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 鎌倉市鎌倉山2にある旧松本蒸治邸は昭和9年(1934年)に建てられた洋館である。地階と1階は鉄筋コンクリート造、2階は和風木造であるが、2階の屋根には煙突がある。2階の屋根は橙(だいだい)色系の瓦葺きであるが、その下に銅葺きの庇が巡り、さらにその下にも出窓庇が付いている。地階部分は石積風のアーチになっており、建築当初は吹き放しであったが、現在はアルミサッシの窓が取り付けられ、3階建ての1階部分のように改修されている。また、1階の応接間の上にあるバルコニーにも、建築当初は屋根が付いて吹き放しであったが、現在は取り外されている。洋館としては、2階に和風建築にバルコニーとその屋根、洋風煙突があったわけで、和洋折衷といわれるが、鎌倉の洋館としてはちんけなものであったと思う。旧華頂宮邸のように、畳の敷かれた部屋や後の所有者によって敷地奥に和館が増築されているのとは最初から違うようだ。<br /> また、「鎌倉の西洋館?昭和モダン建築をめぐる」(柴田泉著)(2011年11月16日初版第一刷発行)の最初に掲載されており、この本に掲載されている10棟のうちの1棟である。このような和洋折衷とされるちんけな建物が「昭和モダン建築」であったのか?最初に載せるべき建物ではないだろうと思う。また、この本のサブタイトルは「昭和モダン建築をめぐる」であるが、この10棟には明治から大正に建てられた4棟、あるいは5棟が含まれており、およそ相応しくない。この本の編集者がたった10棟の建築年をチェックしなかったからであろう。残念なことに、編集者が2名もいたにも関わらず、その力量のなさがこの本を台無しにしてしまっている。<br /> 鎌倉山はその名の通り受けを狙って付けられたものであろう。七里ガ浜の西にも広がり、本来の鎌倉からはその外に位置していたとも見られる。そうした山が別荘地として開発されたのは横浜山手を例にしてのことであろう。ただ、横浜山手には和風建物は2、3棟程度しかないのに対し、ここ鎌倉山には相当数見られる。また、和洋折衷の建物も多いようだ。<br />(表紙写真は旧松本蒸治邸)

旧松本蒸治邸(鎌倉市鎌倉山2)

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2013/02/23 - 2013/02/23

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市鎌倉山2にある旧松本蒸治邸は昭和9年(1934年)に建てられた洋館である。地階と1階は鉄筋コンクリート造、2階は和風木造であるが、2階の屋根には煙突がある。2階の屋根は橙(だいだい)色系の瓦葺きであるが、その下に銅葺きの庇が巡り、さらにその下にも出窓庇が付いている。地階部分は石積風のアーチになっており、建築当初は吹き放しであったが、現在はアルミサッシの窓が取り付けられ、3階建ての1階部分のように改修されている。また、1階の応接間の上にあるバルコニーにも、建築当初は屋根が付いて吹き放しであったが、現在は取り外されている。洋館としては、2階に和風建築にバルコニーとその屋根、洋風煙突があったわけで、和洋折衷といわれるが、鎌倉の洋館としてはちんけなものであったと思う。旧華頂宮邸のように、畳の敷かれた部屋や後の所有者によって敷地奥に和館が増築されているのとは最初から違うようだ。
 また、「鎌倉の西洋館?昭和モダン建築をめぐる」(柴田泉著)(2011年11月16日初版第一刷発行)の最初に掲載されており、この本に掲載されている10棟のうちの1棟である。このような和洋折衷とされるちんけな建物が「昭和モダン建築」であったのか?最初に載せるべき建物ではないだろうと思う。また、この本のサブタイトルは「昭和モダン建築をめぐる」であるが、この10棟には明治から大正に建てられた4棟、あるいは5棟が含まれており、およそ相応しくない。この本の編集者がたった10棟の建築年をチェックしなかったからであろう。残念なことに、編集者が2名もいたにも関わらず、その力量のなさがこの本を台無しにしてしまっている。
 鎌倉山はその名の通り受けを狙って付けられたものであろう。七里ガ浜の西にも広がり、本来の鎌倉からはその外に位置していたとも見られる。そうした山が別荘地として開発されたのは横浜山手を例にしてのことであろう。ただ、横浜山手には和風建物は2、3棟程度しかないのに対し、ここ鎌倉山には相当数見られる。また、和洋折衷の建物も多いようだ。
(表紙写真は旧松本蒸治邸)

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  • 旧松本蒸治邸あたりから見る風景。

    旧松本蒸治邸あたりから見る風景。

  • 旧松本蒸治邸門前の石碑。

    旧松本蒸治邸門前の石碑。

  • 旧松本蒸治邸の門柱。<br /><br />松本烝治(明治10年(1877年)〜昭和29年(1954年))は大正・昭和期の商法学者(法学博士)、政治家である。鉄道建設に貢献した官僚・土木技術者の松本荘一郎の長男。妻の千は小泉信吉の娘であり、小泉信三(東宮御教育常時参与として皇太子殿下(後の今上天皇)の教育の責任者となる。慶應義塾長(昭和8年(1933年)〜昭和21年(1946年)))の妹である。<br />戦後、憲法草案(松本試案)を作成した。

    旧松本蒸治邸の門柱。

    松本烝治(明治10年(1877年)〜昭和29年(1954年))は大正・昭和期の商法学者(法学博士)、政治家である。鉄道建設に貢献した官僚・土木技術者の松本荘一郎の長男。妻の千は小泉信吉の娘であり、小泉信三(東宮御教育常時参与として皇太子殿下(後の今上天皇)の教育の責任者となる。慶應義塾長(昭和8年(1933年)〜昭和21年(1946年)))の妹である。
    戦後、憲法草案(松本試案)を作成した。

  • 門から見える旧松本蒸治邸。

    門から見える旧松本蒸治邸。

  • 門から見える旧松本蒸治邸。

    門から見える旧松本蒸治邸。

  • 道路脇に伸びる旧松本蒸治邸の生垣。

    道路脇に伸びる旧松本蒸治邸の生垣。

  • 道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

    道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

  • 道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

    道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

  • 道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

    道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

  • 道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

    道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

  • 道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

    道路脇の生垣から垣間見える旧松本蒸治邸。

  • 旧松本蒸治邸。

    旧松本蒸治邸。

  • 裏門から見る旧松本蒸治邸。

    裏門から見る旧松本蒸治邸。

  • 旧松本蒸治邸。

    旧松本蒸治邸。

  • 遠くに旧松本蒸治邸。

    遠くに旧松本蒸治邸。

  • 谷戸奥の尾根から見る旧松本蒸治邸。

    谷戸奥の尾根から見る旧松本蒸治邸。

  • 谷戸奥の尾根から見える旧松本蒸治邸に掛かる傘代わりの富士山。

    谷戸奥の尾根から見える旧松本蒸治邸に掛かる傘代わりの富士山。

  • 谷戸奥の尾根から見る旧松本蒸治邸。

    谷戸奥の尾根から見る旧松本蒸治邸。

  • 谷戸奥の尾根から見る旧松本蒸治邸。

    谷戸奥の尾根から見る旧松本蒸治邸。

  • 谷戸奥の尾根から見る旧松本蒸治邸。

    谷戸奥の尾根から見る旧松本蒸治邸。

  • 向かいの尾根から見る旧松本蒸治邸。

    向かいの尾根から見る旧松本蒸治邸。

  • 向かいの尾根の道路から見る旧松本蒸治邸。

    向かいの尾根の道路から見る旧松本蒸治邸。

  • 向かいの尾根から見る旧松本蒸治邸。

    向かいの尾根から見る旧松本蒸治邸。

  • 向かいの尾根の道路から見る旧松本蒸治邸。

    向かいの尾根の道路から見る旧松本蒸治邸。

  • 向かいの尾根の道路から見る旧松本蒸治邸。

    向かいの尾根の道路から見る旧松本蒸治邸。

  • 向かいの尾根の道路から見る旧松本蒸治邸。

    向かいの尾根の道路から見る旧松本蒸治邸。

  • 下の七里ガ浜東5丁目北公園から見る旧松本蒸治邸。

    下の七里ガ浜東5丁目北公園から見る旧松本蒸治邸。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • kamiちゃんさん 2014/06/24 21:07:27
    旧松本蒸治邸を探して
    ドクターキムルさん ご無沙汰しています。
    やっと6月20日に旧松本蒸治邸を探しあてました。昨年祖父の手帳が見つかり、日記風に東京と鎌倉を何度も行き来した事が記述されていました。
    場所の何か手がかりはと最初に出会ったのがドクターキムルさんのフォートラベルでした。今回実際にその地を訪れて当時の様子が少しづつイメージできるようになりました。偶然ですが、戦前に実家(祖父も住んでいた)のある中野区大和町のすぐ近くに住んでいた、棟方志功の美術館近くというのも
    何か不思議な感じがします。今回は探すのに時間がかかってしまいましたが、次回は当時を偲んで鎌倉駅から歩いてみたいと思います。
    ありがとうございました。

    ドクターキムル

    ドクターキムルさん からの返信 2014/06/25 10:13:29
    RE: 旧松本蒸治邸を探して
    kamiちゃんさん ご無沙汰しています。

    旧松本蒸治邸は遠かったでしょう。
    私もこれまでに、江ノ電極楽寺駅下車し、月影地蔵から墓地横を上り、尾根道を鎌倉山神社前に出て、あるいは、常盤口から鎌倉山さくら道を上り、山を越え、あるいは、江ノ電七里ヶ浜駅から山を上ったりと、どのルートでも何度か行っていますが、本当に遠かったですね。
    鎌倉駅から歩くとなると、鎌倉駅西口から常盤口に出て鎌倉山さくら道を上り、山を越えることになるのでしょうか?
    旧松本蒸治邸はなかなか見付からなかったようですが、私の場合はそれらしい建物は見付けたのですが、何度か行って、谷を越えた向かいの方(鎌倉山「爆弾三勇士奉勲碑」から下った行き止まりのところの枝垂れ桜のあるお宅)からお話を聞いて旧松本蒸治邸であることを確認しました。

    このあたりからは(天気が良ければ)旧松本蒸治邸の上に富士山も見え、絶景の場所です。

    鎌倉駅からは1時間では到底着かないでしょうが、一度、頑張って歩いてみて下さい。

    ドクターキムル

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