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JR横須賀線北鎌倉駅から徒歩で約15分にある巨福山・建長寺(けんちょうじ、神奈川県鎌倉市山ノ内)は鎌倉時代に第5代執権北条時頼(ほうじょう・ときより)が開基とする臨済宗建長寺派の寺院で鎌倉五山の筆頭に挙げられる名刹です。<br /><br /><br />現地で入手した三つ折りのパンフレットによればその縁起は次の通りです。<br /><br />『 建長寺縁起<br /><br />建長寺は巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。今から約760年前建長5年(1253)に鎌倉幕府五代執権北条時頼(1227~1263)が建立したわが国最初の禅寺です。<br /><br />建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆は、中国の高僧無明慧性に学び、寛元4年(1246)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられました。蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導しました。その教えは現在国宝として寺に残る「法語規則」に見ることが出来ます。<br /><br />「鞭形を見て後に行くは即ち良馬に非らず、訓示を待て志を発するは実に好僧に非らず~」 『法語規則』<br /><br />蘭渓道隆はその後、京都の建仁寺、甲斐の東光寺等にも移り、弘安元年(1278)に再び建長寺へ帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜りました。これは日本で最初の禅師号です。尚、「建長汁」は建長寺発祥の料理です。<br /><br />北条時頼は、建長寺を建立し、大覚禅師や、第二世住職兀庵普寧に師事し、禅の教えに深く帰依しました。また、時の権力者として経済的にも建長寺を支え、全国的に全集を広め、自らも出家して法名を覚了房道崇と名乗りました。』<br />

相模鎌倉 鎌倉幕府第5代執権北条時頼建立による日本最初の禅宗専門道場で鎌倉五山筆頭寺『建長寺』散歩

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2013/10/19 - 2013/10/19

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR横須賀線北鎌倉駅から徒歩で約15分にある巨福山・建長寺(けんちょうじ、神奈川県鎌倉市山ノ内)は鎌倉時代に第5代執権北条時頼(ほうじょう・ときより)が開基とする臨済宗建長寺派の寺院で鎌倉五山の筆頭に挙げられる名刹です。


現地で入手した三つ折りのパンフレットによればその縁起は次の通りです。

『 建長寺縁起

建長寺は巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。今から約760年前建長5年(1253)に鎌倉幕府五代執権北条時頼(1227~1263)が建立したわが国最初の禅寺です。

建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆は、中国の高僧無明慧性に学び、寛元4年(1246)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられました。蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導しました。その教えは現在国宝として寺に残る「法語規則」に見ることが出来ます。

「鞭形を見て後に行くは即ち良馬に非らず、訓示を待て志を発するは実に好僧に非らず~」 『法語規則』

蘭渓道隆はその後、京都の建仁寺、甲斐の東光寺等にも移り、弘安元年(1278)に再び建長寺へ帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜りました。これは日本で最初の禅師号です。尚、「建長汁」は建長寺発祥の料理です。

北条時頼は、建長寺を建立し、大覚禅師や、第二世住職兀庵普寧に師事し、禅の教えに深く帰依しました。また、時の権力者として経済的にも建長寺を支え、全国的に全集を広め、自らも出家して法名を覚了房道崇と名乗りました。』

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 建長寺

    建長寺

  • 建長寺・総門

    建長寺・総門

  • 建長寺・境内絵図

    建長寺・境内絵図

  • 建長寺・総門扁額<br /><br />「天下禅林」と揮毫されています。中国明時代の書家である「竹西」の揮毫だそうです。

    建長寺・総門扁額

    「天下禅林」と揮毫されています。中国明時代の書家である「竹西」の揮毫だそうです。

  • 建長寺・総門<br /><br />『巨福門ともいい、天明3年(1780)に建立された京都の槃舟三昧院の門を昭和15年に移築しました。額の「巨福山」は建長寺第十世住職一山一寧の筆によるもので、巨の字に筆勢による1点を加え巨とし、百貫の価値をそなえたものといい、世に百貫点といいます。方丈もその時一緒に、移築されました。』(パンフレット)<br /><br />

    建長寺・総門

    『巨福門ともいい、天明3年(1780)に建立された京都の槃舟三昧院の門を昭和15年に移築しました。額の「巨福山」は建長寺第十世住職一山一寧の筆によるもので、巨の字に筆勢による1点を加え巨とし、百貫の価値をそなえたものといい、世に百貫点といいます。方丈もその時一緒に、移築されました。』(パンフレット)

  • 建長寺・総門説明板

    建長寺・総門説明板

  • 建長寺・総門扁額<br /><br />入口には「巨福山」と描かれています。

    建長寺・総門扁額

    入口には「巨福山」と描かれています。

  • 建長寺・三門(重要文化財)<br /><br />『三解脱門の略で、楼上に五百羅漢などを安置しその下を通ると心が清浄になることを祈念しています。安永4年(1775)に、第二百一世住職万拙せき誼が関東一円から浄財を募って再建したもので、別名「狸の三門」といわれています。これは三門建立の折、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶の姿に身を代えて住職の化縁を助けて大活躍したという言い伝えによります。』(パンフレット)

    建長寺・三門(重要文化財)

    『三解脱門の略で、楼上に五百羅漢などを安置しその下を通ると心が清浄になることを祈念しています。安永4年(1775)に、第二百一世住職万拙せき誼が関東一円から浄財を募って再建したもので、別名「狸の三門」といわれています。これは三門建立の折、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶の姿に身を代えて住職の化縁を助けて大活躍したという言い伝えによります。』(パンフレット)

  • 建長寺・三門扁額<br /><br />頭上には「建長興国禅寺」と描かれています。<br /><br /><br />

    建長寺・三門扁額

    頭上には「建長興国禅寺」と描かれています。


  • 建長寺・三門

    建長寺・三門

  • 建長寺・参道

    建長寺・参道

  • 方向板

    方向板

  • 方向板

    方向板

  • 建長寺・仏殿

    建長寺・仏殿

  • 建長寺・ビャクシン(名勝史跡・新日本名木百選)<br /><br />『仏殿の前栽として参拝道の両側に7本のビャクシンの古木があります。この庭は中国宋代の前庭様式を踏襲したもので、古木の中には幹回りが7mのものもあり、創建当時から700年もの歳月と幾度かの火災を生き抜いてきた貴重なものです。大覚禅師のお手植えと言われています。』(パンフレット)

    建長寺・ビャクシン(名勝史跡・新日本名木百選)

    『仏殿の前栽として参拝道の両側に7本のビャクシンの古木があります。この庭は中国宋代の前庭様式を踏襲したもので、古木の中には幹回りが7mのものもあり、創建当時から700年もの歳月と幾度かの火災を生き抜いてきた貴重なものです。大覚禅師のお手植えと言われています。』(パンフレット)

  • 建長寺・ビャクシン劣化対策説明板

    建長寺・ビャクシン劣化対策説明板

  • 建長寺・仏殿(重要文化財)<br /><br />『当寺の本尊地蔵菩薩を安置し、法要を行うお堂です。正保4年(1647)に、東京・芝の増上寺より徳川二代将軍秀忠の夫人でお督の方(崇源院)の霊屋を移築したものです。』(パンフレット)

    建長寺・仏殿(重要文化財)

    『当寺の本尊地蔵菩薩を安置し、法要を行うお堂です。正保4年(1647)に、東京・芝の増上寺より徳川二代将軍秀忠の夫人でお督の方(崇源院)の霊屋を移築したものです。』(パンフレット)

  • 建長寺・仏殿<br /><br />本尊の「地蔵菩薩像」が配されています。

    建長寺・仏殿

    本尊の「地蔵菩薩像」が配されています。

  • 建長寺・仏殿説明板

    建長寺・仏殿説明板

  • 建長寺・法堂(はっとう)(重要文化財)<br /><br />『法堂とは住職が仏に代わって須弥壇上で説法するためのお堂でねん華堂とも言います。本来、仏像は祀りませんが今は千手観音菩薩を祀っています。文化11年(1814)に再建され、木造建築では関東最大のものです。』(パンフレット)

    建長寺・法堂(はっとう)(重要文化財)

    『法堂とは住職が仏に代わって須弥壇上で説法するためのお堂でねん華堂とも言います。本来、仏像は祀りませんが今は千手観音菩薩を祀っています。文化11年(1814)に再建され、木造建築では関東最大のものです。』(パンフレット)

  • 建長寺・法堂(はっとう)

    建長寺・法堂(はっとう)

  • 建長寺・法堂扁額<br /><br />

    建長寺・法堂扁額

  • 建長寺・法堂(はっとう)説明板

    建長寺・法堂(はっとう)説明板

  • 建長寺・唐門(勅使門・重要文化財)<br /><br />『唐門とは、屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門のことで、中国式という意味ではありません。元は、崇源院霊屋(現仏殿)の前の門です。』

    建長寺・唐門(勅使門・重要文化財)

    『唐門とは、屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門のことで、中国式という意味ではありません。元は、崇源院霊屋(現仏殿)の前の門です。』

  • 建長寺・方丈(龍王殿)

    建長寺・方丈(龍王殿)

  • 建長寺・方丈(龍王殿)説明板

    建長寺・方丈(龍王殿)説明板

  • 建長寺・庭園(名勝史跡)<br /><br />『方丈(龍王殿)の背後にあり、大覚禅師の作庭でさん碧地を中心とした貴賓を応接するための禅寺を象徴する庭園です。江戸時代に改修され、池の中に島をおき、橋を架け、池の辺には石、松等を配し半僧坊を背景とする?酒な名園です。』(パンフレット)

    建長寺・庭園(名勝史跡)

    『方丈(龍王殿)の背後にあり、大覚禅師の作庭でさん碧地を中心とした貴賓を応接するための禅寺を象徴する庭園です。江戸時代に改修され、池の中に島をおき、橋を架け、池の辺には石、松等を配し半僧坊を背景とする?酒な名園です。』(パンフレット)

  • 建長寺・庭園

    建長寺・庭園

  • 建長寺・庭園

    建長寺・庭園

  • 建長寺・庭園説明板

    建長寺・庭園説明板

  • 建長寺・庭園

    建長寺・庭園

  • 建長寺・参道

    建長寺・参道

  • 建長寺・梵鐘(国宝)

    建長寺・梵鐘(国宝)

  • 建長寺・梵鐘(国宝)重さ2.7トン<br /><br />『建長7年(1255)に、大和権守物部重光が鋳造したもので、大覚禅師による建長禅寺の銘文が浮き彫りにされている名鐘です。』(パンフレット)

    建長寺・梵鐘(国宝)重さ2.7トン

    『建長7年(1255)に、大和権守物部重光が鋳造したもので、大覚禅師による建長禅寺の銘文が浮き彫りにされている名鐘です。』(パンフレット)

  • 建長寺・梵鐘説明板

    建長寺・梵鐘説明板

  • 建長寺・境内文学案内板

    建長寺・境内文学案内板

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