2013/10/19 - 2013/10/19
4874位(同エリア7319件中)
滝山氏照さん
JR横須賀線北鎌倉駅より徒歩約10分の地に金宝山・浄智寺(じょうちじ、神奈川県鎌倉市山ノ内)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼(ほうじょう・ときより、1227~1263)三男である北条宗政(ほうじょう・むねまさ、1253~1281)の菩提を弔うため弘安4年(1281)頃に創建された臨済宗円覚寺派の名刹で鎌倉五山(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)の第四位でもあります。
文永の役・弘安の役で元軍の来襲に勝利した第8代執権北条時宗(ほうじょう・ときむね、1251~1284)は日頃より右腕として信頼を置いていた宗政の死去を弔うため宗政夫人を支えて浄智寺創建実現に注力し、併せて父を失った師時の養父として師時の養育に努めます。のちに師時(もろとき、1275~1311)は第10代執権に補任されます。
現地にて入手のパンフレットには下記の如く記載されています。
『 鎌倉五山 第四位 金宝山
臨済宗円覚寺派 浄 智 寺
<寺史>
浄智寺が創建された13世紀の終わりごろの鎌倉は、北条氏の勢力がきわめて盛大で禅宗がもっとも栄えた時期である。
<開基>
執権として有名な北条時頼の三男宗政が29歳の若さで弘安4年(1281)に没しているが、間もなく宗政夫人が一族の助けをえて寺を起こし、亡父と年少の師時を開基にしたと思われる。
<開山>
中国の名僧?庵普寧と仏源禅師大休正念(請待開山)、および日本僧の真応禅師南洲宏海(準開山)の三人が名をつらねている。
はじめ、開山に招かれた南洲宏海が、大任すぎると行って身をひき、師の大
休正念を請じて入仏供養の儀式をおこない、すでに世を去っていた師僧の?庵普寧を開山にたてたため、複雑な形になったらしい。南洲宏海は嘉元元年(1302)に死去し、以後、高峰顕日・夢窓疎石・清拙正澄・?仙梵?・古先印元などの高僧がつぎつぎに住職に迎えられている。
延文元年(1356)の火災で、初期の伽藍をうしなうが室町時代ごろには、方丈・書院・法堂・五百羅漢像を安置した三門・外門・行堂・伊那寮・僧堂などの主要な建物、あるいは蔵雲庵・正紹庵・正源庵・龍渕山真際精舎・?伽院・正覚庵・大円草庵・同証庵・正印庵・興福院・福正庵といった塔頭が建ちそろっていた。
戦国時代から江戸時代にはいると、鎌倉は農漁村になってさびれ、寺院の多くもしだいにかつての繁栄ぶりをうしなう。江戸時代の後期ごろには、仏殿・方丈・鐘楼・外門・惣門そして塔頭の中の八院などがあったが、これらの建物は大正12年の関東大震災でほとんど倒潰した。現在は三門。二階に鐘楼をさげた桜門や新しい仏殿の曇華殿・方丈・客殿などが伽藍を形造っている。
<環境>
浄智寺が建つ山ノ内地区は、鎌倉時代には全集を保護し、相次いで寺院を建てた北条氏の所領であったので、今でも禅刹が多い。山を挟んだ隣が駆け込み寺の東慶寺で、その向かいには円覚寺があり、建長寺も数分の場所にある。どの寺院も丘を背負い、鎌倉で谷戸と呼ぶ谷合に堂宇を並べている。
浄智寺も寺域が背後の谷戸に深くのび、竹や杉の多い境内に、長い歴史をもった禅刹にふさわしい閑寂なたたずまいを保つ。うら庭の隊道をぬけると、洞窟にミロくん菩薩の化身といわれる、布袋尊がまつられている。全域が、昭和43年3月、史跡に指定された。
参道入口の石橋のほとりにある甘露の井は鎌倉十丼の一つとして名高く、裏山天柱峰には名僧?仙梵?の供養塔や以前この地に住んだ英国の日本文化史研究家G・B・サンソムの記念碑がある。植物もゆたかで、梅・牡丹・ シヤガ(著我?)・夏椿などのほか、庭の白雲木が、五月には美しい花を開く。
参道右横の大木タチヒガン(さくら)は見事な美しさで神奈川県指定百選の一つになっている。また、仏殿横のコウヤマキは鎌倉第一の巨木で、鐘楼前のビャクシンととものに鎌倉市指定文化財である。以降<文化財>略 』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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