2013/09/15 - 2013/09/15
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ドクターキムルさん
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鎌倉市扇ガ谷1にある壽福寺(じゅふくじ)は臨済宗建長寺派の寺院で、山号を亀谷山(きこくさん)と称する。山門前の寺号標石には「壽福金剛禅寺」とある。鎌倉五山の第三位である。後の北条政子が栄西を開山に招いて、正治2年(1200年)に建立した。
後の北条政子というのは、頼朝の生前は御台所などと呼ばれ、没後は尼御台、あるいは尼将軍と呼ばれ、実の名前は伝わらないが、晩年になって朝廷から官位を授かる際に政子として申請している。また、政子は亡くなると源氏の氏寺であった勝長寿院に埋葬されたが、源ではなく実家の北条性で呼ばれている。戒名は安養院殿如実妙観大禅定尼で、大町にある安養院にその名が付いている。
この地は、昔、奥州征伐に向かう源頼義が勝利を祈願したと云われる源氏山を背にした源氏家父祖伝来の地である。また源頼朝の父・義朝の居館があった所でもあるが、義朝は逗子に館を構え、この地の館は長男の鎌倉悪源太義平に譲ったものであろう。頼朝は源氏の棟梁として父・義朝を次いだのであって、兄・義平を次いだのではないはずだ。現存していた逗子の義朝の館に入らないで館もない鎌倉に入ったのは、言われているような源氏縁(ゆかり)の地というよりは、三方を山に囲まれていて守り易いと判断してのことであろう。安養院は頼朝没直後に菩提を弔うために壽福寺を創建し、逗子の義朝の館から建物を移築したという。穿った見方をすれば義平色を払拭し、頼朝の父・義朝の館跡として壽福寺の立地を改めたのではあるまいか?
中門と山門の間に敷かれた石畳の参道にはキジバト(雉鳩、別名ヤマバト(山鳩))がたむろし、飛んで逃げるでもない。よほど私が穏やかな気持ちでいたことだろうか。
(表紙写真は壽福寺仏殿)
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