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日本三大観音の一つ、大須観音紹介の締め括りです。寄進の石碑等でも名古屋の歴史を感じさせます。

2009秋、日本三大観音・大須観音(3/3):芭蕉句碑、宗春爛漫・からくり人形、人形供養塔

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2009/11/30 - 2009/11/30

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旅人のくまさん

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日本三大観音の一つ、大須観音紹介の締め括りです。寄進の石碑等でも名古屋の歴史を感じさせます。

交通手段
私鉄
  • 寄進者の名前を記した石柱です。愛知、名古屋とその近郊の会社等の盛衰を偲ばせる名前もあります。中央は、肩書なしの『古川為三郎』さんの石碑です。毎年1億円単位で現金で名古屋市に寄付をされていました。中部地区で一番の資産家の方でした。千種区に名前を冠した記念館と、美術館があります。

    寄進者の名前を記した石柱です。愛知、名古屋とその近郊の会社等の盛衰を偲ばせる名前もあります。中央は、肩書なしの『古川為三郎』さんの石碑です。毎年1億円単位で現金で名古屋市に寄付をされていました。中部地区で一番の資産家の方でした。千種区に名前を冠した記念館と、美術館があります。

  • 名古屋に本社がある主だった会社を『五摂家』と呼んでいた時代がありました。その3社記されています。いずれも健在です。右から中部電力、名古屋鉄道と東邦ガスです。かつての『五摂家』は、他には松坂屋と東海銀行(現UFJ銀行)です。UFJ銀行はすでに名古屋に本社は無く、松坂屋も合併により、近い内に東京に本社が代わります。

    名古屋に本社がある主だった会社を『五摂家』と呼んでいた時代がありました。その3社記されています。いずれも健在です。右から中部電力、名古屋鉄道と東邦ガスです。かつての『五摂家』は、他には松坂屋と東海銀行(現UFJ銀行)です。UFJ銀行はすでに名古屋に本社は無く、松坂屋も合併により、近い内に東京に本社が代わります。

  • こちらには名古屋の『五摂家』の内、東海銀行と松坂屋の名前があります。栄枯盛衰を感じさせます。この2つの会社の代表経営者は、長く中部財界の要職を務められていました。松坂屋も本社が東京に移ることになり、名古屋商工会議所の会頭の去就が注目されています。現在の会頭は、松坂屋ホールディングス会長の岡田邦彦師が務められいます。

    こちらには名古屋の『五摂家』の内、東海銀行と松坂屋の名前があります。栄枯盛衰を感じさせます。この2つの会社の代表経営者は、長く中部財界の要職を務められていました。松坂屋も本社が東京に移ることになり、名古屋商工会議所の会頭の去就が注目されています。現在の会頭は、松坂屋ホールディングス会長の岡田邦彦師が務められいます。

  • 右手にある肩書無の『田口福太郎』のお名前は、岐阜県の西濃運輸の創業者、田口利八氏の弟に当たる方でしょうか。現在の会社代表者は、利八氏の長男が継がれていて、典型的な同族経営の会社です。現在はグループの持ち株会社のセイノーホールディングスに西濃運輸も統合されています。

    右手にある肩書無の『田口福太郎』のお名前は、岐阜県の西濃運輸の創業者、田口利八氏の弟に当たる方でしょうか。現在の会社代表者は、利八氏の長男が継がれていて、典型的な同族経営の会社です。現在はグループの持ち株会社のセイノーホールディングスに西濃運輸も統合されています。

  • この辺りの石柱はすべて個人名と住所だけです。いわゆる篤志家の人達でしょうか、私が知っている方のお名前は見当たりません。家族か一族で、名前を連ねているようです。

    この辺りの石柱はすべて個人名と住所だけです。いわゆる篤志家の人達でしょうか、私が知っている方のお名前は見当たりません。家族か一族で、名前を連ねているようです。

  • 本殿の石段の東側にある石碑と幟です。地元の大須商店街のお店からの寄進のようです。

    本殿の石段の東側にある石碑と幟です。地元の大須商店街のお店からの寄進のようです。

  • ブロンズ製の八角形の灯篭です。頭部には宝珠があり、屋根の下には、風鐸が飾ってあります。

    ブロンズ製の八角形の灯篭です。頭部には宝珠があり、屋根の下には、風鐸が飾ってあります。

  • 鐘楼を背景にして、岩の上に座った姿の石像です。観音菩薩か、薬師菩薩でしょうか、その前にはブロンズの燭台もありました。

    鐘楼を背景にして、岩の上に座った姿の石像です。観音菩薩か、薬師菩薩でしょうか、その前にはブロンズの燭台もありました。

  • その菩薩像のアップ光景です。足の組み方が、仏教ではなくヒンドゥ教を思わせます。

    イチオシ

    その菩薩像のアップ光景です。足の組み方が、仏教ではなくヒンドゥ教を思わせます。

  • 鳥除けのネット越しに撮影した、本殿と普門殿を結ぶ建物の額です。宝生院の文字のようです。

    鳥除けのネット越しに撮影した、本殿と普門殿を結ぶ建物の額です。宝生院の文字のようです。

  • 本殿の石段の右側にあった、お地蔵様などの紹介です。錫杖を持った地蔵菩薩の立像です。お供え物が絶えません。

    本殿の石段の右側にあった、お地蔵様などの紹介です。錫杖を持った地蔵菩薩の立像です。お供え物が絶えません。

  • 地蔵菩薩のお顔のアップ光景です。左手の子供を抱えた姿です。地蔵様の呼び方は、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救うところからの呼び名とされます。

    イチオシ

    地蔵菩薩のお顔のアップ光景です。左手の子供を抱えた姿です。地蔵様の呼び方は、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救うところからの呼び名とされます。

  • 蓮座の上に座禅を組み、瞑想される仏像です。聖観音菩薩様でしょうか。手元の『仏像の百科事典』を繰ってみましたが、正確なところは分かりません。

    蓮座の上に座禅を組み、瞑想される仏像です。聖観音菩薩様でしょうか。手元の『仏像の百科事典』を繰ってみましたが、正確なところは分かりません。

  • 聖観音菩薩様のような仏像のお顔のアップ光景です。被り物に小さな仏像が刻まれていますが、十一面観音菩薩様とは違うようです。

    聖観音菩薩様のような仏像のお顔のアップ光景です。被り物に小さな仏像が刻まれていますが、十一面観音菩薩様とは違うようです。

  • お身体が隠れてしまって、どの仏像かは分かりません。取り敢えずは、台座に『開運地蔵』の文字がありますから、蓮座の上で座禅を組む地蔵菩薩様です。

    お身体が隠れてしまって、どの仏像かは分かりません。取り敢えずは、台座に『開運地蔵』の文字がありますから、蓮座の上で座禅を組む地蔵菩薩様です。

  • こちらの仏様は、お顔も隠れてしまっています。『仏像の百科事典』には、似たような姿態に如意輪観音座像がありました。

    こちらの仏様は、お顔も隠れてしまっています。『仏像の百科事典』には、似たような姿態に如意輪観音座像がありました。

  • 写実的な表情をされた仏像です。やはり大須観音に縁の観音様の像でしょうか。

    写実的な表情をされた仏像です。やはり大須観音に縁の観音様の像でしょうか。

  • 芭蕉句碑です。『いざさらば雪見にころぶ所まで』の句が刻まれています。1687年に、名古屋再訪の際の12月3日の夜、原町筋の当林風月堂において、如行、有道、荷兮、野水と俳諧を催し、折からの雪に発句し、堂主有道に書き与えたと伝えられます。旧碑は戦火に遭い、現在の句碑になったようです。   

    芭蕉句碑です。『いざさらば雪見にころぶ所まで』の句が刻まれています。1687年に、名古屋再訪の際の12月3日の夜、原町筋の当林風月堂において、如行、有道、荷兮、野水と俳諧を催し、折からの雪に発句し、堂主有道に書き与えたと伝えられます。旧碑は戦火に遭い、現在の句碑になったようです。   

  • 芭蕉句碑の謂れを書き記した石碑です。名古屋大須ロータリークラブの10周年記念に、芭蕉200年忌を機に寄進された石碑であることも記されています。

    芭蕉句碑の謂れを書き記した石碑です。名古屋大須ロータリークラブの10周年記念に、芭蕉200年忌を機に寄進された石碑であることも記されています。

  • 『宗春爛漫』と名付けられた『からくり人形』です。『宗春』の名前は、江戸時代の中期、尾張藩第7代藩主の徳川宗春に因みます。

    イチオシ

    『宗春爛漫』と名付けられた『からくり人形』です。『宗春』の名前は、江戸時代の中期、尾張藩第7代藩主の徳川宗春に因みます。

  • 同じく、からくり人形の紹介です。宗春公は、将軍吉宗の倹約令を無視し、芸能をを奨励しました。江戸や大坂から芸人、商人を集め、芝居小屋や飲食店を建ち並べ、名古屋の街を発展させました、江戸幕府からは蟄居を命じされましたが、名古屋発展の恩人として、今も慕われています。墓の副葬品は、建中寺に納めらています。

    同じく、からくり人形の紹介です。宗春公は、将軍吉宗の倹約令を無視し、芸能をを奨励しました。江戸や大坂から芸人、商人を集め、芝居小屋や飲食店を建ち並べ、名古屋の街を発展させました、江戸幕府からは蟄居を命じされましたが、名古屋発展の恩人として、今も慕われています。墓の副葬品は、建中寺に納めらています。

  • からくり人形上演の時間を記した立札です。からくり人形は1日5回、11時、13時、15時、17時と18時半に上演されます。約6分間です。

    からくり人形上演の時間を記した立札です。からくり人形は1日5回、11時、13時、15時、17時と18時半に上演されます。約6分間です。

  • 人の歯をデザインした歯歯(はは)塚です。右手の石碑に刻まれた碑文は、『歯よ、入れ歯よ、よく働いてくれた。不用になったからといって、どうしてお前を捨てられよう。その安住の地が即ちこの「はは塚」である。これからはもう物を噛む必要はない。のんびりとこの塚の中でおしゃべりして休養してもらいたい。その意味で建立されたのがこの塚である。歯よ、入れ歯よ、長い間ご苦労さんでした。昭和52年8月8日 発起人一同』の文字です。

    人の歯をデザインした歯歯(はは)塚です。右手の石碑に刻まれた碑文は、『歯よ、入れ歯よ、よく働いてくれた。不用になったからといって、どうしてお前を捨てられよう。その安住の地が即ちこの「はは塚」である。これからはもう物を噛む必要はない。のんびりとこの塚の中でおしゃべりして休養してもらいたい。その意味で建立されたのがこの塚である。歯よ、入れ歯よ、長い間ご苦労さんでした。昭和52年8月8日 発起人一同』の文字です。

  • 人形供養塔です。1979(昭和54)年に建立されました。無事に子供が成長したことを感謝し、使わなくなった古い人形を供養する行事が、今日まで行われています。

    人形供養塔です。1979(昭和54)年に建立されました。無事に子供が成長したことを感謝し、使わなくなった古い人形を供養する行事が、今日まで行われています。

  • 人形供養塔のの由来を記した立て看板です。『雛祭』屋『端午の節句』に飾られる人形が、吾子に振りかかる災難を身代わりになって戴いたお礼としての供養塔です。毎年10月の第一木曜に供養祭が行われることも記されています。

    人形供養塔のの由来を記した立て看板です。『雛祭』屋『端午の節句』に飾られる人形が、吾子に振りかかる災難を身代わりになって戴いたお礼としての供養塔です。毎年10月の第一木曜に供養祭が行われることも記されています。

  • 少し離れた場所からの本殿の全景です。江戸時代には尾張徳川家から手厚い庇護を受け、寺領が1万石との記述もありました。

    少し離れた場所からの本殿の全景です。江戸時代には尾張徳川家から手厚い庇護を受け、寺領が1万石との記述もありました。

  • 左手前の屋根は鐘楼です。前方の右側が紫雲殿、その左が本殿です。主な建物や、境内の記念碑等は撮り終えたようです。

    左手前の屋根は鐘楼です。前方の右側が紫雲殿、その左が本殿です。主な建物や、境内の記念碑等は撮り終えたようです。

  • 最初の方でも紹介した普門殿です。干支の守り神が祀られていました。

    最初の方でも紹介した普門殿です。干支の守り神が祀られていました。

  • 本殿に向かって左側からの撮影です。戦前は大道芸、物まね、曲芸などが連日行われ、縁日には十万人を超す人出があったようです。戦後の一時期、さびれかけた時代がありましたが、今は活気を取り戻しています。

    本殿に向かって左側からの撮影です。戦前は大道芸、物まね、曲芸などが連日行われ、縁日には十万人を超す人出があったようです。戦後の一時期、さびれかけた時代がありましたが、今は活気を取り戻しています。

  • 大須観音の紹介の最後は、大悲殿と呼ばれている本殿の全景です。幟には、南無聖観世音菩薩の文字があります。

    大須観音の紹介の最後は、大悲殿と呼ばれている本殿の全景です。幟には、南無聖観世音菩薩の文字があります。

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