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 90冊目の旅行記は1990年旅行記完結版<br /><br /> 7月22日  Braunschweig,1984/1990 Juli 22.<br /> イギリスの現ウィンザー朝(1714 ジョージ1世即位)の故郷で広島の姉妹都市でもあるハノーバーで乗換え、第2の故郷ブラウンシュヴァイクにやって来た。途中までクリスティーヌという少女と一緒だった。ドイツ語を話す外国人が珍しかったのか、これまでの旅行の話を色々と聞いてくれた。彼女が降りる時に新潟で買ったキーホルダーをあげたら、とても喜んでくれた。<br /> 奇しくも今日は6年前に初めてこの町にやって来たのと同じ日だ。駅で電話帳を調べてやっと分かったフィッシャー家に電話しても応答がない。ストックホルムから‘今日行きます’と手紙を出しておいたけど、留守だったら仕方無い、と思ってバスに乗って行ってみる。玄関先に‘夕方DDRから帰ります’とエーバーハルト Eberhard,ヴィープケ Wiebke夫妻からの置き手紙。やがて昼寝をしていたらしい長男のティモ Timoが起きてきた。会うのは勿論4年振り。21歳だが頭髪が随分薄くなっていた。そのティモが先日聴きに行ったというベルリンでのピンクフロイドのコンサートのビデオを友達の家で見せてもらっていたら、帰宅した夫妻から電話が掛かってきたので帰宅する。<br /><br /> *写真は1984年夏<br /><br /><br />

109日間ユーラシア大陸横断 第4部 再会の巻(das Wiedersehen)   その2 再会

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1990/07/22 - 1990/08/12

18126位(同エリア27817件中)

砂布巾

砂布巾さん

 90冊目の旅行記は1990年旅行記完結版

 7月22日  Braunschweig,1984/1990 Juli 22.
 イギリスの現ウィンザー朝(1714 ジョージ1世即位)の故郷で広島の姉妹都市でもあるハノーバーで乗換え、第2の故郷ブラウンシュヴァイクにやって来た。途中までクリスティーヌという少女と一緒だった。ドイツ語を話す外国人が珍しかったのか、これまでの旅行の話を色々と聞いてくれた。彼女が降りる時に新潟で買ったキーホルダーをあげたら、とても喜んでくれた。
 奇しくも今日は6年前に初めてこの町にやって来たのと同じ日だ。駅で電話帳を調べてやっと分かったフィッシャー家に電話しても応答がない。ストックホルムから‘今日行きます’と手紙を出しておいたけど、留守だったら仕方無い、と思ってバスに乗って行ってみる。玄関先に‘夕方DDRから帰ります’とエーバーハルト Eberhard,ヴィープケ Wiebke夫妻からの置き手紙。やがて昼寝をしていたらしい長男のティモ Timoが起きてきた。会うのは勿論4年振り。21歳だが頭髪が随分薄くなっていた。そのティモが先日聴きに行ったというベルリンでのピンクフロイドのコンサートのビデオを友達の家で見せてもらっていたら、帰宅した夫妻から電話が掛かってきたので帰宅する。

 *写真は1984年夏


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  •  夕食はポーランド旅行中の次男ニールス Nielsを除く4人で。これだけくつろいでの食事は本当に久し振りだ。小生のこれまでの旅行の話を中心に熱心に耳を傾けて下さった。<br /> 食後はティモがアイスへ行こうと言う。アイス・スケートはやったことがないから困ったなと思いながらついて行ったら、友達と車2台を連ねてアイスクリームを食べに行ったのでした。<br /><br />  7月23日  Monikaが下駄を履いてやって来た<br /> 日中はティモと一緒に町中へ出掛け、レニングラードとタンペレで捨てて品薄になった下着やシャンプー、靴下などを補充。家にも電話してみた。‘変わりない?<br /> 今ブラウンシュヴァイク’で終わらせて 1.2DM。<br /> 夕方には、ホームステイ5人組の1人だった竹本さんがお世話になっていたモニカ・ミッテンドルフ Monika Mittendorfさん(以前名古屋に1年住んでいた 直訳すると中村さん)が来られる。就職1年目の1986年6月に彼女が来日した際、友人のビルギットさんと広島に立ち寄った時以来の再会だ。元々ユニークな人だけど、今日も下駄のような履物を履いてやって来た。

     夕食はポーランド旅行中の次男ニールス Nielsを除く4人で。これだけくつろいでの食事は本当に久し振りだ。小生のこれまでの旅行の話を中心に熱心に耳を傾けて下さった。
     食後はティモがアイスへ行こうと言う。アイス・スケートはやったことがないから困ったなと思いながらついて行ったら、友達と車2台を連ねてアイスクリームを食べに行ったのでした。

      7月23日  Monikaが下駄を履いてやって来た
     日中はティモと一緒に町中へ出掛け、レニングラードとタンペレで捨てて品薄になった下着やシャンプー、靴下などを補充。家にも電話してみた。‘変わりない?
     今ブラウンシュヴァイク’で終わらせて 1.2DM。
     夕方には、ホームステイ5人組の1人だった竹本さんがお世話になっていたモニカ・ミッテンドルフ Monika Mittendorfさん(以前名古屋に1年住んでいた 直訳すると中村さん)が来られる。就職1年目の1986年6月に彼女が来日した際、友人のビルギットさんと広島に立ち寄った時以来の再会だ。元々ユニークな人だけど、今日も下駄のような履物を履いてやって来た。

  •  夕方からヴィープケさんも含めた3人でDDRにドライブに行った。国境で止められたらどうしよう、と少し緊張したけど今回もコントロールは無し。約1時間程走って Osterwiekという町に行く。先日のゼルムスドルフは小さくても仲々きれいな村で、西と比較してもあまり遜色無かったけど、ここは酷い。DDRの一面を見た気がした。ゼルムスドルフは幹線道路沿いにあったからかもしれない。夕食は3人でニンニクたっぷりのギリシャ料理。

     夕方からヴィープケさんも含めた3人でDDRにドライブに行った。国境で止められたらどうしよう、と少し緊張したけど今回もコントロールは無し。約1時間程走って Osterwiekという町に行く。先日のゼルムスドルフは小さくても仲々きれいな村で、西と比較してもあまり遜色無かったけど、ここは酷い。DDRの一面を見た気がした。ゼルムスドルフは幹線道路沿いにあったからかもしれない。夕食は3人でニンニクたっぷりのギリシャ料理。

  •  7月24日  格安航空券を探す  suche billiger ticket,Goettingen.<br /> ソ連国内の旅行の手配をお願いしていた旅行社で帰りの航空券も手配してもらったのだが、その値段が片道のみで\330,000! 東ベルリン→モスクワ→ソウル→福岡と日本人はあまり利用しないであろうルートとはいえ、いわゆるノーマルチケット。そこで当地で安いチケットを購入出来れば手持ちのチケットをキャンセルしようと思い、出発前には新潟空港から、そしてヨーロッパからは手紙で旅行社に問い合わせ、ブラウンシュヴァイクに返書を貰った。それによると若干の手数料(口頭では3万円と言っていたのに…)と払い戻しが6か月後になるのを条件に可能ということだ。10万円のチケットを買えば3万円払ったとしても20万円返ってくるわけだから、この差は大きい。いくら政治的関係に先立ってこの春に就航したモスクワ~ソウル線に乗りたいと言っても、20万の誘惑には勝てない。<br /> 突然こんなことを書いたのは、今日やって来たメルヘン街道の大学町ゲッティンゲンで見付けた旅行会社フルークベーゼで日本までの片道料金を聞いたからだ。それによると、エジプト航空 1,110DM(約\100,000)、アエロフロート1,250DM、大韓航空 1,500DMとのことだった。明日もう1度行くけど、エジプトでカイロか、パキスタンか中国民航で北京か、思い切ってエアーインディアでインドにストップ・オーバー(途中降機)してやろうか、とヤケ気味の小生。

     7月24日  格安航空券を探す  suche billiger ticket,Goettingen.
     ソ連国内の旅行の手配をお願いしていた旅行社で帰りの航空券も手配してもらったのだが、その値段が片道のみで\330,000! 東ベルリン→モスクワ→ソウル→福岡と日本人はあまり利用しないであろうルートとはいえ、いわゆるノーマルチケット。そこで当地で安いチケットを購入出来れば手持ちのチケットをキャンセルしようと思い、出発前には新潟空港から、そしてヨーロッパからは手紙で旅行社に問い合わせ、ブラウンシュヴァイクに返書を貰った。それによると若干の手数料(口頭では3万円と言っていたのに…)と払い戻しが6か月後になるのを条件に可能ということだ。10万円のチケットを買えば3万円払ったとしても20万円返ってくるわけだから、この差は大きい。いくら政治的関係に先立ってこの春に就航したモスクワ~ソウル線に乗りたいと言っても、20万の誘惑には勝てない。
     突然こんなことを書いたのは、今日やって来たメルヘン街道の大学町ゲッティンゲンで見付けた旅行会社フルークベーゼで日本までの片道料金を聞いたからだ。それによると、エジプト航空 1,110DM(約\100,000)、アエロフロート1,250DM、大韓航空 1,500DMとのことだった。明日もう1度行くけど、エジプトでカイロか、パキスタンか中国民航で北京か、思い切ってエアーインディアでインドにストップ・オーバー(途中降機)してやろうか、とヤケ気味の小生。

  •  ゲッティンゲンはブラウンシュヴァイクからは列車で2時間。人口13万人の小都市だけど、学生が3万人近くもいるそうだ。1871年の統一ドイツが誕生した時の鉄血政策の宰相ビスマルクもここで学んだのだそうです。

     ゲッティンゲンはブラウンシュヴァイクからは列車で2時間。人口13万人の小都市だけど、学生が3万人近くもいるそうだ。1871年の統一ドイツが誕生した時の鉄血政策の宰相ビスマルクもここで学んだのだそうです。

  •   7月25日  Heiligenstadt,aber nicht Beethoven Stadt.<br /> 昨日Inf.で‘DDRに行きたいのですが近くにいい町はないですか’と尋ねてみたら‘ハイリゲンシュタットが近い’と教えてくれた。何ハイリゲンシュタット?! ベートーヴェンが耳の病気を苦に自殺をはかった所ではないか、これは是非行ってみなければ、と出掛ける。所要時間はバスで40分。ただし便数は少なく1日3本のみ。余裕を持ってYHを出発したのに、途中で道を間違えてしまってバス停に着いたのは出発時間ギリギリ。<br /> ここは北ドイツ特有の見渡す限りの麦畑の景色を越えたところに突如現れる巨大な町。人口2万弱らしいけどその割に人が多いのは観光客が多いためか?でもよく聞いてみたら、ここはベートーヴェンのハイリゲンシュタットではないそうでガッカリ。でもゲーテとハイネが住んでいたとか。ヨーロッパってちょっと歩いても歴史がゴロゴロ転がっている。だから好きだ。

      7月25日  Heiligenstadt,aber nicht Beethoven Stadt.
     昨日Inf.で‘DDRに行きたいのですが近くにいい町はないですか’と尋ねてみたら‘ハイリゲンシュタットが近い’と教えてくれた。何ハイリゲンシュタット?! ベートーヴェンが耳の病気を苦に自殺をはかった所ではないか、これは是非行ってみなければ、と出掛ける。所要時間はバスで40分。ただし便数は少なく1日3本のみ。余裕を持ってYHを出発したのに、途中で道を間違えてしまってバス停に着いたのは出発時間ギリギリ。
     ここは北ドイツ特有の見渡す限りの麦畑の景色を越えたところに突如現れる巨大な町。人口2万弱らしいけどその割に人が多いのは観光客が多いためか?でもよく聞いてみたら、ここはベートーヴェンのハイリゲンシュタットではないそうでガッカリ。でもゲーテとハイネが住んでいたとか。ヨーロッパってちょっと歩いても歴史がゴロゴロ転がっている。だから好きだ。

  •  ドイツが統一されることを我がことの様に嬉しく思い、統一ドイツ国歌となるであろうBRD国歌を口ずさみながらDDRを歩くのでした。<br /><br /> * 旧西ドイツ、現ドイツ国歌はハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」第二楽章にも使われている。<br />

     ドイツが統一されることを我がことの様に嬉しく思い、統一ドイツ国歌となるであろうBRD国歌を口ずさみながらDDRを歩くのでした。

     * 旧西ドイツ、現ドイツ国歌はハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」第二楽章にも使われている。

  •  7月26日  パキスタン航空 北京ストップオーバー内定<br /> 今日も帰りの航空券の問題で奔走。午前中はアエロフロートのキャンセルの問題を確認するため、旅行社に手紙を書く。キャンセル料を口頭では3万円と言っていたのに、文章では‘全額返金できません’との表現で、金額がはっきり明記されていなかったからだ。<br /> 正午にはフルークベーゼに出向き、パキスタンか中国民航で北京に立ち寄りたい旨伝える。パスポートの残存期間も3ケ月あればOKとのことでクリア。9月26日にフランクフルトを出発、カラチ経由北京に立ち寄って、帰国は10月4日になりそうだ。席を早目に確保しなければならないので、明日日本の旅行社に電話で最終確認を取って再度出向くことにする。欧州をじっくり見て、異なる文化圏を覗くのも面白い。結局午前中かけて書いた手紙が無駄になった。<br /> 市役所前の像は修理中だったようだが、今日はちゃんと直っていた。学生が卒業する時にはこの像にキスするのが習わしだそうだ。<br /> 列車に乗ってからYHの会員証を忘れたのに気付き、宿泊は今日もゲッティンゲンのYH。これで3日連続だ。

     7月26日  パキスタン航空 北京ストップオーバー内定
     今日も帰りの航空券の問題で奔走。午前中はアエロフロートのキャンセルの問題を確認するため、旅行社に手紙を書く。キャンセル料を口頭では3万円と言っていたのに、文章では‘全額返金できません’との表現で、金額がはっきり明記されていなかったからだ。
     正午にはフルークベーゼに出向き、パキスタンか中国民航で北京に立ち寄りたい旨伝える。パスポートの残存期間も3ケ月あればOKとのことでクリア。9月26日にフランクフルトを出発、カラチ経由北京に立ち寄って、帰国は10月4日になりそうだ。席を早目に確保しなければならないので、明日日本の旅行社に電話で最終確認を取って再度出向くことにする。欧州をじっくり見て、異なる文化圏を覗くのも面白い。結局午前中かけて書いた手紙が無駄になった。
     市役所前の像は修理中だったようだが、今日はちゃんと直っていた。学生が卒業する時にはこの像にキスするのが習わしだそうだ。
     列車に乗ってからYHの会員証を忘れたのに気付き、宿泊は今日もゲッティンゲンのYH。これで3日連続だ。

    旧市庁舎 (ゲッティンゲン) 現代・近代建築

  •  話は昨日に返って、帰りは列車を利用してみた。ゲッティンゲンのYHで一緒だったDDRの人から‘列車でもパスポートチェックが無い’と聞いていたし、フィンランドで一緒になったラース・シュルツ Lars Schulz が‘DDRでもユーレイルパスが使えるよ’と教えてくれていたからだ。でも車内では手数料を含めた5DMを払わされた。DDRでもパスが使えると本当に助かるのだが仕方ない。ラースには早速‘お前は嘘つきだ!俺の5DMを返せ’と手紙を書いておいた。変なヤツと思ったかな? ともあれ、何にでもトライしようとするその姿勢が素晴らしい、と自画自賛しながら帰路についたのでした。<br /><br /> *列車から眺めた国境地帯

     話は昨日に返って、帰りは列車を利用してみた。ゲッティンゲンのYHで一緒だったDDRの人から‘列車でもパスポートチェックが無い’と聞いていたし、フィンランドで一緒になったラース・シュルツ Lars Schulz が‘DDRでもユーレイルパスが使えるよ’と教えてくれていたからだ。でも車内では手数料を含めた5DMを払わされた。DDRでもパスが使えると本当に助かるのだが仕方ない。ラースには早速‘お前は嘘つきだ!俺の5DMを返せ’と手紙を書いておいた。変なヤツと思ったかな? ともあれ、何にでもトライしようとするその姿勢が素晴らしい、と自画自賛しながら帰路についたのでした。

     *列車から眺めた国境地帯

  •  7月27日  ビルギットの誕生日 Birgits Geburtstag.<br /> 午前中は昨日泊り損ねたハンミュンデンに行ってみた。小さかったけど、とても素敵な町だった。<br /> 昨日はビルギットの誕生日。1986年の6月にモニカと一緒に広島にやって来た時には、錦帯橋や津和野それにお好み村にも案内した。<br /> 夕方からは彼女の誕生祝いのバーベキューパーティーが湖畔のキャンプ場で開かれ、駅で2人と合流して小生も参加させてもらった。参加人数は約20名。パーティーの後はキャンプファイアー。彼等は本当に手慣れている感じ。ファイアーでは歌を唄ったりゲームをしたり。ほとんどが夫婦連れだったから、最後の頃はお熱いムード。1人小生が肩身の狭い思いをしたのでした。

     7月27日  ビルギットの誕生日 Birgits Geburtstag.
     午前中は昨日泊り損ねたハンミュンデンに行ってみた。小さかったけど、とても素敵な町だった。
     昨日はビルギットの誕生日。1986年の6月にモニカと一緒に広島にやって来た時には、錦帯橋や津和野それにお好み村にも案内した。
     夕方からは彼女の誕生祝いのバーベキューパーティーが湖畔のキャンプ場で開かれ、駅で2人と合流して小生も参加させてもらった。参加人数は約20名。パーティーの後はキャンプファイアー。彼等は本当に手慣れている感じ。ファイアーでは歌を唄ったりゲームをしたり。ほとんどが夫婦連れだったから、最後の頃はお熱いムード。1人小生が肩身の狭い思いをしたのでした。

  •    7月28日 モニカ、ハンスとメルヘン街道を歩く<br /> 昨夜はモニカの友人ハンスの家に泊めてもらい、今日は3人でメルヘン街道を歩く。途中ウスラーではアイスを食べ、ザバブルクでは「眠れる森の美女」のお城を見て彼女の実家に立ち寄る。彼女には34歳の兄と31歳の弟がいるから、考えてみれば年齢はあまり違わないわけ。実家でお母さん手造りのケーキを戴いてからカッセルに向かう。ここの建物は実に壮大。山の頂上のヘラクレス像がカッセルの町を見下ろし、

       7月28日 モニカ、ハンスとメルヘン街道を歩く
     昨夜はモニカの友人ハンスの家に泊めてもらい、今日は3人でメルヘン街道を歩く。途中ウスラーではアイスを食べ、ザバブルクでは「眠れる森の美女」のお城を見て彼女の実家に立ち寄る。彼女には34歳の兄と31歳の弟がいるから、考えてみれば年齢はあまり違わないわけ。実家でお母さん手造りのケーキを戴いてからカッセルに向かう。ここの建物は実に壮大。山の頂上のヘラクレス像がカッセルの町を見下ろし、

    ヴィルヘルムスヘーエ城 城・宮殿

  • 遥か下方には Wilhelmshoehe が控える。

    遥か下方には Wilhelmshoehe が控える。

  •  ブラウンシュヴァイク帰着は21時半。アウトバーンが混雑して時間が掛かった。フィッシャー家では今日ポーランドから帰った次男ニールスが待ってくれていた。17歳で顔は幼さを残しているが、身長は 182cmと小生の立場無し。<br /><br />  7月29日  Burgermeister夫妻と再会<br /> 15時からは1984年のホームステイ5人組の1人瀬戸氏がお世話になり、フィッシャーさんがバカンスに出掛けた関係で小生も最後の2日間お世話になったブルガーマイスター夫妻に会いに行く。卒業旅行の時に同じく来独中だった瀬戸氏と3人でフィッシャー家に来られた時以来の再会だ。4年前と違ったのは、シモーヌという女の子が生まれていたこと。2歳半だから可愛い盛り。ここでも自家製のケーキを戴きながら、小生のこれまでの旅行の話や、6年前の話に花が咲いた。4人もの大勢で話し出すとさすがに理解が届かない。‘マナブからは最近連絡が無いんだよ’と少し淋しそうに言われていた。<br /> 夕食はニールスと一緒に町中に出る。彼は英語が余り得意ではないこともあって、会話は勿論ドイツ語。小生が少し進歩した分はマシといった程度だ。でも互いに理解し合いたい、という真剣な気持ちは6年前も今も全く変わらない。一緒に中華料理を食べながら一生懸命説明した‘中国人は飛行機と机以外のものは何でも食べる’のジョークを理解してくれた。市場ではワインフェスタを開催しており、彼がワインを飲んだグラスをプレゼントしてくれた。帰ってからの相談の結果、ニールスとは後日ウィーンへ一緒に行くことになった。

     ブラウンシュヴァイク帰着は21時半。アウトバーンが混雑して時間が掛かった。フィッシャー家では今日ポーランドから帰った次男ニールスが待ってくれていた。17歳で顔は幼さを残しているが、身長は 182cmと小生の立場無し。

      7月29日  Burgermeister夫妻と再会
     15時からは1984年のホームステイ5人組の1人瀬戸氏がお世話になり、フィッシャーさんがバカンスに出掛けた関係で小生も最後の2日間お世話になったブルガーマイスター夫妻に会いに行く。卒業旅行の時に同じく来独中だった瀬戸氏と3人でフィッシャー家に来られた時以来の再会だ。4年前と違ったのは、シモーヌという女の子が生まれていたこと。2歳半だから可愛い盛り。ここでも自家製のケーキを戴きながら、小生のこれまでの旅行の話や、6年前の話に花が咲いた。4人もの大勢で話し出すとさすがに理解が届かない。‘マナブからは最近連絡が無いんだよ’と少し淋しそうに言われていた。
     夕食はニールスと一緒に町中に出る。彼は英語が余り得意ではないこともあって、会話は勿論ドイツ語。小生が少し進歩した分はマシといった程度だ。でも互いに理解し合いたい、という真剣な気持ちは6年前も今も全く変わらない。一緒に中華料理を食べながら一生懸命説明した‘中国人は飛行機と机以外のものは何でも食べる’のジョークを理解してくれた。市場ではワインフェスタを開催しており、彼がワインを飲んだグラスをプレゼントしてくれた。帰ってからの相談の結果、ニールスとは後日ウィーンへ一緒に行くことになった。

  •   7月30日  Veronique,Andreasと再会<br /> 朝はニールスに起こされて目が覚めた。お母さんのヴィープケは今日が自分のお父さんの誕生日だそうで、起きた時にはもう出掛けていた。睡眠が十分ではなかったので朝食を食べなかったら、お父さんのエーバーハルトがサンドイッチを作ってくれた。<br /> 11時にはヴィープケの友人で最近結婚したというヴェロニーク、アンドレアス夫妻がやって来た。2人とも6年振りの再会だ。エーバーハルトとニールスを含めた4人は一緒にハルツ地方へハイキングに出掛けたので、小生はバスでブラウンシュヴァイクの駅へ。<br /> 午後には中部のフルダにやって来る。南ドイツに近いせいか挨拶も‘Guten Tag’より‘Gr&amp;uuml;&amp;szlig; Gott’(神に祝福を)の方がよく聞かれる。雰囲気のある町だけど、Inf.の場所が分かり難く、YHが町中から少し離れていたのには閉口。<br /><br />  7月31日  北京ワンストップ、10月4日帰国確定<br /> 27日の朝日本の旅行社に電話で確認したところ‘解約手数料はアエロフロートで聞いてくれ’と面倒臭そうに言っていたのを受けて、フランクフルト駅から10分のオフィスに出向いたが、‘払う必要は無い’ということだった。‘東ベルリン→モスクワ→ソウルは20万も出せば大丈夫’と言っていたのに、出発直前になって33万もするノーマルチケットをいきなり押し付けるし、対応も通り一遍。個人旅行者の気持ちが分からない困った会社だ。ソ連専門旅行社にもサービスという言葉は無いのか?<br /> 午後はフルークベーゼに。お世話になったドロステ氏が‘北京から手紙を下さい’と言って下さった。前金の 100DMを払い、チケットを8月末に取りに来ることを伝えて帰る。

      7月30日  Veronique,Andreasと再会
     朝はニールスに起こされて目が覚めた。お母さんのヴィープケは今日が自分のお父さんの誕生日だそうで、起きた時にはもう出掛けていた。睡眠が十分ではなかったので朝食を食べなかったら、お父さんのエーバーハルトがサンドイッチを作ってくれた。
     11時にはヴィープケの友人で最近結婚したというヴェロニーク、アンドレアス夫妻がやって来た。2人とも6年振りの再会だ。エーバーハルトとニールスを含めた4人は一緒にハルツ地方へハイキングに出掛けたので、小生はバスでブラウンシュヴァイクの駅へ。
     午後には中部のフルダにやって来る。南ドイツに近いせいか挨拶も‘Guten Tag’より‘Gr&uuml;&szlig; Gott’(神に祝福を)の方がよく聞かれる。雰囲気のある町だけど、Inf.の場所が分かり難く、YHが町中から少し離れていたのには閉口。

      7月31日  北京ワンストップ、10月4日帰国確定
     27日の朝日本の旅行社に電話で確認したところ‘解約手数料はアエロフロートで聞いてくれ’と面倒臭そうに言っていたのを受けて、フランクフルト駅から10分のオフィスに出向いたが、‘払う必要は無い’ということだった。‘東ベルリン→モスクワ→ソウルは20万も出せば大丈夫’と言っていたのに、出発直前になって33万もするノーマルチケットをいきなり押し付けるし、対応も通り一遍。個人旅行者の気持ちが分からない困った会社だ。ソ連専門旅行社にもサービスという言葉は無いのか?
     午後はフルークベーゼに。お世話になったドロステ氏が‘北京から手紙を下さい’と言って下さった。前金の 100DMを払い、チケットを8月末に取りに来ることを伝えて帰る。

  •  8月1日  俺はJunior?<br /> 古城街道のハイデルベルクにやって来る。直行便で13時前には着くはずだったのだが、駅まで行ってYHにカメラを忘れたのに気付いて引き返す。先週は会員証を忘れるし、ゲッティンゲンはどうも鬼門らしい。<br /> 大きなYHも気乗りがしないので、乗換駅のマンハイムに泊まろうと思ったが、受付開始まで3時間あったので、結局ハイデルベルクに来る。30分待たされたけど、3時間よりはマシでしょう。嬉しいことに受付のお兄さんは26歳以下のジュニア料金しか取らなかった。3DMではあるけど得した。見てくれだけで判断したのに違いない。ここはベッド数 400余り。ドイツ語で‘Zimmer’、英語で‘room’、そしてもう1カ国語(多分フランス語)と何か見慣れない字があるな、と思ったら‘Heya’と書いてあった。意外に多いのが韓国人。国民の海外旅行が最近になって解禁されたのでブームなのに違いない。

     8月1日  俺はJunior?
     古城街道のハイデルベルクにやって来る。直行便で13時前には着くはずだったのだが、駅まで行ってYHにカメラを忘れたのに気付いて引き返す。先週は会員証を忘れるし、ゲッティンゲンはどうも鬼門らしい。
     大きなYHも気乗りがしないので、乗換駅のマンハイムに泊まろうと思ったが、受付開始まで3時間あったので、結局ハイデルベルクに来る。30分待たされたけど、3時間よりはマシでしょう。嬉しいことに受付のお兄さんは26歳以下のジュニア料金しか取らなかった。3DMではあるけど得した。見てくれだけで判断したのに違いない。ここはベッド数 400余り。ドイツ語で‘Zimmer’、英語で‘room’、そしてもう1カ国語(多分フランス語)と何か見慣れない字があるな、と思ったら‘Heya’と書いてあった。意外に多いのが韓国人。国民の海外旅行が最近になって解禁されたのでブームなのに違いない。

  •   8月2日 ハイデルベルク Heidelberg<br /> 昨日の夕方そして今日とハイデルベルクをブラブラ歩き。2度目の訪問だが、この町の美しさと言ったらどうだろう。お城と旧橋の絶妙なハーモニー。これ程美しい橋とお城の組み合わせは他に例がないに違いない。そういえば岩国城と錦帯橋の組み合わせも悪くない。しかし城の壮麗さと町並みの美しさにはやはり百歩を譲る。

      8月2日 ハイデルベルク Heidelberg
     昨日の夕方そして今日とハイデルベルクをブラブラ歩き。2度目の訪問だが、この町の美しさと言ったらどうだろう。お城と旧橋の絶妙なハーモニー。これ程美しい橋とお城の組み合わせは他に例がないに違いない。そういえば岩国城と錦帯橋の組み合わせも悪くない。しかし城の壮麗さと町並みの美しさにはやはり百歩を譲る。

  •  観光客の洪水に疲れたら対岸の山の中腹の‘哲学者の道’を歩くのがいい。道からの眺めは何時間居ても飽きることがない。こんな景色は他にミラベル宮殿から眺めるホーエンザルツブルク城と日御碕から眺める日本海位だろうか? ここをモデルにしたという京都南禅寺にある‘哲学の道’を名物の湯豆腐をつついて歩くのも悪くないが、やはりここの美しさには三歩も四歩も譲る。この町には古き良き時代への郷愁がある。ちょっと年寄り臭かったかな?<br /> ヨーロッパでも本格的な夏を迎えてムシ暑いのに加えて、昨夜は睡眠不足で体調不十分。オッサンのイビキで仲々寝られないなと思っていたら、(恐らく)アメリカ人3人組が部屋に帰ってきて大騒ぎ。皆寝ていたのに30分位は話していた。誰かがシビれを切らして‘Please stop talking!’と言ってやっと止めたけど、それにしても常識の無い人間がいるものだと感心すらした次第。

     観光客の洪水に疲れたら対岸の山の中腹の‘哲学者の道’を歩くのがいい。道からの眺めは何時間居ても飽きることがない。こんな景色は他にミラベル宮殿から眺めるホーエンザルツブルク城と日御碕から眺める日本海位だろうか? ここをモデルにしたという京都南禅寺にある‘哲学の道’を名物の湯豆腐をつついて歩くのも悪くないが、やはりここの美しさには三歩も四歩も譲る。この町には古き良き時代への郷愁がある。ちょっと年寄り臭かったかな?
     ヨーロッパでも本格的な夏を迎えてムシ暑いのに加えて、昨夜は睡眠不足で体調不十分。オッサンのイビキで仲々寝られないなと思っていたら、(恐らく)アメリカ人3人組が部屋に帰ってきて大騒ぎ。皆寝ていたのに30分位は話していた。誰かがシビれを切らして‘Please stop talking!’と言ってやっと止めたけど、それにしても常識の無い人間がいるものだと感心すらした次第。

  • 8月3日  湖畔の町、コンスタンツ Konstanz<br /> 朝ハイデルベルクの駅で当日付の日経新聞を見付けたので買ってみた。値段は8DMだから、日本で買う1週間分以上の値段。トップニュースはイラクのクウェート侵攻だった。

    8月3日  湖畔の町、コンスタンツ Konstanz
     朝ハイデルベルクの駅で当日付の日経新聞を見付けたので買ってみた。値段は8DMだから、日本で買う1週間分以上の値段。トップニュースはイラクのクウェート侵攻だった。

  •  ドイツのほぼ最南端、スイス、オーストリアとの国境のボーデン湖畔の町コンスタンツに来る。当時分裂していたカトリック教会の統一をはかるべく開かれたコンスタンツの宗教会議(1414)でも有名だ。<br /> 北ドイツの平原地帯の景色とは異なり、途中からは電気機関車をもう1台接続して山間を進んでいく。それでもコンスタンツの海抜は400m少々だった。<br /> 大学院生の日本人女性を発見したYHは、まるで灯台のような形をしていてユニーク。上の方の部屋になったら荷物を持って上がるのが大変だ。<br /> 夕食はYHで7DMで食べられたけど、近くのビール工場のレストランで。喉が乾いたのでビールを一気に飲んだら、帰りに坂道を上がるのが辛かったこと。<br /><br /> *コンスタンツの駅だったような気がする

     ドイツのほぼ最南端、スイス、オーストリアとの国境のボーデン湖畔の町コンスタンツに来る。当時分裂していたカトリック教会の統一をはかるべく開かれたコンスタンツの宗教会議(1414)でも有名だ。
     北ドイツの平原地帯の景色とは異なり、途中からは電気機関車をもう1台接続して山間を進んでいく。それでもコンスタンツの海抜は400m少々だった。
     大学院生の日本人女性を発見したYHは、まるで灯台のような形をしていてユニーク。上の方の部屋になったら荷物を持って上がるのが大変だ。
     夕食はYHで7DMで食べられたけど、近くのビール工場のレストランで。喉が乾いたのでビールを一気に飲んだら、帰りに坂道を上がるのが辛かったこと。

     *コンスタンツの駅だったような気がする

  •   8月4日  1時間ばかりのスイス滞在  Schweiz,nur eine Stunde.<br /> コンスタンツから数kmも行けばそこはもう中立国スイス。午前中は歩いて行ってみる。ドイツ側は家が建ち並んでいたが、スイスへ入ると一転のどかな田園風景。フェンスで仕切られた国境沿いをしばらく歩いたら小さな町に出た。スイスフランの持ち合わせもなかったのですぐに引き返す。滞在時間は僅か1時間。今回の旅で一番滞在時間の短い国になるだろう。行きはパスポートを簡単に調べ、スイス側がドイツ側に確認していたようだが、帰りはフリーパス。<br /> 蛇足ながら、スイスは国連にも加盟しない(注:現在は加盟)など、その中立主義は徹底している。米ソ冷戦が激しかった頃は、政治的中立と強力な軍隊(国民全員を収容出来る核シェルターも完備)で独自性を示すことの意義もあったが、冷戦が終わり、西欧統合に向かう中、その中立主義は色褪せた観もある。<br /> 昼食は由緒ありそうなレストランで食べ、昼からは同じくボーデン湖畔のリンダウへ行く。列車で2回乗り換えてたっぷり2時間掛かった。

      8月4日  1時間ばかりのスイス滞在  Schweiz,nur eine Stunde.
     コンスタンツから数kmも行けばそこはもう中立国スイス。午前中は歩いて行ってみる。ドイツ側は家が建ち並んでいたが、スイスへ入ると一転のどかな田園風景。フェンスで仕切られた国境沿いをしばらく歩いたら小さな町に出た。スイスフランの持ち合わせもなかったのですぐに引き返す。滞在時間は僅か1時間。今回の旅で一番滞在時間の短い国になるだろう。行きはパスポートを簡単に調べ、スイス側がドイツ側に確認していたようだが、帰りはフリーパス。
     蛇足ながら、スイスは国連にも加盟しない(注:現在は加盟)など、その中立主義は徹底している。米ソ冷戦が激しかった頃は、政治的中立と強力な軍隊(国民全員を収容出来る核シェルターも完備)で独自性を示すことの意義もあったが、冷戦が終わり、西欧統合に向かう中、その中立主義は色褪せた観もある。
     昼食は由緒ありそうなレストランで食べ、昼からは同じくボーデン湖畔のリンダウへ行く。列車で2回乗り換えてたっぷり2時間掛かった。

  •  リンダウは市の中心部が湖の中に浮かぶ島にある。対岸にはスイス・アルプスが聳えるとても綺麗なリゾート地。実際観光客が多いようだった。ここはバイエルン州なので宿泊は見合わせ(後述)、夕方にはコンスタンツに帰る。<br /> ドイツマルクの手持ちが少なくなってきたので、夕食は立食スタンドでケパプを食べる。パンの間に玉ネギや羊(?)の肉を挾んだイスラム風の料理。5DMと安い割にボリュームがある。道端ではおじさんがパフォーマンスをやっていたのでしばらく見入る。手品あり、お手玉あり、何も喋らずジェスチャーだけなのだが、間の取り方も実にうまい。正にプロの技。目の前にやって来た時には、手に持っていたミネラルを地面に置き、手を合わせて拝んでくれた。

     リンダウは市の中心部が湖の中に浮かぶ島にある。対岸にはスイス・アルプスが聳えるとても綺麗なリゾート地。実際観光客が多いようだった。ここはバイエルン州なので宿泊は見合わせ(後述)、夕方にはコンスタンツに帰る。
     ドイツマルクの手持ちが少なくなってきたので、夕食は立食スタンドでケパプを食べる。パンの間に玉ネギや羊(?)の肉を挾んだイスラム風の料理。5DMと安い割にボリュームがある。道端ではおじさんがパフォーマンスをやっていたのでしばらく見入る。手品あり、お手玉あり、何も喋らずジェスチャーだけなのだが、間の取り方も実にうまい。正にプロの技。目の前にやって来た時には、手に持っていたミネラルを地面に置き、手を合わせて拝んでくれた。

  •  8月5日  YHタライ回し~インスブルック Innsbruck<br /> 2度の冬のオリンピックの開催地インスブルックにやって来る。鉄道で来るとリンダウまで昨日と同じルートになるので、今日は無けなしの8DM(ユーレイルパスを持っていると半額)をはたいてリンダウのすぐ先のオーストリア領ブレゲンツまではボーデン湖の遊覧船を利用する。所要は3時間半。ブレゲンツから先はチロルの世界。列車は数100mから広いところでも数kmの幅しかないような山間の谷間を縫うように進んでいく。土地が狭いせいだろう。高い山の中腹にも多くの集落がある。正にアルプスの少女ハイジの世界だ。でもあんな高いところに住んでいたら、冬場が大変だろうと他人事ながら思った。<br /> インスブルックに着いてから早速ベッドの確保にかかる。苦労して捜したYHはもう一杯で、そこで教えてもらった市内のYHも満員だった。その市内のYHが念の為と、別のYHに問い合わせてみて下さったところ、2つだけ空いているという。住所を聞いてみるとさっき行ったYH。釈然としないまま行ってみたら受付の女性が‘19時に締め切って…’とバツの悪そうな顔で言っていたが、とにかく良かった。この間2時間半。<br /> 話は昨日に戻るけど、YHでは残りのベッドの数を預かったYHの会員証を受付の棚に入れて確認している所が多い。コンスタンツもそんなシステムだったようだが、昨日の朝連泊の手続をした際(連泊の場合も再度手続しなければならなかった)悪気があった訳ではないが会員証を預けていなかった。夜になって若いお兄さんがやって来たけどベッドがなかったためか、すぐに出て行った。受付では小生は存在しなかった筈だから、原因は小生かもしれない。<br /><br />  8月6日  ロイッテ Reutte<br /> 今日の予定を決めようと中央駅へ行ったら、インスブルックから真北に向かう列車を見付けた。4年前にも乗って印象的だった路線だ。列車は西駅を過ぎると山を登り始め、瞬く間にインスブルックの町並みが箱庭のように見えてくる。かなりの急坂なのだけど列車も気合が入っている。もしかしたら昨日のチューリッヒとウィーンを結ぶ国際列車より速いかもしれない。<br /> 目的地はロイッテ。同じオーストリアなのだけどドイツの Garmischparten-kirchenで乗り換えるため、パスポート・チェックが2回あった。小さい町と思っていたけど、結構大きい町。近くにスキー場がたくさんあるようなので、冬は特に賑わうに違いない。山1つ越えれば、ドイツ・ロマンティック街道の終点ノイシュヴァンシュタイン城で有名なフュッセンだ。<br /> オーストリアの物価について少し。コンスタンツで用意した1シリング(以下S)は約¥15。町中のレストランで軽い食事とビールを飲んでも 100S程度。嬉しい値段だ。YHは昨日は朝食とシーツ代込みで 120Sで真当な値段かと思ったが、ここは宿泊のみならたったの40S。これより安いYHは他に無いかもしれない。幼稚園に隣接しているのもユニーク。DDRから来たおじさんがいた。‘オンボロのトラバントで来たんだよ’‘アンティークだから価値が出るかも’で大笑い。冗談で笑い飛ばせるようになって本当に良かった。

     8月5日  YHタライ回し~インスブルック Innsbruck
     2度の冬のオリンピックの開催地インスブルックにやって来る。鉄道で来るとリンダウまで昨日と同じルートになるので、今日は無けなしの8DM(ユーレイルパスを持っていると半額)をはたいてリンダウのすぐ先のオーストリア領ブレゲンツまではボーデン湖の遊覧船を利用する。所要は3時間半。ブレゲンツから先はチロルの世界。列車は数100mから広いところでも数kmの幅しかないような山間の谷間を縫うように進んでいく。土地が狭いせいだろう。高い山の中腹にも多くの集落がある。正にアルプスの少女ハイジの世界だ。でもあんな高いところに住んでいたら、冬場が大変だろうと他人事ながら思った。
     インスブルックに着いてから早速ベッドの確保にかかる。苦労して捜したYHはもう一杯で、そこで教えてもらった市内のYHも満員だった。その市内のYHが念の為と、別のYHに問い合わせてみて下さったところ、2つだけ空いているという。住所を聞いてみるとさっき行ったYH。釈然としないまま行ってみたら受付の女性が‘19時に締め切って…’とバツの悪そうな顔で言っていたが、とにかく良かった。この間2時間半。
     話は昨日に戻るけど、YHでは残りのベッドの数を預かったYHの会員証を受付の棚に入れて確認している所が多い。コンスタンツもそんなシステムだったようだが、昨日の朝連泊の手続をした際(連泊の場合も再度手続しなければならなかった)悪気があった訳ではないが会員証を預けていなかった。夜になって若いお兄さんがやって来たけどベッドがなかったためか、すぐに出て行った。受付では小生は存在しなかった筈だから、原因は小生かもしれない。

      8月6日  ロイッテ Reutte
     今日の予定を決めようと中央駅へ行ったら、インスブルックから真北に向かう列車を見付けた。4年前にも乗って印象的だった路線だ。列車は西駅を過ぎると山を登り始め、瞬く間にインスブルックの町並みが箱庭のように見えてくる。かなりの急坂なのだけど列車も気合が入っている。もしかしたら昨日のチューリッヒとウィーンを結ぶ国際列車より速いかもしれない。
     目的地はロイッテ。同じオーストリアなのだけどドイツの Garmischparten-kirchenで乗り換えるため、パスポート・チェックが2回あった。小さい町と思っていたけど、結構大きい町。近くにスキー場がたくさんあるようなので、冬は特に賑わうに違いない。山1つ越えれば、ドイツ・ロマンティック街道の終点ノイシュヴァンシュタイン城で有名なフュッセンだ。
     オーストリアの物価について少し。コンスタンツで用意した1シリング(以下S)は約¥15。町中のレストランで軽い食事とビールを飲んでも 100S程度。嬉しい値段だ。YHは昨日は朝食とシーツ代込みで 120Sで真当な値段かと思ったが、ここは宿泊のみならたったの40S。これより安いYHは他に無いかもしれない。幼稚園に隣接しているのもユニーク。DDRから来たおじさんがいた。‘オンボロのトラバントで来たんだよ’‘アンティークだから価値が出るかも’で大笑い。冗談で笑い飛ばせるようになって本当に良かった。

  •  仲々分からなかったのがオーストリアの電話の掛け方。やっと見付けた駅の電話からフィッシャー家に掛けたのだけど、3回目でやっと話が出来た。相手が出たらボタンを押さなければならないのだ。昨日は自動販売機の使い方が分からず、3本分の金を払ってやっとジュース1本にありつくし、ちょっと分かりにくいオーストリアのシステムだ。<br /> ‘どこから来たの?’と聞かれると、必ず‘ヒロシマ’と答えることにしている。そう今日は原爆の日。レストランではおばさんに、YHでもアメリカ人のおじさんに言われた。‘Hiroshima’の名が世界的なのは複雑な気分…<br /><br />  8月7日  Zugspitz  2,966M<br /> 独墺国境に聳えるドイツ最高峰のツークシュピーツへ行ってみる。昨日乗り換えたガルミッシュパルテンキルヒェンから登るのが一般的だが、オーストリア側のエアヴァルトからも行けるのでこれを利用した。YHには朝食がないのでエアヴァルト駅近くのホテルで。ドイツアルプスを目前に食べる朝食が何ともうまい。パン4枚を一気に平らげる。<br /> 鉄道駅からロープウェイの駅まで約4km。麓から頂上までは20分少々だが、標高差は1,500m位はあるだろうか。ロープウェイを降りたところに温度計があったので見てみたら1℃だった。国境を越えた展望台から少し行けば山の頂上だ。行って行けないことはなかったけど、険しい岩場に幅50cm位のクイとロープで仕切られただけの道を行くのは少し勇気がいる。昨年9月に行った西日本最高峰の石鎚山でも怖かった位だから…。朝方は少し晴れ間が見えたのだけど、午後からは曇空。おまけに頂上では時折ほんの少し雪まで降る始末。天気が良ければ本当に素晴らしい眺めなのだろうと思うと残念だ。

     仲々分からなかったのがオーストリアの電話の掛け方。やっと見付けた駅の電話からフィッシャー家に掛けたのだけど、3回目でやっと話が出来た。相手が出たらボタンを押さなければならないのだ。昨日は自動販売機の使い方が分からず、3本分の金を払ってやっとジュース1本にありつくし、ちょっと分かりにくいオーストリアのシステムだ。
     ‘どこから来たの?’と聞かれると、必ず‘ヒロシマ’と答えることにしている。そう今日は原爆の日。レストランではおばさんに、YHでもアメリカ人のおじさんに言われた。‘Hiroshima’の名が世界的なのは複雑な気分…

      8月7日  Zugspitz  2,966M
     独墺国境に聳えるドイツ最高峰のツークシュピーツへ行ってみる。昨日乗り換えたガルミッシュパルテンキルヒェンから登るのが一般的だが、オーストリア側のエアヴァルトからも行けるのでこれを利用した。YHには朝食がないのでエアヴァルト駅近くのホテルで。ドイツアルプスを目前に食べる朝食が何ともうまい。パン4枚を一気に平らげる。
     鉄道駅からロープウェイの駅まで約4km。麓から頂上までは20分少々だが、標高差は1,500m位はあるだろうか。ロープウェイを降りたところに温度計があったので見てみたら1℃だった。国境を越えた展望台から少し行けば山の頂上だ。行って行けないことはなかったけど、険しい岩場に幅50cm位のクイとロープで仕切られただけの道を行くのは少し勇気がいる。昨年9月に行った西日本最高峰の石鎚山でも怖かった位だから…。朝方は少し晴れ間が見えたのだけど、午後からは曇空。おまけに頂上では時折ほんの少し雪まで降る始末。天気が良ければ本当に素晴らしい眺めなのだろうと思うと残念だ。

    ツークシュピッツェ 山・渓谷

  •  でも逆に余り良すぎると正に直角に上下する感じのロープウェイが耐えられないかもしれない。高い所の余り好きではない小生としては…。帰路の乗換駅では上がりたくないとダダをこねている子供がいて皆の笑いを誘っていた。

     でも逆に余り良すぎると正に直角に上下する感じのロープウェイが耐えられないかもしれない。高い所の余り好きではない小生としては…。帰路の乗換駅では上がりたくないとダダをこねている子供がいて皆の笑いを誘っていた。

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  •  夜は今後の予定など考えていたら遅くなってしまいどうしようかと思っていたら、昨日から一緒だったアメリカ人のシャロンさんが‘一緒に食べよう’と誘って下さった。彼は20年前に米軍兵士として横浜に住んでいたそうで日本語も上手。‘家族3人でベルリンに行って来たんだよ’と壁の塊を見せてくれた。<br /><br /> *ドイツとオーストリアの国境 No souvenir stamps!

     夜は今後の予定など考えていたら遅くなってしまいどうしようかと思っていたら、昨日から一緒だったアメリカ人のシャロンさんが‘一緒に食べよう’と誘って下さった。彼は20年前に米軍兵士として横浜に住んでいたそうで日本語も上手。‘家族3人でベルリンに行って来たんだよ’と壁の塊を見せてくれた。

     *ドイツとオーストリアの国境 No souvenir stamps!

  •  8月8日  イタリア領ブレンナー峠  Brenner<br /> 昨日と同じ8:20の列車に乗り、ガルミッシュとインスブルックで乗換えてイタリアとドイツを結ぶ交通の要衝ブレンナーに1時間程途中下車してみる。<br /> ヒトラーとムッソリーニの2人にとってこの峠は因縁がある。ヒトラーがオーストリアの併合を企てた1934年7月、ムッソリーニは直ちにここへ軍隊を集結させた。やがてイタリアのエチオピア侵略やスペイン内乱(ゲルニカの爆撃はこの時)などを通じて両者は利害の一致を見い出し盟友関係となった。ドイツが圧倒的勝利を誇っていた第二次大戦初期に両者はこの地で会見し、ヒトラーはムッソリーニに対し当時参戦していなかったイタリアの参戦を促している。そんな歴史的背景を思うと、何か感慨めいたものが湧いてくる。そして同時にインスブルックは単に‘イン川に架かった橋’ではなく、イタリアとドイツを結ぶ橋だったのだな、との思いを強くする。ヒトラーの念願であったオーストリア併合は、1938年3月に実現した。<br /> こじんまりとした町だったけど、市場は買物客で賑わっていた。料金表示は、町のすぐ外れがオーストリア領なのでシリング、そしてマルクも含めた3通り。<br /> 目的地のクラーゲンフルトには夕方到着。結果的には国内間の移動だったが、他国で2回の乗換えがあったので、パスポートチェックが7回もあった。チェックも人様々、表紙だけで行ってしまう人、最後の1ページまで丁寧にみる人。<br /> シリングの手持は僅か200S余り。インスブルックでも乗換え時間が5分しかなかったのでクラーゲンフルトに着くまでは昨日買っていたジュースと、フィルムのおまけのコーラを飲んだだけ。だから夕食は少々気張ってシュニッツェル。スープとサラダにジャガイモの炒めたものが付いて65Sは\1,000。食べながらフト考えてみた。これまで一番美味しかったもの。ハイリゲンシュタットで食べたソリアンカ(ロシア風スープ)とハンバーグ。オーデンセーのグリルの洋風カレーも悪くなかった。今一だったのがハイデルベルクのグリルで食べたドイツ人の作ったチャーハン、ベトベトだった。

     8月8日  イタリア領ブレンナー峠  Brenner
     昨日と同じ8:20の列車に乗り、ガルミッシュとインスブルックで乗換えてイタリアとドイツを結ぶ交通の要衝ブレンナーに1時間程途中下車してみる。
     ヒトラーとムッソリーニの2人にとってこの峠は因縁がある。ヒトラーがオーストリアの併合を企てた1934年7月、ムッソリーニは直ちにここへ軍隊を集結させた。やがてイタリアのエチオピア侵略やスペイン内乱(ゲルニカの爆撃はこの時)などを通じて両者は利害の一致を見い出し盟友関係となった。ドイツが圧倒的勝利を誇っていた第二次大戦初期に両者はこの地で会見し、ヒトラーはムッソリーニに対し当時参戦していなかったイタリアの参戦を促している。そんな歴史的背景を思うと、何か感慨めいたものが湧いてくる。そして同時にインスブルックは単に‘イン川に架かった橋’ではなく、イタリアとドイツを結ぶ橋だったのだな、との思いを強くする。ヒトラーの念願であったオーストリア併合は、1938年3月に実現した。
     こじんまりとした町だったけど、市場は買物客で賑わっていた。料金表示は、町のすぐ外れがオーストリア領なのでシリング、そしてマルクも含めた3通り。
     目的地のクラーゲンフルトには夕方到着。結果的には国内間の移動だったが、他国で2回の乗換えがあったので、パスポートチェックが7回もあった。チェックも人様々、表紙だけで行ってしまう人、最後の1ページまで丁寧にみる人。
     シリングの手持は僅か200S余り。インスブルックでも乗換え時間が5分しかなかったのでクラーゲンフルトに着くまでは昨日買っていたジュースと、フィルムのおまけのコーラを飲んだだけ。だから夕食は少々気張ってシュニッツェル。スープとサラダにジャガイモの炒めたものが付いて65Sは\1,000。食べながらフト考えてみた。これまで一番美味しかったもの。ハイリゲンシュタットで食べたソリアンカ(ロシア風スープ)とハンバーグ。オーデンセーのグリルの洋風カレーも悪くなかった。今一だったのがハイデルベルクのグリルで食べたドイツ人の作ったチャーハン、ベトベトだった。

  •  8月9日  クラーゲンフルト Klagenfurt <br /> 只今夜行列車の車中。ザルツブルクの駅に停車中だ。自分の予定としては、今日または明日ウィーンでニールスと合流するのがベストだったけれど、来週13か14日になりそうなので、それまでに北上してボンで中国のビザを取得しようと思ったからだ。夜行はフィンランドのヨーエンスーからトゥルク間を利用して以来。時には宿泊費不要のホテルユーレイルを利用するのも悪くない。車両は勿論ファースト・クラス。最初は遠慮して2等ばかり利用していた(26歳以上は1等のパスしか買えない)が、1等を利用しだすと病み付きになってしまう。乗客の少ないのがいい。<br /> そのザルツブルクの駅で同じコンパートメントに乗っていた母娘2人組が降りて、途中から乗って来たスペイン人親娘3人組と小生の2組が車内に残された。訛が強かったのでよく分からなかったのだが、親子3人足を延ばして個室内でゆったり寝るため、他の個室に移ってもらえないか、みたいなことを言ったようだ。自分達が後から来たのに、余りの自己本意に腹が立った。

     8月9日  クラーゲンフルト Klagenfurt
     只今夜行列車の車中。ザルツブルクの駅に停車中だ。自分の予定としては、今日または明日ウィーンでニールスと合流するのがベストだったけれど、来週13か14日になりそうなので、それまでに北上してボンで中国のビザを取得しようと思ったからだ。夜行はフィンランドのヨーエンスーからトゥルク間を利用して以来。時には宿泊費不要のホテルユーレイルを利用するのも悪くない。車両は勿論ファースト・クラス。最初は遠慮して2等ばかり利用していた(26歳以上は1等のパスしか買えない)が、1等を利用しだすと病み付きになってしまう。乗客の少ないのがいい。
     そのザルツブルクの駅で同じコンパートメントに乗っていた母娘2人組が降りて、途中から乗って来たスペイン人親娘3人組と小生の2組が車内に残された。訛が強かったのでよく分からなかったのだが、親子3人足を延ばして個室内でゆったり寝るため、他の個室に移ってもらえないか、みたいなことを言ったようだ。自分達が後から来たのに、余りの自己本意に腹が立った。

  •  列車の出発する16時までは市内をブラブラ歩き。クラーゲンフルトは、ホームステイ5人組のメンバーの1人武田さんがお世話になった人で、現在はベルリンに住んでおられるTさんの故郷。だから来てみたかった。彼の実家のアイス家さんは市内からヴェルター湖に行く途中にあった。お店では Eiskaffeeを頂いた。日本風に言えば、アイスコーヒーではなくコーヒーフロート。美味しいアイスでゆっくり寛がせて頂いた。

     列車の出発する16時までは市内をブラブラ歩き。クラーゲンフルトは、ホームステイ5人組のメンバーの1人武田さんがお世話になった人で、現在はベルリンに住んでおられるTさんの故郷。だから来てみたかった。彼の実家のアイス家さんは市内からヴェルター湖に行く途中にあった。お店では Eiskaffeeを頂いた。日本風に言えば、アイスコーヒーではなくコーヒーフロート。美味しいアイスでゆっくり寛がせて頂いた。

  •  湖の近くには Minimundusという公園があり、そこには大阪城からイスラムのモスク、そして懐かしのクレムリンなど世界中の建物のミニチュアがあった。

     湖の近くには Minimundusという公園があり、そこには大阪城からイスラムのモスク、そして懐かしのクレムリンなど世界中の建物のミニチュアがあった。

    ミニムンドゥス テーマパーク・動物園・水族館・植物園

  •  貴重品を入れてバンドからぶら下げていたポシェットは、ハイリゲンシュタットで重さに耐えかねて突然落ち、フィッシャー家で応急処置をしてもらっていたけど、再び落ちた。市内で修理してくれるおじさんを見付けたので直してもらったのだが、このおじさんよく話を聞いてみると日本人。日本人同志ドイツ語で話すのも滑稽。でもタダで直してくれた。

     貴重品を入れてバンドからぶら下げていたポシェットは、ハイリゲンシュタットで重さに耐えかねて突然落ち、フィッシャー家で応急処置をしてもらっていたけど、再び落ちた。市内で修理してくれるおじさんを見付けたので直してもらったのだが、このおじさんよく話を聞いてみると日本人。日本人同志ドイツ語で話すのも滑稽。でもタダで直してくれた。

  •  8月10日  Bonn~eine kleine Hauptstadt<br /> 列車がボンに着いたのは午前6時前。BRDの首都ボンには4年前に泊まっているので、今回はケルンに泊まってみようと思い、ケルンのYHへ直行。12時にならないとチェックイン出来ないそうで、すぐに引き返す。だから結局ケルンは駅前にある有名な大聖堂を横目で見て両替しただけになった。<br /> ボンでは中国大使館に直行。職業のところに‘学生’と書いたし、中国当局は民主化運動に神経を尖らせているので、もしかしたら事情聴取位あるかなと期待していたけど、申請書を書いて90DMを払ったら5分でビザを発給してくれた。申請書は漢字で書いたけど、それを見た大使館員がプッと吹き出す。このヤロー! 俺は‘ター・ウー・チン’じゃあないぞ‘砂布巾’だ!<br /> Inf.で教えて貰ったYHは卒業旅行の時とは別のYHだった。でも大使館から歩いて15分だったので、結果的にはとても便利だった。2時間ばかり間をおいて13時にチェックインしてから、ボンの町へ繰り出す。<br /> ボンの人口は僅か20数万人。だからボンに住んでいる人は自嘲気味に‘eine kleine Hauptstadt.(小さな首都)’と言う。同時にベートーヴェン(1770~1827)の生まれた町でもある。今回は訪れなかったけど生家もある。

     8月10日  Bonn~eine kleine Hauptstadt
     列車がボンに着いたのは午前6時前。BRDの首都ボンには4年前に泊まっているので、今回はケルンに泊まってみようと思い、ケルンのYHへ直行。12時にならないとチェックイン出来ないそうで、すぐに引き返す。だから結局ケルンは駅前にある有名な大聖堂を横目で見て両替しただけになった。
     ボンでは中国大使館に直行。職業のところに‘学生’と書いたし、中国当局は民主化運動に神経を尖らせているので、もしかしたら事情聴取位あるかなと期待していたけど、申請書を書いて90DMを払ったら5分でビザを発給してくれた。申請書は漢字で書いたけど、それを見た大使館員がプッと吹き出す。このヤロー! 俺は‘ター・ウー・チン’じゃあないぞ‘砂布巾’だ!
     Inf.で教えて貰ったYHは卒業旅行の時とは別のYHだった。でも大使館から歩いて15分だったので、結果的にはとても便利だった。2時間ばかり間をおいて13時にチェックインしてから、ボンの町へ繰り出す。
     ボンの人口は僅か20数万人。だからボンに住んでいる人は自嘲気味に‘eine kleine Hauptstadt.(小さな首都)’と言う。同時にベートーヴェン(1770~1827)の生まれた町でもある。今回は訪れなかったけど生家もある。

  •  何故こんな小さな町がBRDの首都になったかというと、建国当時の首相アデナウアーの出身地であり、最後までその地位を争ったフランクフルトが首都として適していたために、再統一が成った際、本来の首都ベルリンに戻し難くなるという判断が働いたと言われる。またBRDは統一までの暫定措置として憲法の代わりに基本法を定めた。米ソが厳しく対立していた頃には、ドイツ再統一など全くの夢物語だったけど、ここボンが再びドイツの一地方都市となる日も近い。<br /><br />*右奥がボン市役所、可愛すぎる

     何故こんな小さな町がBRDの首都になったかというと、建国当時の首相アデナウアーの出身地であり、最後までその地位を争ったフランクフルトが首都として適していたために、再統一が成った際、本来の首都ベルリンに戻し難くなるという判断が働いたと言われる。またBRDは統一までの暫定措置として憲法の代わりに基本法を定めた。米ソが厳しく対立していた頃には、ドイツ再統一など全くの夢物語だったけど、ここボンが再びドイツの一地方都市となる日も近い。

    *右奥がボン市役所、可愛すぎる

    市庁舎 (ボン) 建造物

  •   8月11日  ライン上り  Rhein Schiff fahrt.<br /> ライン河沿いに来たことだし、ユーレイル・パスはライン河遊覧船にも使えるので乗ってみた。ボンからでも乗れるが、それだと本当に1日掛りになるので、途中のコブレンツまで列車を利用し、そこから船に乗った。<br /> さすがライン河はドイツの大動脈。しきりに船が行き交う。そして山の頂上に時折現れるお城。

      8月11日  ライン上り  Rhein Schiff fahrt.
     ライン河沿いに来たことだし、ユーレイル・パスはライン河遊覧船にも使えるので乗ってみた。ボンからでも乗れるが、それだと本当に1日掛りになるので、途中のコブレンツまで列車を利用し、そこから船に乗った。
     さすがライン河はドイツの大動脈。しきりに船が行き交う。そして山の頂上に時折現れるお城。

  •  鉄道は川の両岸を走っているが、左岸にはSLが走っていた。伝説の岩ローレライにさしかかると、有名なあのメロディーが流れる。コンスタンツから554kmの表示があった。時刻表ではマインツまで行くように表示されていたが、途中のオーバーヴェーゼルで‘終点!’と降ろされてしまう。何も知らなかった小生が最後だった。この2つ先のバッハラッハというところにあるお城のYHに泊まろうと思ったのだが、次の列車まで1時間以上待たなければならなかったので、ここオーバーヴェーゼルに泊まることにする。

     鉄道は川の両岸を走っているが、左岸にはSLが走っていた。伝説の岩ローレライにさしかかると、有名なあのメロディーが流れる。コンスタンツから554kmの表示があった。時刻表ではマインツまで行くように表示されていたが、途中のオーバーヴェーゼルで‘終点!’と降ろされてしまう。何も知らなかった小生が最後だった。この2つ先のバッハラッハというところにあるお城のYHに泊まろうと思ったのだが、次の列車まで1時間以上待たなければならなかったので、ここオーバーヴェーゼルに泊まることにする。

  •  YHは山の頂上のシェーンブルク(美しい城)の隣。プールもあるそうで値段は17DM。受付開始を待つ間はスペイン人の家族連れと一緒だった。7年前には岩国に住んでいたそうで、長女の名前はトリイ(鳥居)ちゃんだそうです。

     YHは山の頂上のシェーンブルク(美しい城)の隣。プールもあるそうで値段は17DM。受付開始を待つ間はスペイン人の家族連れと一緒だった。7年前には岩国に住んでいたそうで、長女の名前はトリイ(鳥居)ちゃんだそうです。

  •  *ビーレフェルトにて(本物の馬が引っ張ってる!!!)

     *ビーレフェルトにて(本物の馬が引っ張ってる!!!)

  •   8月12日  ラースと劇的再会 Dramatisches Wiedersehen mit Lars.<br /> ラース・シュルツ Lars Schulz。7月11日にフィンランドの夜行列車で一緒になり、ゲッティンゲンからは‘おまえは嘘つきだ!’と手紙を出した人。その彼と4週間振りに再会することが出来ました。<br /> ‘笛吹き男’の伝説で有名なハーメルンの町を2時間見て、彼の故郷フロートに着いたのが18時すぎ。駅から少し距離のあったYHを捜し、軽食スタンドで夕食を済ませて彼の家に電話してみた。しかし誰も出ない。2回目には通じたが、彼の家ではないらしい。もう1度電話してみたが、やはり同じ家に繋がった。また嘘を言われたのか? でも手紙も出してなかったから仕方無いか、と半分以上諦めて、喉が乾いたので本当に珍しいことに駅前の喫茶店に入った。そうしたら目の前に彼がいるではありませんか!?一瞬我が目を疑った。こんな小さな町(人口は19,000)でこんな偶然があって良いのだろうか? 間違い電話を掛けたのは、彼が7のつもりで書いたのが1だったのです‘君はいつも嘘をつく’(Du lügst immer.)で大笑い。彼が列車内で指摘してくれていたドイツ語の誤り(一昨日はVorgesternなのに Übergestern)を再び繰り返して、またまた大爆笑。<br /> ヨーエンスーでは彼が列車は空いていたにも拘らず‘1人で居るより良いだろう’と隣に座ったのです。ですからもし乗車の順序が逆だったら、この劇的再会もなかったかも知れません。<br /> 彼は19歳。学生です。‘来年は日本へおいでよ’と言ったら‘ボランティア活動をしなければならない’との事でした。BRDでは兵役の義務があり、希望しない者は一定期間ボランティア活動をしなければならないのです。<br /> 喫茶店で話をした後は彼の家に連れて行ってくれ、音楽を聴いたり、話をしたり。学校にも案内してくれて、YHに帰ったのは23時前。おじさんが鍵を開けてくれました。すぐにシャワーを浴びてベットに入ったけど興奮の余りしばらく寝付けなかった。彼は今回の旅で最も印象的な人になるに違いありません。<br />  *Sehr einfach,nur drücken!

      8月12日  ラースと劇的再会 Dramatisches Wiedersehen mit Lars.
     ラース・シュルツ Lars Schulz。7月11日にフィンランドの夜行列車で一緒になり、ゲッティンゲンからは‘おまえは嘘つきだ!’と手紙を出した人。その彼と4週間振りに再会することが出来ました。
     ‘笛吹き男’の伝説で有名なハーメルンの町を2時間見て、彼の故郷フロートに着いたのが18時すぎ。駅から少し距離のあったYHを捜し、軽食スタンドで夕食を済ませて彼の家に電話してみた。しかし誰も出ない。2回目には通じたが、彼の家ではないらしい。もう1度電話してみたが、やはり同じ家に繋がった。また嘘を言われたのか? でも手紙も出してなかったから仕方無いか、と半分以上諦めて、喉が乾いたので本当に珍しいことに駅前の喫茶店に入った。そうしたら目の前に彼がいるではありませんか!?一瞬我が目を疑った。こんな小さな町(人口は19,000)でこんな偶然があって良いのだろうか? 間違い電話を掛けたのは、彼が7のつもりで書いたのが1だったのです‘君はいつも嘘をつく’(Du lügst immer.)で大笑い。彼が列車内で指摘してくれていたドイツ語の誤り(一昨日はVorgesternなのに Übergestern)を再び繰り返して、またまた大爆笑。
     ヨーエンスーでは彼が列車は空いていたにも拘らず‘1人で居るより良いだろう’と隣に座ったのです。ですからもし乗車の順序が逆だったら、この劇的再会もなかったかも知れません。
     彼は19歳。学生です。‘来年は日本へおいでよ’と言ったら‘ボランティア活動をしなければならない’との事でした。BRDでは兵役の義務があり、希望しない者は一定期間ボランティア活動をしなければならないのです。
     喫茶店で話をした後は彼の家に連れて行ってくれ、音楽を聴いたり、話をしたり。学校にも案内してくれて、YHに帰ったのは23時前。おじさんが鍵を開けてくれました。すぐにシャワーを浴びてベットに入ったけど興奮の余りしばらく寝付けなかった。彼は今回の旅で最も印象的な人になるに違いありません。
      *Sehr einfach,nur drücken!

  •  8月13日  音楽隊の町、ブレーメン Bremen<br /> フロートから2回乗り換えてブレーメンにやって来た。1986年にはバスツアーで来て印象的だった町。だからもう1度来たかった。音楽隊の像も、

     8月13日  音楽隊の町、ブレーメン Bremen
     フロートから2回乗り換えてブレーメンにやって来た。1986年にはバスツアーで来て印象的だった町。だからもう1度来たかった。音楽隊の像も、

    ブレーメンの音楽隊像 モニュメント・記念碑

  • 町の守護神ローラントの像も、

    町の守護神ローラントの像も、

    ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像 モニュメント・記念碑

  • 商店街の豚の像も昔のままだ。北ドイツはメルヘン街道を中心に歩いたが、やはりここが最高に雰囲気が素敵。<br /> 音楽隊の像の前でジプシー音楽に聞き入っていたら、ハノーファーから来たという怪しげなお兄さんが来る。しばらく一緒に歩いたけど、すぐにバイバイ。このような場合には、最初からはっきり Nein!(No)と言うべきだ。<br /> これからハノーバーでニールスと合流。明朝はウィーンだ。

    商店街の豚の像も昔のままだ。北ドイツはメルヘン街道を中心に歩いたが、やはりここが最高に雰囲気が素敵。
     音楽隊の像の前でジプシー音楽に聞き入っていたら、ハノーファーから来たという怪しげなお兄さんが来る。しばらく一緒に歩いたけど、すぐにバイバイ。このような場合には、最初からはっきり Nein!(No)と言うべきだ。
     これからハノーバーでニールスと合流。明朝はウィーンだ。

  • *ブルークベーゼで買ったパキスタン航空(PIA)のチケット。

    *ブルークベーゼで買ったパキスタン航空(PIA)のチケット。

  • *右ページがゲッティンゲン。左はデンマークのオーデンセーとコペンハーゲン。

    *右ページがゲッティンゲン。左はデンマークのオーデンセーとコペンハーゲン。

  • *右中央がラースと再会したフロートYHのスタンプ。ほかにフルダ、コンスタンツ、オーバーヴェーゼル、リンツのスタンプ。<br />

    *右中央がラースと再会したフロートYHのスタンプ。ほかにフルダ、コンスタンツ、オーバーヴェーゼル、リンツのスタンプ。

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