2012/05/14 - 2012/05/17
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フロッガーさん
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1日目は長谷寺を拝観した時点で午後4時半を過ぎたあたり。
大雨になってきたのと時間的にこれ以上の拝観は無理と判断して、レンタカーを返して泊まるホテルへ向かいました。
自家用車でもう少し早い時間から巡ることができれば飛鳥寺や岡寺なども行きたかった(`▽´)
宿にしたのは「スーパーホテルLohas奈良」。
JR奈良駅の目の前ですし、温泉もありまして接客も丁寧。
そして恒例の王将で夕食。
深夜バスで寝られなかったために部屋に戻るとバタンキューでした。
2日目は法隆寺を拝観してから奈良市内へ舞い戻り、興福寺や東大寺を巡ります。
朝ごはんはホテルの朝食。
パンが色々あって良い良い。
JR奈良駅から法隆寺までは関西本線。
けっこう頻繁に出ている電車なので、10分ちょっとで到着します。
法隆寺まで歩きます。
目指すは日本の世界遺産第一号、法隆寺域の中枢。
聖徳宗・大本山です。
元々は用明天皇が御自身の病気治癒のためにお寺を建てることを願い、推古天皇と聖徳太子が推古十五年(607)「斑鳩寺」として創建したのを起源とします。
創建時の伽藍は焼失しますが、8世紀ころには再建されることとなりこの時に「法隆寺」と名を改めたものです。
法隆寺境内は大きく西院伽藍・東院伽藍の2つから構成されます。
聖徳太子によって造られたのは西院伽藍で、東院伽藍は太子の死後の山背大兄王の時代に蘇我入鹿によって焼き討ちにされた斑鳩宮の跡地に建てられました。
「和を以て貴しと為す」
1400年以上にわたって守られてきた聖徳太子の理想郷です。
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー 新幹線 JRローカル 徒歩
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法隆寺駅北口を出て法隆寺参道入り口までは歩くと1.5km程です。
ダラダラ歩いて20分程度。
バスも出ていて、その場合は8分ほどで到着します。
法隆寺境内はかなり広く全部を見るとかなり歩きます。
駅から歩くかどうかは体力に合わせてどうぞ。
私はここで徒歩を選択したために後で苦行(爆)
駅を出て北に向かい国道を歩きますが、途中で陸橋が見えたら手前の道を左にそれて住宅街を歩いた方が近道ですし、静かです(笑)法隆寺駅 駅
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松の木は聖徳太子が好きな木だったそうです。
350m続く松並木。
この外側の表参道にお店が並んでいます。 -
並木を越すと南大門が見えてきます。
東大寺 寺・神社・教会
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南大門。
永享十年(1438)、再建。
入母屋造の一重の門で当時の西大門を移築したものです。
法隆寺の玄関。東大寺 寺・神社・教会
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南大門から。
中門が見えてきます。東大寺 寺・神社・教会
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参道が長い(;´▽`A``
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中門正面。
修学旅行等ではここが団体写真の基本撮影場所です(笑)
中門は仁王門も兼ねて金剛力士像がおられます。
現存の仁王像ではもっとも古いものです。 -
中門は基本的には金堂と同じような形式で造られていますが、中央部にも柱があり間口が偶数の変わった作りです。
この造りについては諸説あるそうですが、近年のトンデモ説では聖徳太子の呪いが外に出ないように封じているという説があります。
実際には法隆寺はよくある四天王寺式(塔から金堂等を一直線に建てる)ではなく塔と金堂を等しく扱うために横に並ぶ独特の伽藍配置です。
そのために中門の特殊な形状、中央の柱は左右の入り口として分けるために造られたのではないかと言われています。
中門からのびる廻廊の左手に伽藍内部への入り口があります。 -
内部に入れば西院伽藍です。
最初に見えるのは五重塔と金堂。
五重塔は、総高34m。
五重塔の屋根は上に行くほど小さくなり、初層部と5層部ではちょうど2:1。
日本において最古の塔となり、初層では100体にのぼる塑像の仏像で仏教説話の世界を表現しています -
金堂。
世界最古の木造建築です。
法隆寺の本尊を安置します。
・金銅釈迦三尊像
・金銅薬師如来坐像
・金銅阿弥陀如来坐像
・樟で造られた四天王
等が中におられます。
中央に本尊、釈迦三尊像。
こちらが聖徳太子、右手にある薬師如来坐像が太子の父の用明天皇。
左手の阿弥陀如来坐像が太子の母である穴穂部間人皇后。
それぞれのために造られた仏様です。
本尊の釈迦如来様は聖徳太子の病気治癒を願い造られた、太子の等身像と言われます。
これは釈迦如来様の光背に書かれている文に、太子の浄土への往生を願い太子と同じ背丈の寸法で造った(尺寸王身)と明記されているため、太子そのものだと言えます。 -
大講堂、奥が鐘楼です。
この左手が経蔵で、廻廊でつながっています。
大講堂は仏教の研究や法要を行う施設でした。
延長三年(925)に落雷による火災で鐘楼とともに焼失。
正暦元年(990)には再興され、本尊である薬師三尊像もこの時に造られました。 -
相輪には東西何北に4つの鎌が刺さっています。
この鎌には意味があるそうで、聖徳太子の怨念を封じ込めるものだとか、落雷よけだとか言われているそうです。
太古からの言い伝えでは、この鎌が上を向いているとその年は豊作、下を向いていると不作になるそうです。
現在の鎌は昭和の大修理で解体修理を行ったときに、内部から出てきた古釘を熔かして鉄に戻し作られた物です。
最近の研究やスカイツリーの基本構造で有名になった心柱。
心柱は五重塔の中心にある柱です。
この柱はヒノキでできていますが、あくまで基礎からこの相輪部分までを貫きこれだけを支える仕組みだそうです。
五重塔で一番重要なのはこの法輪の根元の部分です。
ここに釈迦のお骨(舎利)が納められるからです。
心柱の本当の役割に関してはわかっていないことも多いそうです。
2000年以上の樹齢のヒノキを使って、そこから修理をしながらも1300年以上持たせた。
凄いことです。 -
登り龍。
これは江戸時代の修理によって補強も兼ねて付けられたそうです。 -
邪鬼。
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廻廊。
柱はいわゆるエンタシスの形状。
表面の割れなど飛鳥時代からあると考えると凄いです。 -
法隆寺は境内至る所に案内をしてくれる人や整備をしてくれるおじさんがいます。
みなさん親切で、ここから写真をとった方が良いよとか教えてくれます(*'ー'*)
南東側廻廊から。 -
鏡池。
この場所に茶店が大正時代まであったそうです。 -
正岡子規の「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と歌碑があります。
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聖霊(しょうりょう)院へ。
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聖徳太子を祀るお堂です。
平安末期の作である聖徳太子の尊像を安置しています。 -
綱封蔵(こうふうぞう)。
奈良時代〜平安初期時代の倉庫です。
南北に別れた倉がつながるようになっていまして、寺宝等を保管する物だったとされます。 -
高床式。
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大宝蔵院へはいります。
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大宝蔵院・百済観音堂。
この左手からぐるっと回るように進みます。
博物館のようになっている近代的な建物。
平成10年に造られた建物です。
この中に百済観音像(飛鳥時代作の木造観音菩薩像)を筆頭に国宝級が並びます。
いわゆる歴史の教科書や資料集に出てくる物がザクザクです。
「観音菩薩立像(九面観音)」
「観音菩薩立像(夢違観音)」
「地蔵菩薩立像」
「六観音像」
「玉虫厨子」(推古天皇所持)
「橘夫人厨子、及び阿弥陀三尊像」
「金堂小壁画」
等々。 -
大宝蔵院を出ますと南に下ります。
左手には大宝蔵殿の北倉前が休憩所。
写真は五重塔方向。 -
参道に戻ります。
写真奥が中門方向。 -
参道を左に、東院伽藍をめざします。
こちらは東大門。
三棟造という奈良時代の建築様です。 -
夢殿へ到着。この四脚門をくぐります。
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入った途端に、係員のおじさんにこっちから撮った方が良いと指示されます(爆)
夢殿の奥側は舎利殿絵殿。 -
夢殿は「法隆寺東院夢殿」が正式名称です。
推古天皇三十年(622)、聖徳太子は亡くなります。
斑鳩宮の跡地であった場所に建てられた上宮王院の伽藍の中心で、
夢殿は聖徳太子の供養のために天平十一年(739)に建てられたものです。
今でも10年に1度、聖徳太子の命日にあわせて聖霊会(大会式)が行われます。 -
八角の建物の中に秘仏である救世観音像が置かれます。
救世観音様の周囲に聖観音菩薩像・太子の孝養像・この伽藍を造った行信僧都像・道詮律師坐像が置かれています。
毎年、春季4/11〜5/18、秋季10/22〜11/23に拝観できます。
秘仏とされた救世観音像、明治十七年に岡倉天心とフェノロサが調査するまで布でまかれた状態で1000年を過ごしてきた仏像です。
そのため貼られた金箔なども綺麗に残っています。
噂では布をとればたたりが起きるとされ、調査時には幾人かのお坊さんが寺を離れたともいわれます。
※写真
JTBムック
「奈良ワンダーランド」より。 -
礼堂。
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夢殿をでて、北に向かいます。
東院伽藍と隣接する中宮寺へ。
旧斑鳩御所であり、大和三門跡尼寺です。
創建当初は今の場所より東に400mほど離れた場所だったと言います。
開基は聖徳太子と伝わり、母親である穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために建立したと伝わります。
創建時は今より東に500m程の所にあり、天文年間に現在地へ移りました。
代々女性の住職が守るお寺です。中宮寺 寺・神社・教会
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現在の中宮寺本堂は高松宮妃殿下の御発願にて造られました。
昭和四十三年五月落慶。中宮寺 寺・神社・教会
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本尊は像高132cmの半跏の如意輪観世音菩薩様です。
エジプトのスフィンクス・レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界三大微笑の1つとも言われます。
指先を軽く頬にあてて、物思いにふけるような仕草が素敵。
※写真
JTBムック
「奈良ワンダーランド」より。 -
法隆寺東院鐘楼堂。
袴腰形式で、内部には「中宮寺」の刻印のある梵鐘がつるされます。
ひとまず、法隆寺拝観も終了です。
「和を以て貴しと為す」
十七条憲法の第一条の全文よりも、この「和をもって」が一人走りしたことが間違った認識を日本人に植え付け、日本人に都合のいいように解釈させました。
この「和」とは仲良くという意味ではありません。
人と人とがわかりあうためには意見をぶつけ合う、とことんやり取りをする。
その結果、相手を理解し相手への尊重も生まれる。
その中で歩み寄りもあるだろう。
物事の問題点は筋道を立てて理解すれば、おのずと解決するということです。
問題が起きても責任を取りたくない、自分が不利になりたくないために自分の意見は言わないでただ合わせようとすること。
うやむやにすること。
表面上で上手くやりすごす、わかったふりをして本質を明らかにしない人間ばかりになる。
ぱっと見では温厚だと評価されるかもしれないが、本質的にはそういう人間は卑怯者であり、人に信頼されることはない。
現代でいえばこういうことになると思いますが、
自分の利益しか考えないこと・自分の都合の良いような人間で集まるな、
問題が起きたら原因と結果を明らかにすること。
なぜ起きたのかその原因の所在を明らかにするために、とことん話し合え。
本当に目的が一緒であればわかりあえるはず。
聖徳太子はそう言いたかったのだろうと思います。
十七条憲法は全国民にあてたものではなく、どちらかといえば政治を司る者へ向けた戒めであろうと思います。
それでも本当の意味での基本は「人として」ということに尽きるのであろうと思います。
聖徳太子の夢の跡。
広い境内に翻弄されグデングデン。
1000年の秘仏が拝観できて夢心地。
軟弱にバスで法隆寺駅に戻ろうと思いましたが、次のバスが30分後と聞いて歩くことにします。
ヒーヒー(懐も)言いながら法隆寺駅へ。
お寺巡りをすると拝観料だけでも目がかすむ。
良いお金は水のごとしに流れ出ます(爆)
次に目指すは本日のお昼ごはん、噂の親子丼です!
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