東山・祇園・北白川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 京都市東山区にある月真院は高台寺の塔頭である。元和5年(1619年)に津和野藩二代藩主亀井茲政によって建立され、初代藩主政矩の墓所がある。政矩は北政所と親しかったため、ゆかりの高台寺に墓所がつくられたのだという。<br /> 門前に「御陵衛士屯所跡」の石碑が建っている。幕末の元治元年(1864年)に、伊東甲子太郎は藤堂平助の紹介で新選組に入隊し、新選組の参謀兼文学師範に抜擢されたが、後に近藤勇らと思想の違いにより亀裂が生じ、慶応3年(1867年)孝明天皇からの御陵警備任務拝命により、藤堂平助ら以下15名が新選組を離脱してこの月真院に入り屯所を構えた。しかし、伊東、藤堂等は油小路の決闘により殺害され、御陵衛士は壊滅へと追い込まれていく。翌年の慶応4年には鳥羽伏見の戦いが起こり、明治元年2月3日には明治新政府が発足し、時代が新しく変わっていく。そんな激動の幕末の1コマがここ月真院に印される。<br />(表紙写真は月真院山門)

京都高台寺月真院

1いいね!

2008/11/08 - 2008/11/08

6390位(同エリア6947件中)

0

2

ドクターキムル

ドクターキムルさん

 京都市東山区にある月真院は高台寺の塔頭である。元和5年(1619年)に津和野藩二代藩主亀井茲政によって建立され、初代藩主政矩の墓所がある。政矩は北政所と親しかったため、ゆかりの高台寺に墓所がつくられたのだという。
 門前に「御陵衛士屯所跡」の石碑が建っている。幕末の元治元年(1864年)に、伊東甲子太郎は藤堂平助の紹介で新選組に入隊し、新選組の参謀兼文学師範に抜擢されたが、後に近藤勇らと思想の違いにより亀裂が生じ、慶応3年(1867年)孝明天皇からの御陵警備任務拝命により、藤堂平助ら以下15名が新選組を離脱してこの月真院に入り屯所を構えた。しかし、伊東、藤堂等は油小路の決闘により殺害され、御陵衛士は壊滅へと追い込まれていく。翌年の慶応4年には鳥羽伏見の戦いが起こり、明治元年2月3日には明治新政府が発足し、時代が新しく変わっていく。そんな激動の幕末の1コマがここ月真院に印される。
(表紙写真は月真院山門)

交通手段
高速・路線バス 私鉄
  • 門前の石碑、歌碑。

    門前の石碑、歌碑。

  • 月真院。

    月真院。

この旅行記のタグ

関連タグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP