2012/05/14 - 2012/05/17
3381位(同エリア6019件中)
フロッガーさん
- フロッガーさんTOP
- 旅行記264冊
- クチコミ43件
- Q&A回答2件
- 371,316アクセス
- フォロワー6人
それでは最終日、3日目に突入。
この日は奈良で言うところの西の京めぐり。
西大寺から薬師寺、唐招提寺を巡ります。
とはいえ3日目に入り予定も押し押しで足が外れそう(爆)
天平時代に建立された西大寺は名の示すとおりに東の東大寺に対する西の大寺として創建しました。
伽藍造営は神護元年から宝亀末年頃まで続けられたとありますが、
そのころの西大寺の寺域は48ヘクタール以上になりました。
この中に薬師如来、弥勒如来を祀る金堂を筆頭に110余のお堂と東西の塔のある伽藍など東大寺と寺域と比べても遜色ない広さを誇りました。
西大寺は、称徳天皇(孝謙天皇)によって天平神護元年(764)に創建されます。
この年は恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱、いわゆる謀反が発生した年でもありました。
創建時は本尊に釈迦如来を祀ることではなく、鎮護国家と平和祈願のための7尺の高さの金銅四天王像を造るということは、なにより不安定になっている国の平穏安定を求める女帝の願いであったとも言われます。
創建当時は、南都七大寺の1つとして父・聖武天皇が建立した東大寺に対する西の大寺にふさわしい官寺として繁栄しますが、平安時代に入ると幾度の火災等によって建物等を焼失。
衰退していくことになります。
現在の西大寺には愛染明王がおられます。
仏教が煩悩として遠ざける愛欲というものを全てにおいて肯定し、悟りの世界へ導いてくれるのです。
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
-
大和西大寺の駅から歩くと、ミニストップの所を左に曲がれば東の門から入ることになると思います。
東門の南側に駐車場(有料)がありますが、普段は保育園・幼稚園での送迎が多いようなので観光とはっきり言いましょう(笑) -
南大門。東から入りましたが、こちらまでまわりました。
東大寺 寺・神社・教会
-
山号の「勝宝山」の額。
現在の西大寺は正式には「勝宝山・西大寺」。
真言律宗の総本山となります。
平安時代後期に衰退した西大寺は興福寺の配下となっていました。
鎌倉時代に荒廃した西大寺の住持となった叡尊(興正菩薩)は、西大寺の復興をはじめます。
現在に見られる伽藍配置は、この復興時のものとなります。
叡尊によって釈迦如来像が本尊として置かれます。
叡尊は戒律の教えを厳格化、この時を持って西大寺は叡尊が創始した「真言宗・西大寺派(のちの真言律宗)」のお寺と変わってゆくのです。
明治初年(1868)、明治政府によって西大寺は真言宗に属されます。
明治二十八年(1895)に真言宗から独立。
真言律宗となり今日に至ります。興福寺 寺・神社・教会
-
参道から。
-
鐘楼堂。
摂津国の多田院から移設されたものだそうです。 -
南大門から参道を歩くと、東塔跡、奥に金堂が見えてきます。
西大寺にも東西に五重塔が存在したとするなら、南大門から直線上に東塔跡があるのは変ですね(/・ω・)?
どうやら、元々の本堂は今の愛染堂の場所あたり(東門から直線上)だったそうです。東大寺 寺・神社・教会
-
本堂の受付に行きますと、拝観受付になります。
お堂ごとに拝観料金がありますが、お堂でまとめてのこの拝観券でお金を納めた方が良いと思います。
四方の先っちょを半券にするなんだかよい具合のチケット。
塔にかけると、四角から八角にになりますね。
素敵。 -
本堂(光明真言堂)。
本尊は釈迦如来立像です。
建長元年(1249)、叡尊の発願によって模刻造像されたこの如来様の像は、京都の清凉寺の釈迦如来像、清凉寺式と呼ばれる独特の模様(衣がシンメトリーで刻まれる)の仏様の模刻とされます。
本堂内の内陣には灯の点いた灯篭が壁のように並べられていて、独特の世界を感じさせてくれます。
獅子に乗った文殊菩薩様が凄いヽ(`▽´)/ -
東塔跡。
奈良時代には、高さ46mの五重塔が東西に建てられていたと伝えられています。
いわゆる四角形の五重塔ですが、計画時には八角七重の塔を建てる予定であったそうです。称徳天皇は、中国の最先端のお堂を建てようとしたともいわれています。
現在残っているのは東塔の跡だけとなっていますが、礎石や基壇の調査によって当時の塔の大きさ等がわかってきました。
外側の杭が八角七重塔の基壇が建つ場所と推定されています。
創建当初の塔は平安時代に焼失し、藤原後期に再建されたと言います。
その東塔も室町時代の火事によって焼失しています。 -
聚宝館(しゅうほうかん)に向かいます。
-
秘仏の愛染明王像とともに聚宝館も期間限定での開館ということでしたが、5月現在は聚宝館だけ開館中。
聚宝館には西大寺の寺宝や、五重塔の模型などが展示されています。 -
四王堂(しおうどう)。
称徳天皇によって銅造四天王像が祀られた四王堂の建物は火災によって、幾度と焼失しています。
現在のお堂は、江戸時代初期の延宝二年(1764)に再建されたものです。
本尊は像高6m38cmの十一面観音菩薩立像。
この観音様を四天王が守る形となっています。
観音像は仏師・円信が造像したとの言い伝えで、京都の法勝寺の本尊でした。
正応二年(1289)に亀山上皇の院宣によって法勝寺・十一面堂(堂の倒壊)より移されたものです。
四天王の足元、増長天の下にいる邪鬼は唯一の創建当初のものと云われます。 -
百萬古柳。
-
愛染堂。
宝暦十二年(1762)に、京都の近衛政所御殿を移設したお堂です。
中央に愛染堂・南には霊牌堂・北は客殿の形式です。
愛染明王坐像の左の間には、鎌倉時代に西大寺の復興を支えた叡尊の肖像坐像である興正菩薩坐像があります。
厨子に納められる秘仏の愛染明王坐像は、鎌倉時代の宝治元年(1247)に叡尊が願主となり、念持仏として仏師・善円が造ったものと云われます。
善円も鎌倉時代の仏師ですが、当時爆発的に流行った慶派の荒々しさとは違いどちらかといえば綺麗な身なりの女性的な像が特徴。
善円は東大寺・指図堂の釈迦如来坐像の造像でも知られますが、この愛染明王像が善円の作とわかったのはこの像の内部から見つかった造立願文等によってです。
明王像の安置後はお坊さんが拝む時以外は閉ざされて800年ほどを過ごしてきたので、今でも赤い色が鮮やかに残っているそうです。
寺伝によれば、蒙古襲来のときに叡尊はこの愛染明王に祈祷したと云われます。
弘安四年(1281)の役の際、愛染尊勝法の祈祷にて結願(祈祷最終日)の夜に宝殿の扉が開きます。
愛染明王の持つ矢が西に飛び、現地では暴風雨が起こり蒙古の船を沈ませたと伝えられています。 -
菩提樹。
菩提樹はお釈迦様が悟りを開かれたときに座っていた木です。
愛染明王坐像は、像高34cmの小さい御像です。
現在は公開期間を除いてはお前だちとして、模造の愛染明王像が手前の仏壇に納まって開扉されています。
愛染明王は怒りの形相。
その怒りは慈悲の怒りとも呼ばれます。
仏様の穏やかな表情は母親の愛、明王は父の愛。
人を正そうとする愛の怒りなのです。
この御像は三眼六臂(さんがんろっぴ)。
3つの目と6本の手をお持ちになります。
御手は6本ありますが、2組目の手には弓と矢を持ちます。
これは西洋でいうところの、愛のキューピット。
一説では愛染明王とつながりがあるとされます。
その縁もあり、愛の仏様と呼ばれるようになったのです。
煩悩とは本質的に人間が持っている欲望であり、これがなければ理性は働かせることができません。
愛染明王はそういう本能や欲望ということが一番重要であり、生きるための糧にせよと教えるのです。
境内は観光客もいなくて途中で巡礼をしている団体が来ましたが、すぐにいなくなってしまいました。
北側の幼稚園の園児の声しか聞こえないような静かなお寺でした。
静なる奈良。
いにしえの盛大な伽藍に想いを馳せるのも良し。
今度は秘仏公開の季節にでも来れたらなと思います。
それでは移動〜。
ちなみに、車で来る場合は大和西大寺の東側の道(52号線)方向から来るのは避けた方が良いかもしれません。
ナビの標準ルートは混んでいる道を選びます。
時間によっては西大寺前の奈良線の踏切は開かずの踏切。
52号線、薬師寺方面につながる縦の9号線も万年渋滞のような状態なので、この地域はできれば西側の方から入ってくる方が良いと思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
フロッガーさんの関連旅行記
奈良市(奈良) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
15