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続いて藤原実方の墓へ向かう。<br /><br />田園風景が広がる道端にしては、不似合なほど大きな”中将藤原実方朝臣の墓”と云う案内板を過ぎ、小川に架かる木製の”実方橋”を渡ると、更に実方の墓と芭蕉の句碑の案内板がある。<br /><br />案内板の奥には、最近余り目にした事が無い籾殻の山が庭の片隅にある農家。<br /><br />その農家の角に古木が生え、木の根元に僅かにススキが見られ、”かたみのすすき”と案内板が建って居る。<br /><br />その下にここを訪れる事が出来無かった無念さが漂う芭蕉の句があった。<br /><br />   笠島は いづこ皐月のぬかり道  はせを<br /><br />  <br />僅かなススキの草叢に隠れるように、松洞馬年の句碑もある。<br /><br />   笠島は あすの草鞋ぬき處   馬年<br /><br />その農家の脇に、杉の木と孟宗だけで覆われた小道が延び、その先に簡単な木製の囲いがあり、前後にその囲いにそぐわない立派な石碑が見える。<br /><br />囲いの脇に”中将藤原実方朝臣の墓”と刻まれた石塔。<br /><br />近付いて囲い中を覗くと中心にやっとそれと判る盛り土があり、印ばかりの祈り紙を結んだ棒が建っていた。<br /><br />中将藤原実方は、乗馬のままで道祖神社の前を通らんとし、落馬して命を落とし、ここに葬れれたと云われる。<br /><br /><br />囲いの周りの立派な石碑は、前方右にあるのが西行法師の歌碑で、芭蕉の句碑の傍に有った”かたみにすすき”は、歌詞の”かれ野のすすき”名残り?。<br />  <br />   朽ちもせぬ 其名ばかりを留置きて<br />       かれ野のすすき かたみにぞ見る   西行<br /><br />囲いの後方左手にあるのが、囲いの墓の主中将藤原実方朝臣の歌碑。<br /><br />   さくらがり 雨はふりきぬおなじくは<br />        ぬるとも花の 影にかくれむ    実方<br /><br />う〜ん・・西行がはるばる訪れ、芭蕉が訪れることが叶わず、悲痛な思いにかられたのとは対称的と思われるこの質素な墓の主、”中将藤原実方朝臣”とは一体何者だろう・・と思う人は私に限らず多いに違いない。<br /><br />平安時代の三十六歌仙に一人で、天皇の寵愛も強く、宮帝の花形歌人。<br /><br />源氏のモデルとも云われた貴公子で、清少納言初め多くの女性と浮名を流す。<br /><br />その為ライバルも多かったろう事は想像に難くない。<br /><br />ライバルと争っての左遷説もあるが、陸奥に赴任するに際して、出世して正四位となり、”陸奥守”にも任じられ、中将も兼務しているから左遷ではない・・との説もあるらしい。<br /><br />「拾遺集」などの勅撰集には実方の歌が六十七首も取り上げられており、西行等その道の人にとっては憧れの人だったのであろうし、西行を慕う芭蕉が同じ思いを抱いたとしても不思議なことでは無い・・とも思われる。<br /><br />それにしても実方の墓の姿は、”乗馬のままで道祖神社の前を通らんとした報い”を表すものなのだろうか。<br /><br />”小倉百人一首”の有名な恋の歌<br /><br />    かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを  実方 <br /><br />がこの実方だと知らされ、中将藤原実方朝臣がやっと少し身近になった。<br /><br />それなら知ってるよと思われる方も多かろう。

奥の細道を訪ねて第8回11三十六歌仙の一人藤原実方(左近衛中将実方)の墓 in 名取市

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2012/05/25 - 2012/05/25

235位(同エリア259件中)

WT信

WT信さん

続いて藤原実方の墓へ向かう。

田園風景が広がる道端にしては、不似合なほど大きな”中将藤原実方朝臣の墓”と云う案内板を過ぎ、小川に架かる木製の”実方橋”を渡ると、更に実方の墓と芭蕉の句碑の案内板がある。

案内板の奥には、最近余り目にした事が無い籾殻の山が庭の片隅にある農家。

その農家の角に古木が生え、木の根元に僅かにススキが見られ、”かたみのすすき”と案内板が建って居る。

その下にここを訪れる事が出来無かった無念さが漂う芭蕉の句があった。

   笠島は いづこ皐月のぬかり道  はせを

  
僅かなススキの草叢に隠れるように、松洞馬年の句碑もある。

   笠島は あすの草鞋ぬき處   馬年

その農家の脇に、杉の木と孟宗だけで覆われた小道が延び、その先に簡単な木製の囲いがあり、前後にその囲いにそぐわない立派な石碑が見える。

囲いの脇に”中将藤原実方朝臣の墓”と刻まれた石塔。

近付いて囲い中を覗くと中心にやっとそれと判る盛り土があり、印ばかりの祈り紙を結んだ棒が建っていた。

中将藤原実方は、乗馬のままで道祖神社の前を通らんとし、落馬して命を落とし、ここに葬れれたと云われる。


囲いの周りの立派な石碑は、前方右にあるのが西行法師の歌碑で、芭蕉の句碑の傍に有った”かたみにすすき”は、歌詞の”かれ野のすすき”名残り?。
  
   朽ちもせぬ 其名ばかりを留置きて
       かれ野のすすき かたみにぞ見る   西行

囲いの後方左手にあるのが、囲いの墓の主中将藤原実方朝臣の歌碑。

   さくらがり 雨はふりきぬおなじくは
        ぬるとも花の 影にかくれむ    実方

う〜ん・・西行がはるばる訪れ、芭蕉が訪れることが叶わず、悲痛な思いにかられたのとは対称的と思われるこの質素な墓の主、”中将藤原実方朝臣”とは一体何者だろう・・と思う人は私に限らず多いに違いない。

平安時代の三十六歌仙に一人で、天皇の寵愛も強く、宮帝の花形歌人。

源氏のモデルとも云われた貴公子で、清少納言初め多くの女性と浮名を流す。

その為ライバルも多かったろう事は想像に難くない。

ライバルと争っての左遷説もあるが、陸奥に赴任するに際して、出世して正四位となり、”陸奥守”にも任じられ、中将も兼務しているから左遷ではない・・との説もあるらしい。

「拾遺集」などの勅撰集には実方の歌が六十七首も取り上げられており、西行等その道の人にとっては憧れの人だったのであろうし、西行を慕う芭蕉が同じ思いを抱いたとしても不思議なことでは無い・・とも思われる。

それにしても実方の墓の姿は、”乗馬のままで道祖神社の前を通らんとした報い”を表すものなのだろうか。

”小倉百人一首”の有名な恋の歌

    かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを  実方 

がこの実方だと知らされ、中将藤原実方朝臣がやっと少し身近になった。

それなら知ってるよと思われる方も多かろう。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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