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芭蕉が目指した”武隈の松”は、竹駒神社をやや北に進んだ奥州街道に面した”二木の松史跡公園”の道路脇に立っていた。<br /><br />曾良の旅日誌によればこの辺りは当時侍屋敷が並んでいて、その一角に竹駒神社の別当寺、宝窟山竹駒寺と云うお寺があり、その裏に”武隈の松”はあったらしい。<br /><br />道路沿いの囲いの中に根元が二つに分かれ、そのまま真っすぐ空に延びる松があった。<br /><br />公園に建つ案内板に拠ると、初代の松は1000余年前、陸奥の国司藤原元良(善)が植え、その後この松は能因法師や西行に詠まれ、”武隈の松”は歌枕として知られるようになる。<br /><br />”武隈の松”は芭蕉の居た江戸にも知られており、芭蕉の弟子挙白が選別として芭蕉に送った句がある。<br /><br />  武隈の 松みせ申せ遅桜    挙白<br /><br />芭蕉はこの”武隈の松”を観ていたく感動する。<br /><br />そして芭蕉はその感動を選別の句を呉れた挙白に手紙する。<br /><br />  桜より 松は二木を三月越シ  芭蕉<br /><br />現在の”武隈の松”は7代目で、既に8代目の”武隈の松”が”二木の松史跡公園”の奥で”出番”を待っていた。<br /><br />この句を刻んだ芭蕉の句碑は、8代目の”武隈の松”と並んで公園の奥に控えていた。<br /><br />公園の一角に初代の”武隈の松”を植えた藤原元良の歌碑もある。<br /><br />直ぐ前の奥州街道を引っ切り無しに車が走り、7代目”武隈の松”の寿命が縮まるのでは・・と気になった。<br />

奥の細道を訪ねて第8回08歌枕”武隈の松”で知られた二木の松 in 岩沼市

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2012/05/24 - 2012/05/24

58位(同エリア73件中)

WT信

WT信さん

芭蕉が目指した”武隈の松”は、竹駒神社をやや北に進んだ奥州街道に面した”二木の松史跡公園”の道路脇に立っていた。

曾良の旅日誌によればこの辺りは当時侍屋敷が並んでいて、その一角に竹駒神社の別当寺、宝窟山竹駒寺と云うお寺があり、その裏に”武隈の松”はあったらしい。

道路沿いの囲いの中に根元が二つに分かれ、そのまま真っすぐ空に延びる松があった。

公園に建つ案内板に拠ると、初代の松は1000余年前、陸奥の国司藤原元良(善)が植え、その後この松は能因法師や西行に詠まれ、”武隈の松”は歌枕として知られるようになる。

”武隈の松”は芭蕉の居た江戸にも知られており、芭蕉の弟子挙白が選別として芭蕉に送った句がある。

  武隈の 松みせ申せ遅桜    挙白

芭蕉はこの”武隈の松”を観ていたく感動する。

そして芭蕉はその感動を選別の句を呉れた挙白に手紙する。

  桜より 松は二木を三月越シ  芭蕉

現在の”武隈の松”は7代目で、既に8代目の”武隈の松”が”二木の松史跡公園”の奥で”出番”を待っていた。

この句を刻んだ芭蕉の句碑は、8代目の”武隈の松”と並んで公園の奥に控えていた。

公園の一角に初代の”武隈の松”を植えた藤原元良の歌碑もある。

直ぐ前の奥州街道を引っ切り無しに車が走り、7代目”武隈の松”の寿命が縮まるのでは・・と気になった。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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