コロンボ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
スリランカの独立記念館や、コロンボの海岸で見学したインド洋の夜景等の紹介です。今回のスリランカ旅行での最後の見学となりました。海岸に向かう途中、車窓から各国の大使館が見学できました。その中には日本大使館もありました。日本大使館だけは、車を止めての見学ができました。

2011夏、スリランカ旅行記(37/46):コロンボ、日本大使館、独立記念館、インド洋の夜景

3いいね!

2011/07/01 - 2011/07/07

481位(同エリア554件中)

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

スリランカの独立記念館や、コロンボの海岸で見学したインド洋の夜景等の紹介です。今回のスリランカ旅行での最後の見学となりました。海岸に向かう途中、車窓から各国の大使館が見学できました。その中には日本大使館もありました。日本大使館だけは、車を止めての見学ができました。

PR

  • バスの中から眺めた日本国大使館です。この辺り一帯は、各国の大使館が並んでいました。高い塀と厳重な警戒などで直ぐに判断が付きます。

    バスの中から眺めた日本国大使館です。この辺り一帯は、各国の大使館が並んでいました。高い塀と厳重な警戒などで直ぐに判断が付きます。

  • 日本国大使館の正面光景です。下車をしての見学ではありませんが、撮影しやすいよう、バスが正面入口までバックしてくれました。門柱の赤い罰点が少し気になりました。

    日本国大使館の正面光景です。下車をしての見学ではありませんが、撮影しやすいよう、バスが正面入口までバックしてくれました。門柱の赤い罰点が少し気になりました。

  • スリランカの独立記念館に到着しました。ここでは、下車しての見学です。スリランカは、1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立、1972年にスリランカ共和国に改称しました。1978年からは、議院内閣制から大統領制に移行し、『スリランカ民主社会主義共和国』の現国名となりました。

    スリランカの独立記念館に到着しました。ここでは、下車しての見学です。スリランカは、1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立、1972年にスリランカ共和国に改称しました。1978年からは、議院内閣制から大統領制に移行し、『スリランカ民主社会主義共和国』の現国名となりました。

  • 独立記念館をバックにした、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ初代大統領(1906〜1996年)の銅像です。ジャヤワルダナ大統領は、1951年にサンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席し、『憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む』という仏陀の言葉を引用して、日本に対する賠償請求を放棄する演説を行いました。

    独立記念館をバックにした、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ初代大統領(1906〜1996年)の銅像です。ジャヤワルダナ大統領は、1951年にサンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席し、『憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む』という仏陀の言葉を引用して、日本に対する賠償請求を放棄する演説を行いました。

  • ユニークな獅子像です。ジャヤワルダナ初代大統領の像の脇にありました。今回の御同行の方の中に、ジャヤワルダナ初代大統領に付いての現在のスリランカでの評価を確認されている方がいました。旅行のテーマとして、友達からの依頼もあったようです。その詳細は割愛しますが、スリランカでは世代交代により、業績についての評価が分かれているようでした。

    ユニークな獅子像です。ジャヤワルダナ初代大統領の像の脇にありました。今回の御同行の方の中に、ジャヤワルダナ初代大統領に付いての現在のスリランカでの評価を確認されている方がいました。旅行のテーマとして、友達からの依頼もあったようです。その詳細は割愛しますが、スリランカでは世代交代により、業績についての評価が分かれているようでした。

  • 同じく、ジャヤワルダナ初代大統領の像の脇にあった獅子像です。ジャヤワルダナ初代大統領は、退任後、自ら希望して1989年の昭和天皇の大喪の礼に出席されました。この時の日本政府の待遇は、現職の国家元首と同様の国賓扱いでした。

    同じく、ジャヤワルダナ初代大統領の像の脇にあった獅子像です。ジャヤワルダナ初代大統領は、退任後、自ら希望して1989年の昭和天皇の大喪の礼に出席されました。この時の日本政府の待遇は、現職の国家元首と同様の国賓扱いでした。

  • 獅子像を右手に入れて、独立記念館の建物光景です。シンハラ建築の特徴とされる、中折れの屋根構造でした。

    獅子像を右手に入れて、独立記念館の建物光景です。シンハラ建築の特徴とされる、中折れの屋根構造でした。

  • なんとなく、行儀のよいワンちゃんに見えてしまいますが、並んでいるのは獅子像でした。石造のようですが、表面がざらついて、余り質は良くない石材のようでした。

    なんとなく、行儀のよいワンちゃんに見えてしまいますが、並んでいるのは獅子像でした。石造のようですが、表面がざらついて、余り質は良くない石材のようでした。

  • 独立記念館の前に並ぶ獅子像の光景です。獅子像を見ますと、紀元前のエジプト文明のスフィンクスを、つい、連想してしまいます。中国の獅子像も、日本の狛犬も同じ起源のように思えてしまうからです。

    独立記念館の前に並ぶ獅子像の光景です。獅子像を見ますと、紀元前のエジプト文明のスフィンクスを、つい、連想してしまいます。中国の獅子像も、日本の狛犬も同じ起源のように思えてしまうからです。

  • 吹き抜けになった独立記念館の内部光景です。旗で飾られ、壁の上部にはスリランカの歴史を物語る絵がありました。

    吹き抜けになった独立記念館の内部光景です。旗で飾られ、壁の上部にはスリランカの歴史を物語る絵がありました。

  • 28番の番号が付いた絵です。誇らしげに旗を掲げているのは、スリランカ、当時のセイロンの独立を表わしているようです。

    28番の番号が付いた絵です。誇らしげに旗を掲げているのは、スリランカ、当時のセイロンの独立を表わしているようです。

  • 独立記念館の上から眺めた光景です。西洋風の庭園が造られていました。コロンボ市民の憩いの場にもなっているようでした。

    独立記念館の上から眺めた光景です。西洋風の庭園が造られていました。コロンボ市民の憩いの場にもなっているようでした。

  • ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大統領の銅像の背後から眺めた光景です。1996年、死去に際し献眼、角膜提供しました。『右目はスリランカ人に、左目は日本人に』との遺言により、片目は日本に贈られました。日本にとっては大恩人です。

    ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大統領の銅像の背後から眺めた光景です。1996年、死去に際し献眼、角膜提供しました。『右目はスリランカ人に、左目は日本人に』との遺言により、片目は日本に贈られました。日本にとっては大恩人です。

  • スリランカ旅行の最後に見学したのは、インド洋の夕暮れ光景です。旅行の締め括りに相応しい場所でした。

    スリランカ旅行の最後に見学したのは、インド洋の夕暮れ光景です。旅行の締め括りに相応しい場所でした。

  • 現地ガイドさんが時間を調整して、一番いい時間インド洋を眺めることが出来る海岸に連れてきてくれたようです。空にはまだ青空が残っていましたが、夕日の時間でした。

    現地ガイドさんが時間を調整して、一番いい時間インド洋を眺めることが出来る海岸に連れてきてくれたようです。空にはまだ青空が残っていましたが、夕日の時間でした。

  • 青空が、次第に茜色に塗り変わっていく時間帯です。残照がインド洋を微かに明るくしていました。水平線に雲があるのが残念ですが、これ以上を望むのは贅沢かもしれません。

    青空が、次第に茜色に塗り変わっていく時間帯です。残照がインド洋を微かに明るくしていました。水平線に雲があるのが残念ですが、これ以上を望むのは贅沢かもしれません。

  • 海岸での凧揚げ光景です。最近、中国系の方の進出が多いようですから、華僑の方達の凧揚げでしょうか。スリランカ北部の過激派掃討には、中国製の武器が多く使われたともお聞きしました。

    海岸での凧揚げ光景です。最近、中国系の方の進出が多いようですから、華僑の方達の凧揚げでしょうか。スリランカ北部の過激派掃討には、中国製の武器が多く使われたともお聞きしました。

  • 砂浜から、沖合に向かって突き出した桟橋です。インド洋の景色を眺めるためのテラスでした。夕日を眺める人で溢れていました。

    砂浜から、沖合に向かって突き出した桟橋です。インド洋の景色を眺めるためのテラスでした。夕日を眺める人で溢れていました。

  • 日没での時間です。残念ながら、海面の上に雲の層がありましたから、インド洋に沈む瞬間の夕日の光景は見ることが出来ませんでした。

    日没での時間です。残念ながら、海面の上に雲の層がありましたから、インド洋に沈む瞬間の夕日の光景は見ることが出来ませんでした。

  • 空に残照が残っていますが、もう、夕日の姿を見ることは出来ません。残照に照らされたインド洋の波と、繰り返される音を聴くだけです。

    空に残照が残っていますが、もう、夕日の姿を見ることは出来ません。残照に照らされたインド洋の波と、繰り返される音を聴くだけです。

  • インド洋の砕け散る白波と、浜辺でそれを見学する人達の後ろ姿です。

    インド洋の砕け散る白波と、浜辺でそれを見学する人達の後ろ姿です。

  • 次々に押し寄せる荒波の光景です。波頭が砕けて白い泡となり、岸辺に押し寄せていました。波のリズムには、飽きさせない何かを感じます。

    次々に押し寄せる荒波の光景です。波頭が砕けて白い泡となり、岸辺に押し寄せていました。波のリズムには、飽きさせない何かを感じます。

  • 次々に押し寄せる荒波の光景です。波頭が砕けて白い泡となり、岸辺に押し寄せていました。波のリズムには、飽きさせない何かを感じます。

    次々に押し寄せる荒波の光景です。波頭が砕けて白い泡となり、岸辺に押し寄せていました。波のリズムには、飽きさせない何かを感じます。

  • 人の顔がはっきりとは分からないようになりました。既に日が沈みました。この方たちも家路を急いでいるようでした。

    人の顔がはっきりとは分からないようになりました。既に日が沈みました。この方たちも家路を急いでいるようでした。

  • 海岸光景です。砂浜の前には石畳の通路が整備されていました。

    海岸光景です。砂浜の前には石畳の通路が整備されていました。

  • コロンボの高層ビルのシルエットです。ヒルトンホテルが、一番右に半分程見えています。海岸の北方面の光景です。

    コロンボの高層ビルのシルエットです。ヒルトンホテルが、一番右に半分程見えています。海岸の北方面の光景です。

  • 最初に凧あげを見学した南方面の光景です。暗い中、まだ凧あげが続いていました。

    最初に凧あげを見学した南方面の光景です。暗い中、まだ凧あげが続いていました。

  • インド洋を見学する人達の姿が、次第にシルエットになってきました。海岸の北方面の光景です。前方に岬が見えています。

    インド洋を見学する人達の姿が、次第にシルエットになってきました。海岸の北方面の光景です。前方に岬が見えています。

  • これで、インド洋の夕暮れ見学はお終いです。ジャワ島沖のマグニチュード9を超える大地震の時には、スリランカだけでも3万人以上の人が津波で亡くなったとされます。こちらの西海岸ではなく、ベンガル湾に面した東海岸での被害だったようです。

    これで、インド洋の夕暮れ見学はお終いです。ジャワ島沖のマグニチュード9を超える大地震の時には、スリランカだけでも3万人以上の人が津波で亡くなったとされます。こちらの西海岸ではなく、ベンガル湾に面した東海岸での被害だったようです。

  • インド洋の夕日を見学した後、夕食のレストランに向かう途中での撮影です。近代的なデザインの建物がありました。ネット情報にこの建物のことがありましたが、メモを忘れました。

    インド洋の夕日を見学した後、夕食のレストランに向かう途中での撮影です。近代的なデザインの建物がありました。ネット情報にこの建物のことがありましたが、メモを忘れました。

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

スリランカで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
スリランカ最安 609円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

スリランカの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP