2010/02/23 - 2010/03/04
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不二山さん
写真は、50年近く前に、
父が大変お世話になった仏人М氏のアバルトマンの入口です。
亡父は、1963年1月7.8日泊めてもらっています。
もしかしたら、マルミアンさんが父の身元引受人だったかもしれません。当時は、そのような事情があったと聞いたことがあります。
ここを訪れることが、私の最も大きな目的でした。
この旅行記では、
滞在先のホテルからアパルトマンへの経路を載せます。
・日本での準備1
グーグルアースで、ホテルと目的地を入力し経路を地図上で
示したものを印刷して持参しました。
・日本での準備2
訪問先で渡すために、自己紹介と、訪問目的を
仏文翻訳サイトで翻訳し持参しました。
М氏の住所が記された手紙は、東京在住の弟が、
今は亡き母からもらい所有していました。
その手紙を読むと、
М氏は父と連絡を取るために苦労された様子でした。
結果的には、岐阜県在住の方に翻訳をしていただいて、
М氏の手紙が父に渡り、文通がはじまったようです。
手紙の内容からすると、
父は、渡航が自由にできない時代でしたが、
フランス行きを強く望んでいたようで、
М氏はアドバイスしてくださっていました。
父は、バカンス会社の研修生をしていましたが、
それはМ氏の力添えがあったようです。
⇒ 日本の渡航の自由化は、1964年4月 ⇒
М氏とは、こうした交流の数年後、
父は、“くもまっか出血”で一晩のうちに亡くなりました。
そのこと、М氏はご存知ないかもしれません。
M氏は、東京オリンピックの前後に2度ほど日本を訪問された方で、
ドキュメンタリー映画のプロデューサーをされていました。
当時、父は30代半ばで、
М氏は、50代だったと思うと、長兄が言っていました。
М氏が来日をされた際、
名古屋の都ホテルだったと思いますが、
母をはじめ、まだ小・中学生だった私たちと昼食を共にしました。
М氏の瞳は、エメラルドグリーンでした。
その瞳は、あまりに美しく
ずっと見つめてしまったことを覚えています。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
-
そのときの記念写真です。
父は、たいそう嬉しかったとみえ、
同じ写真を何枚も焼増ししていました。
弟は、残念ながら幼いため祖母と留守番。
改めてよく見ると、
父は、スイスの帽子をかぶり、
下の兄は、バックスキンでできた
ドイツのじようぶなズボンをはいています。
私は、イギリスの騎馬兵のブローチ。 -
さて、この写真は、
エッフェル塔から、М氏宅の方角を撮ったものです。
M氏宅は、白鳥の小道のグルネル橋の西端に立つ自由の女神の近くです。
フランスがアメリカに自由の女神像を贈ったお礼として、
パリに住むアメリカ人がフランス革命100周年を記念して制作したものだそうです。 -
いよいよ出発。
メトロ13号線に乗る。
ミロメ二ル→アンヴァリッド
実は、事前に券売機を2回下見しましたが、
購入できません。
次に、ヘルプキーで呼び出しましたが、
駅員は来てくれないのでした。
なので、この日は通りがかりの人に聞くしかなく、
改札を出てこられたきれいな女性に、
思い切って「エクスキューズミィ」と声をかけました。
この方は、チケットの買い方を教えてくださり、
ホームまで同行までしてくださいました。
写真は、アンヴァリッド→RERのC線への
長く続く、動く歩道。 -
RERのC線に乗る。
アンヴアリッド→ケネディ レイディオ フランス
ここでもまた、チケットの買い方がわからず、
日本の女性3.4人に聞きました。
彼女たちは、ここから、
ベルサイユ行きに乗って行きました。 -
2階建電車でした。
-
エッフェル塔近くの、車窓から撮りました。
セーヌ川にかかる橋が見えます。 -
ケネディ レイディオ フランスの駅です。
わくわく、ドキドキ…
М氏は、ご存命だろうか、
ご家族の方は、いらっしゃるのだろうか、 -
ますます、どきどきしてきた。
父も、この駅を使ったのだろうか。
父のアルマ・マルソーの下宿先から、
М氏宅まで約2.5km -
駅の前です。
駅名からして、ケネディ元大統領に
何か関わりがあるのでしょうか。
この通りの名前は、
AV DU PRESIDENT KENNEDYです。
また、近くのセーヌ川には、自由の女神像が建っています。
引用:
パリ [編集]
フランスのパリにある自由の女神像は、フランスが
アメリカに自由の女神像を送ったことの返礼として、パリに住むアメリカ人たちが
フランス革命100周年を記念して贈ったものである。
セーヌ川のグルネル橋のたもとに位置し、
高さは11.5メートル、重さは14トンと、
ニューヨークにあるものより小さめである。
1889年11月5日に除幕式が行われた。
同じくバルトルディの設計によるもので、除幕も彼の手によって行われた。
左腕に抱える銘板には、フランス革命のきっかけとなった
バスティーユ牢獄襲撃が起こった1789年7月14日の
日付が刻まれている。
また、パリ市内のリュクサンブール公園にも、
さらに一回り小さな自由の女神像が置かれている。
ニューヨークの彫像の準備作業のために作られたもので、
1900年にリュクサンブール博物館に寄贈され、
1906年にリュクサンブール公園内に設置された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E5%83%8F -
振り返り、駅舎を撮りました。
-
住所のアベニューの標識がありました。
心臓、バックン・バックン -
この先にあるはずです。
-
歩いていらした高齢女性に、М氏の写真をお見せながら
知っていらっしゃるかどうか聞きました。
「ノン」
その後、正確に言うと、
9人の高齢方に聞きましたが、みなさん、「ノン」 -
しかし、М氏の手紙に書いてあった住所の
アバルトマンはありました。
もう、それだけでも私には嬉しい。 -
イチオシ
М氏のアパルトアンの内部です。
なぜ、内部かと言うと、通りがかりの人に、
私はМ氏を探していて住所はここだと言うと、
入口の右の壁面にあるフザーを押してドアを開け、
私を中へ入れてくれたのです。
で、その方、すぐにどこかへ行ってしまいました。
勝手に入っていいの?
私、どうすりゃいいの
どうやって出るの? -
手前に、ボタンが二つ、見えます。
そうか、これを押したら、ドアが開くんだね。
出口もわかり、やや、ほっとしたところで、
この左の木でできたボックス、何でしょう。
宅配の品物でも入れておくものなのかなぁ〜
わかりません。
こりや、不法侵入にあたるかしらと、
気になりつつ、奥へ。 -
入口の奥には、エレベーターがあり、
写真にある壁面のネームプレートは、
日本でいう表札のようなものでした。
夜、ホテルへ帰ってデジカメを確認していたら、
私は、このネームプレートのアップを
あちこちから6枚も撮っていました。
何度、撮ったところで、
何度も、スペルを読んだところで、
М氏の記入はありませんでした…
結局、М氏やご家族は、もう、ここには
住んではいらっしゃらないことがはっきりしました。
勝手に入ったので、外へ出ました。
しばらく、気を取り直すために、時間を過ごしました。 -
先ほどの女性です。
再び会いました。
「わかったの?」みたいに、ジェスチャーで
聞いてくださり、それが嬉しくって、
和テイストの便箋を差し上げました。
手にお持ちです。 -
イチオシ
最後に、もう一人だけ声をかけて帰ろうと決め
声をかけたその方は、明るくお茶目で
お世話好きなスペイン女性でした。
お隣りに住んでいらっしゃるようで、
ついていらっしゃいとのこと。
今度は、アパルトマンへ二人で入りました。
突き当りに白いカーテンのドアが見えます。
そこは、このアバルトマンの
女性ハウスキーパーさんのお宅です。
М氏のことは、まったくわからないとのことでした。
けれど、ハウスキーパーさんは、
「まだМ氏を探す方法が他にある」と、
一生懸命に教えてくださるのでした。 -
ハウスキーパーさんの仏語と、
スパニッシュ女性の仏語やら筆談、
私の園児並みの英語で話したところ、
全く、チンプンカンプン
ハウスキーパーさんが、中学生ぐらいの娘さんを呼び、
ハウスキーパーさんの仏語を
娘さんが英語で話してくれ、
この写真にある、16区の区役所で、
М氏のことを聞くとよいと教えてくださいました。
今年発行の冊子でしたが、
持って行きなさいと、渡してくださいました。
帰国後よく見ると、この冊子仏語と英語表記でした。
フランスは、仏語以外使わないといったことを
聞きましたが、英語は必要になっているようでした。 -
区役所の場所も、地図に示してくれました。
とても親切が有り難かったので、
手持ちのチョコレートをお渡ししました。
メルシー
ありがとうございます。
サンキューと、
ありったけのお礼を言い、後にしました。 -
エレベーター右壁面のネームプレートを
見て帰るだけでは、あまりに心残りでした。
しかし、このお隣のアバルトマンの女性のおかげで、
私はハウスキーパーさんと話すことができました。
女性がお持ちになっていらっしゃるのは、
お礼に日本の大漁旗をモチーフにした
布袋をプレゼントしたものです。
私が、パリへ出発する前、娘に「何か日本っぽい、
ちょっとした品を持って行きたい」と、言ったら、
「これ持って行けば」ってくれました。 -
М氏のお宅の前で、一枚、記念写真。
父、ここへ来たのかな? -
帰り道です。
なんとなく、後ろ髪が引かれる思いです。
あぁ、もうМ氏やそのご家族は
いらっしゃらないんだぁ。
樹木の向こうに、エッフェル塔が見えます。 -
帰りのRERのC線のホームへと向かっています。
-
このあと、
天気がよかったので、セーヌクルーズに行きました。
セーヌクルーズは、みなさん、おなじみですよね。
素晴らしくて、あちこちシャッターを切りました。 -
イチオシ
50年前のセーヌクルーズ関連のパンフレットです。
こうした古いパンフレットのカラーコピーを、
そこの場所へ行き、お見せしお渡ししてきました。
けれど、クルーズで働く人たちは、
お若い方ばかりでしたし、とても忙しそうでしたので、
お見せしないで帰ってきました。 -
そして、シャイヨー宮へ。
-
次には、行きたかったギャリエラ美術館へ。
クローズしていました。
がっかり。
写真は、ギャリエラ美術館の正面だと思いますが、
違うかもしれません。 -
この日の、ルートを地図に示しました。
ホテルに帰るには、少し早かったけれど戻って夕食。
素晴らしい一日だったなぁ。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- churros さん 2010/07/18 09:51:18
- はじめまして
- 不二山さん、はじめましてy訪問ありがとうございます。
旅行記拝見しました、遠い国での人探しって難しいですよね〜
私も10数年前初めてスペインに行った時にお世話になった
方の自宅を訪ねたのですが、引っ越しされていて未だに連絡が
取れません、スペインに行くのも歳ですので後数回でしょう、
会えればいいな〜と思っています。
私も英語が話せませんが何となく海外に出掛けております、
思ったほど相手を理解するって難しくないのかもしれませんね
Q&Aの回答お役に立ちましたでしょうか?T/Cってっこの時代に
必要なんでしょうか?はなはだ疑問です、私の浅い経験でも
T/Cを使ってらっしゃる方を見かけた事がありませんよ。
churros
- 不二山さん からの返信 2010/07/18 11:48:13
- RE: はじめまして
- churrosさん
書き込み、質問の回答もありがとうございます。
遠い国での人探し、大変でしたがとても楽しかったです!
いはいえ、もう住んでいらっしゃらないとわかった時は、がっかりでした。
T/Cのよしあしについて、で質問させていただいた今回の
ヨーロッパ行きは、人探しはなく、早くに亡くなった父が、
各国の地図にいろいろ書き込んでいたり、ホテルやレストランの
レシートがあるので、そこを訪ねる予定です。
churrosさんの旅行記を開けましたが、
スペインへよく訪れていらっしゃいますよね。
大切な方は、引っ越しをされていたのですか…
となると、その後の連絡は取りにくいのでしょうね。
私は、スペインは行ったことがありませんが、
父のバルセロナの地図やパンフレットには、
たくさんの書き込みがあり、
今回のヨーロッパ行きの候補地でしたが、
結果取りやめにしました。
スペインや、ヨーロッパは遠いです。
私は、中部国際空港を利用しますが、直行便が出ていないことが多く、
乗り換えをするため時間がかかります。
churrosさん、まだまだ、スペインへ行ってくださいね。
人は、私が海外に行くというと、英語が話せるとお思いになるのですが、
いえいえ、そうではありません。
無茶だとお思いの方もおありだと思いますが、
それなりに浅いコミュニケーションであれば、できると思います。
ただ、今回はヨーロッパ対応の電子辞書を購入しました。
また、携帯電話を持参し、スケジュールに列車情報・宿泊先情報を
入力していき、現地の確認に役立てようと思っています。
もちろん、紙媒体も持参します。
ps:
Q&Aの回答のお礼と、この掲示板の返事が前後してしまいました。
こちらにつきましては、省かせていただきます。
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