2011/04/23 - 2011/04/23
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ドクターキムルさん
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鎌倉市今泉3に鎮座する白山神社裏山にも山道が残り、横浜市公田や桂台南あたりに通じていたようだ。白山神社バス停手前から門のある旧家の横の道から石鳥居下の山道を登ると畑が広がる。その畑の横の道を右、右と向かうと山中の尾根道には鎌倉市と横浜市の市境が何度も現れ、山桜の巨木の桜並木が現れる。樹齢は200年もあろうか。その傍らに念佛供養塔(嘉永3年(1850年)銘)がぽつりと建っている。おそらくは、この供養塔が建てられた160年余り前に桜並木に山桜が植えられたのであろう。山桜は長寿で樹齢500年のものもあるようだが、普通は120年から130年位しかないようだ。10数年前には実家東の神社にご先祖さまが奉納した山桜も150年で突然に枯れてしまった。もう少し早ければこの巨木の山桜の桜並木を愛でることができたのに。
このあたりに道祖神があるという。犬の散歩中の人に聞くが知らないという。山の上の畑に農作業中の人たちがいるから聞いてみてはという。なるほど4人いたが分からない。この山道に石碑があるという。それを尋ねると先程の供養碑だったのだ。そのまま山を降りると畑があり、今泉不動バス停に出た。
白山神社に戻って、先程の門のある旧家で尋ねると案内してくれるという。下の畑を横切って山に入ったところに庚申塚があった。昭和の頃までは道であったのが、平成になって藪に埋もれてしまい、もう通ることもできない。こんなところに庚申塚があるなどとは誰も思わないであろう。
石鳥居はこの家のお稲荷さんで、社が崩落して鳥居だけになっているのだそうだ。横に墓地がある。1段上には最初のご先祖の墓で石仏(宝永4年(1707年)銘)が建っている。その下に以降のご先祖の墓が並ぶ。江戸時代に2基のやぐらを並べて堀り、墓石を祀っている。立派な墓石の銘は明治9年(1976年)であり、やぐらの奥には石材は横たわっていた。廃仏毀釈で荒れたご先祖の墓を、世の中が落ち着いた頃に直したのであろう。
300年余り続くこの旧家の門は江戸末期に立てられた萱葺き屋根の門で昭和の末に瓦葺きに替えたそうだ。瓦が軒より10cmほど出されて葺かれている。西本願寺の築地塀のようだ。
幕末に建てられた土蔵も解体され、萱葺き屋根の母屋も平成になってから建替えられ、門傍には離れが建てられている。門の欅の柱もこのときに継いだのだそうだ。萱葺き屋根の頃にはテレビで、栗原小巻が来たそうだ。驚くほど綺麗だったそうだ。鎌倉の古き良き風情が失われて行く様が感じられる。家屋敷の1段低いところに池があり、睡蓮が繁殖している。この睡蓮の花が咲いたらさぞ綺麗だろうと思った。
(表紙写真は供養塔あたりの桜並木)
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旧家の門。欅の柱を継いでいる。
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旧家のお稲荷さんの石鳥居。
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旧家の初代の石仏(宝永4年(1707年)銘)。300年前のものとは思われないほど状態が良い。
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旧家の庭の貝母 (ばいも)。竹林に自生していたのを庭に植え替えたものだそうだ。旧家の庭には古木や大木、皮だけの欅の老木などの他にもこうした花もあるものだ。
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庚申塚。畑の三叉路から畑を横切った山道を入ったところにある。庚申塚のところまでは草を刈ってある。案内していただかなければ到底たどり着けないような場所にあった。ご案内していただき感謝します。
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庚申塔(文政9年(1825年)銘)。
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庚申塔(安政2年(1855年)銘)。
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山桜の巨木の並木の傍らに供養塔が建つ。
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念佛供養塔(嘉永3年(1850年)銘)。
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山道を降りる。
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今泉不動バス停あたり。今泉台へ上る道が見える。
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