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彼岸花を探しに、兵庫・三木方面へ出かけます、稲穂が頭をさげて刈り取りを待っている、静かな晩夏の一日です。幾度も通っている街道ですが、今まで特に注意して見てきていないところがたくさんあります。今回は、少し三木の歴史にもふれながら歩いてみます。<br /><br />行程は次のとおりです。 <br /><br /> 御坂サイフォン橋〜御坂神社〜大谷山伽耶院〜十割そばの店 播州三木一休庵〜竹中半兵衛の墓〜旧玉置家住宅〜三木城跡<br /><br />  途中平井山観光ぶどう園に寄り、量り売りのぶどうを求めます。<br /><br />

兵庫・三木を行く!

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2015/09/21 - 2015/09/21

27位(同エリア215件中)

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Huuma

Huumaさん

彼岸花を探しに、兵庫・三木方面へ出かけます、稲穂が頭をさげて刈り取りを待っている、静かな晩夏の一日です。幾度も通っている街道ですが、今まで特に注意して見てきていないところがたくさんあります。今回は、少し三木の歴史にもふれながら歩いてみます。

行程は次のとおりです。 

 御坂サイフォン橋〜御坂神社〜大谷山伽耶院〜十割そばの店 播州三木一休庵〜竹中半兵衛の墓〜旧玉置家住宅〜三木城跡

  途中平井山観光ぶどう園に寄り、量り売りのぶどうを求めます。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 三木市志染町御坂(しじみちょうみさか)に着きました、渋柿でしょうか熟しています。

    三木市志染町御坂(しじみちょうみさか)に着きました、渋柿でしょうか熟しています。

  • 御坂サイフォン橋<br /><br />橋の半分左側が、石造アーチ橋、右側がコンクリートアーチ橋です。

    御坂サイフォン橋

    橋の半分左側が、石造アーチ橋、右側がコンクリートアーチ橋です。

  • 御坂サイフォン橋(通称、眼鏡橋)<br /><br />淡河(おうご)川山田川疎水事業の一つとして、<br />淡河川(神戸市北区淡河町)から加古台地への引水のために、1891年(明治24)に設置、わが国初のサイフォン(噴水管)工法が用いられました。<br />1953年、並んで下流に鉄筋コンクリート製のめがね橋が造られました。<br /><br />写真のこちらが、コンクリート橋、後ろに並んで見えるのが石造アーチ橋<br /><br /><br />

    御坂サイフォン橋(通称、眼鏡橋)

    淡河(おうご)川山田川疎水事業の一つとして、
    淡河川(神戸市北区淡河町)から加古台地への引水のために、1891年(明治24)に設置、わが国初のサイフォン(噴水管)工法が用いられました。
    1953年、並んで下流に鉄筋コンクリート製のめがね橋が造られました。

    写真のこちらが、コンクリート橋、後ろに並んで見えるのが石造アーチ橋


  • 現在の御坂サイフォン図<br /><br />呑口水槽と出口水槽の高低差(2.45m)を利用して水を送る仕組み

    現在の御坂サイフォン図

    呑口水槽と出口水槽の高低差(2.45m)を利用して水を送る仕組み

  • 石造橋とコンクリート橋

    石造橋とコンクリート橋

  • 御坂サイフォン橋詰の彼岸花

    御坂サイフォン橋詰の彼岸花

  • 近くのコスモス

    近くのコスモス

  • ツユクサにハチ

    ツユクサにハチ

  • 御坂神社<br /><br />

    御坂神社

  • 御坂神社拝殿<br /><br />創建  不明ながら延喜式の神名帳に登載されている神社<br />主祭神 八戸掛須御諸神

    御坂神社拝殿

    創建  不明ながら延喜式の神名帳に登載されている神社
    主祭神 八戸掛須御諸神

  • 大谷山伽那院(おおたにさんがやいん)仁王門<br /><br />“ 内部に安置されている尊像は行基菩薩作と伝えられる金剛力士ではあるが天正年間秀吉の三木城攻めに際して頭部及び脚部を焼失したと伝えられている。建物は大正時代の再建・・・・”と説明されています。

    大谷山伽那院(おおたにさんがやいん)仁王門

    “ 内部に安置されている尊像は行基菩薩作と伝えられる金剛力士ではあるが天正年間秀吉の三木城攻めに際して頭部及び脚部を焼失したと伝えられている。建物は大正時代の再建・・・・”と説明されています。

  • 伽那院 二天堂

    伽那院 二天堂

  • 大谷山伽那院本堂と多宝塔<br /><br />本堂  伝慶長15年(1610) 本尊 毘沙門天(平安末期作) <br />    いずれも国の重要文化財<br />多宝塔 正保4年(1647)弥勒菩薩を安置 国の重要文化財

    大谷山伽那院本堂と多宝塔

    本堂  伝慶長15年(1610) 本尊 毘沙門天(平安末期作) 
        いずれも国の重要文化財
    多宝塔 正保4年(1647)弥勒菩薩を安置 国の重要文化財

  • 毘沙門天立像<br /><br />伽耶院本堂内掲載図<br /><br />

    毘沙門天立像

    伽耶院本堂内掲載図

  • 大谷山伽耶院御朱印

    大谷山伽耶院御朱印

  • 伽耶院境内の赤と白の彼岸花にとまるクロアゲハチョウ

    伽耶院境内の赤と白の彼岸花にとまるクロアゲハチョウ

  • テントウムシ

    テントウムシ

  • 伽耶院境内の彼岸花

    伽耶院境内の彼岸花

  • 伽耶院境内の小さな花にとまるアリ

    伽耶院境内の小さな花にとまるアリ

  • お地蔵さんと彼岸花

    お地蔵さんと彼岸花

  • 可愛いお地蔵さん

    可愛いお地蔵さん

  • 行者堂(寛永7年・1631)と護摩道場<br /><br />不動明王の智火で煩脳を焼きつくそうとする儀式 採燈大護摩、今年は10月12日(月)執行予定で、ご住職さまのお話では200名余りの山伏修験者が参集されるそうです。

    行者堂(寛永7年・1631)と護摩道場

    不動明王の智火で煩脳を焼きつくそうとする儀式 採燈大護摩、今年は10月12日(月)執行予定で、ご住職さまのお話では200名余りの山伏修験者が参集されるそうです。

  • 伽耶院の前の“断層”<br /><br />柱状節理と呼ばれる神戸層群の特異な露岩、やや右寄りにタテに直線の断層が走りその左右では岩層が約1m食い違い更に右側部分は大きく波打っている。かってこの付近を襲った大地震のあとである。・・と説明があります。

    伽耶院の前の“断層”

    柱状節理と呼ばれる神戸層群の特異な露岩、やや右寄りにタテに直線の断層が走りその左右では岩層が約1m食い違い更に右側部分は大きく波打っている。かってこの付近を襲った大地震のあとである。・・と説明があります。

  • 白鷺も彼岸花をめでています。

    白鷺も彼岸花をめでています。

  • 十割そばの播州三木一休庵で頂きます。

    十割そばの播州三木一休庵で頂きます。

    播州三木一休庵 グルメ・レストラン

  • 十割そば(大盛り)と巻き寿司セットで 1,200円<br /><br />巻き寿司は2本(1本8きれ 500円)持ち帰りの追加注文しました。<br /><br />月初の福島猪苗代町の十割そばよりかためですが美味しかったです。<br /><br />巻き寿司も具も良く、ボリュウムあり満足でした。

    十割そば(大盛り)と巻き寿司セットで 1,200円

    巻き寿司は2本(1本8きれ 500円)持ち帰りの追加注文しました。

    月初の福島猪苗代町の十割そばよりかためですが美味しかったです。

    巻き寿司も具も良く、ボリュウムあり満足でした。

  • 竹中半兵衛の墓<br /><br />軍略兵法家、初め斎藤龍興に属し、後に織田信長に従い、秀吉と共に各地に転戦し殊勲をたてる。三木城攻防戦がたけなわの頃、平井山の陣中で胸を病み、一時は京都に移って療養したが、ここ平井に戻り36歳で永没した。黒田官兵衛と共に二人の軍師としての人間模様は、よく知られているとおり。

    竹中半兵衛の墓

    軍略兵法家、初め斎藤龍興に属し、後に織田信長に従い、秀吉と共に各地に転戦し殊勲をたてる。三木城攻防戦がたけなわの頃、平井山の陣中で胸を病み、一時は京都に移って療養したが、ここ平井に戻り36歳で永没した。黒田官兵衛と共に二人の軍師としての人間模様は、よく知られているとおり。

    竹中半兵衛の墓 名所・史跡

  • 旧玉置家住宅(国登録有形文化財)<br /><br />切手会所(切手札を発行して金、銀と交換する処)<br />表側の江戸時代(文政9年・1826)建設と、奥側明治18年頃以降の増築部分があります。<br /><br />

    旧玉置家住宅(国登録有形文化財)

    切手会所(切手札を発行して金、銀と交換する処)
    表側の江戸時代(文政9年・1826)建設と、奥側明治18年頃以降の増築部分があります。

  • 旧玉置家住宅店奥(母屋)の一部

    旧玉置家住宅店奥(母屋)の一部

  • 旧玉置家住宅台所<br /><br />当時使われた5つのかまどがあります。

    旧玉置家住宅台所

    当時使われた5つのかまどがあります。

  • 渡り廊下<br /><br />土地の傾斜に沿った造り。

    渡り廊下

    土地の傾斜に沿った造り。

  • 土蔵

    土蔵

  • ユニークな表情をした“ひょっとこ蔵”

    ユニークな表情をした“ひょっとこ蔵”

  • 三木城址登り口

    三木城址登り口

  • 三木城跡

    三木城跡

  • 別所長治像<br /><br />三木城を居城として東播磨地方を領有した戦国大名別所氏五代、13歳で当主となる。<br /><br />織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、ほぼ2年間にわたり三木城を攻め、兵糧攻めにしたことから、三木合戦といわれるこの戦いは、“三木の干殺し”と呼ばれている。長治は、飢えに苦しむ家臣・領民の命を救うことを条件に一族と共に自決、享年23歳の若さであったといわれる。

    別所長治像

    三木城を居城として東播磨地方を領有した戦国大名別所氏五代、13歳で当主となる。

    織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、ほぼ2年間にわたり三木城を攻め、兵糧攻めにしたことから、三木合戦といわれるこの戦いは、“三木の干殺し”と呼ばれている。長治は、飢えに苦しむ家臣・領民の命を救うことを条件に一族と共に自決、享年23歳の若さであったといわれる。

  • 三木合戦図の最後の処、別所長治はじめ一族自決の場

    三木合戦図の最後の処、別所長治はじめ一族自決の場

  • 帰路の途中、農業公園ワイナリー“六甲のめぐみ”に立ち寄り、野菜を調達、イチジクとピーナツのソフトクリームを頂いて家路に就きました。

    帰路の途中、農業公園ワイナリー“六甲のめぐみ”に立ち寄り、野菜を調達、イチジクとピーナツのソフトクリームを頂いて家路に就きました。

    六甲のめぐみ お土産屋・直売所・特産品

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この旅行記へのコメント (1)

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  • 蔦之丞さん 2015/09/25 10:57:21
    三木に行った事はありますが
    Huuma様
     おはようございます!
    三木の馬事公苑に乗馬の試合に行った事がありますが
    どこも観光しなくて
    Huumaさんの旅行記を拝見させて頂きまして
    少し垣間見る事ができました
    ありがとうございます!
    また、次の旅行記を楽しみにしております。
               蔦之丞

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