1990/08/22 - 1990/09/01
16006位(同エリア29355件中)
砂布巾さん
8月22日 列車にカメラを忘れる! Ich habe meine Kamera vergessen.
列車に乗りっぱなしの1日。ケチのつき始めは昨夜のザルツブルク駅。乗る積もりだった22時発の列車が無い。土曜のみ運行の列車だったのだ。ミュンヘン乗り換えでDDRへの乗換目的地ベブラに行く列車があったので助かったが、一時は駅で寝なければならないかと真剣に悩んだ。
到着は朝5時前。ライプツィヒに向かう列車まで3時間あったので、フルダまで往復し、8時過ぎの列車に乗る。切符を買うためDDR最初の駅で降りる時に気が付いた。夜行列車にカメラを忘れてしまった! ウエストバッグが窮屈で外していたのが災いした。すぐその足でベブラに引き返し、終着駅ハンブルク・アルトナに確認してもらったところ、幸いあるという。急いで列車に乗り込み往復してベブラ帰着は17時。あまり遠くまで行けない時間になってしまったので、国境から近いアイゼナッハに泊まることにする。
ここのYHは安い。朝食4と宿泊5の計9DM。宿泊だけで比較してもロイッテよりも安い。珍しいことに、この田舎のYHに日本人がいた。彼の名は黒田ススム氏。慶応大学の学生で現在はボンに留学中とか。だからドイツ語がペラペラ。彼の話では、DDRでは外国人の出入国を完全自由化し、彼自身先月の中頃チェコから入国した際にはフリーパスだったそうだ。小生が1日ビザを取らされたのが7月21日。あのオッサン、やっぱりポッポナイナイしたのか?
最後に昨日のちょっといい話を。地下室のロッカーから荷物を取り出し、YHを出発したのは20時。荷物を出した時に戻っていたらしい10S硬貨を忘れていたら、地下室で一緒になったフランス人のお兄さんがYHから数百メートル追いかけて届けてくれた。2日間同室で、昨日は一緒にベルヒテスガーデンへ行ったので話もしていたけど、わずか\150のために追いかけてくれた彼の優しさに感謝しながら、爽やかな気持ちでザルツブルクを後にしたのでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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8月23日 ルターとバッハの町、アイゼナッハ Eisenach
昼過ぎまでアイゼナッハ観光。ここの見所は何といってもヴァルトブルク城(直訳すると‘森の城’)とバッハの生家。
ヴァルトブルクは宗教改革者ルターがハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王も兼ねる)の迫害で法律の保護の外に置かれ、その間ザクセン公フリードリッヒの保護の下、新約聖書のドイツ語訳を完成させた場所として有名で、今でもその部屋が残っている。そして中世に行なわれていた歌合戦の様子は、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」(壮大な序曲は佐川急便のCMにも使われた)の中で再現されている。山の頂上にそびえるこの城からの眺めは素晴らしいのだろうけど、またも雨模様の天気。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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昼からはバッハの生家へ。かなり大きな家で、中には当時の楽器などが展示されている。
アイゼナッハの駅では、DDR国内を周遊してミュンヘンに抜けるルートの国境の町グーテンフュルストまでのチケットを買った。値段は21.2DM。東西をまたぐ形のベブラからライプツィッヒの往復が90DMだそうだから、やはりDDRの物価は安い。バッハの家 建造物
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泊まりはエアフルトのYH。最初に行ったユーゲント・ツーリスト・ホテルは1日分の予算をも上回る56DMと言われ、Inf.で教えてもらった別のYHに来た。ギリシャの神殿のような建物で、1泊22DMとDDRの物価水準を考えても少し高い。1FにはDDRの地図もあったが、それが話に聞いていた西ベルリンを塗り潰した地図。自分に都合の悪いものは国民に見せないDDRの性格を表している。でも国民は西のTVを観て知っていたのだ。
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8月24日 憲法とゲーテの町、ワイマール Weimar
午前中エアフルトを見て、 -
ワイマール(原音に忠実に表記すればヴァイマール)にやって来る。当時最も民主的と言われたワイマール憲法(1919年制定)の名で親しみのある町。そしてここは特にゲーテとシラーのゆかりの地で、町中には彼等の住んでいた家や別荘にお墓もある。町には落ち着いた雰囲気が漂う。
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*Goethe Haus
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南東部には広大なイルムの公園があり、その西側には作曲家リストが晩年に住んでいた家もあった。
その他、ヘルダー、ウィーラント、ヘーゲル、ニーチェ、ショーペンハウエル、クラナッハ等のゆかりの地なのだそうです。よく分からないけど凄い町。
1日中よく歩いたので、夕方は駅近くのアイスクリーム屋でゆっくりくつろぐ。そこで見た新聞によると、ドイツ再統一が10月3日に決まったようだ。昨年の壁崩壊から僅か11ヶ月。コペンハーゲンでアルベルトから統一問題が急進展しているのを聞いてはいたが、思った以上のテンポだ。YHで一緒になったBRDから来たおじさんに「ゴルバチョフは統一ドイツのNATO加盟を許したの?」と尋ねたら「ゴルバチョフもブッシュもない。我々自身のドイツだ」との言葉が返ってきた。ごもっとも。10月3日と言えば小生は北京。もう少し早ければ現地でこの感動を直接味わえるのに、と思うと本当に残念だ。
そのおじさんが「何故ドイツが好きなのか」と尋ねるので、「バッハやモーツァルトが好きだから」と答えたら、「モーツァルトはオーストリアだ」と言われた。ドイツとオーストリアが別というのは小生には理解に苦しむ。 -
8月25日 ヨハン・セバスチャン・バッハ J.S.Bach
ワイマールに来たから、せめてゲーテの家は見ておこうと朝一で行ってみる。かなり大きな家。市場へ行ってみたら、昨日のBRDのおじさんがいた。そう彼は行商人だったのです。DDRの市場には色々なものがある。昨日午前中のエアフルトでは家のドアも見付けた。不思議と洋服を売っているのはベトナム人 Vietnamが多い。彼らはDDRが労働力不足を補うために呼び寄せていた(BRDはトルコ人を呼び寄せた)人達。DDRでは今後一時的にせよ失業がかなり増えるだろうから彼等の立場も微妙なところ。実際東欧では民主化の進展と共に、反ユダヤ、反アジア感情が噴き出しているともいう。
ワイマールを出発してからは大作曲家バッハにこだわった旅。5分程待てば追加料金不要の急行列車があったのだが、6DMを払ってヨハン・セバンチャン・バッハ号に乗ってバッハゆかりの地ライプツィッヒにやって来る。かつてメンデルスゾーンが指揮者だったゲヴァントハウス管弦楽団やDDR民主化要求運動の先駆けだったニコライ教会、ルターと教会代表エックの討論(1519)、ナポレオンの没落を決定的にした諸国民戦争(1813)でも有名だ。
大バッハことヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)は、この地で亡くなるまでの27年間暮らし、聖トーマス教会で永遠の眠りについている。お墓の前では2時間近くにわたってウォークマンで静かに彼の音楽に耳を傾けた。その後は教会の前の博物館へ足を運ぶ。
「平均律クラヴィーア曲集」や「無伴奏チェロ組曲」「ゴールドベルク変奏曲」「フランス組曲」などのバッハの音楽は、モーツァルトのように美しくはないし、ベートーヴェンのように壮大でもないが、極めてシンプル。しかし聴けば聴くほど味わいを増す。特に精神的に疲れている時には心地好く響く。
これから夜行でミュンヘンに向かう。ドイツで一番好きな町。楽しみだ。 -
8月26日 YH不法宿泊、ミュンヘン Heute schlafe ich in JH!
今日の泊まりはミュンヘンのYH。でも本当は小生はここには泊まれない。何故ならドイツ南部のバイエルン州では26歳以下のジュニアしか泊まれないからだ。規則上はそうなっているが実際にはどうなのか、YHに着いたのが受付開始の30分前だったので試しに並んでみた。約20人目で5人前の女性2人組はこの規則を根拠に断られていたので、諦めて心はザルツブルクに飛んでいたのだが、難無くパスしてしまった。ハイデルベルクの初日と同じく係の人が外見だけで判断したに違いない。値段は14.8DM。中心部に比較的近いのにこの値段はとても良心的。向こうが間違えたとはいえスッキリしない。バイエルン州には最低あと4泊はするので、泊まれたら本当に助かるのだが…。
ニンフェンブルク城が近かったので行ってみた。お城自体は特に変哲もないが、庭が大変広大。寝不足とメシ抜きだった小生、もうバテバテ。ニンフェンブルク城 城・宮殿
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8月27日 ベルリンフィルハーモニー Berliner Philharmonikar
20時半からウィーンフィルと並ぶ世界最高のオーケストラ、ベルリンフィルの演奏会へ行く。指揮者はクラウディオ・アバド。中学生の頃から好きだった人で、昨年7月に亡くなったカラヤンの後任として常任指揮者になった人。8月末までの期間中他の人の演奏会もあったが、迷うことなく彼を選んだ。
曲目は前半が現代音楽。後半がマーラの第1交響曲「巨人」。やはり圧巻はマーラー。まず冒頭の部分の美しさにまるで魔法をかけられたような気分になってしまう。やがてチェロの奏でる甘美な第1主題。曲が進み第4楽章のクライマックスに入ると、興奮は最高潮に達する。演奏の終了と同時に沸き起こる拍手とブラボーの嵐。マーラーの青春交響曲ともいうべき曲の素晴らしさとともに、その演奏の迫力に聴衆は圧倒された。小生もしばらくは放心状態。そしてライトアップされた町並の美しさに見とれることもなく、余韻を楽しみながら帰路についたのでした。
日本人の聴衆も結構多く2階席だけで20人位はいただろうか。同じジーンズ姿の人も少なくとも3人は確認できた。でも外見なんてどうでもいい。音楽を愛する純粋な気持ちがありさえすれば…。ザルツブルク祝祭劇場 劇場・ホール・ショー
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8月28日 再度の宿泊成らず、ミュンヘン kann nicht in JH schlafen!
シリングの持ち合わせが昨夜のプログラムを購入した段階であと37S程になり、休憩時間中にジュースも飲めなかったので、早目に出発しミュンヘンに向かう。早く出発した理由はもう1つ。YHへの不法宿泊を再度試みようと思ったからだ。そのためには受付開始直後のドサクサに紛れ込むしかない。レジの調子が悪く、やっと順番が回ってきたのは12時。しかし今度はあっさりケラれてしまった。ザルツブルクでも27歳以上にかかる税金を加算されず、3S程得して益々自信を深めた小生、少し調子に乗り過ぎたかナ? 受付で無造作に紙を渡されたHaus Internationalは、4人部屋のドミトリーで34.5DM。YHより約20DM高い。この差は痛い。
午後からは1972年の五輪会場オリンピアパーク、そして町中へ。何回来てもここが一番素敵。雰囲気が何とも言えず良い。1923年のミュンヘン一揆、1938年のミュンヘン会談など、ナチスゆかりの地でもある。 -
市役所の Glockenspielも見に行ってしまった。教会で休んでいたら、18時の鐘と同時に夕方の礼拝が始まった。途中で抜け出すわけにもいかず、30分程お付き合いした。夜はビアホールのホーフブロイハウスへ。半分位は観光客なのだろうが、とにかく熱気が凄い。そして音楽の生演奏にやんやの喝采。大好きな「リリー・マルレーン」を演奏してくれた時は本当に嬉しかった。気分が良くて珍しくビール1Lも飲んでしまった。
昨日とは違うけど、教会そしてホーフブロイハウスで素晴らしい音楽に出会えて良かった。 -
8月29日 雨の城、レーゲンスブルク Regensburg
朝は9:37発の列車でレーゲンスブルクにやって来る。直訳すると‘雨の城’。雨男にはふさわしい所かもしれない。4年前に‘レーゲンスブルクはきれいだよ’と2人の人から聞いていたので、是非来てみたかった所。
列車内で一緒になったのが大学生のT.直子さん。声を掛けてみたら目的地が一緒だったので、船でドナウ河畔のヴァルハラ神殿(まるでギリシャの神殿のよう)へ行ったり、ヴァルハラ神殿 城・宮殿
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町中の弦楽四重奏の演奏を聴いたり、レストラン‘ウィーンの森’で夕食を食べたり。彼女がYHに泊まると言ったので一緒に行ってみたが、28歳は相手にして貰えなかった。
日本人と一緒に回るのはソ連脱出後初めて。シベリア経由で来たかったけど、ハバロフスクまでの飛行機が取れず、結局大韓航空で来たのだそうです。 -
8月30日 バイエルンのバカヤロー!Warum kann nicht in JH schlafen!
再び列車に乗りっぱなしの1日。ミュンヘンからは先日カメラを忘れたのと同じ列車に乗る。今度は失敗を繰り返さないように、ハノファーの先まで乗り、それからゲッティンゲンまで引き返す。疲れていたのか今度は車内でもよく寝れて、ミュンヘンに着いた時には起こされてやっと気が付いた位だった。
ゲッティンゲンに行ったのは、帰りのチケットを取りに行くため。未払分の1,200DM余の持ち合わせは無いので、近くの銀行でビザカードのキャッシングサービスで用意する。ドロステ氏が留守で、女性が応対してくれた。シリアのダマスカス乗り換えと言っていたが、カラチまでは直行便の筈だ。
夕方には再び南ドイツのニュルンベルクにやって来る。 -
YHへ行ってみようかとも思ったが、雲行きが怪しくなって来るし、レーゲンスブルクでも泊まれなかったし、Inf.で冷たくあしらわれたので、諦めてホテルに泊まる。ホテルと名の付くものに泊まるのは、ドイツ初日のリューベック以来だ。YHの良さは安いのも去ることながら、同じような境遇の旅人ばかりが集まっているところ。だから例え言葉を交わさなくても、何となく通じ会える連帯感のようなものがある。ユースホステルという位だから、確かに若者向けの宿なのかもしれないけれど、何故バイエルンだけがシニアを締め出すのか?と久し振りに淋しい夜を過ごしながら思った。
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8月31日 古都、ニュルンベルク
ホテルは50DMと少し高かったので、今日の泊まりは40DMの Pension Fischer。ニュルンベルクは、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」や戦後のニュルンベルク裁判でお馴染みの町。旧市街の外側を城壁が取り囲み、道路は石畳で町並みは中世そのもの。本当に美しい。ミュンヘンとは全く趣が異なるけど、その首位を脅かす存在だ。
昨日はチェックイン直後に雷雨となったが、今日も午後は雷雨。 -
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午後からは郊外のナチス党大会跡地に行ってみた。あの演壇でヒトラーが演説したのかと思うと感慨が湧いてくる。1938年9月12日に行なわれたナチス党大会は、念願のオーストリアを併合し、ナチスドイツの侵略の矛先がドイツと国境を接するチェコスロヴァキアのズデーテン地方(多くのドイツ人が住んでいた)に向けられ、英仏の独伊に対する宥和政策の頂点として知られるミュンヘン会談直前の状況下で行なわれた。会議では一方の当事者チェコスロヴァキアと大国ソ連抜きでズデーテンのドイツへの割譲が決められたが、それは一時凌ぎに過ぎず、半年後にはチェコスロヴァキア全土がナチスの勢力下に入った。
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ここでは町中を大声で気勢を上げながら歩いている若者の姿が目に付いた。彼らは人の名前をトレーナーに書いてもらうのが趣味のようで、小生も2日で合計15名位サインした。ヘアースタイルはスキンヘッドではなく、まともだったのでネオナチではないと思うけど、彼らは一体何者なんだろう?
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9月1日 変なYH Bayreuth
午前中の列車でバイロイトへ向かう。ここはワーグナーが晩年本拠地としていた場所で、音楽祭でも名高い。駅で自転車が借りられた(8DM)ので利用する。ダメ元と思ってYHへ行ってみたら‘リミットは27だがOKだ’とオバさんが言ってくれた。国境のシルンディンクに泊まる予定を変更する。
バイロイトは意外に大きい町。観光の目玉は、1951年に再開されたバイロイト音楽祭の本拠地祝祭劇場(中は意外に小さかった)、バイロイト祝祭劇場 劇場・ホール・ショー
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中庭にワーグナーと妻コジマのお墓があったワーグナー博物館。予定の3時間では到底見られなかった。その意味でもYHに泊まれたのはラッキー。
YHには12時から受付開始の表示が出ていたが、12時半になって‘18時に来てくれ’と言う。18時に行ったら、昼間一緒だった夫婦に1回OKしていた筈なのに、トシを取り過ぎていると文句を言っていた。小生の受付は若いお兄さんがしてくれたけど、生年月日を見てタメ息をつかれた。洗濯機があったので‘使いたい’と言ったら、‘乾燥機が無いので乾かない’と言う。食い下がったら‘1日しか泊まらない人は使えないのがルールだ!’と若い女性に言われた。‘ルールにこだわるなら28歳を泊めるな!’とはさすがに言えなかったが…。ヤケクソになってGパンを手で洗ったら、手の皮が剥けてしまった。
前後するけど、17時に自転車を返しに行ったら、受付が閉まっている。土曜は昼までだったのだ。でもおじさんは何も教えてくれなかった。ホームにいた車掌さんに言って事無きを得たけど慌てた。
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