2012/08/19 - 2012/08/22
251位(同エリア467件中)
mingさん
大草原での乗馬を体験し、夜はプラネタリウム顔負けの満天の星空が広がる。ゲルに宿泊するも暖炉の薪がなくなり、真夏に氷点下になることもモンゴルならではの体験であった。
【生活費】1万円
【ツアー】13万円
【通貨単位】100トゥグリク=6円
【英語通用度】5人に1人
【旅程】4日間
8/19テレルジ
8/20テレルジ
8/21ウランバートル
8/22帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ミアットモンゴル航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
(1)『チンギス・ハーン国際空港』
8/19 18:30チンギス・ハーン国際空港に到着した。成田からのフライト時間は直通5時間で時差がマイナス1時間と、思ったよりも日本に近い感じがした。
空港から外へ出ると冷たい空気がさっと流れ、乾燥した気候とともに日本の秋のような感覚であった。 -
(2)『キャンプ地テレルジへ』
ウランバートルから70km離れたキャンプ地のテレルジまでその日のうちに移動でき、HISのツアーは大変効率的であった。
ウランバートル市内は経済発展の真っただ中で、火力発電所はフル稼働し、街は自動車があふれ、中国や東南アジアのように人の活気が満ちていた。 -
(3)『満天の星空』
21:00 穴だらけのアスファルトと舗装がされていない道路を2時間走り、テレルジ・タミルウェルネスツーリストキャンプに到着した。
バスから降りるとすぐに、ツアーに参加した全員が「わぁー!」と感嘆の声をあげた。日本では見たこともないほどの数えきれない星が、曇ることなく全員で歓迎のお出迎えをしてくれていた。
標高が1350mあり、北斗七星やオリオン座も巨大であった。1時間ほど観測していると、流れ星も2つほど見られた。 -
(4)『ゲルに宿泊』
ゲルに泊まるのもこのツアーならではである。バス・トイレは別で、暖房の代わりに暖炉で薪を燃やす。
夜11時すぎにキャンプのモンゴル人が薪を燃やしに来たが、2時間ももたずに火が消えてしまった。室内の温度はどんどん下がり、モンゴルの厳しい寒さを身を持って体験することとなった。 -
(5)『キャンプ場』
ゲルには遊牧民のしきたりがある。入口の正面奥が上座で、左側が男性の座、右側が女性の座として決まっている。
中央の2本の柱は男女を表している。客人がその間を通ることは夫婦の仲を裂くこと意味しており、柱の外を回って通らなければならない。
モンゴルでは北からの風が強いため、入口を必ず南向きに設置する。そのため、天窓からの太陽の日差しでだいたいの時刻がわかる仕組みになっている。 -
(6)『乗馬体験』
2日目は午前と午後に3時間ずつ乗馬体験ができる。
モンゴルの馬はとてもおとなしく、「止まれ」「右」「左」と3つの操縦法を覚えれば初心者でも乗馬を十分楽しむことができる。
モンゴルでは3・4歳から馬に乗り始めるが、遊牧民は子供をウランバートルの学校へ行かせることも多くなり、子供が乗馬することが減っているとのことであった。 -
(7)『乗馬隊長』
馬には集団性があり、一頭の馬にそれぞれの馬がついていこうとするため、ほとんど指示することもなく目的地へ向かって整然と進んでいった。
馬たちは、写真右側の乗馬隊長の声を認識できるようで、さあ走れ!を意味する「チョーッ、チョーッ」との声を聞いた途端に、すべての馬が一斉に走り出した。 -
(8)『マイペースな馬』
自分が乗った馬は最初から最後までマイペースであった。
周囲の馬はゆっくり歩いているにも関わらず、小走りで先頭まで走ると、休憩とばかりに草を食べて最後尾まで下がり、群れから外側に少し離れてみたりと自由奔放な馬であった。
時間が経つにつれてその自由奔放さに愛着もわき、馬の気まぐれを一緒に楽しむことにした。 -
(9)『モンゴル帝国』
かつてのモンゴル帝国は、西は東ヨーロッパやトルコ、南はアフガニスタンやミャンマーまでを支配し、地球上の陸地の約25%を領土としていた。
広々とした草原を見るたびに、飛行機や車のない13世紀に馬で世界各地へ遠征へ行き、あらためてその偉業のすごさを実感した。
その遠征では30km走るごとに馬を取り換え、さらに西へ西へと草原を駆けていった。 -
(10)『WINDOWS草原』
緑の草原と青い空はXPの壁紙のようであった。初めて見る景色だが、どことなく見慣れたような不思議な感覚であった。 -
(11)『亀石』
午後のツアーの目的地はテレルジ最大の見どころである亀石である。
道中晴れたと思ったら急にあられが降ったりと、変わりやすい天気であった。
亀石の高さは約15mあり、左前足から首のところまで登ることができる。近くにおみやげ屋もあるが、売り子がしつこくついてくることもなかった。
ハプニングといえば、近くで野犬のけんかがあった。迫力があったが、モンゴル人のガイドが石を投げてけんかを止めさせていた。動物たちも自由きままで、ある意味平和でありのどかだとも思うシーンであった。 -
(12)『乗馬ツアーの終了』
大自然を満喫し、ラスト10分を馬の全力疾走でゴールすると、6時間の乗馬ツアーは歓声と軽い筋肉痛を残して終了となった。
6月から8月はモンゴル草原が花で彩られる季節である。観光客もほぼこのシーズンに集中し、冬場にはマイナス40℃の極寒の世界に様変わりする。 -
(13)『ザイサンの丘からの景色』
11:00 テレルジを出発して2時間後に、ザイサンの丘に到着した。
ザイサンの丘からは経済成長を続けるウランバートルの街並みを一望できる。
モンゴルは旧ソ連の影響を受け、1992年まで社会主義国家であった。ウランバートルは1950年代以降の都市計画により、旧ソ連風の面影を残している。 -
(14)『ザイサン・トルゴイ』
丘の頂上には、幅3m、周囲60mに渡り、モンゴルと旧ソ連の友好と相互援助をイメージした壁画が1971年に建てられた。
写真左側では、モンゴルと旧ソ連の兵士が大日本帝国の旗を踏み折っている。
この壁画が描かれた時代と、旅行中親切に案内してくれたモンゴルの人たちとの印象とのギャップに40年の時間の流れを感じた。
モンゴル出身の力士の活躍、特に朝青龍は引退後もモンゴルでは絶大な人気であり、経済援助や技術支援などにより、親日感情が広まったのはごく最近のことであるという事実には意外な印象を受けた。 -
(15)『カシミヤショップ』
11:30ボグドハーン宮殿博物館から西へ5分ほど進んだカシミヤショップに立ち寄った。
モンゴルは中国に次ぐ世界第2位のカシミヤ生産国である。カシミヤが高値で取引されることから、家畜を羊から山羊に変える遊牧民が増えている。
マフラーが$50(=4000円)、ひざかけが$80(=6400円)など高品質の商品がモンゴルプライスでとても安くなっていた。レジではカゴに商品を山盛りに詰めた中国やヨーロッパの観光客が行列を作っていた。 -
(16)『ガンダン寺』
14:30 街の西にあるガンダン寺に到着した。モンゴルはチベット仏教を受け継いでおり、13世紀に伝来したとされている。
1839年に建立されたが、社会主義下で寺院の閉鎖や僧侶の粛清などの苦難の時代を経て、民主化となった現在では仏教再生の発信基地として機能している。
チベット仏教と同様に、赤と黄色は高貴な色として僧侶の袈裟に使用されており、マニ車は回転させた数だけ、お経を唱えるのと同じ功徳があるとされている。 -
(17)『ノミンデパート』
15:30ノミンデパートに到着した。かつての国営デパートを大手電気店のノミンが買収しただけあって、おみやげや食料品に加え、家電製品・衣類も品揃えは豊富であった。窓のНОМИНはキリル文字で、NOMINを意味している。
ツアーの中で唯一おみやげが買える場所であった。モンゴル岩塩200g(2129トゥグリク=125円)やチョコレートなど価格が手頃なこともあり、予定の時間を大幅に遅れてしまいスケジュールをショートカットすることとなった。 -
(18)『民族舞踏ショー』
18:30民族舞踏ショーを観るためにTumen EKH(チケット:12000トゥグリク=720円、カメラ撮影:8000トゥグリク=480円、場所:ナイラムダル公園西側)に到着した。
まだ地球の歩き方には掲載されていないが、40ヵ国以上で賞を獲得しており、遊牧民の伝統文化を今に伝えているグループである。
1時間で12のショーが行われ、モンゴルの賛辞歌や馬頭琴などの楽器の演奏やシャーマン儀式ダンスなどバリエーションに富み、時間を忘れさせるほど密度の濃いショーであった。 -
(19)『モンゴリアンバーベキュー』
20:00ナランデパートの向かいにあるbd's モンゴリアン・バーキューで夕食をとった。
自分の好きな肉(牛・豚・鶏・羊など)と野菜をボウルに取り、てりやきやバーベキューなど約10種類のソースから選んで、大きな鉄板で焼いてもらう。
色んな味のソースを混ぜてオリジナルの味を作ったり、パイナップルや豆腐や卵などを混ぜてみたりと、材料選び・調理風景・食事と色んな角度からモンゴル料理を楽しむことができる。
ツアーガイドに「モンゴルにジンギスカンという羊肉の鉄板料理はありますか?」と質問すると、「鉄板料理はありますが、ジンギスカンという料理はモンゴルにはないですね。」との答えであった。
ジンギスカンは北海道の郷土料理であり、天津飯やナポリタンと同様に日本人の創作料理であることが判明した。 -
(20)『スフバートル広場』
21:30夕食の帰りにスフバートル広場に立ち寄った。
モンゴルは長い間、ロシアと清朝の強い影響下にあった。1921年にスフバートルはロシアと中国の勢力を駆逐し、モンゴルの独立に貢献した英雄である。その広々とした広場は夜も美しくライトアップされていた。
モンゴルは他の仏教国の例に漏れず、親切な人が多くとても居心地のよい国であった。大自然や遊牧生活といった旅のスタイルは、遺跡巡りとは一味違った新種の旅の発見であった。
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