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奈良時代の陸奥の国府だった多賀城に行ってきました。<br />雨降りしきる多賀城のウォーキングだったため、十分な写真を撮ることができませんでした。<br /><br />多賀城の周辺は、遺跡の宝庫となっています。<br /><br />広大な面積の多賀城の史跡のほか、JR「国府多賀城」駅の周辺には舘前遺跡、多賀城廃寺跡のほか東北歴史博物館があります。そのほか、少し駅からは離れますが「多賀城市埋蔵文化財調査センター」では、多賀城で発掘された当時の遺物が多数展示されていました。<br /><br />多賀城の政庁跡は、海側より小高い丘陵地帯のもっとも高い位置のあたりにあり、政庁跡からは天気がいいとおそらく周辺がよく見張らせたものだと思います。<br /><br />国府多賀城駅の近くには仮設住宅があり、政庁跡に向かう途中には袋に詰められたがれきが積み重なっておかれたグランドが非常に印象的でした。<br /><br />いまは、歴史ブーム。<br />仙台の青葉城などと合わせ、陸奥国の中心として栄えた多賀城の史跡などをトレッキングしつつ、たくさんの歴史ファンの方に多賀城にも来ていただきたいなと思いました。

日本三古碑多賀城碑と史跡多賀城を行く

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2012/05/03 - 2012/05/03

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よっしー

よっしーさん

奈良時代の陸奥の国府だった多賀城に行ってきました。
雨降りしきる多賀城のウォーキングだったため、十分な写真を撮ることができませんでした。

多賀城の周辺は、遺跡の宝庫となっています。

広大な面積の多賀城の史跡のほか、JR「国府多賀城」駅の周辺には舘前遺跡、多賀城廃寺跡のほか東北歴史博物館があります。そのほか、少し駅からは離れますが「多賀城市埋蔵文化財調査センター」では、多賀城で発掘された当時の遺物が多数展示されていました。

多賀城の政庁跡は、海側より小高い丘陵地帯のもっとも高い位置のあたりにあり、政庁跡からは天気がいいとおそらく周辺がよく見張らせたものだと思います。

国府多賀城駅の近くには仮設住宅があり、政庁跡に向かう途中には袋に詰められたがれきが積み重なっておかれたグランドが非常に印象的でした。

いまは、歴史ブーム。
仙台の青葉城などと合わせ、陸奥国の中心として栄えた多賀城の史跡などをトレッキングしつつ、たくさんの歴史ファンの方に多賀城にも来ていただきたいなと思いました。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
その他

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  • 日本三古碑の一つ、多賀城碑。<br /><br />この碑文は、多賀城から京や周辺国内外の各国への距離が書かれた文字が刻まれているほか、大野東人が神亀元年(724年)に多賀城を設置し、天平宝字6年(762年)に藤原朝狩が修築したことが記録された碑文です。<br /><br />この建物の中に、その碑はあります。<br /><br />ちなみに、多賀城碑の下には大きな駐車場があり、無料で停めることができました。

    日本三古碑の一つ、多賀城碑。

    この碑文は、多賀城から京や周辺国内外の各国への距離が書かれた文字が刻まれているほか、大野東人が神亀元年(724年)に多賀城を設置し、天平宝字6年(762年)に藤原朝狩が修築したことが記録された碑文です。

    この建物の中に、その碑はあります。

    ちなみに、多賀城碑の下には大きな駐車場があり、無料で停めることができました。

    多賀城碑 (壷碑) 名所・史跡

  • 多賀城碑<br /><br />実際には、漢字一字一字が鮮明の当時のままで見ることができます。<br /><br />正確な碑文は、多賀城市のホームページでも紹介しています。<br />ぜひ見てみてください。<br /><br />多賀城市ホームページより<br />http://www.city.tagajo.miyagi.jp/monosiri/bunkazai/zyuubun/index.html

    多賀城碑

    実際には、漢字一字一字が鮮明の当時のままで見ることができます。

    正確な碑文は、多賀城市のホームページでも紹介しています。
    ぜひ見てみてください。

    多賀城市ホームページより
    http://www.city.tagajo.miyagi.jp/monosiri/bunkazai/zyuubun/index.html

  • 多賀城碑は、多賀城の南門と築地塀のそばにあります。<br /><br />築地塀の跡が、非常にきれいに残っており、跡がよくわかるのが印象的で、到着してすぐにこのきれいな史跡を見ることができて、大雨の中にもかかわらず、思いっきり興奮してしましました。

    多賀城碑は、多賀城の南門と築地塀のそばにあります。

    築地塀の跡が、非常にきれいに残っており、跡がよくわかるのが印象的で、到着してすぐにこのきれいな史跡を見ることができて、大雨の中にもかかわらず、思いっきり興奮してしましました。

  • 多賀城碑から北へまっすぐ、小高い丘を登ると政庁です。<br /><br />この先の階段を上ると、政庁につきます。

    多賀城碑から北へまっすぐ、小高い丘を登ると政庁です。

    この先の階段を上ると、政庁につきます。

  • 緩やかな坂ですが、かなり長く続いていて、この日は大雨で足元がぬかるんでいたので、転倒しないように気を付けて歩きました。<br /><br />もう少しで政庁に到着しますが、その手前にも役所などが建っていた城前地区という遺跡があります。

    緩やかな坂ですが、かなり長く続いていて、この日は大雨で足元がぬかるんでいたので、転倒しないように気を付けて歩きました。

    もう少しで政庁に到着しますが、その手前にも役所などが建っていた城前地区という遺跡があります。

    多賀城政庁跡 名所・史跡

  • ここが城前地区。<br /><br />ここには、役所群がありました。<br /><br />宝亀11年(780年)に伊治公呰麻呂の反乱で役所群が消失したそうですが、その後再建されたそうです。

    ここが城前地区。

    ここには、役所群がありました。

    宝亀11年(780年)に伊治公呰麻呂の反乱で役所群が消失したそうですが、その後再建されたそうです。

  • スタート地点から外郭南門まで通じるこの道の解説を見つけました。

    スタート地点から外郭南門まで通じるこの道の解説を見つけました。

  • 政庁に到着。<br /><br />政庁南門跡から、政庁を望む<br /><br />この先に見える基壇が政庁跡です。<br />中央から派遣された役人たちがここで、陸奥国の行政を取ったところなのでしょう。<br /><br />また鎮守府として、蝦夷を平定する拠点としても機能したのでしょうか?

    政庁に到着。

    政庁南門跡から、政庁を望む

    この先に見える基壇が政庁跡です。
    中央から派遣された役人たちがここで、陸奥国の行政を取ったところなのでしょう。

    また鎮守府として、蝦夷を平定する拠点としても機能したのでしょうか?

  • 多賀城跡<br /><br />ここで政務が執られていたのですね。<br /><br />何もない跡ですが、ここにきて当時を想像しているだけで興奮してしまいます。

    多賀城跡

    ここで政務が執られていたのですね。

    何もない跡ですが、ここにきて当時を想像しているだけで興奮してしまいます。

  • 政庁東南の建物跡です。<br /><br />

    政庁東南の建物跡です。

  • 政庁地区の役所などの建物跡、回廊跡の様子や雰囲気がよくわかります。

    政庁地区の役所などの建物跡、回廊跡の様子や雰囲気がよくわかります。

  • 政庁跡を出て、六月坂地区へ。<br /><br />ここには掘立柱建物群が見つかりました。<br />倉庫群だったそうです。

    政庁跡を出て、六月坂地区へ。

    ここには掘立柱建物群が見つかりました。
    倉庫群だったそうです。

  • 倉庫群の跡

    倉庫群の跡

  • 外郭東南の門跡へ。

    外郭東南の門跡へ。

  • 東大垣跡

    東大垣跡

  • 外郭北東部へ向かって歩きます。<br /><br />

    外郭北東部へ向かって歩きます。

  • 外郭北東部を塀に沿って歩いていくと、櫓のあとが見えてきます。<br /><br />この辺りは高所になっており、周囲を見渡すことができたのでしょう。木々が生い茂っていて、私にはよくわかりませんでした。

    外郭北東部を塀に沿って歩いていくと、櫓のあとが見えてきます。

    この辺りは高所になっており、周囲を見渡すことができたのでしょう。木々が生い茂っていて、私にはよくわかりませんでした。

  • 櫓方向へ向かってかなり急な坂をぬかるむ中で歩きました。

    櫓方向へ向かってかなり急な坂をぬかるむ中で歩きました。

  • 再び戻ってきて、外郭北東隅の大垣のあたりです。

    再び戻ってきて、外郭北東隅の大垣のあたりです。

  • 外郭東門跡の解説版

    外郭東門跡の解説版

  • 外郭東門跡

    外郭東門跡

  • 東門の周辺の史跡群

    東門の周辺の史跡群

  • 東門をくぐると、平安時代の史跡群があります。

    東門をくぐると、平安時代の史跡群があります。

  • 平安時代の東門北櫓跡です。

    平安時代の東門北櫓跡です。

  • 大畑地区<br /><br />この辺りも役所群だったのでしょう

    大畑地区

    この辺りも役所群だったのでしょう

  • 大畑地区の掘立柱建物跡

    大畑地区の掘立柱建物跡

  • 作貫地区<br /><br />ここはかなり見応えがあります。<br /><br />土塁などが露出展示されている地域です。<br />政庁跡から見ると、小高い丘を挟んで東側の丘陵上に位置します。

    作貫地区

    ここはかなり見応えがあります。

    土塁などが露出展示されている地域です。
    政庁跡から見ると、小高い丘を挟んで東側の丘陵上に位置します。

  • 当時の空堀の様子などを見ることができます。

    当時の空堀の様子などを見ることができます。

  • 当時の橋脚跡です。<br /><br />こんなの見せられて、興奮しないわけがない。

    当時の橋脚跡です。

    こんなの見せられて、興奮しないわけがない。

  • 橋脚のあたりはこんな感じ。

    橋脚のあたりはこんな感じ。

  • 建物跡

    建物跡

  • 外郭南東隅まで戻ってきました。<br />間もなくマイカーです。

    外郭南東隅まで戻ってきました。
    間もなくマイカーです。

  • 南遍の築地の解説があります<br />

    南遍の築地の解説があります

  • 築地に沿って撮影。<br /><br />奥に見える一台の車が、我が家のプレマシー^^

    築地に沿って撮影。

    奥に見える一台の車が、我が家のプレマシー^^

  • そして、多賀城もラスト。<br /><br />これが駐車場のあたりから取った、周辺の築地の写真です。<br /><br />かなり大きな城でした。<br /><br />城の建物や役所群など発掘したエリアは、一か所一か所に発掘時の写真と解説があったので、とても楽しく見て歩くことができました。

    そして、多賀城もラスト。

    これが駐車場のあたりから取った、周辺の築地の写真です。

    かなり大きな城でした。

    城の建物や役所群など発掘したエリアは、一か所一か所に発掘時の写真と解説があったので、とても楽しく見て歩くことができました。

  • 国府多賀城駅の正面に広がる、建前遺跡の解説

    国府多賀城駅の正面に広がる、建前遺跡の解説

  • これが館前遺跡。<br /><br />陸奥国の国司の館跡と考えられているそうで、非常に貴重の史跡だそうです。

    これが館前遺跡。

    陸奥国の国司の館跡と考えられているそうで、非常に貴重の史跡だそうです。

  • 多賀城廃寺へ移動<br /><br />この廃寺の名称こそ不明ですが、多賀城の歴史とほぼ関連している遺跡と考えられています。<br /><br />ただし、「観音寺」と書かれた墨書土器が見つかっているそうで、この寺の名前が観音寺といったのではなかったかとも考えられています。

    多賀城廃寺へ移動

    この廃寺の名称こそ不明ですが、多賀城の歴史とほぼ関連している遺跡と考えられています。

    ただし、「観音寺」と書かれた墨書土器が見つかっているそうで、この寺の名前が観音寺といったのではなかったかとも考えられています。

    多賀城廃寺跡 名所・史跡

  • 塔の跡を望む

    塔の跡を望む

  • 正面から見た金堂の跡です。

    正面から見た金堂の跡です。

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