大阪旅行記(ブログ) 一覧に戻る
京都と大阪に行ってきました。<br />大阪の陣ゆかりの地を巡ります!<br />(あまり関係のない所もありますが。)<br /><br />二条城-明智光秀首塚-八坂神社-高台寺-方広寺-豊国神社-耳塚-大阪城-真田丸跡-真田幸村戦死の地(の近く)<br /><br />(表紙写真は、冬の陣で真田丸にて指揮を執る真田幸村!)

2012年11月 大坂の陣ゆかりの地(京都、大阪城、真田丸など)

3いいね!

2012/11/03 - 2012/11/04

20707位(同エリア26410件中)

旅行記グループ 真田幸村

0

42

たぁ坊

たぁ坊さん

京都と大阪に行ってきました。
大阪の陣ゆかりの地を巡ります!
(あまり関係のない所もありますが。)

二条城-明智光秀首塚-八坂神社-高台寺-方広寺-豊国神社-耳塚-大阪城-真田丸跡-真田幸村戦死の地(の近く)

(表紙写真は、冬の陣で真田丸にて指揮を執る真田幸村!)

一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩

PR

  • のんびり列車旅です。<br />幕の内弁当「東海道」で乾杯!<br /><br />駿府から大坂冬の陣に出陣する徳川家康も、余裕たっぷり、のんびりと東海道を上がったそうです。

    のんびり列車旅です。
    幕の内弁当「東海道」で乾杯!

    駿府から大坂冬の陣に出陣する徳川家康も、余裕たっぷり、のんびりと東海道を上がったそうです。

  • 豊臣家滅亡を描いた司馬遼太郎先生の「城砦」を読んでいるところなので、大阪の陣ゆかりの地を訪ねてみることにします。<br />まずは京都の二条城に来ました。

    豊臣家滅亡を描いた司馬遼太郎先生の「城砦」を読んでいるところなので、大阪の陣ゆかりの地を訪ねてみることにします。
    まずは京都の二条城に来ました。

  • 国宝・二の丸御殿の入口の装飾。<br /><br />関ヶ原の勝利後、豊臣家からいつの間にか実質的な政権を奪い取った徳川家康は、自己の優位性を世に示すために、大阪城から豊臣秀頼を呼び出して、この御殿で会見します。

    国宝・二の丸御殿の入口の装飾。

    関ヶ原の勝利後、豊臣家からいつの間にか実質的な政権を奪い取った徳川家康は、自己の優位性を世に示すために、大阪城から豊臣秀頼を呼び出して、この御殿で会見します。

  • 二の丸御殿。<br /><br />大坂城から初めて外に出た豊臣秀頼の予想以上に立派な姿と、民衆からの根強い豊臣人気に危機感を覚えた家康は、豊臣家を滅ぼす決意を固めたと言われます。

    二の丸御殿。

    大坂城から初めて外に出た豊臣秀頼の予想以上に立派な姿と、民衆からの根強い豊臣人気に危機感を覚えた家康は、豊臣家を滅ぼす決意を固めたと言われます。

  • 二の丸庭園。<br /><br />二の丸御殿は、幕末の大政奉還の舞台にもなりました。

    二の丸庭園。

    二の丸御殿は、幕末の大政奉還の舞台にもなりました。

  • 二の丸と本丸の間の内堀。<br />ここが本来お城であることがよくわかります。<br />徳川幕府の京都本庁といった所でしょうか。

    二の丸と本丸の間の内堀。
    ここが本来お城であることがよくわかります。
    徳川幕府の京都本庁といった所でしょうか。

  • 天守閣跡から本丸御殿を望む。

    天守閣跡から本丸御殿を望む。

  • 二条城から東山に来ました。<br /><br />たまたま見つけた、路地裏にある明智光秀首塚。<br />自刃した光秀の首を守って持ち運んだ家来が、ここに埋めたそうです。

    二条城から東山に来ました。

    たまたま見つけた、路地裏にある明智光秀首塚。
    自刃した光秀の首を守って持ち運んだ家来が、ここに埋めたそうです。

  • 知恩院。

    知恩院。

  • 八坂神社。

    八坂神社。

  • 八坂神社の境内を通り抜けていく。

    八坂神社の境内を通り抜けていく。

  • 高台寺に続く「ねねの道」。

    高台寺に続く「ねねの道」。

  • 豊臣秀吉の死後、正室の高台院(=北政所=ねね様)が余生を過ごした高台寺。

    豊臣秀吉の死後、正室の高台院(=北政所=ねね様)が余生を過ごした高台寺。

  • 龍の庭園。<br /><br />ここを足繁く訪ねて高台院をよく慰めた徳川家康は、高台院の信頼を勝ち得、関ヶ原戦の前、高台院は息子同然の加藤清正や福島正則に東軍に付くように勧めたそうです。

    龍の庭園。

    ここを足繁く訪ねて高台院をよく慰めた徳川家康は、高台院の信頼を勝ち得、関ヶ原戦の前、高台院は息子同然の加藤清正や福島正則に東軍に付くように勧めたそうです。

  • 高台院が眠る霊屋。<br /><br />徳川家康に臣従することこそ、豊臣家存続の唯一の途と心得た高台院は、豊臣秀頼の生母・淀殿を説得したそうですが聞き入れられず、豊臣家滅亡の9年後に亡くなったそうです。

    高台院が眠る霊屋。

    徳川家康に臣従することこそ、豊臣家存続の唯一の途と心得た高台院は、豊臣秀頼の生母・淀殿を説得したそうですが聞き入れられず、豊臣家滅亡の9年後に亡くなったそうです。

  • にぎやかな三年坂。

    にぎやかな三年坂。

  • 豊国神社に来ました。<br />国宝の唐門です。<br />もともと伏見城にあったそうです。

    豊国神社に来ました。
    国宝の唐門です。
    もともと伏見城にあったそうです。

  • もちろん、豊臣秀吉を祀る神社です。<br />徳川幕府によって破却された豊国社を、明治時代になって、ここ方広寺大仏殿の跡地に再建したものだそうです。

    もちろん、豊臣秀吉を祀る神社です。
    徳川幕府によって破却された豊国社を、明治時代になって、ここ方広寺大仏殿の跡地に再建したものだそうです。

  • 豊国神社の隣りにある方広寺の鐘。<br />有名な「国家安康」の鐘です。

    豊国神社の隣りにある方広寺の鐘。
    有名な「国家安康」の鐘です。

  • 豊臣秀頼が施主のこの鐘に、「国家安康」「君臣豊楽」の銘が刻まれています。<br />「家康」の2字の間を引き裂き(徳川を滅ぼし)、豊臣を君に頂くとはけしからん、と徳川家康が激怒し(激怒したふりをし?)、大坂の陣のきっかけになったと言われます。<br />家康の言い掛りといえば言い掛りだし、かと言って豊臣家の悪意が感じられないでもなく、いずれにしてもこんな小さな文字から歴史が動くのだから、面白い!

    豊臣秀頼が施主のこの鐘に、「国家安康」「君臣豊楽」の銘が刻まれています。
    「家康」の2字の間を引き裂き(徳川を滅ぼし)、豊臣を君に頂くとはけしからん、と徳川家康が激怒し(激怒したふりをし?)、大坂の陣のきっかけになったと言われます。
    家康の言い掛りといえば言い掛りだし、かと言って豊臣家の悪意が感じられないでもなく、いずれにしてもこんな小さな文字から歴史が動くのだから、面白い!

  • 豊国神社の宝物館も見学しました。

    豊国神社の宝物館も見学しました。

  • 豊国神社近くの耳塚。<br />朝鮮出兵の際、加藤清正らが敵兵の首の代わりに持ち帰った耳を葬った塚だそうです。<br /><br />加藤清正は、関ヶ原では東軍につきますが、豊臣家への忠誠心も強く、家康と豊臣秀頼の二条城会見のときは、ぴったりと秀頼に付き従って守ったそうです。<br />その数ヵ月後、加藤清正は急死し(家康による毒殺?)、豊臣家は貴重な盾を失います。

    豊国神社近くの耳塚。
    朝鮮出兵の際、加藤清正らが敵兵の首の代わりに持ち帰った耳を葬った塚だそうです。

    加藤清正は、関ヶ原では東軍につきますが、豊臣家への忠誠心も強く、家康と豊臣秀頼の二条城会見のときは、ぴったりと秀頼に付き従って守ったそうです。
    その数ヵ月後、加藤清正は急死し(家康による毒殺?)、豊臣家は貴重な盾を失います。

  • いよいよ大坂城に来ました!

    いよいよ大坂城に来ました!

  • 城を見守る豊臣秀吉さん。

    城を見守る豊臣秀吉さん。

  • 天守閣。<br />意外にも昭和6年再建と古く、戦災(空襲)は免れているのですね。

    天守閣。
    意外にも昭和6年再建と古く、戦災(空襲)は免れているのですね。

  • 大坂の街を望む。<br />大坂の陣のころは、すぐ近くまで海が迫っていたそうです。

    大坂の街を望む。
    大坂の陣のころは、すぐ近くまで海が迫っていたそうです。

  • 真田幸村隊。<br />レッズです!

    真田幸村隊。
    レッズです!

  • 真田幸村。<br />父・真田昌幸と共に関ヶ原で西軍につき(関ヶ原合戦には参戦せず、上田城で徳川秀忠軍を足止めにした)、戦後、紀州・九度山に蟄居させられていましたが、抜け出して大阪城に入城し、豊臣方で奮戦します!

    真田幸村。
    父・真田昌幸と共に関ヶ原で西軍につき(関ヶ原合戦には参戦せず、上田城で徳川秀忠軍を足止めにした)、戦後、紀州・九度山に蟄居させられていましたが、抜け出して大阪城に入城し、豊臣方で奮戦します!

  • 冬の陣では、張出し砦の真田丸に陣取り、徳川方を席巻します!

    冬の陣では、張出し砦の真田丸に陣取り、徳川方を席巻します!

  • 夏の陣でも、ゲリラ的戦法であと一歩まで徳川家康を追い詰めますが、力尽きます。。。

    夏の陣でも、ゲリラ的戦法であと一歩まで徳川家康を追い詰めますが、力尽きます。。。

  • 息子の真田大助も、淀殿、豊臣秀頼と共に自刃して果てます。

    息子の真田大助も、淀殿、豊臣秀頼と共に自刃して果てます。

  • 豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地。<br />豊臣家は滅亡します。

    豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地。
    豊臣家は滅亡します。

  • ちょっと哀しげに見えてくる大阪城でした。

    ちょっと哀しげに見えてくる大阪城でした。

  • 真田丸の跡に来ました!<br />現在は、三光神社と公園になっています。

    真田丸の跡に来ました!
    現在は、三光神社と公園になっています。

  • 真田の抜穴跡。

    真田の抜穴跡。

  • どこに通じているのでしょう。

    どこに通じているのでしょう。

  • 指揮を執る真田幸村!

    指揮を執る真田幸村!

  • 今は真田山公園になっています。

    今は真田山公園になっています。

  • 締めくくりに、真田幸村戦死の地を訪ねてみましょう。<br />記念碑がある安居天神に続く天神坂。

    締めくくりに、真田幸村戦死の地を訪ねてみましょう。
    記念碑がある安居天神に続く天神坂。

  • ・・・とっくに閉まっていた。。。<br />残念だが、この辺りで真田幸村が最期を迎えたと思うと、やはり感慨深い。

    ・・・とっくに閉まっていた。。。
    残念だが、この辺りで真田幸村が最期を迎えたと思うと、やはり感慨深い。

  • 大坂の陣に想像を馳せながら・・・

    大坂の陣に想像を馳せながら・・・

  • 夜の大坂を楽しみましょう!

    夜の大坂を楽しみましょう!

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

真田幸村

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP