2012/05/14 - 2012/05/17
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薬師寺から歩いて唐招提寺へ向かいました。
この日のお昼ごはん(の予定)は薬師寺から唐招提寺へ向かう道沿いにある「蕎麦切り よしむら」でした。
喜び勇んで行ったら、人がいない?
ガーン、ブルータス!定休日でした(|||_|||)
そういえば、最初の予定では初日に西の京としていたので、定休日を調べてはいたのですが忘れていた・・・。
またもや、お昼難民。
フラフラで唐招提寺へたどり着く。
唐招提寺。
意訳してしまえば、唐から招いたお坊さんのお寺です。
それは鑑真和上のためのお寺。
鑑真は唐の揚州・江陽の生まれです。
律宗・天台宗を学び揚州、大明寺の住職となります。
律宗は僧や尼僧が守るべき戒律の研究とその継承を主とする宗派とされます。
戒律とは戒がそれぞれ個の心構え、律は全体の規則ともいうべきものにあたります。
鑑真は南山律宗における継承者として、4万人以上に授戒を行っていました。
その鑑真のもとに日本から2人の僧が訪れます。
僧の名は栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)。
興福寺の2人の僧は日本の朝廷から任命され、遣唐使船に乗って唐へやってきました。
当時の日本の風紀は乱れきっていました。
僧侶になれば税金は払わずに済む、それだけで民衆がどんどん僧侶になってしまう。
国は仏教を推進しているがために歯止めをかけることもできずに、問題を抱えてしまったままでした。
その頃、仏教先進国であった唐では僧になるためには授戒の儀式をすることで正式に僧となれました。
日本はこの制度を取り入れることによって、僧侶の数をコントロールしようとします。
しかし、正式に授戒の儀式を行える僧(伝戒師)は日本にはいませんでした。
栄叡と普照は授戒を行うことができる僧を探す勅命を受けて唐へと向かったのです。
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
-
薬師寺から北へまっすぐ歩くと唐招提寺の左側につきあたります。
昔は平城京の右京にあたる場所で、早世した新田部親王(天武天皇・第7皇子)の居宅でした。 -
南大門。
鑑真和上の1200年遠忌として昭和三十五年(1960)に再建されたものです。
天平様式を再現しています。 -
南大門の額には唐招提寺と刻まれます。
この額は複製で、本物は講堂に納められています。
実際の額は孝謙天皇から賜ったもの。 -
受付で拝観料を納めて境内に入ると、右手の所に立っている人から話しかけられる。
何かと思うと、唐招提寺にはタブレット(GALAXY Tab)を使ったガイド案内があるそうです。(有料500円)
その名も「唐招提寺スマートガイド」。
http://www.koozyt.com/press/2011/pr110629.html
境内の案内版の所に、QRバーコードみたいなマークがあります。
それをこのGALAXY Tabに読み込ませると写真と解説をやってくれるんですね。
ちなみに写真の唐招提寺の画面にはちゃんと唐招提寺って浮かびます。
ただ、反射で説明してくれるおっちゃんの顔が写りこんでいるので修正(汗)
手もおっちゃんのおてて。
いわゆるでかいスマートフォン的な感じなので、ロック解除とかフリック的な動きは一緒です。
一応、周りに音が聞こえないようにイヤホンしなければいけないので、見た目は全然スマートじゃない。(爆)
仏像等の解説もしてくれて非常にありがたいのですが…説明に集中しちゃって見た物をあやふやにしてしまうので初めての人にはお勧めしません(-ω-)
できれば手持ちのiphoneとかアンドロイドで読みこめば説明してくれる方がありがたいですねぇ。 -
さてさて金堂へ向かいます。
玉砂利の参道。
金堂は平成の大修理として1998年〜2009年まで、10年以上をかけて調査・修復されました。
1998年6月から調査開始、2000年1月から素屋根建設(素屋根解体2008.03)が始まります。
この際の調査によって金堂は江戸時代と明治時代に修復されてはいますが、それ以前の中世期まではそのままだったことがわかりました。
事前調査は、平成7年(1995)の阪神大震災が契機となりました。
地震での被害や強度を調べていくうちに構造に問題も発生したため、解体しての補強が行われています。
この際に軒中の木材が天応元年(781)に伐採されて使用されたことが分かりました。
創建から900年、戦国期を超えてオリジナルのまま保った金堂は奈良時代の金堂建築としては現存するものとしてはこれだけとなります。
現在の金堂屋根の鴟尾は平成の大修理によって新しく造り直された物です。
奈良時代の鴟尾は西側、鎌倉時代の鴟尾は東側に設置された物だったそうですが、現在は新宝蔵にて保管・展示されています。 -
金堂内部には本尊である像高3mの盧舎那仏坐像を中央に、右側に薬師如来立像、左に千手観音立像。
脇侍には梵天・帝釈天立像。
須弥壇には四天王立像です。
この本堂は鑑真和尚の没後に建てられたものです。
こちらの仏像も金堂修理の際に初めて堂外にて修理を受けることになります。
平成21年(2009)10月、創建1250年目にて平成大修理の落慶法要が行われました。 -
金堂は屋根を柱だけで支えています。
これは「吹き放ち」とよばれる構造で、柱の間の壁をなくすことによって風が自由に抜けるように造られています。
柱の間隔は中央ほど広く間を取られていて、いわゆる目の錯覚によって建物を大きく見せる手法です。
ギリシャにあるパルテノン神殿と同じ手法。
これは当時、最先端の技術が伝わってきていたことを意味します。 -
左側奥が講堂です。奥が鼓楼で、その外側に礼堂。
講堂は天平宝字四年(760)、平城宮の東朝集殿を移築した物です。
寺院の建物として使うために建具を入れたりの改築を受けています。
天平時代、平城宮の宮殿建築では唯一の遺構となります。
本尊は弥勒如来坐像です。
鑑真和上は仏教の普及に関して仏像を最重要としていました。
そのため唐から仏師を招き、この場所で仏像を造らせていたと言われます。
今でも奈良時代に造られた仏像が新宝蔵にて拝観できます。 -
鐘楼。
金堂と講堂が縦に正対するならば横に、鼓楼と対称に正対するのがこの鐘楼です。
鐘は平安時代初期のものとされます。 -
鼓楼。
鎌倉時代の再建とされます。
鑑真和上が持ってきた舎利を納めていたので、舎利殿とも呼ばれます。
奥が礼堂。
僧房であった建物を鎌倉時代の弘安六年(1283)に改築しています。
鼓楼に安置されている仏舎利を拝するためのお堂です。
内部に秘仏で清涼寺式と云われる釈迦如来立像、日供舎利塔がおかれます。 -
宝蔵、奥に経蔵です。
校倉様式で造られており、経蔵は新田部親王邸の米倉だったとされます。
日本で最古の校倉造りです。 -
鑑真和上の御廟へ向かいます。
廟の周りは土塀。境内と一転して静かな場所です。 -
こちらが開山御廟への入り口。
一気に雰囲気が変わります。 -
参道は苔が生えたお庭が続きます。
スゲー!!ヽ(`◇´)/ -
御廟への参道。
この日は参拝客も少なく、静かで木漏れ日のみ。 -
右手に池。
-
こちらが鑑真和上の御廟です。
1250年以上、変わることなく守られてきた場所です。 -
ま〜見事な苔の絨毯。
-
御廟を出て、右手の御影堂の方へ向かいます。
-
三暁庵あたり。
-
御影堂、入口から。
御影堂は興福寺の別当坊となっていた一乗院表御殿の遺構とされます。
明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われていましたが、昭和三十八年(1964)にこの場所へ移築・復元したものです。
御影堂の中に日本最古の肖像彫刻と言われる鑑真和上坐像が安置されています。
毎年、鑑真和上の命日である6/6を挟んだ3日間に「開山忌舎利会」が開かれます。
鑑真和上坐像像を拝観できるのはこの時だけとなります。
現在御影堂は北東側へ地盤沈下を起こし始めているそうです。
そのため調査を行う予定だそうです。 -
こちらは本坊入口。
左側に並ぶ鉢は蓮ですね。 -
戒壇へ向かいます。
参道に沿って咲いているのはカキツバタですかね? -
戒壇。
唐招提寺の創建時時代からあったとされるこの戒壇は、いわゆる授戒を行う場所です。
戒壇院としての建物は嘉永元四年(1851)に焼失したままとされます。
このため、鎌倉時代に築かれたとされる石壇のみが今見える戒壇です。
宝塔は昭和五十五年(1980)、戒壇上に置かれました。 -
栄叡と普照を乗せた第9次の遣唐使船は天平五年(733)、無事に大陸へ着岸します。
栄叡と普照は評判の良い僧の噂を聞きつけては、弟子を日本に渡らせてくれないかと頼んでいったそうです。
しかし当時の唐は国民の出国は禁止。
密出国者は死罪とされていました。
この決まりを破ってまで日本に来ようとする僧はおらず。
名僧と呼ばれる僧にあっても渡航は弟子などの反対からうまくいきません。
しかも遣唐使船は日本の事情(予算欠如)でしばらく中止になります。
日数が過ぎること9年、栄叡と普照は鑑真の噂を聞きつけます。
2人は鑑真に会い、弟子を紹介してもらおうとしました。
しかし弟子たちはみな危険な渡航に希望する者はいません。
鑑真はみずから日本に行くことを決意するのです。
鑑真の渡航失敗は5度に及びます。
唐の皇帝・玄宗は鑑真を尊び手放そうとしなかったために密出国と言う形を取らざるをえなかったのです。
そして鑑真の弟子による渡航妨害も起こりました。
栄叡と普照も数度と投獄、栄叡は5回目の渡航中に亡くなります。
鑑真自身も眼病に侵され失明してしまいます。
日本からの20年ぶりとなる遣唐使船(第10次)が来ます。
6度目の渡航、この船で鑑真は日本の地を踏むことになるのです。
薩摩に上陸した鑑真は平城京にて大僧都(最高位)の位を授かります。
そして孝謙天皇より戒壇設立と授戒に関して一任されます。
東大寺大仏殿の前に戒壇を設置、聖武上皇・孝謙天皇を筆頭とする440名に国内初となる授戒を行ないました。
鑑真はこの戒壇を東大寺の西部に移し、戒壇院を建立。
常設の授戒施設となりました。
鑑真は東大寺にて5年をすごします。
この間に朝廷と鑑真は対立することになります。
僧侶を少なくしたい朝廷と、少しでも多く僧を育てたい鑑真。
鑑真は大僧都を解任、「大和上」の称号を受けることによって自由に戒律を伝えられる身となり東大寺を出ることとなります。
そして天平宝字三年(759)、新田部親王の旧宅地を賜り戒律の専修道場(律宗の研究道場)である「唐律招提」を開きます。
これが現在の唐招提寺の始まりとなったのです。
鑑真は唐招提寺の開基にあわせて、戒壇を造ります。
この戒壇での授戒は非公式となってしまいますが、鑑真を慕って僧となろうとする者は次々とやってきたと言われます。
鑑真は現在でいう社会福祉にも力を入れ、孤児や飢餓する人々を救済することに力を注ぎました。
天平宝字七年(763)、鑑真は77歳にて入寂。
「何惜身命」。
本国で安息に過ごすことよりも、仏教のために、日本のために命をかけてくれたお坊さんでした。 -
ちなみに先年、東大寺正倉院で鑑真の書いたと言われる文書(巻物)が見つかっています。
直筆と思われることから、鑑真の目は書き物ができるくらいの視力は残っていたか、回復していたのではないかと考えられています。
これにて唐招提寺も拝観できました。
修学旅行の時に来た時にはもっとシンプルなお寺に感じましたが、優雅でゆったりとした空気が流れていてなんだか良いお寺。
鑑真和上のお人柄がお寺柄。
そんなお寺です。
長々ときましたが、これにて今回の奈良観光は終わりです。
あとは時間(歩く気力も)がなくてちゃんと拝観できなかった平城宮跡。
TOP画像は御廟の右側ですが、御廟の周りも苔で覆われていました。
散った葉が黄色で撮った写真を見た時にホタルかと思いました(爆) -
それでは平城宮跡です。
いきなり大極殿(汗)
北側から入ってしまったので朱雀門まではいけませんでした。
和銅三年(710)、藤原京から遷都した平城京は74年間を都として栄えました。
平城宮は平城京の北端部に位置し、南北1km・東西1.3kmの敷地。
およそ120ヘクタールほどの広大な敷地を有していました。
だいたい東京ドームが25個入るほどの広さです。
当時は大極殿・朝堂院・内裏等が建てられていたとされます。
2012年現在、朱雀門・東院庭園・第一次大極殿正殿が復元されています。 -
第一次大極殿。
朱雀門からは800mの場所にあります。
平城遷都から1300年にあたる平成22年(2010)、復元完了しました。 -
正面幅は44mほど、奥行き20mほど、高さ27mの建物です。
直径70cmの朱色の柱は44本使われ、屋根瓦は約10万枚が使われています。 -
横から。
復元では、昔と同じように釘を使わない組み木によって大極殿は復元されました。
かつては都が移ることになると解体され、また新たな地で組み上げられていたのです。 -
大極殿内部には北側のこちらから上の写真の入口へと向かいます。
-
鴟尾の原寸大模型です。
2mほど。 -
こちらが天皇が着座した玉座・高御座(たかみくら)です。
大極殿の高御座は京都御所の大正天皇即位の際に作られたもの等を参考に復元されているそうです。
国家儀礼など重要な行事が行われていたとされる場所で、奈良の大仏の建立発布した聖武天皇もこの大極殿で即位しました。 -
3.11の大震災によって被災した東北地方の文化財のために義援金箱がりました。
お札ばっかり(汗) -
天井の絵と壁画は奈良在住の画家である上村淳之氏によって作成された原画をもとに彩られます。
-
どーん!と寄った朱雀門。
あ〜、あちらまで行きたかった(爆)
朱雀門は平成10年に復元されています。 -
だいぶ遠くに見えます。
しかし広いです(;´▽`A``
平城宮遷都1302年目の5月、そんなこんなで帰路に着く。
今回はベタな奈良めぐりになってしまいましたが、やっぱり学生時代で自分で決めていない見学などほとんど覚えていないし頭にも入ってない。
コニカのビッグミニで写真を撮りまくったのは覚えている(爆)
次回は今回たどれなかったお寺や飛鳥の方を巡りたいな〜と思いながらの帰路でした。
奈良は時間が流れるのがゆっくりだ・・・等と良く言われますが、本当にそう感じる。
奈良ワンダーランド。
とりあえず充実した見仏。
うまし うるわし、あをによし・・・・・全て良し(爆)
長々と見ていただいた方、ありがとうございました。<(_ _*)>
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