2013/04/14 - 2013/04/14
113位(同エリア164件中)
mingさん
かつてトルファンはシルクロードの要衝の地として栄えた。東西文化が融合した美しい壁画を残すベゼクリク千仏洞はイスラム教徒や世界列強の探検隊に破壊され、その歴史を静かに物語っていた。
【生活費】3万円
【飛行機】9万円
【通貨単位】1元=18円
【英語通用度】5人に1人
【旅程】4日間
4/12ウルムチ
4/13ウルムチ
4/14トルファン
4/15帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
(1)『ウルムチ南郊バスターミナル』
前日、夜中の12時にウルムチのホテルに戻ると、ツアー会社より「トルファンツアーがキャンセルになった。」との連絡があった。
ツアー会社に電話すると、「2012年起きた尖閣諸島の問題で、日本人が中国人のツアーに参加できない。」との回答であった。
「前金も払ったのに…。今さら感もあったが、翌朝のバスに備えて寝ることにした。」 -
(2)『風力発電所』
4/14 8:30ウルムチの南郊(=三屯牌のバス停)バスターミナルに到着した。9時発のトルファン行きのチケット(45元=810円)を買い、定刻通り出発した。
30分ほど経つと、車窓に数百機の風力発電機が広がった。
その後はひたすら直線の道を2時間30分走り続け、休憩と料金所で数回止まった以外は減速することなくトルファンに到着した。 -
(3)『トルファン到着』
バスを降りると、予想通りというかツアーの勧誘が待ち構えていた。
日本語が話せるウイグル人のガイド付きで、車をチャーターして1日400元(=7200円)であった。
前日のツアー会社の値段とほぼ同じで、なおかつプライベートツアーであったので、郊外の4箇所(ベゼクリク石窟→火焔山→交河故城→カレーズ民俗園)を回るツアーに出発した。 -
(4)『ベゼクリク千仏洞』
12:30 トルファンのバスターミナルから30分して、火焔山の裏にあるベゼクリク千仏洞に到着した。
ベゼクリクとは、ウイグル語で「美しく飾られたところ」という意味である。
ベゼクリク千仏洞は三層構造になっており、1階は僧侶の部屋が河沿いにあり、二階の仏屈が礼拝区となっており、その上に仏塔という構造になっている。
開削された石窟の数は約80窟で、そのうちの約10窟が公開されている。 -
(5)『受難のベゼクリク千仏洞』
この地に石窟が初めて開削されたのは6世紀である。
以降、この石窟には2度にわたる受難の歴史がある。
最初は14世紀初めに、偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒による仏像の破壊活動である。
美しい壁画のが無残にもえぐり取られている。
敦煌などのトルファンより東の地方では見られない現象である。
ベゼクリク千仏洞の壁画は、東の中華世界と西のペルシャやインドなどの西域文明を合わせたウイグル独特の芸術であった。 -
(6)『2度目の受難』
20世紀初頭に、壁画はこの地を訪れた世界列強の探検隊によって剥ぎ取られていった。
壁画は高さ、幅ともに2mを超す巨大なものであった。
鋭い刃物で切り出した、まっすぐな強い線が受難の歴史を今に伝えている。
現在は、ロシア、日本、韓国、インド、ドイツ、中国の世界6カ国に分散し、1枚の壁画がジグソーパズルのようになっている。
エルミタージュ美術館や東京国立博物館に所蔵されているものもあれば、第二次世界大戦中に、ベルリンで激しい空襲によって破壊されてしまったものもあった。 -
(7)『火焔山』
13:30 火焔山に到着した。ガイド本には「火焔山の眺めは駐車場の外から眺めても同じだ。」とあったので、丘の上から撮影をした。
東西100kmにわたって連なっており、赤い泥岩の山肌を縦皺が埋め尽くている。
山ひだは揺らめく炎のように見え、真夏の地表の温度は80℃にも達する。
「西遊記」で、三蔵法師一行が火焔に阻まれ、孫悟空が鉄扇公主と戦って芭蕉扇で炎を消したという場面の舞台になっている。 -
(8)『東トルキスタン』
道路の両脇に建っている工場を指さしガイドのモハメッドが言った。
「新疆(=シンジャン)の天然ガスは、全部北京や上海に運ばれてしまう。」
天然ガスが発見されてから、この数十年で漢民族が大挙してウイグル自治区へやってきた。
今では学校のクラスの3分の1は漢民族となっている。中国語と一緒にアラビア語を教えているが、中国人はアラビア語を覚える気があまりない。
同じ中国国内でも、言語・宗教・習慣で中国人とウイグル人で溝があることを感じた。 -
(9)『交河故城到着』
14:20 火焔山から40分走り交河故城に到着した。トルファン市街地から西へ16kmのところにあり、前漢の時代は車師前国、唐の時代には軍事拠点である安西都護府が置かれた遺跡である。
交河故城は、かつて2つの河の浸食によってできた高さ30mの断崖の上に築かれた難攻不落の城である。
その都城址は、幅が東西約300m、長さが南北1.5kmにもおよぶ。
先端部の尖った姿は、まるで巨大な軍艦のようである。 -
(10)『彫刻都市』
交河故城はレンガの積み上げではなく、大地を掘り下げて造られた世界でも珍しい「彫刻都市」である。
城内はいくつかの地区に分けられている。
入場する南門から順に、南部には住民の居住区、中央部は寺院と官庁街と邸宅群、北部は寺院区となっている。
最盛期には、6万から7万人が住んでいたと言われる。
現在、残る遺構の大部分は唐代のものである。 -
(11)『カレーズ民俗園』
15:30 カレーズ(=地下水路)民俗園に到着した。
トルファンでは3000年以上前から、天山山脈の雪解け水を誘引するための多数のトンネルが掘られ、オアシスの源となってきた。
縦穴と縦穴の間を横穴で繋いだトンネルは、トルファン周辺での総延長距離が5000kmにも及んでいる。 -
(12)『地元の人たち』
街の中心部から離れた道路では、ロバに乗った農作業の帰りの人たちがのんびりと歩いていた。
昔ながらのウイグル人の生活を垣間見ることができた。
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