2008/06/28 - 2010/01/29
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鎌倉には土牢と呼ばれるかつて人を閉じ込めたとされる牢が残っている。
建武の中興の際に活躍した醍醐天皇の皇子、護良親王が東光寺の土牢に幽閉されたが、その東光寺跡に、明治2年(1869年)に護良親王を祀るために創建された鎌倉宮の社殿が建ち、裏に土牢ある。これが現在の鎌倉宮の土牢である。明治6年(1873年)4月16日に、明治天皇が鎌倉宮に行幸し、本殿を参拝された後に、この土牢をご覧になられたという。
光則寺裏山には、佐渡に流された日蓮上人の弟子の日朗が監禁されていた土牢が残っている。
釈迦堂口切通上(大町釈迦堂口遺跡)には唐糸が幽閉されたとされる「唐糸やぐら」がある。これは唐糸伝説に結びつけた伝承であろう。
化粧坂を下ると、平家の残党上総悪七兵衛伊藤景清が死んだ土牢という伝説がある平景清牢跡が残っている。やぐらのようにも見える。なお、平景清牢跡には景清の墓石「水鑑景清大居士」と「向陽庵大悲堂碑記」の石碑が建っている。向陽庵は景清の娘人丸姫が、景清の守り本尊であった十一面観音を祀ったお堂とされる。
片瀬の龍口寺には日蓮上人が龍ノ口法難(文永8年(1271年))の際に幽閉されたとされる土牢が残っている。中には宝暦8年(1758年)の日蓮像が安置されている。
こうした鎌倉界隈に残る土牢を巡ることもできよう。
(表紙写真は鎌倉宮の土牢)
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鎌倉宮の土牢。建武の中興の際に活躍した後醍醐天皇の皇子、護良親王が幽閉された東光寺の土牢。東光寺跡に、明治2年(1869年)に護良親王を祀るために創建された鎌倉宮の社殿裏にある。
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「土籠御書」の石碑(光則寺)。
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日朗が監禁されていた土牢(光則寺)。
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日朗・監禁牢の中(光則寺)。
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「唐糸やぐら
木曽義仲の家来の娘唐糸は、ひそかに頼朝の様子をさぐるため仕えていましたが、頼朝が家臣と義仲を討つ相談をしているのを聞き頼朝に斬りかかりましたが果たされず、この土牢に入れられてしまいました。唐糸の娘万寿姫は、母の身の上を案じて鎌倉に来て頼朝に仕えました。ある日鶴岡八幡宮に奉納する舞の舞姫に選ばれ、その出来栄の褒美として母を許され母娘手をとって木曽に帰りました」。 -
唐糸やぐら。
唐糸やぐらの羨門(せんもん)(羨道の入り口)には扉をつけた痕が残っている。このために、唐糸の伝説に結び付けられてやぐらに「唐糸やぐら」の名前が付いたのであろう。 -
唐糸やぐら。
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平景清牢跡。
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御霊窟(片瀬龍口寺)。
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御霊窟脇の横穴(片瀬龍口寺)。
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