2013/05/18 - 2013/05/18
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ドクターキムルさん
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鎌倉幕府4代執権・北条経時が浄土宗の高僧・然阿良忠(1199年〜1287年)を開山として、仁治元年(1240年)鎌倉の佐助ヶ谷に開創した真言宗の蓮華寺が当寺の起源とされる。寛元元年(1243年)現在地に移築され、光明寺と改称した。別伝では、北条氏の一族である大仏朝直(おさらぎともなお、1206年〜64年の)が建立した悟心寺が元で、これが後に蓮華寺、さらに光明寺に改称したともいう。
室町時代には中興開山とされる祐崇上人によって復興。明応4年(1495年)には後土御門天皇より勅願寺に定められている。
江戸時代には、徳川家康が定めた浄土宗の学問所18ヶ寺である関東十八檀林の第一位の寺として栄えた。光明寺の正式名称は天照山蓮華院光明寺という。また、光明寺塔頭蓮乗院は光明寺の修行道場であった。
光明寺開山の然阿良忠上人が、落成までの間、当院に居住したことから、今でも光明寺の新住職はいったん当院に入ってから改めて光明寺方丈に向かうという慣例が残っている。
本尊の阿弥陀如来は高さ81.5cmの寄木造で、御家人・千葉常胤の守護仏だったといい、正安元年(1299年)の作とされる。鎌倉三十三所霊場第19番札所である。
本堂屋根には唐獅子の飾り瓦と蕾付き牡丹の飾り瓦が上がっている。住職にそのいわれを尋ねたが知らなかった。鎌倉では蕾付き牡丹の飾り瓦は宝戒寺本堂に上がっている。また、最近までは教恩寺本堂にも上がっていた。一般には聖徳太子縁の寺院に上がる飾り瓦であるが、宝戒寺のように太子堂などはない。
「鐘楼裏手に砲弾を墓石にしていたお墓があったのですが、今見たら新しくなっていて‥。」と言うと、すぐさま「個人情報なので答えられません。」と言われた。戦前に建てられたお墓の人が「個人云々」というよりは故人であろう。
(表紙写真は蓮乗院本堂)
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