2008/02/28 - 2008/02/29
6位(同エリア216件中)
旅猫さん
2月下旬、播磨の小さな鉄道に乗り、城下町三木などを訪れる旅に出た。いつものように、旅の始まりは夜行列車である。今回は、大阪行の寝台急行『銀河』を選択。播磨のふたつのローカル線に乗り、それぞれの終着駅を訪ねることにする。そして、旅の最後には、京の伏見にも立ち寄って来た。
(2026.03.11投稿)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- タクシー JR特急 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
大阪行の寝台急行『銀河』は、東京駅を23時ちょうどに出る。列車は、発車30分ほど前に入線。夜行列車が次々と消えゆく中、このような情景を見ることも少なくなり、寂しい限りである。
※『銀河』は、現在、廃止されています。 -
ドアの上の三ツ星が旅情を引き立てる。寝台車の格は、星の数が減るほど上等である。従って、三ツ星は一番格下のB寝台である。中へ入ると、二段式の寝台が並んでいる。通路の窓下に簡易的な椅子があり、腰掛けて車窓を眺めるのが、寝台車の楽しみでもある。
-
今宵は、そのB寝台の下段である。最近、個室が多かったので、久しぶりの二段寝台である。以前は、このような寝台ばかりであった。上段には、すでに先客がいた。青いスリッパと梯子が懐かしい。
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深夜時間帯なので、ホームには、ほとんど人影が無い。発車してすぐ、持参した宮部みゆきの『かまいたち』を読みながら、職場の同僚にもらった広島土産のたこ味のもみじ天を食べる。そして、列車は、深夜の東海道を一路大阪へと向かう。
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翌朝、終着の大阪駅には、7時18分に着いた。同じホームの向い側には、青森駅からやって来た寝台特急『日本海2号』も着いたばかりであった。ここだけは、旅情が溢れている。
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大阪駅からは、新快速に乗り換えて加古川駅へと向かう。快適な乗り心地の列車に揺られること50分余りで加古川駅に着いた。ここからは、加古川線の普通列車で厄神駅を目指す。
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厄神駅には12分で着いた。目指す三木へは、この駅から出ている三木鉄道に乗り換える。その鉄道は、国鉄の赤字ローカル線が前身の第三セクター線である。終点の三木駅までは7km足らずで、途中7つの駅がある。8時57分発の三木行の列車に乗車したが、車内はガラガラであった。
※三木鉄道は、現在、廃線となっています。 -
厄神駅を出た列車は、長閑な景色の中をのんびりと走って行く。そして、僅か13分で三木駅に到着した。その三木駅は、ローカル線の終着駅らしい雰囲気が漂っている。木造瓦屋根の駅舎に、金属枠だけの改札など、旅情を感じる駅であった。
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散策を開始してすぐに見つけたのは、小さなコロッケ屋であった。覗いてみると、まだ準備中であった。お店の方に、「あとで来ます。」と声を掛け、とりあえず散策を続ける。
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しばらく道なりに歩いて行くと、末広橋手前の十字路に出る。そこを東西に貫く道は、『ひめじ道』と言う旧街道筋である。左手の福井二丁目、右手の福井一丁目には、古い町並みが残っていた。
※写真手前の建物は、現在、取り壊されています。 -
大きな町屋にはが卯建あり、そこには屋号などが描かれている。かなり凝ったものもいくつか見られた。
※写真の建物は、取り壊されています。 -
他にも、緩やかに弧を描くような屋根を持った町屋もいくつかあった。荒格子を設けたものもあった。
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その先に、伝統的な町屋が数軒軒を連ねる場所があった。
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その中の一軒の屋根に、変わった看板が載っていた。鋸の歯のような形をした『鋸看板』と言うものだ。金物を扱う商家の目印である。三木は、金物の町なのだそうだ。
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大きな道に突き当たった。その交差点の脇に、大きな道標が立っていた。歩いて来た道が『ひめぢ道(姫路街道)』で、分かれる道が『あかし道(明石街道)』と『湯の山街道』である。この道標があるためか、この場所は『立石』と呼ばれていたようである。
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交差点を東へと進むと、湯の山街道沿いの左手に趣のある建物が見えて来た。旧玉置家住宅である。文政9年(1826)に、切手会所(現在の銀行のようなもの)として建てられ、明治になって起こった玉置家が拝領したものだそうだ。訪れた時は休みであったが、日曜日は拝観出来るそうだ。
※2026年3月現在、火曜日以外は公開されています。国登録有形文化財旧玉置家住宅 名所・史跡
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湯の山街道を辿って行く。湯の山街道は、三木城下と湯の山(有馬温泉)とを結んでいた街道で、三木城攻めの折、羽柴秀吉が何度か通った道である。兵庫県道20号線に平行して三木城跡の麓を通っている。その湯の山街道の一部は、商店街となっていた。朝だったので、まだほとんどの店が閉まっていた。
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商店街の途中から、三木城跡へ至る坂道を登る。その坂の上には、稲荷社があった。そこは、三木城本丸の一部で、水門口があった場所である。稲荷社には、三木合戦図のひとつ『別所治定奮戦図』が奉納されていた。別所治定は、三木城主別所氏最後の当主別所長治の弟である。三木合戦において、平井山の羽柴秀吉の本陣を奇襲したものの、敗れて討ち死にした。19歳だったそうである。
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稲荷社の隣にあった金物資料館に立ち寄る。その敷地内には、金物古式鍛錬場と言うものがあった。鍛冶の伝統技術を伝えていくため、ふいごを使って古式ゆかしく金物を鍛える実演(原則毎月第1日曜日の10時から13時まで)を行っているそうである。
※6月から9月は9時から12時まで三木市立金物資料館 美術館・博物館
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金物資料館から南へと歩くと、三木氏所縁の高源山雲龍寺の前に出た。この寺は、天徳2年(958)に創建された曹洞宗の寺院。三木城内にあったことから、三木合戦で焼失、開城後に再建されたそうだ。
別所長治夫妻が眠る寺 by 旅猫さん雲龍寺 寺・神社・教会
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境内の片隅には、別所長治夫妻の首塚がある。長治は、一年十ヶ月にも及ぶ『三木の干殺し』と呼ばれる凄惨な兵糧攻めの末、篭城した家臣、領民の命と引き換えに、一族と共に自害。その首を貰い受けた雲龍寺七世住職春泰禅師により、この地に埋葬されたと云われている。
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寺の南側には、八幡山と呼ばれる小山があった。これも三木城の遺構であり、『宮の上の構え』と呼ばれるもの。三木合戦の時には、別所長治の弟別所友之が守備していたが、善戦むなしく陥落した。友之は、三木城開城にともない、兄長治と共に自害。享年21歳であった。
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その八幡山の西麓に鎮座する大宮八幡宮に参拝。別所氏累代の守護神として崇められたが、三木城攻めで焼失。当時の境内は七万坪余りもあったそうだが、今は一万坪ほどだそうだ。それでも、かなりの広さである。境内では、子供たちが元気に遊んでいた。拝殿の左手には、大宮天満宮も鎮座している。
播州大宮八幡宮 寺・神社・教会
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その本殿は、慶長八年(1603)、姫路城主池田輝政によって建立されたものである。当初は桧皮葺の屋根だったそうだが、昭和六十一年の修繕の際に銅板葺にされたそうだ。
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広い境内の片隅に、朽ち果てそうな建物があった。かつて、拝殿前に建っていたという旧割拝殿らしく、色あせた絵馬などが掲げられていた。痛みが激しく、今にも倒壊しそうな感じである。
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八幡宮から来た道を戻り、三木城本丸跡へと向かう。途中にあった立派な石垣は、八幡宮の隣に建つ月輪寺のもの。月輪寺は、白雉三年(652)創建と言う歴史ある寺で、大宮八幡宮は、この寺の鎮守として祀られた八幡大菩薩が起源だったそうだ。鬼追い式と呼ばれる伝統行事が有名らしい。この寺の境内を通って、本丸跡へ向かうことにする。
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辿り着いた三木城本丸跡は、住宅街の中の公園と言った佇まいで、歴史に残る凄惨な籠城戦が行われた場所とは思えない。
三木城跡 名所・史跡
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その本丸跡に、『かんかん井戸』と言うものがあった。その井戸は、三木城に残る唯一の遺構で、石を投げ込むとカンカンと響くことから名付けられたそうだ。城からの抜け道であったとも云われているらしい。
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本丸跡には、別所長治の騎馬像もあった。三木城は、明応元年(1492)に別所則治によって築かれた平山城で、長治は五代目の城主であった。織田信長に反旗を翻したため、その部将である羽柴秀吉に攻められ、一年十ヶ月にも及ぶ籠城戦の末、天正八年(1580)に開城。長治ら別所一族の切腹で幕を閉じている。
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その長治の辞世の句が刻まれた碑が、本丸にある天守跡に建っていた。-今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば- 自分の命と引き換えに、城兵らの命を救った長治の心情が滲み出ている。23歳の若さで散った長治。さぞかし無念だったことだろう。
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本丸跡からは、真下に湯の山街道沿いの街並みが望めた。弧を描くように続く線路は、神戸電鉄粟生線。遥か戦国の世に思いを馳せながら、しばらくこの景色を眺めていた。
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三木城跡を後にして、その麓にある神戸電鉄の三木上の丸駅へと向かう。木造の素朴な駅舎と片側だけのホームが、ローカル線の趣を感じさせる。
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駅のすぐ隣にあった民家に目をやると、屋根の上で犬がまどろんでいた。あまりにも気持ち良さそうなので、一緒に日向ぼっこがしたかった。
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しばらく待つと、電車がやって来た。現代の湯の山街道のようなもので、これに乗れば、有馬の湯へ至る。こちらは、次の恵比須駅で下車。この駅で降りたのは、秀吉の本陣跡に行ってみたいと言う思い付きからである。
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バスも無いので、仕方が無く、駅前のタクシーに乗り込む。ここへ行きたいと地図を見せたのだが、行ったことが無いと言う。途中に、竹中半兵衛の墓があったので、停めてもらい、参拝する。秀吉の参謀として名を馳せたが、三木合戦の陣中で病没し、この地に葬られたそうである。
竹中半兵衛の墓 名所・史跡
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そこから、地元の農家の人に訪ねながら、ようやく秀吉の平井本陣跡に辿り着いた。秀吉が採った策は、包囲したまま兵糧攻めにするというもの。三木城内は、飢えと疲労で、地獄のような有様となった。秀吉は、ここからどのような思いで、飢えに苦しむ三木城を眺めていたのだろうか。
三木合戦の遺構のひとつ by 旅猫さん平井山ノ上付城跡(羽柴秀吉本陣跡) 名所・史跡
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帰りは、途中にあった常厳寺の前で降ろしてもらう。「勉強になった」と言う運転手さんのご厚意で、料金はかなり安かった。常厳寺は、鎌倉幕府に反旗を翻し、六波羅探題を陥落させた播磨の武将赤松円心入道(則村)が建立した寺である。
赤松円心入道の五輪塔がある寺 by 旅猫さん常厳寺 寺・神社・教会
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庭を掃いていた住職さんらしき方に話を聞くと、この寺の墓地に、かの円心入道の墓所があるとのこと。場所を訊いて訪ねると、崩れかけた土塀に囲まれた二基の五輪塔が建っていた。「修繕したいのですが」と言う住職さんの言葉に頷くばかりである。
※平成18年に修繕されましたが、江戸時代のものであった五輪塔も土塀も撤去され、真新しい白壁の墓となっています。 -
常厳寺から、近くを通る湯の山街道へ出てみる。往きは電車で来たが、帰りは旧街道をのんびり歩きながら戻ることにした。宿場の名残が残る大塚の街並みは、高い建物も無く、とても風情がある。
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歩いていると、古風なポスターが目を引く商店があった。その、やや反りのある瓦屋根も美しい。
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虫籠窓と越屋根を持つ民家もあった。虫籠窓は、二階屋根裏部屋の換気口の役割をする窓で、左官職人の鏝芸がみられもの。越屋根は、屋根に煙抜きの小屋根を設けた古い様式の屋根で、数件が残るのみの貴重なものだそうだ。このような民家が、いつまでも残ることを願う。
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旧街道歩きで好きな風景のひとつに、街並みを見下ろす下り坂がある。景色が見渡せ、これから向かう街並みを遠目に観ることが出来るからだ。この街道の途中にもあり、その坂を下ると、芝町へと入って行く。坂の途中には、大塚薬師堂と言う寺があった。
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さらに下ると、立派な屋敷が左手に見えて来た。古写真が飾ってあったので見てみると、佇まいが当時とほとんど変わっていなかった。
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芝町には、稲見酒造の古い建物が残っていた。三木と言えば、かの酒造好適米『山田錦』の特産地である。この蔵では、その『山田錦』を原料として、独自の四段仕込みによる『葵鶴』と言う銘柄を醸している。
山田錦で醸す味わい深い酒 by 旅猫さん稲見酒造 専門店
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稲見酒造の先の交差点を過ぎると、また酒蔵があった。立派な店蔵を持つ福太醸造である。この蔵では、『福乃太』と言う銘柄を醸している。
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福太醸造の蔵には、舟板塀と言うものが残されていた。江戸時代、物資の運搬には、三木城下を流れる三木川を利用していたそうである。この塀に使われている板は、その当時使っていた高瀬舟の底板を利用したものだそうだ。よく見ると、木目が模様のようになっていて、なかなか美しい。近くの三木川には、『上津の舟着場跡』もあった。
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その先の府内町にあった本長寺に立ち寄る。別所長治の家臣であった加古弥七郎秀久は、三木合戦の後、秀吉の誘いを断り、名を大西与右衛門と改め、町人となったそうだ。そして、文禄元年(1592)、主君別所氏の冥福を祈るため、この寺を建立したそうである。境内には、幕府に直訴を行って死罪となった義民大西与三右衛門の墓があった。
本長寺 寺・神社・教会
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湯ノ山街道を歩きながら三木駅前に戻り、往きに見つけたコロッケ屋に顔を出してみた。地元の方が何人か買いに来ていて、なかなかの繁盛振り。品書きには、串いも、いわしなどの他、ハンバーグまであった。注文を取ってから揚げるので、熱々がいただけるようだ。
※『コロッケの店藤井』は、2021年11月13日、惜しまれながら、65年の歴史に幕を閉じました。 -
コロッケなどを購入した後、次の目的地へ向かうため、神戸電鉄三木駅へ向かう。時刻表を見ると、粟生行の電車までは少し時間があったので、駅の長椅子に座り、買ってきたコロッケを食べることにした。
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昔ながらの白い耐油紙で包まれたコロッケたちとご対面。買ったのは、定番のコロッケとイカ身、そしてチキンカツである。まだ熱々を頬張ると、コロッケはほくほくで甘く、イカ身もチキンカツも脂っこくなくて美味しかった。こうなると、ハンバーグ揚げも気になる。
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ちょうど食べ終わった頃、粟生行の電車がやって来た。終点の粟生駅までは、およそ20分だ。
-
そして、粟生駅に到着。この駅は、JR加古川線と神戸電鉄粟生線、これから乗る北条鉄道が乗り入れている。降り立った神戸電鉄のホームは、JR加古川線のホームのすぐ隣になっていた。
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この旅行記へのコメント (13)
-
- holmyowさん 2011/06/12 21:01:25
- 3年前の記事にコメント失礼します。
- はじめまして。三木人のholmyowです。
長治公についての名文を書いていただき、三木人として本当に嬉しくおもいます。
他のは、秀吉視点、信長視点のものがほとんど。。。
僕らにとって、三木城は攻略するもんじゃなくて、籠城するもんなんです。
そんな「籠城側」にたった記事に感動しました。
長治公は三木では唯一無二の英雄です。
そして、生まれて初めて覚える短歌は、やはりこの歌です。
「今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命にかはる 我が身と思へば」
お年寄りの中には、この歌を聞くだけで涙する人もいます。
ところで、十月には三木には布団屋根型太鼓台が担がれる秋祭りがあります。
各太鼓台の青年団長の姿を見るたびに、「長治公」はまだ生きているのかもしれないと感じることがあります。
よかったら、十月に三木に一度お越しください。
- 旅猫さん からの返信 2011/06/15 00:11:51
- RE: 3年前の記事にコメント失礼します。
- holmyowさん、はじめまして!
三木の旅行記を読んでいただきありがとうございます。
holmyowさんは三木人ですか!
そんな方からコメントをいただき嬉しいです!
別所長治公など、歴史の中で散っていった人たちは、
単に負けただけではないと常々思っています。
敗けると分かっていても、己の信念、義理などに殉じた人も多いでしょう。
長治公も、そんな人たちの一人だと思っていました。
三木城跡等を巡って、そんな気持ちがさらに強まりました。
やはり、その土地を訪れてみると、感じる空気は地元のものです。
征服したものの気配は良い空気には感じられません。
> 「今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命にかはる 我が身と思へば」
> お年寄りの中には、この歌を聞くだけで涙する人もいます。
それこそが郷土愛でしょうね。
変に押し付ける愛国心より、どんなに美しいことか。
秋祭りですか!
なんだか惹かれるものがありますね!
10月、時間が取れれば、ぜひ訪れたいと思います。
久しぶりに、心に響くコメントを読みました。
ありがとうございます。
旅猫
- holmyowさん からの返信 2011/07/04 01:21:23
- こんばんは。
- 早々のご返信ありがとうございます。
本当にそうですね。
伝統文化の教育と言いながら、地域の文化や歴史がおきざりにされているような気がする時が多々あります。
高校生のとき、日本の伝統文化教育かなんかで、文化会館にどっから呼んだか知らない民謡集団??を見に行かされました。でも、地域の祭りに参加することに対して の参加はあまりいい顔をしてくれませんでした。(まあ、飲酒などもあるので気持ちは分かりますが、、、、、)
戦国天正記という漫画で、三木城の攻防が10巻で描かれています。それについてのとある人の感想はこんなかんじでした。「次の巻の秀吉と半兵衛の友情について描かれるのが楽しみ」で、全く長治公達の漢ぷりにはふれず・・・・
「なんでどいや」
と思ったのですが、自分の歴史観にも似たような一面があるのかもしれないとふと感じました。
-
- 前日光さん 2008/05/12 00:43:40
- 古武士のような美意識
- こんばんは!
たまたま司馬遼太郎の「街道をゆく 夜話」というのを
読んでいましたら、城主別所長治について、タイトルのように
評していました。
「戦国最後の名門の子」であり、「たとえ新興勢力の下風に立つ
とはいえ、大軍の先鋒をつとめるということに武門の名誉を感じて、
人質を出して応諾した。一国の運命を、単なる美意識にかけたと
いうのも、乱世に類のない話といっていい。」
「マキャベリズムが日常事になっている時代に、珍しくもドン・
キホーテ的騎士道の旗が三木城にひるがえったのである。」等々。
かなりのほめようです。
私も、こういう時代の流れを察していながら心情的に同調できない
という人物が好きです。
結果としては負けるわけですが、それでもその底に漂う美学に
しびれます。
「別所長治という人物は、生まれる世を異にしていれば、武将よりも
むしろ詩人にふさわしかった資質なのであろう。」
↑
これは私の好きな万葉集の編者、大伴家持にも共通する要素なのです。
詩人としての才能に優れていながら、武門の家柄に生まれてしまった
という悲劇、別所長治との共通点を感じます。
別所のこの精神が、浅野長矩、そして赤穂義子へと受け継がれていった
のではないかと、司馬氏は考察されています。
- 旅猫さん からの返信 2008/05/12 09:08:49
- RE: 古武士のような美意識
- 前日光さん、こんにちは!
素敵なコメントをありがとうございます♪
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは、旅猫の愛読書です。
旅に行くときは、その方面の「街道をゆく」を読むのが常。
その土地への思いが広がりますからね。
「夜話」は読んだことがないのですが、別所長治のついても書かれているのですね。
名門に生まれながら、時代の流れを敏感に感じて、新興勢力の信長の配下になったものの、名門意識の強い叔父に寄り切られて反旗を翻した長治。
その後の悲惨な結末に、長治の心中はいかばかりだったか。。。
> 私も、こういう時代の流れを察していながら心情的に同調できない
> という人物が好きです。
> 結果としては負けるわけですが、それでもその底に漂う美学に
> しびれます。
同感です(^^)
己の信条や忠誠心、義のために、負けると分かっていても屈することは出来ないという精神は好きです。
室町前期の関東の武将・結城氏朝・持朝親子もそんな感じですよ。
以前の主君だった鎌倉公方足利持氏の遺児を匿い、幕府の引き渡し要求を拒み、勝ち目はほとんど無い状況下で、義のために天下に叛旗を翻した精神に共感しました。
旅猫
-
- annakさん 2008/05/11 01:35:23
- 是非行きたい町です
- 旅猫さんこんばんは、annakです。
如何にも旅猫さんという素晴らしい旅記
楽しませていただきました。
三木・・・・
う〜んいいですね。
是非行きたい町になりました。
ありがとうございます。
- 旅猫さん からの返信 2008/05/11 15:40:03
- RE: 是非行きたい町です
- annakさん、こんにちは!
いつもありがとうございます♪
旅猫の旅行記は、華やかさがや面白さがないので、
読んでいただけるだけでも嬉しいです(笑
三木の町、思ったより見所がありました。
湯ノ山街道沿いは、特に良かったです。
今回行かれなかった場所には、とても素晴らしいお寺などもあるそうです。
機会があったら、一度訪れてみてください!
旅猫
-
- ジロさん 2008/05/04 03:18:35
- 犬♪コロッケ♪
- こんばんはでござるのだ☆
犬のサービスショットありがとうなのだ☆
またゴォルみたいだけどおとなしい人懐っこい犬種なのだ
ジロみたいな雑種と違って気品がある犬さんだなぁ。。。
播磨編はローカル線に古い街並みと旅猫さんらしい旅行記かなぁ
歴史とかの解説も丁寧でジロのブログとは正反対系っぽいのだ
ジロももっとしっかりと解説しなきゃ☆バカ犬なのでムリか。。。
こんな時間だけどビール飲みつつ4トラ徘徊中なのだ
コロッケとかの写真はつまみにいただくのだ☆
深夜徘徊のジロ
- 旅猫さん からの返信 2008/05/04 16:43:12
- RE: 犬♪コロッケ♪
- ジロさん、こんにちは!
連休はいかがお過ごしでしょうか?
あの犬、屋根の上に布団を敷いてもらい、
とても幸せそうな顔をしていましたよ(^^)
日向ぼっこには、最高の場所ですものね。
> 播磨編はローカル線に古い街並みと旅猫さんらしい旅行記かなぁ
島原の余韻が冷めないままに行った場所なので(^^;
この2つの旅で、財政難に陥り、3月中旬からG.W.は関東から出られません(笑
歴史は、説明版と帰ってきてからの復習で書いてますので。
深夜にビールとは!
お腹のまわりに蓄積されそうですね(笑
コロッケ、美味しかったですよ〜
投票&書き込みをありがとうございました!
旅猫
-
- そよ風さん 2008/05/03 22:38:16
- 遠い昔がそのままに偲ばれる町ですね!
- 旅猫さん、こんばんは。
タクシーの運転手さんから「勉強になった」と、
そうでしょうね〜
旅猫さんの旅行記を読んでいると、とても歴史の勉強になりますから。
実際に旅猫さんからレクチャーを受けたら、より深く知ることができて、
いままで気づかずにいたことにも興味をもてるようになるでしょう。
朽ちて崩れ落ちた壁、御住職の修理をしたいのだが、、という言葉
歴史は年を追って風化していくさまが感じられますね。
そういったことも、実際に旅して目にすることで、
より歴史を身近に感じられるのではないでしょうか。
兵糧攻めにあった城、
飢えにあえぐ人々を秀吉はどんな思いで見ていたのか、
私も気になるところです。
戦国の世とは、そういうものであるとはいっても、
貧しい身分から上りつめた秀吉にとっては、
飢えの苦しみも経験あるのではと思うと、よけいに気になります。
冬山で遭難しかけて食糧が尽き、凍ったワラジにかぶりつき
ムシャムシャ食べたという話もそうですが、
飢えの苦しさも相当なものですよね。
- 旅猫さん からの返信 2008/05/04 16:35:20
- RE: 遠い昔がそのままに偲ばれる町ですね!
- そよ風さん、こんにちは。
播磨路の旅を読んでくださりありがとうございます!
旅先での感動やその後の思い出は、その土地のことを、どれだけ知るかによって、かなりその印象が違ってくると思います。
自然であっても、それは同じだと思っています。
ただ、どのくらいゆっくり出来るかで、それには限界もありますけどね。
旅猫は、なるべく時間を取るようにはしていますが。。。
歴史は埋もれていくもの。
でも、忘れてはいけないものだとも思っています。
それには、今生きている我々が、次の世代に引き継がないといけませんよね。
農民出身の秀吉が、兵糧攻めというのはどうかと思いますが。
自軍の損害は最小にという考え方はあると思いますね。
ただ、その前に、天下統一、領土拡大というのが前提の侵略戦なので、その戦い自体にそもそも問題があると思います。
領民とともに、日本の片隅で静かに暮らしている小さな豪族を、従わないという理由だけで攻め滅ぼす。
日本史では、信長、秀吉、家康は英雄ですが、その影で葬り去られたたくさんの罪無き人たちのことにも、もっと思いを馳せてもいいのかなと思います。
先日の北本の源範頼ではないですが(笑
旅猫
-
- たらよろさん 2008/05/02 21:14:40
- 作成中に失礼します
- こんばんわ〜〜
播磨の落ち着いたちょっぴり物寂しい雰囲気が
とてもよく伝わってきます。
騎馬像は、めっちゃ勇ましくって素晴らしいですね。
ところで、やっぱり私は食い気。
コロッケがすごく美味しそうで目が行ってしまいます。
コメントお待ちいたしております。
たらよろ
- 旅猫さん からの返信 2008/05/03 13:43:42
- RE: 作成中に失礼します
- たらよろさん、こんにちは!
いつもありがとうございます。
> 播磨の落ち着いたちょっぴり物寂しい雰囲気が
> とてもよく伝わってきます。
そう感じてもらえると、ちょっとうれしいです(^^)
寂れた感じのしない三木の町ですが、どこか物寂しげでした。
やはり、悲惨な歴史ぼ記憶が残っているのでしょうかね。
> 騎馬像は、めっちゃ勇ましくって素晴らしいですね。
多くの土地で言えることですが、織田信長以降の領主よりも、
それ以前にその地を収めていた領主を慕う傾向が強いようです。
三木の町でも、滅ぼした信長や秀吉は人気がなく、
滅ぼされた別所氏のほうが慕われています。
この像も、地元の人たちによって寄贈されたものだそうです。
コロッケ、美味しかったですよ〜
ほくほく熱々で!
他の揚げ物も、しつこくなくて美味しかったです。
旅猫
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