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 かつては大慶寺の寺域で大慶寺分と言われていた。それが寺分の地名として鎌倉市寺分、寺分1、2、3に残っている。このあたりは、大慶寺とその塔頭である指月軒、覚華庵、天台庵、大東庵、方外庵が建っていた。大慶寺は大きなお寺であったが、永禄4年(1562年)上杉謙信が鎌倉八幡宮参拝の折の戦火により灰燼に帰し、昭和19年(1944年)に残っていた方外庵が大慶寺と改称したのが現在の大慶寺である。<br /> 大慶寺の創建は文永6年(1269年)〜弘安2年(1279年)とされ、境内の山裾崖にはやぐらが造られていて良い。その一部が見られるのであろう。たとえば、泣塔のやぐらと深沢市営住宅入口(富士塚小入口信号脇)のやぐらは深沢子供会館を挟んである。深沢子供会館あたりにこうしたお寺があったとするとその境内にあったやぐらとなろうか。<br />(表紙写真は泣塔のやぐら)

鎌倉・寺分あたりのやぐら

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2011/10/23 - 2011/10/23

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 かつては大慶寺の寺域で大慶寺分と言われていた。それが寺分の地名として鎌倉市寺分、寺分1、2、3に残っている。このあたりは、大慶寺とその塔頭である指月軒、覚華庵、天台庵、大東庵、方外庵が建っていた。大慶寺は大きなお寺であったが、永禄4年(1562年)上杉謙信が鎌倉八幡宮参拝の折の戦火により灰燼に帰し、昭和19年(1944年)に残っていた方外庵が大慶寺と改称したのが現在の大慶寺である。
 大慶寺の創建は文永6年(1269年)〜弘安2年(1279年)とされ、境内の山裾崖にはやぐらが造られていて良い。その一部が見られるのであろう。たとえば、泣塔のやぐらと深沢市営住宅入口(富士塚小入口信号脇)のやぐらは深沢子供会館を挟んである。深沢子供会館あたりにこうしたお寺があったとするとその境内にあったやぐらとなろうか。
(表紙写真は泣塔のやぐら)

  • 泣塔の横にあるやぐら。

    泣塔の横にあるやぐら。

  • 深沢市営住宅入口のやぐら。コンクリートで塞がれている。

    深沢市営住宅入口のやぐら。コンクリートで塞がれている。

  • 深沢市営住宅入口のやぐら。コンクリートで塞がれている。

    深沢市営住宅入口のやぐら。コンクリートで塞がれている。

  • 深沢幼稚園(寺分1)近くの駐車場の崖にあるやぐら。

    深沢幼稚園(寺分1)近くの駐車場の崖にあるやぐら。

  • 寺分1の坂にある穴。やぐらのように掘って物置に使用している。戦後に掘られたものだ。

    寺分1の坂にある穴。やぐらのように掘って物置に使用している。戦後に掘られたものだ。

  • 深沢寄りの崖にあるやぐら。

    深沢寄りの崖にあるやぐら。

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