2012/05/14 - 2012/05/17
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法隆寺から電車で奈良駅まで戻りました。
次は興福寺へ向かいます。
まずはお昼ごはんと・・・奈良県庁の職員食堂で大和肉鶏を使った限定の親子丼があると、るるぶにありました。
ハラヘリヘリハラ!!
奈良県庁へ向かいますヽ(`○´)/
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー 新幹線 JRローカル 徒歩
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JR奈良駅前、旧奈良駅駅舎。
現在は奈良市総合観光案内所となっています。
JR奈良駅から近鉄奈良駅方向まで歩きます。
興福寺までは歩いて20分ほどですが、ずっとダラダラ登り坂。 -
奈良県庁。
食堂が開くまで、まだ20分ほどあったので奈良県庁の屋上にある展望台へ。 -
見晴らしが良いです。
興福寺方向。幸福寺。 by フロッガーさん興福寺 寺・神社・教会
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東大寺方向。
そんで、食堂に行ってみますと・・・
券売機には何も書いてない?どこにも書いてない?
ネットでこちらの食堂に来た人のをいろいろ見ましたが、券売機に書いてあったし・・・すげー並んでいる風な写真だったのに、ほとんど誰もいない(・Θ・;)
限定20食は?
横の喫茶室でアイスコーヒーを飲みながら食堂が開くのを待ったのですが、何やら嫌な予感がしてきます(汗)
思い切って食堂のおばちゃんに聞いてみると、【終了!!!!】
なんと、今はやっていないと(爆)
チッキショー!るるぶめ!!
今年の買ったのに!デカデカと出してやがったクセに!
なんたることか!!
県知事も絶賛と書いてありましたが大不評ですよ(▼O▼メ)
金剛蔵王大権現様も真っ青ですよ!
いやぁ〜、ごきげんだぜ。
しょうがないので、興福寺へ向かいます。
人力車の兄さんが話しかけてきますが、怒り新党の私は目もくれず。 -
お腹空いた〜。
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親子丼はいずこ?
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美味しんぼ曰く、口福になりたーいということで興福寺。
興福寺の始まりは天智朝時代の山背国(山城国)の山階寺を起源とします。
山階寺では、中臣(藤原)鎌足の病気の治癒を祈願して夫人が釈迦三尊像や四天王像を作製、お寺を造営したと伝わります。
壬申の乱のあとに飛鳥に都は移りますが、山階寺も移築されることとなり移築先の地名をとって厩坂寺(うまやさかでら)となりました。
そして平安遷都の際に藤原不比等が現在の場所に移し、興福寺と名付けたのです。幸福寺。 by フロッガーさん興福寺 寺・神社・教会
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藤原氏の隆盛とともに興福寺は氏寺として栄えました。
寺域は現在の10倍以上の寺領になり、150以上のお堂があったと云われます。
伽藍は何度もの大火にあっていますが、そのたびに創建当初の堂塔の形で再建されてきたものです。幸福寺。 by フロッガーさん興福寺 寺・神社・教会
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天平の風( ̄▽ ̄)
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東金堂。
聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気治癒を願って建てたお堂です。
神亀三年(726)の創建以後、6度の大火・兵火にあい現在のお堂は応永二十二年(1415)の再建です。
本尊に薬師三尊像を祀ります。
薬師如来像は応永十八年(1411)の火災焼失後の復興像で室町時代の作です。
脇の日光・月光菩薩像は奈良時代の作です。
そのほか、文殊菩薩像・四天王像・維摩居士像・十二神将像が並びます。 -
興福寺の五重塔は光明皇后の発願によって天平二年(730)に建てられました。
こちらの塔も火災・兵火によって焼失・再建を繰り返しています。
現在の塔は6代目にあたり、応永三十三年(1426)に建てられたものです。
高さは約51mになり、京都の東寺の五重塔に次いで日本で2番目の高さの五重塔です。幸福寺。 by フロッガーさん興福寺 寺・神社・教会
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国宝館。
平成22年にリニューアルされています。
入口を入って左手に興福寺ショップがあります。
ショップは入場券がなくても入れます。
阿修羅の手ぬぐいを買って満足( `ー´)
国宝館はLED照明を使うことによって、今までは必要だった紫外線などを吸収するガラスがいらなくなりました。
このために直接同じ空間で仏像を拝観できるようになっています。
興福寺の八部衆立像は奈良時代の初め、聖武天皇の妃・光明皇后の発願によって造られたと云われています。
古代インドのバラモン教の神々が仏教に帰依した姿と言われていて、かつてあった西金堂では釈迦如来様を守っていました。
八部衆はほとんどの像が甲冑を身にまとい、武装していますがその中で一体だけ武装していないのが阿修羅立像。
乾漆造りという漆で造った像は、奈良初期に数多く造られた主流の製法ですが、その後の木彫りが主流になるにつれ廃れてしまいます。
いわゆる八部衆立像のセンター、阿修羅像は3つの顔と6本の手。
本来は戦を好み、修羅の世界に君臨する神です。
帝釈天(インドラ)と戦いをを繰り返していました。
そのため阿修羅といえば忿怒の相(怒り)、そして赤い姿をしていると言われます。
松永忠興氏によって5年をかけ復元された阿修羅像が奈良国立博物館に所蔵されていますが、現在の興福寺阿修羅像の造られた初期の極彩色の阿修羅像が見られます(特別期間)
興福寺の阿修羅像は穏やかな表情をしています。
これは釈迦による教化によって戦いの日々から解き放たれた姿ともいわれます。
インドの神であった阿修羅は仏教の伝来とともに中国から日本へ伝わってきました。
東京で阿修羅展が開かれた際には、約160万人が会場を訪れたといわれます。
奈良県職員にもなってしまった「せんと君」の作者である籔内先生によれば、阿修羅像が人気になったのは最近のことで江戸時代等ではほとんど文献に出てこず、不人気だったのではないかと指摘しています。
これは現代と昔の民間信仰にも差があり、昔はある程度の見返りを期待する中での仏像信仰であったことから、菩薩様達と違ってその意図がはっきりしていない仏像には興味を示さなかったのではないかと推測できるもののようです。
乾漆造は天平時代をピークとして急速に廃れてしまい、近年のX線での調査等である程度まではわかってきていますが実際の技法や構造は謎の部分が多い物です。
八部衆立像の中で、もっとも破壊が激しい五部浄像。
五部浄像は天を意味し、八部衆では一番最初にこの像を置くことになります。
五部浄像は修復されずに現代まで来たので、その壊れた断面から麻布が何枚も重ねてある脱活乾漆造りにて造られていることが分かりました。幸福寺。 by フロッガーさん興福寺 寺・神社・教会
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中金堂。
中金堂は創建1300年にあたり再建が進められています。
平成30年落慶予定。 -
南円堂。
弘仁四年(813)、藤原冬嗣が父・内麻呂を弔うために創建されました。
現在の南円堂は寛政元年(1789)に再建された物です。
平成4年度修理。
西国三十三所観音霊場、第九番。興福寺 南円堂 寺・神社・教会
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南円堂右手の一言観音堂、納経所。
興福寺は藤原氏の氏寺として繁栄しますが、その中でも南円堂は摂関北家の祖であった藤原内麻呂・冬嗣親子のゆかりのお堂です。 -
木像の不空羂索観音坐像が祀られます。
人の思いを空にしない菩薩様。
運慶の父である康慶の作と伝わります。 -
心願成就。
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三重塔。高さ19mです。
平安時代末期、康治二年(1143)、崇徳天皇皇后、藤原聖子の発願で建てられたとあります。
現在の三重塔は南都焼き討ち後の再建といわれ、鎌倉時代に創建当初の姿で再建されました。
正確な年代はわかっていないそうですが、様式など鎌倉初期の興福寺復興とともに再建設されたとみられています。 -
猿沢の池からですと、この石段を通じて南円堂へ入ります。
興福寺 南円堂 寺・神社・教会
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興福寺から猿沢の池の方へ南下して、「もちいどのセンター街」に入りました。
幸福寺。 by フロッガーさん興福寺 寺・神社・教会
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そんで、珈琲一族さんに入ってこれ食べました。
洋食だとすぐ隣の「あるるかん」さんのほうがよさげでしたが、お値段と兼ね合いもありこちらへ。
喫茶店のお昼ご飯は庶民の味方!
店頭にも一杯メニューがあります(・-・*)
生姜焼き一辺党の私が頼んだのは
牛ステーキとエビフライ!
1080円。素敵!!
待ちに待った昼食。
待ち焦がれた味は黄金の味でした・・・
タレがね。( ̄− ̄)
ステーキなのに焼き肉風味とはこれ如何に?
エバラじゃなくてイバラの道。
奈良はおっとろしい。
エビフライとタルタルは美味しゅうございました。あるるかん グルメ・レストラン
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そして新薬師寺に向かったわけですが…
昼食を食べたお店の中で携帯電話のマップを確認していたのですが、その場所がかなり狂っていたようでおもいっきり明後日の方向へ歩きだしてしまいました。
興福寺から新薬師寺までは実歩行時間にすれば、15分かかるかどうかの道のりですが・・・20分歩いてもそれらしき感じがない(汗)
慌ててマップを確認し、かなり南に向かって歩いていることを知らされる(-ω-)
もう途中で足がパンパンになっちゃって、ふくらはぎは攣ってしまう一歩手前だわ、日焼けで真っ赤になるわもうクタクタ。
新薬師寺にたどり着くまでに1時間以上を費やし、ボロボロになって到着。
しかも南門受付の入り口を見落とし、東門まで行ってしまってまた戻る
(T_T)
奈良県庁で地団太を踏んだのが足の疲労をピークにしてしまいました(爆)
ということで東門。鎌倉時代の物です。
現在はこちらから入れません。 -
南門。
鎌倉時代の中期に建てられたものです。
新薬師寺への受付入口はこちらです。霊験あらたかなお寺です。 by フロッガーさん新薬師寺本堂 寺・神社・教会
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本堂が見えました。
いや〜天平の風。(;´▽`A`` -
鐘楼堂。
こちらも鎌倉時代、袴腰形式です。 -
新薬師寺・本堂。
現在では伽藍も小さくなってしまった新薬師寺ですが、平城京遷都があった30年後に創建されたお寺です。
当時は五重塔も東西に2つあるようないわゆる七堂伽藍を持つ広い寺域を持つ大きなお寺でした。
ちょうど奈良の大仏を造っている最中、聖武天皇は目を悪くします。
眼病の治癒を願って妃の光明皇后が創建したと伝わります。
聖武天皇の目は快方に向かい、4年後東大寺大仏殿が完成されます。
ちなみに、新薬師寺の新は「新しい」ではなく霊験あらたかなの「新たか」の新です。霊験あらたかなお寺です。 by フロッガーさん新薬師寺本堂 寺・神社・教会
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本堂は天平時代からの建物ですが、隆盛期には食堂(じきどう)として使われていたそうです。
緩やかな傾斜が優美さや優雅さを醸し出します。
こういう傾斜が緩い屋根は水はけが悪く傷みやすいのだそうです。
そのため、いわゆる天平様の屋根はなくなっていきました。
本尊、薬師如来坐像。
あらゆる病気を治してくれるという仏様。
人々の病を救うこと。人々の飢えを救うこと。
薬も満足にはない時代、病気を拝むことでしか癒せなかった時代に民衆の救いに答える仏様として厚く信仰されてきました。 -
本堂内部入口。
正面からだと左手になります。
内部中央は円壇となっていて、薬師如来坐像を中央前面に周囲を十二神将立像が囲んでいます。
薬師如来様は目を見開いた珍しい如来像。
十二神将は、12の願いを持って菩薩から仏になった薬師如来様を守るため、そして邪魔するものを排除するために集まりました。
各武将はそれぞれ配下に7000人の部下を率います。
総勢8万4千人で薬師如来様を守り続けます。
12という数字は昔は時間を現わしていたともいわれます。
昔は1日12時間(2時間で1刻)で数えていたからでしょうか。
十二神将像は日本においては現存する中で最古・最大の像です。
等身大(像高160cm前後)ともいわれる塑像としてできた像で、塑像とは土や粘土のような物。
近年の調査で伐折羅大将はX線での撮影も行われ、構造についてある程度のことが分かってきています。
塑像の造りは木組みを元として何層かにわたって構成されていますが、土に稲藁やもみ殻・楮等を混ぜて紙粘土のように繊維質にして使われています。
十二神将のうち、波夷羅大将(新薬師寺称)は江戸時代に地震によって壊れたために昭和時代に補作として造り直されています。
1250年以上の間立ち続けている粘土の像。
木像とは違う凄味に圧倒されます。
いや〜凄い。
疲れもあいまって腰が抜けますヽ(`◇´)/霊験あらたかなお寺です。 by フロッガーさん新薬師寺本堂 寺・神社・教会
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香薬師堂。
新薬師寺に来た時には人も少なくて、ゆっくり見れるか(休めるか)と思ったのですが・・・すぐに修学旅行生の団体が来てしまいまして追い立てられるように新薬師寺をあとにします。霊験あらたかなお寺です。 by フロッガーさん新薬師寺本堂 寺・神社・教会
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東大寺へ向かうわけですが、足の痛みは回復せず(汗)
自分のヘッポコさにイライラ。
東門からちょっと歩いた所にこちらの喫茶店(ろくさろん)を見つけて入店しました。 -
グランドピアノもあったり、非常に素敵な喫茶店でした。
アイスコーヒーが五臓六腑にしみわたる。
20分ほど過ごして、東大寺への歩きだすのです。東大寺 寺・神社・教会
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