2011/05/21 - 2011/05/21
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ドクターキムルさん
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岩瀬大長寺から今泉へは七久保橋かその先にある切通のカーブの手前に出る。砂押川に沿ってある道路もここ七久保橋では変に曲がっている。七久保橋を渡ると大船方面には2つの手掘りのトンネルがあり、熊野神社・多聞院に出る。切通のカーブからは左折する狭い道が旧街道で今泉橋手前の馬頭観音があるところで新道と交わる。今泉橋を渡って今泉小学校東にある団地を抜け、山を下り中町橋に出る途中にも道祖神がある。元々はもう少し下のあたりにあったものを上のカーブに持って来たという。白山神社手前からは今泉台へ上る道路があるが、逆に横浜市栄区側に抜けられた旧道があり、その山道の入り口に庚申塚がある。この道はもう20年くらいは人が通ってはいないようだ。白山神社裏山頂上あたりには大木の山桜の桜並木とその傍らに念佛供養塔がある。切通崖の上に白い花を咲かせる大島桜があるが、幕末の慶應年間に80歳を過ぎた小林さんのお爺さんの祖父さんが植えたのだそうだ。念佛供養塔がある白山神社裏山頂上にある山桜の桜並木も小林さんの地所であるそうであるから、いくら大木だからと言っても幕末の頃に植えられたもので、やはり大島桜が多いという。小林さんのお爺さんには切通崖上にある庚申塚にも案内して頂いた。聞くと福泉山中の庚申塚に案内して頂いた礒崎さんは小林さんのお姉さんの嫁ぎ先だという。両家の人に案内して頂いて今泉にある庚申塚を2箇所も見ることができた。全くの奇遇である。
(表紙写真は今泉子神社)
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多聞院の庚申塚。
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大船熊野神社横のトンネル。蛍光灯が付いて舗装しているが中は素堀のトンネルだ。
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トンネル内の横穴は板で塞いである。
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大船熊野神社横のトンネル。両面通行だ。
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遊水池の睡蓮。
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遊水池の睡蓮。
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大船−今泉間のトンネル。片側交互通行だ。
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大船−今泉間のトンネル。
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大船−今泉間のトンネル。入口はコンクリート製。
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続いてレンガ造りのような。
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真ん中は素彫りだ。
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出口近くになるとレンガ造りに。
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大船−今泉間のトンネル内部にはライトが点灯している。
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素彫りとレンガ造りの境目。
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出口付近は鉄板だ。
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出口はコンクリート製だ。
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出口。
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七久保橋を渡ると子神社がある。前のおばさんが祀っている。
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子神社。松竹大船撮影所の奉納札が納められている。娘さんが松竹大船撮影所に勤めていたそうだ。
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子神社前の三層石。
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岩瀬の力石。いわせ下関青少年広場端にある。
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「進上 四拾弐貫 明治五年」と彫られている。
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岩瀬の力石の由来。明治‥‥とあるが読み取れない。
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「明治五年(1872年)梅沢源兵衛が奉納した力石です。大きな方が四拾二貫‥
男女の厄‥
岩瀬町町内会」 -
岩瀬にある浪の飾り瓦が置かれているお店。
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浪の飾り瓦。飾り瓦を飾っているのは珍しい。2種類の浪の飾り瓦だ。いずれもカタログ品のようだ。
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鬼瓦と浪の飾り瓦。鬼瓦が飾られているのは見かける。鬼瓦は針金で固定してあるが、飾り瓦は載せているだけだ。飾り瓦が落ちそう。
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浪の飾り瓦。
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今泉1-9の稲荷社。
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今泉1-9の稲荷社の石祠。
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今泉1-9奥山道の登り口の石祠。山の神を祀っているようだ。
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今泉切通横の石段。
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今泉の庚申塚。
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小林家の稲荷社。後の大島桜は樹齢150年という。小林家のお爺さんの祖父が植えた木だという。
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英泉寺略記。小林家裏山の畑は英泉寺跡だ。
「英泉寺略記
天文十一壬寅歳(鉄砲伝来)二月二十三日 英泉寺は得蓮社貞誉上人存龍大和尚開山 今円山萬徳院英泉寺と称し、今泉地域一帯の菩提寺となり、三百余年の星露を重ねた。明治十三年十二月 時の区長並に世話人相寄り、今泉山称名寺に引き移すこと示談成立 明治十四年 再建立本尊再興等皆悉く成就 明治十五年七月 佛観喜日 称名寺十五世心蓮社光上人旭潤大和尚に拠り開眼併存された。
平成元年 今泉山称名寺
住職 成寛咬
後記 当寺墓地参道荒廃の為関係人協議改修
平成元年三月春彼岸建之
発起人 小林一雄
右同 小林輝雄
右同 小泉 清 」
但し、天文11年(1542年)、明治13年(1880年)。 -
傍らの英泉寺歴代住職の墓。
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英泉寺歴代住職の墓。
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英泉寺歴代住職の墓。
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英泉寺歴代住職の墓。
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道祖神手前の炭焼きの横穴。ネットで覆われている。ここに1つ、道祖神の向こうに4つ、計5つの炭焼き用の横穴が江戸時代に掘られたようだ。
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道祖神。
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今泉辻の道祖神。今は幅が拡張されて道路になったために小林家のお爺さんがここに移して祀っている。
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この丸窓にある石仏も小林家のお爺さんが彫ったものだろう。
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今泉の洞穴。江戸時代に炭焼き用に掘られた洞穴で中世のやぐらではない。
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今泉の洞穴。江戸時代に炭焼き用に掘られた洞穴で中世のやぐらではない。白山神社手前の礒崎家の墓も江戸時代に彫られたやぐらだ。戦時中の郷空濠とは区別できても江戸時代に掘られたやぐらと中世に掘られたやぐらの区別は難しい。
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今泉の洞穴。江戸時代に炭焼き用に掘られた洞穴で中世のやぐらではない。
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石祠と2基の馬頭観音。旧街道にあったが辻に移した。
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福泉の萱葺き屋根のお宅。このお宅の上の外れに福泉湧水がある。
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福泉の湧水。萱葺き屋根のお宅の持ち物だが、誰でも飲めるようになっている。昔の旅人の乾いた喉を潤す泉だったのだろう。
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福泉湧水上のお地蔵さま。
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「かまくら湧水 福泉」。設置された時期は不明だが、戦後の高度成長期頃だろうか?
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福泉に湧水がある広場にある「南無勢至菩薩」(文政12年(1829年)銘)の石碑。
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今泉りす公園。泉橋を渡った今泉台2にある。
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中町橋近くの道祖神(今泉3)。
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礒崎家の表門。白山神社前バス停から山側に少し上った所。母屋を改築した際に門の柱を継いだのだそうだ。安政年間(1854年〜1860年)頃の建築のようだ。
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礒崎家の稲荷社。
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礒崎家の稲荷社。社殿は転落して今は石祠になっている。
ここの山道を登ると畑が広がる。 -
礒崎家の稲荷社の石祠。
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かつてあった山道の入口にある庚申塚。畑を横切った東側の山裾にある。かつては公田町(横浜市栄区)からの道が降りてきていたのだという。
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山桜の桜並木。畑の上の尾根道を白山神社を巡るように行った先にある。ここも小林家の山林だという。この尾根道がかつては公田町(横浜市栄区)からの街道だったのだろう。
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山桜の桜並木には念佛供養塔(嘉永3年(1850年)銘)が。今泉不動(称名寺)にも念佛供養塔が建っている。
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「禅宗今泉寺」の寺号標石と「白山神社」の社号木柱。
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白山神社参道の庚申塚。
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