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芭蕉達は陸奥国分寺の参拝を最後に、翌朝、仙台の案内役加右衛門の見送りを受け仙台を発ち、”十符の菅(とふのすが)”に向かう。<br /><br />ここで編まれた藩主にも献上された程美しいむしろは、”十符の菅菰(すがこも”)と云う名で知られ、昔から多くの歌に詠まれ、歌枕となっていた。<br /><br />加右衛門の書いた地図を頼りに、芭蕉達は芭蕉の辻(現在七十七銀行伝馬町支店の一つ北側の辻で、かっての陸奥街道の起点。我々の芭蕉とは関係ない)へ出て、奥州街道を北に進み、燕沢の宿を通り今市で岩切川を渡る。<br /><br />橋の傍のある東光寺の前の道を西へ行った辺りが十符の菅だったらしい。<br /><br />因みに当時東光寺の前の道を”奥の細道”と呼んでいたらしく、芭蕉はこの道の名前を貰って、紀行文の名を”奥の細道”と名付けた。<br /><br />十符の菅菰を見物した芭蕉達は”奥の細道”を東に向かい、松島への道と塩釜への道に分かれる追分を東に、塩釜に向かう。<br /><br />向かった先は多賀城碑とも呼ばれる”壷の碑(つぼのいしぶみ)”。<br /><br />芭蕉は”壷の碑”の前に立ち、奈良時代の石碑が江戸時代に遺され、まのあたりに出来た事に、涙を流して感動する。<br /><br />奥の細道を訪ねて第8回の旅の3日の朝、我々も多賀城に向かい、JR多賀城駅の南を流れる砂押川の南側のセブンイレブンの駐車場で、地元のガイド”三宅洋司さん”と落ち合い、以後多賀城の観光は三宅さんの案内に従う。<br /><br />しかし三宅さんの案内ルートは順序が芭蕉のルートと違ったので、ここでは原則として芭蕉のルートの順を優先し、芭蕉の多賀城での最初の訪問先”壷の碑(つぼのいしぶみ)”に準じて、我々も多賀城の旅を”壷の碑”を訪ねることからスタートとします。<br /><br />奈良時代の陸奥の国府でもあった岡の上の多賀城の南門跡の辺りに、格子状の壁に囲まれた鞘堂が木漏れ日を浴びて美しい姿を見せていた。<br /><br />この鞘堂は水戸光圀(黄門)の進言に拠り、当時の藩主伊達綱村が建てたとされる。<br /><br />近付いて鞘堂がの中を覗いてみると、思いの外大きな石碑がポツンと置かれている。<br /><br />刻まれている文字は殆ど読めないが、天平宝字六年(762年)多賀城修理を記念して建てられたものらしい。<br /><br />芭蕉は鞘堂も無く天日に晒されていた石碑の文字を、一字残らず正確に写し取ったらしい。<br /><br />石碑の上部に一字だけ”西”の字が鮮明に判り、石碑が西向きに建てられている事を表している。<br /><br />ここには現地専門のガイドさんもおられ、豊富な資料で判りやすい説明をしておられる。<br /><br />またここには芭蕉句碑のほか、寂連、泉式部の歌碑もある。<br /><br />  あやめ草 足に結ばん草鞋の緒  はせを<br /><br />鞘堂の辺りから見下ろすと田圃の一角に紫の花菖蒲が盛りを迎え、我々を歓迎していた。<br /><br /><br />

奥の細道を訪ねて第8回16芭蕉が涙するほど感動を与えた壷碑(つぼのいしぶみ) in 多賀城市

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2012/05/26 - 2012/05/26

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WT信

WT信さん

芭蕉達は陸奥国分寺の参拝を最後に、翌朝、仙台の案内役加右衛門の見送りを受け仙台を発ち、”十符の菅(とふのすが)”に向かう。

ここで編まれた藩主にも献上された程美しいむしろは、”十符の菅菰(すがこも”)と云う名で知られ、昔から多くの歌に詠まれ、歌枕となっていた。

加右衛門の書いた地図を頼りに、芭蕉達は芭蕉の辻(現在七十七銀行伝馬町支店の一つ北側の辻で、かっての陸奥街道の起点。我々の芭蕉とは関係ない)へ出て、奥州街道を北に進み、燕沢の宿を通り今市で岩切川を渡る。

橋の傍のある東光寺の前の道を西へ行った辺りが十符の菅だったらしい。

因みに当時東光寺の前の道を”奥の細道”と呼んでいたらしく、芭蕉はこの道の名前を貰って、紀行文の名を”奥の細道”と名付けた。

十符の菅菰を見物した芭蕉達は”奥の細道”を東に向かい、松島への道と塩釜への道に分かれる追分を東に、塩釜に向かう。

向かった先は多賀城碑とも呼ばれる”壷の碑(つぼのいしぶみ)”。

芭蕉は”壷の碑”の前に立ち、奈良時代の石碑が江戸時代に遺され、まのあたりに出来た事に、涙を流して感動する。

奥の細道を訪ねて第8回の旅の3日の朝、我々も多賀城に向かい、JR多賀城駅の南を流れる砂押川の南側のセブンイレブンの駐車場で、地元のガイド”三宅洋司さん”と落ち合い、以後多賀城の観光は三宅さんの案内に従う。

しかし三宅さんの案内ルートは順序が芭蕉のルートと違ったので、ここでは原則として芭蕉のルートの順を優先し、芭蕉の多賀城での最初の訪問先”壷の碑(つぼのいしぶみ)”に準じて、我々も多賀城の旅を”壷の碑”を訪ねることからスタートとします。

奈良時代の陸奥の国府でもあった岡の上の多賀城の南門跡の辺りに、格子状の壁に囲まれた鞘堂が木漏れ日を浴びて美しい姿を見せていた。

この鞘堂は水戸光圀(黄門)の進言に拠り、当時の藩主伊達綱村が建てたとされる。

近付いて鞘堂がの中を覗いてみると、思いの外大きな石碑がポツンと置かれている。

刻まれている文字は殆ど読めないが、天平宝字六年(762年)多賀城修理を記念して建てられたものらしい。

芭蕉は鞘堂も無く天日に晒されていた石碑の文字を、一字残らず正確に写し取ったらしい。

石碑の上部に一字だけ”西”の字が鮮明に判り、石碑が西向きに建てられている事を表している。

ここには現地専門のガイドさんもおられ、豊富な資料で判りやすい説明をしておられる。

またここには芭蕉句碑のほか、寂連、泉式部の歌碑もある。

  あやめ草 足に結ばん草鞋の緒  はせを

鞘堂の辺りから見下ろすと田圃の一角に紫の花菖蒲が盛りを迎え、我々を歓迎していた。


同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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