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JR横須賀線鎌倉駅西口下車し銭洗弁天ルートで徒歩で役30分、葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ、神奈川県鎌倉市梶原)は後醍醐天皇の側近の一人日野俊基(ひの・としもと、生誕不詳~1332)を祀る神社で、明治維新後南朝が正統と認識されると、明治天皇が日野俊基に従三位を追贈して、明治20年(1887)に創建されたものです。<br /><br />神社の南側には石柵で囲まれた日野俊基の墓が配されており、鎌倉市由比ヶ浜の総鎮守とされています。<br /><br /><br />当該神社ホームページに記載の由緒については下記の通り紹介されています。<br /><br />『 御 由 緒<br /><br />葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣として鎌倉幕府打倒に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社です。<br /><br />俊基卿は幼い頃から学問の道に優れ、大変有能な人物であったので、後醍醐天皇より見出され、優秀な側近として活躍されました。<br /><br />当時、鎌倉幕府は悪政を続けており、後醍醐天皇は政治を正しい姿へと導くため、幕府を打倒する決意を固められ、計画を練られました。<br /><br />俊基卿も、後醍醐天皇の最も信頼の厚い側近のひとりとして計画に加わり、重要な役割を果たしておりました。<br /><br />ところが、正中元(1324)年、幕府打倒の計画は事前に察知され、俊基卿は捕らわれの身となって鎌倉へと送られてしまいました。<br /><br />しかし、俊基卿の身を心配された後醍醐天皇が鎌倉へ万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)卿を派遣、とりなしに努めたので、翌年には京都へと戻ることが出来ました。<br /><br />その後も、後醍醐天皇は屈せず鎌倉倒幕の計画を進められ、俊基枢卿も楠木正成を説得して味方にするなど、天皇をお助けしておりましたが、元弘元(1331)年、またも計画が幕府に知られ、俊基卿は天皇をかばうため、再び捕らわれの身となりました。<br /><br />鎌倉へ送られた俊基卿は計画の中心人物として、翌年元弘2(1332)年6月3日、幕府の手によって葛原岡にて悲劇のご最期を迎えられました。<br /><br />その間、後醍醐天皇による幕府打倒計画は着々と進められ、皇子の大塔宮護良親王の指揮のもと、楠木正成、新田義貞らの活躍により、俊基卿が葛原岡の露と消えられてから約一年後の元弘3(1333)年、ついに鎌倉幕府は滅亡しました。<br /><br />俊基卿自身は、その目で「建武の中興」を見ることなく、悲劇のご最期を迎えられましたが、明治天皇は俊基卿の足跡を明治維新の先駆けとして深く追慕せられ、明治17年勅旨をもって従三位を追贈され、同20年にご最後の地であるここ葛原岡に俊基卿を御祭神として神社を創建、宮内省寄りの下賜金をもって御社殿を造営、鎮座祭が執り行われました。<br /><br />以来、鎌倉由比ヶ浜の総鎮守として、また「建武の中興」への道を開かれたことから「開運の神様」、また文章博士として優れた能力発揮されたことから「学問の神様」として、今日でも広く全国各地より厚く崇敬されております。』

相模鎌倉 鎌倉幕府打倒を企てる後醍醐天皇の側近として活躍した日野俊基が祀られる『葛原岡神社』散歩.

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2013/10/19 - 2013/10/19

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR横須賀線鎌倉駅西口下車し銭洗弁天ルートで徒歩で役30分、葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ、神奈川県鎌倉市梶原)は後醍醐天皇の側近の一人日野俊基(ひの・としもと、生誕不詳~1332)を祀る神社で、明治維新後南朝が正統と認識されると、明治天皇が日野俊基に従三位を追贈して、明治20年(1887)に創建されたものです。

神社の南側には石柵で囲まれた日野俊基の墓が配されており、鎌倉市由比ヶ浜の総鎮守とされています。


当該神社ホームページに記載の由緒については下記の通り紹介されています。

『 御 由 緒

葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣として鎌倉幕府打倒に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社です。

俊基卿は幼い頃から学問の道に優れ、大変有能な人物であったので、後醍醐天皇より見出され、優秀な側近として活躍されました。

当時、鎌倉幕府は悪政を続けており、後醍醐天皇は政治を正しい姿へと導くため、幕府を打倒する決意を固められ、計画を練られました。

俊基卿も、後醍醐天皇の最も信頼の厚い側近のひとりとして計画に加わり、重要な役割を果たしておりました。

ところが、正中元(1324)年、幕府打倒の計画は事前に察知され、俊基卿は捕らわれの身となって鎌倉へと送られてしまいました。

しかし、俊基卿の身を心配された後醍醐天皇が鎌倉へ万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)卿を派遣、とりなしに努めたので、翌年には京都へと戻ることが出来ました。

その後も、後醍醐天皇は屈せず鎌倉倒幕の計画を進められ、俊基枢卿も楠木正成を説得して味方にするなど、天皇をお助けしておりましたが、元弘元(1331)年、またも計画が幕府に知られ、俊基卿は天皇をかばうため、再び捕らわれの身となりました。

鎌倉へ送られた俊基卿は計画の中心人物として、翌年元弘2(1332)年6月3日、幕府の手によって葛原岡にて悲劇のご最期を迎えられました。

その間、後醍醐天皇による幕府打倒計画は着々と進められ、皇子の大塔宮護良親王の指揮のもと、楠木正成、新田義貞らの活躍により、俊基卿が葛原岡の露と消えられてから約一年後の元弘3(1333)年、ついに鎌倉幕府は滅亡しました。

俊基卿自身は、その目で「建武の中興」を見ることなく、悲劇のご最期を迎えられましたが、明治天皇は俊基卿の足跡を明治維新の先駆けとして深く追慕せられ、明治17年勅旨をもって従三位を追贈され、同20年にご最後の地であるここ葛原岡に俊基卿を御祭神として神社を創建、宮内省寄りの下賜金をもって御社殿を造営、鎮座祭が執り行われました。

以来、鎌倉由比ヶ浜の総鎮守として、また「建武の中興」への道を開かれたことから「開運の神様」、また文章博士として優れた能力発揮されたことから「学問の神様」として、今日でも広く全国各地より厚く崇敬されております。』

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 葛原岡神社・参道

    葛原岡神社・参道

  • 葛原岡神社・参道

    葛原岡神社・参道

  • 葛原岡神社・取水舎

    葛原岡神社・取水舎

  • 葛原岡神社・拝殿

    葛原岡神社・拝殿

  • 葛原岡神社・説明板<br />『葛原岡神社<br />   御 祭 神   日野俊基卿<br />   例 大 祭   六月三日<br />   お祭り神事   六月三日に近い日曜日 於 鎌倉 由比ヶ浜<br /><br />御由緒<br /><br /> 鎌倉幕府の執政を北条氏から後醍醐天皇の親政にしようとして幕府に捕らえられ<br /> 元弘2年(西暦1332年)この葛原が岡で露と消えられた。<br /> 太平記 俊基朝臣再び関東下向の事に名文が綴られている。<br /><br />辞世の句<br /><br /> 秋を待たで葛原岡にき消ゆる身の<br /> 露のうらみや世に残るらむ <br /><br /> 古来一句 無死無生 万里雲尽 長江水清<br /><br />御墓所<br /><br /> 参道大鳥居の手前約五十米左手の<br /> 小高い処にあり史蹟に指定されている 』<br /> <br />

    葛原岡神社・説明板
    『葛原岡神社
       御 祭 神   日野俊基卿
       例 大 祭   六月三日
       お祭り神事   六月三日に近い日曜日 於 鎌倉 由比ヶ浜

    御由緒

     鎌倉幕府の執政を北条氏から後醍醐天皇の親政にしようとして幕府に捕らえられ
     元弘2年(西暦1332年)この葛原が岡で露と消えられた。
     太平記 俊基朝臣再び関東下向の事に名文が綴られている。

    辞世の句

     秋を待たで葛原岡にき消ゆる身の
     露のうらみや世に残るらむ 

     古来一句 無死無生 万里雲尽 長江水清

    御墓所

     参道大鳥居の手前約五十米左手の
     小高い処にあり史蹟に指定されている 』
     

  • 葛原岡神社・昇運の神龍<br /><br />約120年にわたって祭神を守ってきた神龍で旧本殿に収められていたそうです。

    葛原岡神社・昇運の神龍

    約120年にわたって祭神を守ってきた神龍で旧本殿に収められていたそうです。

  • 葛原岡神社・境内

    葛原岡神社・境内

  • 葛原岡神社・日野俊基処刑の場所

    葛原岡神社・日野俊基処刑の場所

  • 葛原岡神社・石碑

    葛原岡神社・石碑

  • 葛原岡神社内・合槌稲荷社社標

    葛原岡神社内・合槌稲荷社社標

  • 葛原岡神社内・相槌稲荷社鳥居・拝殿

    葛原岡神社内・相槌稲荷社鳥居・拝殿

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