津和野藩の御典医の家に生まれ、養老館で学んだ後、オランダに留学して法学や哲学などを学んでいます。
「万国公法」の翻訳や「軍人勅諭」の起草など、多くの功績を残しました。西周旧居 名所・史跡
-
川を渡った反対側には、森鴎外の旧宅と記念館があります。
森鴎外と西周は親戚の関係にあります。
やはり養老館で学びますが、明治維新後に上京し、東大医学部の前身である第一大学区医学校に入学。
陸軍省に入省した後にドイツに留学し、医学を研究しますが、帰国後は文筆活動も盛んに行うようになります。森鴎外旧宅 名所・史跡
-
森鴎外記念館には、大礼服などの遺品の数々が展示されています。
閉館時間とほぼ同時に退出し、宿へ戻ったのですが、素泊まりのプランのため食事は自分で調達しなければなりません。
車で街中に出れば、数は少ないもののいくつか食堂はあります。
その中の一軒で定食を頼み、コンビニで酒とつまみを買って帰りました。森鴎外記念館 美術館・博物館
-
2日目。
早朝一番に向かったのは、宿から車で10分ほどの鷲原八幡宮。
御創建は、吉見氏が治めていた永禄11年。
吉見氏は源範頼の末裔で、南北朝時代には宮方につくなど由緒ある家柄ですが、戦国時代に断絶してしまいました。鷲原八幡宮 寺・神社・教会
-
源氏が崇敬する鶴岡八幡宮から勧請する際、その馬場を模して馬場を設けました。
ここで行われる流鏑馬を見てみたいものです。 -
また、前日から気になっていた山の上に見える神社を参拝しました。
赤い鳥居が多く見えたので稲荷神社と予想していたところ、案の定でした。
名称は太皷谷稲成神社。
安永2年、藩主亀井矩貞公によって創建されました。
日本五大稲荷の一つに数えられます。太皷谷稲成神社 寺・神社・教会
-
太皷谷稲成神社でのお供えは油揚げ。
参拝者は賽銭を納めて、油揚げとマッチ・蝋燭を頂きます。
そして蝋燭に火を灯し、油揚げをお供えします。
参道の途中には参拝者用とは別に駐車場があり、津和野城に続く登山リフトに乗ることが出来ますが、この時間はまだリフトは動いていませんでした。
予定が立て込んでいるので津和野城は諦め、次の目的地へ向かいます。 -
イチオシ
津和野から南へ向かい、山口県に入りました。
車を走らせること、およそ2時間。
空が曇って雨が降って来た頃に、ようやく岩国城の駐車場に到着しました。
ほとんど調べもせずに来てしまいましたが、有名な錦帯橋は目の前でした。錦帯橋 名所・史跡
-
岩国城と城下町の間を流れる錦川には何度も橋がかけられましたが、洪水によって流されることがたび重なりました。
3代目岩国領主の吉川広嘉公は、なんとか洪水に耐えられる橋を架けたいと思い調査したところ、明国に連続したアーチ橋があることを知り、それをもとに大工の児玉九郎右衛門が設計し、錦帯橋は完成したのでした。
江戸時代を通して橋が流出することはなく、定期的に修理を行って明治に至り、その後は募金によって保存を続けますが、戦後になって台風により倒壊。
平成に入ってからは、軽トラックで侵入するという不届き者もおりました。 -
駐車場には、屋形船が揚げられていました。
予約をしておけば、屋形船に乗って水上遊覧を楽しむことができるとのこと。 -
錦帯橋は渡るよりも見るものと、渡らずに岩国城へと向かいます。
300円の入橋料が惜しかったのわけではありません。
錦帯橋を建てた吉川広嘉公の像がありました。 -
広嘉公像を記念撮影する人は自分だけでしたが、すぐ近くにある佐々木小次郎の像は次々に観光客が来て記念撮影をして行きます。
その手にあるのは通称「物干し竿」
本当に一人で鞘から抜けるのか疑問ですが、この3尺もある日本刀で戦ったのは、彼の死に場所でもある巌流島ですから、格好がよいとは言え銅像にするのは気の毒な気がします。
そんな小次郎が「燕返し」を開眼した修行場所が、ここ岩国の錦帯橋であると、吉川英治の『宮本武蔵』には書かれています。
宮本武蔵のゆかりの土地として訪れた岡山県美作も、観光のために史実が誇張されていました。
国民的な人気を誇る二人なので仕方がないのかも知れません。 -
この周囲は吉香公園として整備されており、岩国藩主吉川家ゆかりの建物なども残されています。
-
天守閣まではロープウェイを使って山を登りますが、何日か前の大雨の影響か、稼働が停止していました。
お城に縁の薄い一日となりそうです。 -
岩国城の守り神は参拝。
加賀国一之宮の白山神社から勧請した白山比め神社。
毛利氏や吉川氏の崇敬も篤く、享保年間の大造営では関西の東照宮と呼ばれるほどの豪壮な装飾が施されていましたが、明治23年に焼失してしまいます。白山比咩神社 (岩国) 寺・神社・教会
-
駐車用に戻り、次の目的地の岩国護国神社を目指します。
しかし辿りついたのは白崎八幡宮。
社務所でたくさんのパワーストーンを売っているなど、どことなく普通の神社と違う雰囲気ですが、建長2年創建の由緒ある神社です。
神主さんとお話ししたところ、大雨でたくさんの道路が寸断され、国道2号線は大渋滞とのことでした。
広島へ向かうなら高速道路を使った方がよいと、アドバイスをして下さいました。白崎八幡宮 寺・神社・教会
-
イチオシ
渋滞を完璧に回避することは無理でしたが、前回の広島探訪で行きそびれた速谷神社を参拝することが出来ました。
聞いただけで神社の空気の清らかさが想像されるような、変わった名前の神社です。
御創建の年代は詳らかではありませんが、『延喜式』には名神大社として列せられる格式高い神社で、安芸国総鎮守として崇敬されています。
実際に参道を歩いてみると、やはり名前から浮かんだイメージそのままだと思いました。速谷神社 寺・神社・教会
-
御祭神は飽速玉男命。
天孫降臨に随伴した神のうちの1柱、天湯津彦命の五世の孫に当たります。
広島地方を開拓した神様で、おそらく安芸国という名前は御祭神の名前が由来となっているのでしょう。 -
いよいよ広島市内に入り、まずは頼山陽史跡資料館を訪れました。
頼山陽の『日本外史』は、幕末の志士たちに大きな影響を与えた歴史書で、文体は古語なので少し難しいですが、高校生くらいなら内容を理解出来ると思います。
自分も『日本外史』を読み、日本の歴史に対する理解が深まりました。
また、『日本楽府』という漢詩集もあります。
聖徳太子以来の日本史における66の名場面を、臨場感あふれる漢詩で表現した名作です。
渡部昇一先生の解説付きが再販されているので、今は比較的求めやすいです。
頼山陽の才能は、書画にも発揮されています。
資料館では、彼が残した貴重な資料を間近に見ることが出来ます。頼山陽史跡資料館 美術館・博物館
-
敷地内の頼山陽居室は、原爆によって焼失した後の復元です。
彼は大阪で生まれましたが、思うところあって脱藩。
間もなく身柄を押えられ、この居室に幽閉されたのでした。
『日本外史』を執筆した場所でもあります。
また、原爆投下前の資料館(山陽記念館)のバルコニー手すりも置かれています。
居室が失われたのは残念ですが、資料が残っているのは不幸中の幸いです。 -
イチオシ
次に広島平和記念公園へと向かいます。
原爆被害の象徴、原爆ドームが見えました。
思ったよりも小さい印象ですが、被爆前は広島県物産陳列館という大きな建物で、現在の原爆ドームはその残存部分なのだということ。
平成7年には世界遺産に登録されましたが、二度と同じ過ちを繰り返さないためのモニュメントとして「負の世界遺産」と呼ばれることも多いとか。原爆ドーム 名所・史跡
-
原爆慰霊碑から正面を見ると、平和の灯や原爆ドームが一直線に連なっています。
そこに刻まれる「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という文言には、ずっと違和感を持ち続けていました。
過ちを犯したのは原爆を投下したアメリカであって、これではまるで日本が原爆を落としたようにしか読めないと。
しかし広島平和記念資料館の展示を見て、その考えは改めました。
原爆による大量虐殺は人類共通の罪として、全ての国の全ての人間が背負って行くべき罪業であるのだと認識を新たにしたのでした。
歴史の歯車がどこかで食い違っていたら、あるいは日本が加害国になっていたかも知れないし、アメリカが被害国になっていたかも知れない。
もしくはヨーロッパやアフリカで悲劇が起きていたかも知れない。
原爆という破滅的な兵器を開発した罪は、ひとりアメリカだけが負うのではなく、人類というエゴイスティックな生物が我が事として負わなければならない。
誰もが加害者にも被害者にもなり得た人類史において、たまたま日本が被害者に、アメリカが加害者になっただけのこと。
そう思うようになりました。
だからこそ、平和記念資料館で様々な人種の人たちが真剣に展示物を見つめ、痛々しい表情をしているのを見て、この人たちとは鎮魂と平和祈念の心を共有出来るような気がしたのでした。
「日本だけが悪い」「日本は悪くない」の二者が対立しているうちは、犠牲者の御霊も安らぐことは出来ないのではと思います。 -
この日のホテルは広島城の徒歩圏内。
チェックインをして駐車場に車を入れてしまい、部屋で少し休んだ後に広島城へ向かいました。 -
内堀の中に鎮座する広島護国神社を参拝。
かつて西練兵場の西側に鎮座していましたが、終戦後の復興計画で移転を余儀なくされ、昭和31年に現在地に鎮まりました。広島護国神社 寺・神社・教会
-
広島大本営跡も広島城域にありました。
大本営が広島に置かれたのは日清・日露戦役の時のようです。 -
イチオシ
関ヶ原より前に既に築かれていた広島城の天守閣も、原爆によって失われてしまいました。
築城したのは毛利輝元公ですが、毛利氏は関ヶ原の役に敗れて長州に追いやられ、そのあとに福島正則が入封しました。
その福島氏も豊臣氏ゆかりの大名であったため、修築の許可を得なかったという言いがかりをつけられてお取り潰しに。
福島氏に代わって紀州から入封したのは浅野氏。
3代目城主、浅野長晟の父は浅野長政で、やはり豊臣政権における五奉行の一人ですが、福島氏とは全く逆の歴史を辿ることになります。
理由はいろいろ考えられますが、福島正則は武闘派でいつ暴発するか分からない危険性を孕んでいたのに対し、浅野長政は御しやすいと徳川幕府から見なされていたのかも知れません。
赤穂浪士の主君、浅野内匠頭も浅野一族の一人です。
現在の天守閣は昭和33年に完成した鉄筋コンクリート造りですが、外見は日本の城として堂々たる構えを見せています。広島城 名所・史跡
-
広島城天守閣からも原爆ドームは見ることが出来ます。
原爆によって自らの命・財産・思い出の場所をなくした御霊たちに対し、安らかにお眠り下さいと心の中で手を合わせました。 -
3日目になって天気は崩れてしまいました。
今にも雨が降り出しそうな朝、芸州鎮護の饒津神社を参拝。
ここも前回の広島訪問で参拝が叶わなかった神社です。
御祭神は、浅野氏初代長政命と奥方の末津姫命・2代目幸長命・初代広島藩主3代目長晟命・最後の藩主14代目長勲命。
末津姫は豊臣秀吉公の奥、寧々の妹に当たります。饒津神社 寺・神社・教会
-
広島市の中心部に鎮座する社殿は、昭和20年の原爆投下によって全て焼失してしまいました。
爆心地からの距離はおよそ1.8キロ。
手水舎や石灯篭などは損傷したものの、原爆の恐ろしさを未来永劫伝えるためにそのまま残されています。 -
原爆投下直後の境内には、被爆して傷ついた数多くの人々が避難のために押し寄せ、御神域は修羅場と化したのだそうです。
そんな悲惨な歴史を見つめて来た最後の被爆御神木も、平成15年に枯死してしまいました。
保存される年輪には、原爆被害の傷跡が生々しく残されています。 -
最終日は尾道にある歴史博物館へ行く他に、あまり予定を考えていませんでした。
前に通ったルートとは違う道を検討した結果、竹原に寄る案が浮上。
古い町並みがあるというので、運転の疲れを癒すにももってこいだと思われます。
お盆に入っている影響か、平日にしては車の通行量は多く感じられました。
歴史的な町並みの残る一画には駐車場はなく、最も近い道の駅に車を停めて歩くことにしました。 -
安芸の小京都と呼ばれる竹原。
歴史的な建造物が多く残っていますが、残っているのは建物だけでなく、人の真心もそうなのだと実感。
町並みを歩くと、民家の軒先に住民の方が立っておられ、挨拶をしてくれるのです。
天気さえよければもう少しのんびり散歩したかったのですが、足早に通り過ぎるだけだったのは、今思えばもったいないことでした。 -
次のNHK朝の連続ドラマの主役に選ばれた竹鶴政孝、ニッカウヰスキー創業者の生家がありました。
竹鶴酒造 名所・史跡
-
道路が渋滞していたので、広島県立歴史博物館に着いたのは予定よりも遅い時間でした。
目的は、過去の特別展の図録を手に入れること。
20年近く前の特別展なので、販売用は当然のことながら在庫がありません。
しかし、保管用の蔵書が1部だけ残っているとのことなので探してもらい、必要な部分のコピーを頂きました。
これで今回の旅は全ての目的を達成。
ちょうどお昼時だったので、駅前のお好み焼きの店に入ることにしました。
前に入ったことのあるお気に入りの店を探すと、しっかり営業していました。
注文して、何年かぶりに来たことを伝えると、マスターも喜んでくれました。
小学生くらいのお嬢さんがお手伝いをしていて、ほのぼのした雰囲気の店内でした。広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム) 美術館・博物館
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
津和野(島根) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
55