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雨が降り、肌寒い日が続きました。<br /><br />写真は、父が下宿していた集合住宅の中庭です。<br />亡父は、1963年1月9日手帳に下宿先に落ち着くと記しています。<br />2月13日までと、契約のために訪れた同年4月16日~30日まで<br />ここだったのではないかと思います。<br />ほかに、パリでは2か所のホテルに泊まった記録があります。<br /><br />子どものころ、父からの手紙に、<br />下宿はセーヌ川の近くだと書いてありましたが、その通りでした。<br />ほかの手紙には、丸い食卓テーブルが描かれていて、<br />お父さんはここに座り、○○さんはここでと、<br />5名ぐらいで食事をしていたことが記してありました。<br /><br /><br />父の下宿先 、勤め先、滞在したホテル2か所、<br />食事をしたレストランを載せます。<br /><br /><br /><br />★この旅行記は、<br />ヨーロッパ6カ国 47日間 25都市訪問(14都市宿泊)のNO.2です。<br />★関連の旅行記は、<br />http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10483933/<br /><br /><br /><br />

大人のたんけん  花の都 : パリ  ~父の足跡~

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2010/08/27 - 2010/08/31

11719位(同エリア16377件中)

旅行記グループ 大人のたんけん②

0

58

不二山

不二山さん

雨が降り、肌寒い日が続きました。

写真は、父が下宿していた集合住宅の中庭です。
亡父は、1963年1月9日手帳に下宿先に落ち着くと記しています。
2月13日までと、契約のために訪れた同年4月16日~30日まで
ここだったのではないかと思います。
ほかに、パリでは2か所のホテルに泊まった記録があります。

子どものころ、父からの手紙に、
下宿はセーヌ川の近くだと書いてありましたが、その通りでした。
ほかの手紙には、丸い食卓テーブルが描かれていて、
お父さんはここに座り、○○さんはここでと、
5名ぐらいで食事をしていたことが記してありました。


父の下宿先 、勤め先、滞在したホテル2か所、
食事をしたレストランを載せます。



★この旅行記は、
ヨーロッパ6カ国 47日間 25都市訪問(14都市宿泊)のNO.2です。
★関連の旅行記は、
http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10483933/



旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
鉄道
旅行の手配内容
その他

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  • ロンドン、パンタクラス駅から<br />ユーロスターでパリノード駅(北駅)きました。<br /><br />大きな石の柱が目に入りました。<br />父も、ノード駅を使っていて、<br />この駅発のチケットか残っています。<br /><br />

    ロンドン、パンタクラス駅から
    ユーロスターでパリノード駅(北駅)きました。

    大きな石の柱が目に入りました。
    父も、ノード駅を使っていて、
    この駅発のチケットか残っています。

  • ユーロスターでは、ランチが出ました。<br />

    ユーロスターでは、ランチが出ました。

  • 構内 1

    構内 1

  • 構内 2

    構内 2

  • 私は、父の足跡旅行ということもあり、<br />各所を訪問します。<br />そのため、エクス キューズ ミイと声を掛け<br />次は、自己紹介と訪問理由を告げます。<br />そのアイテムを紹介します。<br /><br />訪問必須アイテム<br />1点目<br />自己紹介として持ち歩きました。<br /><br /><br />左の仏人は、父がお世話になったマルミアン氏です。<br />名古屋で昼食をした時の写真です。<br /><br />私は4人きょうだいで、あと弟がいますが、<br />幼くて祖母と留守番のため、写っていません。<br /><br />

    私は、父の足跡旅行ということもあり、
    各所を訪問します。
    そのため、エクス キューズ ミイと声を掛け
    次は、自己紹介と訪問理由を告げます。
    そのアイテムを紹介します。

    訪問必須アイテム
    1点目
    自己紹介として持ち歩きました。


    左の仏人は、父がお世話になったマルミアン氏です。
    名古屋で昼食をした時の写真です。

    私は4人きょうだいで、あと弟がいますが、
    幼くて祖母と留守番のため、写っていません。

  • 訪問必須アイテム<br />2点目<br /><br />自己紹介として持ち歩きました。<br /><br />日本語の文を、英語、仏語、独語、伊語に訳して<br />用意していきました。<br /><br /><br />3点目として、訪問先に該当する資料<br />(ホテルのパンフレット・会社資料・レストラン明細書等)<br />以下の旅行記に、持参した資料の詳細を載せています。<br />合わせてご覧ください。<br />http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10483933/<br />

    訪問必須アイテム
    2点目

    自己紹介として持ち歩きました。

    日本語の文を、英語、仏語、独語、伊語に訳して
    用意していきました。


    3点目として、訪問先に該当する資料
    (ホテルのパンフレット・会社資料・レストラン明細書等)
    以下の旅行記に、持参した資料の詳細を載せています。
    合わせてご覧ください。
    http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10483933/

  • ここで、少しマルミアンさんについて載せます。<br />この方は、2.3度来日をされていて<br />父と知り合いになりました。<br />この方が、クラブメッドとの橋渡しを<br />してくださったようです。<br /><br />この文は、仏人マルミアンさんが、<br />来日されたとき、父の案内と長兄の同行で<br />鵜飼見物をされました。<br />その時の感想を3枚にわたり書いて<br />いらっしゃいます。<br />仏語を訳された方は、岐阜県在住のG氏です。<br /><br />現在と異なり、見学者は鵜匠の船を<br />見るのではなく、かがり火を焚いた<br />鵜匠の船に乗っていたそうです。<br />その鵜飼船に乗って舞いをみながら<br />弁当を食べたようです。<br /><br />★マルミアンさんの住まいに関する旅行記は、<br />http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10459278/<br /><br />追記:2014年11月2日<br />この鵜飼の文章は、仏語から日本語か、日本語から仏語か不明ですが、マルミアンさんからの手紙に、フランスの雑誌に掲載されたと書いてありました。 <br /><br />

    ここで、少しマルミアンさんについて載せます。
    この方は、2.3度来日をされていて
    父と知り合いになりました。
    この方が、クラブメッドとの橋渡しを
    してくださったようです。

    この文は、仏人マルミアンさんが、
    来日されたとき、父の案内と長兄の同行で
    鵜飼見物をされました。
    その時の感想を3枚にわたり書いて
    いらっしゃいます。
    仏語を訳された方は、岐阜県在住のG氏です。

    現在と異なり、見学者は鵜匠の船を
    見るのではなく、かがり火を焚いた
    鵜匠の船に乗っていたそうです。
    その鵜飼船に乗って舞いをみながら
    弁当を食べたようです。

    ★マルミアンさんの住まいに関する旅行記は、
    http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10459278/

    追記:2014年11月2日
    この鵜飼の文章は、仏語から日本語か、日本語から仏語か不明ですが、マルミアンさんからの手紙に、フランスの雑誌に掲載されたと書いてありました。

  • 鵜飼 2

    鵜飼 2

  • 鵜飼 3

    鵜飼 3

  • 当時、父が食事をした宝屋さんが見えてきました。<br />宝屋さんは、パリで最初の日本食レストランです。<br /><br />

    当時、父が食事をした宝屋さんが見えてきました。
    宝屋さんは、パリで最初の日本食レストランです。

  • さぁ、いよいよ着きました。<br />オペラ座の近くです。

    さぁ、いよいよ着きました。
    オペラ座の近くです。

  • 宝屋さんで、食事をすることを、<br />とても楽しみに来たのですが、<br />なんと、改装中で休みでした。<br /><br />日本で、宝屋さんのホームページを見た時には、<br />改装で休みとは書いてなかったぁ〜

    宝屋さんで、食事をすることを、
    とても楽しみに来たのですが、
    なんと、改装中で休みでした。

    日本で、宝屋さんのホームページを見た時には、
    改装で休みとは書いてなかったぁ〜

  • 店内を撮らせていただきました。<br /><br />当時の明細書が残っています。<br /><br />留守番の日本人女性が、明細書を読んでくれました。<br />それによると、<br />父は通訳の方と、ご飯・焼き鳥を食べたようです。<br />他にも、何点か書いてありましたが、<br />「達筆すぎてわからない」とのことでした。<br />

    店内を撮らせていただきました。

    当時の明細書が残っています。

    留守番の日本人女性が、明細書を読んでくれました。
    それによると、
    父は通訳の方と、ご飯・焼き鳥を食べたようです。
    他にも、何点か書いてありましたが、
    「達筆すぎてわからない」とのことでした。

  • ショーケース<br /><br />父は、宝屋さんがオープンして、数年経ったころ、<br />お店に入ったことになります。

    ショーケース

    父は、宝屋さんがオープンして、数年経ったころ、
    お店に入ったことになります。

  • 当時、父は横浜から船に乗り、<br />スエズ運河で、パッピーニューイヤー、<br />マルセイユから列車でリヨン、パリに着きました。<br /><br />最初の夜に泊まったホテルの明細書が残っています。

    当時、父は横浜から船に乗り、
    スエズ運河で、パッピーニューイヤー、
    マルセイユから列車でリヨン、パリに着きました。

    最初の夜に泊まったホテルの明細書が残っています。

  • 父の泊まったホテルだと思います。

    父の泊まったホテルだと思います。

  • 父の泊まったホテルであろうドアマンのお二人です。<br /><br />住所は合っているのに、ホテル名が違います。<br /><br />う〜ん<br /><br />おそるおそる、当時のホテル精算所を<br />示して尋ねてみました。<br /><br />すると、右の男性が <br />「おい、このカードの住所、ここだよな <br />なんでこんな名前のホテルなんだ?」<br />左の男性が、<br />「あぁ、このカードのホテルの名前は、<br />ここのホテルのずっと前のホテルの名前だぜ」<br />右の男性<br />「へえ−、そうかい!そんな名前だったのかい」<br /><br />みたいな会話の後、<br />私をホテルの中へ招いて、<br />フロントの方に会わせてくれました。<br /><br />1区 ルーヴル美術館のすぐ近くです。<br />

    父の泊まったホテルであろうドアマンのお二人です。

    住所は合っているのに、ホテル名が違います。

    う〜ん

    おそるおそる、当時のホテル精算所を
    示して尋ねてみました。

    すると、右の男性が
    「おい、このカードの住所、ここだよな 
    なんでこんな名前のホテルなんだ?」
    左の男性が、
    「あぁ、このカードのホテルの名前は、
    ここのホテルのずっと前のホテルの名前だぜ」
    右の男性
    「へえ−、そうかい!そんな名前だったのかい」

    みたいな会話の後、
    私をホテルの中へ招いて、
    フロントの方に会わせてくれました。

    1区 ルーヴル美術館のすぐ近くです。

  • 左の男性が、ホテル内を案内してくれると言います。<br /><br />手元には、私が日本から持って行ったプチギフトを<br />持っていらっしゃいます。

    左の男性が、ホテル内を案内してくれると言います。

    手元には、私が日本から持って行ったプチギフトを
    持っていらっしゃいます。

  • ホテル 1

    ホテル 1

  • ホテル 2<br /><br />とても親切にしていただきました。<br />ホテルの窓から、パリの街がみえます。<br /><br />屋根の赤茶色の煙突が、実にパリっぽい。

    ホテル 2

    とても親切にしていただきました。
    ホテルの窓から、パリの街がみえます。

    屋根の赤茶色の煙突が、実にパリっぽい。

  • 父が勤めていたクラブメッドの本社です。<br />メトロ7 Corentin Cariou <br /><br /><br />先回パリを訪れた時、メッドのスタッフの方が、<br />ここへ行くようにと教えてくれました。<br />ただ、先回はたどりつくことができませんでした。<br /><br />★先回のクラブメッドの旅行記は、<br />http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10447259/<br />http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10447281/

    父が勤めていたクラブメッドの本社です。
    メトロ7 Corentin Cariou


    先回パリを訪れた時、メッドのスタッフの方が、
    ここへ行くようにと教えてくれました。
    ただ、先回はたどりつくことができませんでした。

    ★先回のクラブメッドの旅行記は、
    http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10447259/
    http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10447281/

  • メッドの社屋の周辺は、大きな会社が集まっていました。<br />セキュリティーがしっかりしていました。

    メッドの社屋の周辺は、大きな会社が集まっていました。
    セキュリティーがしっかりしていました。

  • メッド内部 1

    メッド内部 1

  • メッド内部 2

    メッド内部 2

  • メッドでは、日本語対応の方がお二人いらっしゃいました。<br />さすが!です。<br />左から受付の方、二人目の方のポジションは<br />わかりませんが日本語を話されます。<br />中央は受付の方、私、一番右の女性は日本語を話す方。<br /><br />当時のメッドの契約書等を、お見せしました。<br />この契約書は、東京オリンピックの選手団や<br />観戦する仏人、フランスIBNの方々<br />総勢180名弱を父の小さな名古屋の旅行会社が<br />委託するという内容のものです。<br />青焼きの仏語と日本語の契約書は、<br />当時らしい堅苦しい言い回しで書かれていて、<br />時代を感じます。<br /><br />左から2人目の女性が<br />「プレジデント(社長)につなぐから待ってね」<br />とのことで、びっくり。<br />ですが、会議中ということで、この話、消えましたが、<br />社内を案内してくださいました。<br /><br />しゃれたオフィスで、何人もの方が、ゆったりとした<br />スペースで仕事をしていらっしゃいました。<br />写真を撮りたい気持ちありましたが、控えました。

    メッドでは、日本語対応の方がお二人いらっしゃいました。
    さすが!です。
    左から受付の方、二人目の方のポジションは
    わかりませんが日本語を話されます。
    中央は受付の方、私、一番右の女性は日本語を話す方。

    当時のメッドの契約書等を、お見せしました。
    この契約書は、東京オリンピックの選手団や
    観戦する仏人、フランスIBNの方々
    総勢180名弱を父の小さな名古屋の旅行会社が
    委託するという内容のものです。
    青焼きの仏語と日本語の契約書は、
    当時らしい堅苦しい言い回しで書かれていて、
    時代を感じます。

    左から2人目の女性が
    「プレジデント(社長)につなぐから待ってね」
    とのことで、びっくり。
    ですが、会議中ということで、この話、消えましたが、
    社内を案内してくださいました。

    しゃれたオフィスで、何人もの方が、ゆったりとした
    スペースで仕事をしていらっしゃいました。
    写真を撮りたい気持ちありましたが、控えました。

  • クラブメッドの冊子の表紙にプレジデントが<br />載っています。<br /><br />写真を撮ってくださった警備の男性が、<br />「この人がプレジデントだよ」と言って<br />冊子をくれました。

    クラブメッドの冊子の表紙にプレジデントが
    載っています。

    写真を撮ってくださった警備の男性が、
    「この人がプレジデントだよ」と言って
    冊子をくれました。

  • メッドの方のお話によると、<br />47年前、メッドの社屋はブルスにあったそうです。<br />ですから、多分、父は、<br />このメトロの駅を何度も使ったと思われます。<br /><br />多分2区 メトロ3 <br /><br /><br />2014年6月11日追記<br />父の遺した資料を何気なく見ていたら、当時のメッドの本社の住所が載っている冊子がありました。<br />PARIS 8 RUE DE LA BOURSE <br />TEL RIC 0909<br />うれしいなぁ〜<br /><br />私が死んだら、父の資料は全てゴミと化します。なので、多くを処分しようと片付けはじめてすぐに、元本社住所、というか父が研修したところを見つけちゃいました。こんなことでは、整理するの難しい!どうしたものやら。 

    メッドの方のお話によると、
    47年前、メッドの社屋はブルスにあったそうです。
    ですから、多分、父は、
    このメトロの駅を何度も使ったと思われます。

    多分2区 メトロ3 


    2014年6月11日追記
    父の遺した資料を何気なく見ていたら、当時のメッドの本社の住所が載っている冊子がありました。
    PARIS 8 RUE DE LA BOURSE 
    TEL RIC 0909
    うれしいなぁ〜

    私が死んだら、父の資料は全てゴミと化します。なので、多くを処分しようと片付けはじめてすぐに、元本社住所、というか父が研修したところを見つけちゃいました。こんなことでは、整理するの難しい!どうしたものやら。 

  • メトロを出た街並み 1<br /><br /><br />2014年6月11日追記<br />元本社を当時の住所でグーグルアースで検索したところ、この写真が出てきました。<br />私がメトロBOURSEを降りて地上へ出るとこの建物がありました。<br />グーグルアースによると、西2本目を北へ入った交差点でした。

    メトロを出た街並み 1


    2014年6月11日追記
    元本社を当時の住所でグーグルアースで検索したところ、この写真が出てきました。
    私がメトロBOURSEを降りて地上へ出るとこの建物がありました。
    グーグルアースによると、西2本目を北へ入った交差点でした。

  • メトロを出た街並み 2

    メトロを出た街並み 2

  • 追記:2014年11月2日<br /><br />クラブメッドの当時のパンフレットの最後のぺージに、ブルスの名の入った住所を見つけました。<br /><br />下宿先のアルマ・マルソーから研修先メッドのあるブルスまで、メトロで通ったと確定しました。<br />ときには、セーヌ川沿いに歩いたのでしょうが。

    追記:2014年11月2日

    クラブメッドの当時のパンフレットの最後のぺージに、ブルスの名の入った住所を見つけました。

    下宿先のアルマ・マルソーから研修先メッドのあるブルスまで、メトロで通ったと確定しました。
    ときには、セーヌ川沿いに歩いたのでしょうが。

  • 父の下宿先の近くに来ました。<br />16区 アルマ・マルソーの近くです。<br /><br />

    父の下宿先の近くに来ました。
    16区 アルマ・マルソーの近くです。

  • 下宿先の集合住宅 1

    下宿先の集合住宅 1

  • 下宿先の集合住宅 2

    下宿先の集合住宅 2

  • 下宿先の入口です。<br />

    下宿先の入口です。

  • 中庭です。

    イチオシ

    中庭です。

  • 中庭から上を見上げました 1

    中庭から上を見上げました 1

  • 中庭から上を見上げました 2

    中庭から上を見上げました 2

  • 中庭の反対がわです。<br /><br />奥が入口で、左はハウスキーパーさんの住まい、<br />右は、エレベーターで各部屋への入口です。

    中庭の反対がわです。

    奥が入口で、左はハウスキーパーさんの住まい、
    右は、エレベーターで各部屋への入口です。

  • ハウスキーパーさんです。<br /><br />父がお世話になった方をご存知でした。<br />その方は、4年前に亡くなられ、<br />現在どなたも住んでいらっしゃらないとのことでした。<br /><br />ハウスキーパーさんは、47年前のことは<br />ご存知ないとのことでした。<br /><br />手には、私がお渡ししたプチプレゼント(陶器の置物)を<br />お持ちいただきました。

    ハウスキーパーさんです。

    父がお世話になった方をご存知でした。
    その方は、4年前に亡くなられ、
    現在どなたも住んでいらっしゃらないとのことでした。

    ハウスキーパーさんは、47年前のことは
    ご存知ないとのことでした。

    手には、私がお渡ししたプチプレゼント(陶器の置物)を
    お持ちいただきました。

  • あの窓の部屋が、父のお世話になった方のお宅です。<br /><br />私は、前々から下宿先にいってみたいと<br />思っていましたので、<br />とてもうれしかったです。<br /><br />東京在住の弟が母からもらった<br />資料の中に住所がわかる手紙が残っていました。

    あの窓の部屋が、父のお世話になった方のお宅です。

    私は、前々から下宿先にいってみたいと
    思っていましたので、
    とてもうれしかったです。

    東京在住の弟が母からもらった
    資料の中に住所がわかる手紙が残っていました。

  • 父の下宿は4階です。

    父の下宿は4階です。

  • ハウスキーパーさんのお宅 1

    ハウスキーパーさんのお宅 1

  • ハウスキーパーさんのお宅 2

    ハウスキーパーさんのお宅 2

  • 各部屋(家)への入口

    各部屋(家)への入口

  • ドアごしに撮りました。

    イチオシ

    ドアごしに撮りました。

  • 父が泊まったホテルの2軒目です。<br />7区 アンヴリッドの近くです。

    父が泊まったホテルの2軒目です。
    7区 アンヴリッドの近くです。

  • 近付いてきました。<br />左にエッフェル塔が見えます。<br />このホテルは、下宿の近くでした。

    近付いてきました。
    左にエッフェル塔が見えます。
    このホテルは、下宿の近くでした。

  • 看板がありました。

    看板がありました。

  • 門がありました。

    門がありました。

  • ホテルの入口 1

    イチオシ

    ホテルの入口 1

  • ホテルの入口 2

    ホテルの入口 2

  • ホテルの内部<br /><br />父は、この階段を登り降りしたのでしょうか−

    ホテルの内部

    父は、この階段を登り降りしたのでしょうか−

  • フロントの方です。<br /><br />47年前のことは、ご存知ありませんでした。

    フロントの方です。

    47年前のことは、ご存知ありませんでした。

  • 左は当時のホテルカード<br />右は、現在のホテルカード<br />

    イチオシ

    左は当時のホテルカード
    右は、現在のホテルカード

  • 私が、持参したカードをコピーし、<br />「このホテルが50年前にもあった証」と書き、<br />私がお渡ししたプチギフトと一緒に、ロビーの棚に<br />置いてくださいました。<br /><br />私に、サインをするようにおっしゃるので、<br />名前を書いたら、ジャポンと書くようにとのことで、<br />再度書きました。<br /><br />ここでも、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。

    私が、持参したカードをコピーし、
    「このホテルが50年前にもあった証」と書き、
    私がお渡ししたプチギフトと一緒に、ロビーの棚に
    置いてくださいました。

    私に、サインをするようにおっしゃるので、
    名前を書いたら、ジャポンと書くようにとのことで、
    再度書きました。

    ここでも、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。

  • 生花がいたるところに飾ってあり、きれいです。<br /><br /><br />当時、父は、パリ在住の日本人の方と、<br />時々お目にかかっていました。<br />また、東京在住の美術大学の方とも、<br />お近づきになったようです。<br /><br />そうした記録は残っているものの、<br />半世紀が経ちましたので、<br />当時の父のことを知る人は、<br />ますます限られてきました。<br /><br /><br />

    生花がいたるところに飾ってあり、きれいです。


    当時、父は、パリ在住の日本人の方と、
    時々お目にかかっていました。
    また、東京在住の美術大学の方とも、
    お近づきになったようです。

    そうした記録は残っているものの、
    半世紀が経ちましたので、
    当時の父のことを知る人は、
    ますます限られてきました。


  • 2022年12月 追記<br />1962年発行 ヨーロッパのユースホステル所在地を示した両面印刷で模造紙大の地図(8つ折り)を開いています。<br /><br />亡父過去2回 私過去3回(孫同行含む)の旅程を書き込みました。<br />1962年12月4日→1963年2月14日<br />1963年4月?日→5月30日(カイロまで)<br />私 2010年2月 8月から10月の57日間<br />2018年12月20日から1月3日<br />来年、ヨーロッパへ行く予定なのでまとめようと思ったわけです。<br />父:水色<br />私:ピンク

    2022年12月 追記
    1962年発行 ヨーロッパのユースホステル所在地を示した両面印刷で模造紙大の地図(8つ折り)を開いています。

    亡父過去2回 私過去3回(孫同行含む)の旅程を書き込みました。
    1962年12月4日→1963年2月14日
    1963年4月?日→5月30日(カイロまで)
    私 2010年2月 8月から10月の57日間
    2018年12月20日から1月3日
    来年、ヨーロッパへ行く予定なのでまとめようと思ったわけです。
    父:水色
    私:ピンク

  • パリ

    パリ

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