1990/09/02 - 1990/09/12
5304位(同エリア6847件中)
砂布巾さん
9月2日 チェコスロバキア入国?ヘプ Cheb
YHから市内へ向かうバスが日曜の午前中は無かったので、駅まで歩いて行く。座ってどうしようかと考えていたら、友人の武者氏に借りているバッグパックの下の部分の針金が片方無くなっている。慌てて駅中を走り回った。自転車を借りる際には、小生のドイツ語が理解して貰えず笑われるし、変なヤツだと思われたに違いない。
途中の町までバスで行き、そこから列車に乗る。今日はユーレイルパスの満了日。ヘルシンキ駅で使い始めて2ケ月。早いものだ。少し時間があったので日本へ電話してみる。やっと通じたのが友人の鼻氏の所。「おーワシじゃー、今からチェコへ行くでー」「お前イラクにだけは行くなよ」で切れて 1.4DM。
ニュルンベルクからプラハに向かう直通列車は日に1本しかない。チェコ人の出国規制が最近になって緩和されたからであろう、車内は買出し帰りのチェコ人で大混雑。通路にまでバナナやら電気製品が溢れていた。国境の鉄条網は確認出来なかったが、監視塔は小高い山の上にぽつんと有った。入国審査は国境の町ヘプ停車中に行なわれた。民主化が成ったとはいえ、つい1年前まではブルガリアやDDRとともにもっともソ連に忠実な国であっただけに少し緊張したけど、荷物検査などは全く無く、係員は事務的に仕事をこなしていた。
今やNATO加盟国の国民はビザ不要となったが、ウィーンで大使館に電話で確認してみたところ、日本人は必要との返答だった。ビザは東京で取得していたが、強制両替があるのが痛い。両替は入国審査の直後に列車内で行なわれる。1日当たり30DM相当の外貨を両替しなければならず、10日間申請していたので 300DMが 2,904コルナ(以下 kcs)。1kcsはちょうど¥10。1日当たり300kcs弱を使わなければならないけど、これが仲々至難の業。ビアホールでビール1杯飲んで7.4kcs、明日のカルロビヴァリ(所要1時間)までの列車のチケットが 16kcs、ビールとステーキの夕食が 87kcs。これが今日の支出の全て。何より痛いのが、ホテルの支払いがDMであること。22DMだからBRDでYHに泊まるのとさほど変わらないけど、持金が余り無い小生には痛い。とにかくチェコスロヴァキアの旅は始まったばかり。試行錯誤の日々となりそうだ。
- 旅行の満足度
- 5.0
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9月3日~4日 温泉町、カルロヴィヴァリ Karlovyvary
ヘプからカルロヴィバリにやって来た。ここは昔からの温泉保養地でベートーヴェンや -
ゲーテの像があったので、彼らもここで静養したのに違いない。真っ先にInf.へ行き、YHの場所を聞いて行ってみる。町中からは約4km。歩いて行ったがDDRのアイゼナッハで一緒だった黒田氏が‘チェコではYHに泊まれなかった’と言っていたし、ガイドブックにはCKMという所を通さなければならないと書いてあったので、心配だったけど問題なくOK。食事は別料金だが税金2を含めて 72kcs。何よりもコルナが使えるのが嬉しい。受付では‘China?’と聞かれる。ニュルンベルクでは中国人に話しかけられるし、どうも小生中国系の顔をしているのか? 日本人は滅多に来ないと言っていた。
日本では温泉地というと必ず大衆浴場があるが、ここにはそれがない。地図に Spaと書いてある所へ行ってみたけど、そこは病人のための療養所のようだった。せっかくだからせめて風呂に入りたいと思い、その療養所で聞いたホテルのような所へ行ってみると、受付は上に行けと言うし、上では受付に行けと言う。民主化が成ったとはいえ、到底日本のようなサービスは期待出来ない。ここでは温泉はむしろ飲むものらしい。町の中心の湯元に大きな建物があり、そこで皆風変わりなコップで温泉を飲んでいる。温泉は30,50,72の3段階の温度があり、塩辛いような鉄分の多いような何とも言えない味。体に良いのだろうからと心を鬼にして2日でコップに5杯飲んだけど、一体何に効くのだろうか? まさかリューマチとか痛風とか全く関係のない病気じゃあないだろうな。 -
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9月5日 チェコはアメリカの同盟国??Pilsen
8時にYHを出発し駅まで歩く。たっぷり1時間半掛かった。列車で2回乗り換え4時間掛けてピルゼンへ来る。ここのビールが美味しいのがピルゼナービールの名の由来だそうだ。切符の金額は表示では 38kcsだったのに 60kcs取られた。ここでもボラれたのだろうか?
割と大きい町なのにYHがない。仕方無くInf.で聞いてみる。3軒紹介してもらった中で一番安かったSLOVANに泊まる。値段はマルクでもコルナでも払え、前者なら23DM、後者なら338kcs。円に換算にすると、マルクの方が\1,000近く安くなるのだが、多額の持ち合わせがあるのでコルナで払うことにする。コルナが自由に持ち出せ、良いレートで交換出来るのなら残して持ち出してもいいのだが、恐らくダメだ。強制両替の意味がないから…。 -
町自体は特に変わりばえしないけど、所々にピルゼンをナチスから解放したアメリカに感謝する趣旨のポスターが貼ってあるのがとりわけ印象的。ある商店では1968年の‘プラハの春’の弾圧の時のソ連軍の写真と並べ、対照を際立たせていた。少し前まではプラハのバーツラフ広場へ行けばソ連の国旗だらけだったそうだし、信じ難いことにお札にもソ連国旗が翻っていたそうだが、いつの間にかここはアメリカの同盟国になってしまったのだろうか?
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(SLOVANの室内)
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9月6日 ターボル Tabor
ピルゼンから4時間掛けてターボルにやって来た。チェコの作曲家スメタナの連編交響詩「わが祖国」の第5曲が「ターボル」。だから来てみたかった。ここはルターの改革運動に先立つこと約百年、運動の先駆をなすフス派の拠点の町でもあった。
昨日に続いて今日も乗換駅までに1回バスに乗り換えさせられた。乗換駅からは1両編成の超ローカル列車。「ボヘミアの森と草原」(第4曲)の景色が実に美しい。町はピルゼンを2回り位小さくしたような町。 -
ここはどうやらソ連軍がナチスから解放したらしい。旧市街は小高い丘の上にあり、城壁に囲まれた落ち着いた町。広場では夕方から警察の音楽隊のコンサートが開かれた。1時間程、オペラの序曲からアリア、はたまたグレンミラーまで堪能した。
宿泊は昨日と同じ名前のSLOVAN。朝食は別だが昨日の半分の170kcsと有難い。
(記念碑には戦争終結後の1945年5月9日の文字) -
9月7日 プラハは観光客には不親切
~Prag,nicht freundlichkeit für Touristen.
プラハにやって来た。チェコを訪れた最大の目的がこの町だ。ターボルの駅でホームに停まっていた列車の行先表示がない。恐らくこの列車だろうけど念の為、と車掌さんに尋ねてみたら‘アウトブス(自動車)だ’と連れて行ってくれた。3日連続バスと列車の乗継。駅のホームには stop Aidsと書かれた新品のコンドームの自動販売機があった。これも民主化がもたらしたものだろう。 -
カルロビバリではCKMを通さなくても大丈夫だったが、プラハではそれも通用しないだろうと思い、真先に行ってみる。そこで紹介してもらったYHのVSCHTは市の中心部から地下鉄で8駅も離れた郊外にある。おじさんが教えてくれてやっと分かったが、それらしい表示は何もない。値段は1泊200kcs、チェコの物価水準からするとかなり高い。
夕方から町中に出てみるが、再び雨模様の天気。まず最初に火曜にDDRのドレスデンに行く列車が出る本駅へ行く。International Ticketの文字が見えたので並んだ。30分待って順番が回ってきたが‘国外分は国営旅行社(しかも外貨)でないと買えない’と言う。駅で通しの切符が買えないとは、実に妙だ。
国営旅行社とはチェドック Cedok。市内に幾つもあるが、これが本当に融通が効かない。営業所は宿泊斡旋、ツアー専門など担当業務別にくっきりと分かれていて、それ以外の業務は一切行なわない。あるチェドックでの会話、‘市内地図を下さい’‘タバコ屋で買って下さい’、‘国際列車の発券オフイスはどこですか? 最寄りの地下鉄駅を教えて下さい’‘町の中心部ですから’とこんな調子。民主化は成ったとは言え、社会主義時代の悪癖はまだ抜け切らない。プラハを訪れた観光客は1人残らずこれらの不便を感じたに違いない。
国立博物館の前では耳元で‘ Change money’の低い声。レニングラード以来2ケ月振りの懐かしい響きとタイミングの絶妙さに思わず笑った。ヴァーツラフ広場 広場・公園
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昨日の夕食は結局ビール2杯飲んだだけだったし、今日の昼食も少なめで腹が減ったので、晩メシは立食スタンドでビール、ミンチカツ、トンカツ、サラダ、ライス料理と食べまくる。でもこれだけ食べても 50kcs。
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9月8日 高い夕食だった! Teures Nacht-essen!
一番にドレスデン行の切符を買いに Cedokへ行く。長蛇の列で順番が来るまで50分待たされた。昨日買った国境までの切符を見せると座席指定券6kcsをくれた。国境からの切符は車内で買えということか? 子供がカウンターの中に入っていたり、時間が掛かるのは相変わらずだが‘Wait a moment,please.’の言葉も聞けた。昔なら絶対聞けなかった言葉だ。Inf.ではポーランドの国内線の時刻を教えて貰おうと行ってみる。相手は英語しか分からないのに、ドイツ語しか出てこない。若い人はドイツ語より、英語の方をよく理解するようだ。
カレル橋やカレル橋 建造物
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大統領府のあるプラハ城などを観光して
プラハ城 城・宮殿
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*パフォーマンスの最中、誰かがクシャミして一瞬笑いが起こった
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宗教改革者フスの像のある旧市街広場でくつろいでいたら、日本人女性が手紙を書いていたので‘メシでも食おうよ’と声を掛けてみた。彼女は薬学の勉強でグラスゴーに住んでいるとか。町中のレストランはチェドックが軒並み団体客のため予約しているらしく断られ、やっと見付けたレストランに入った。ディナーメニューしか無いらしく、値段は190kcs。出るわけにもいかず、タンペレ以来の高い夕食となった。酒は色々出てきたけど、メインはソーセージとザウアークラフトそれにクネードリキというチェコのパンのようなもの。観光客料金だ。ブリブリ。
ヤン フス像 モニュメント・記念碑
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9月9日 モーツァルト、スメタナ、ドボルザークを訪ねて
朝は洗濯等をして先ず両替に行く。10$が229kcs、強制両替が終わっているので50%増の優遇レート。両替屋も張り切っているのかしきりに声が掛かる。 その後モルダウ(「わが祖国」第2曲目)近辺を散策し、モーツァルト博物館、そしてヴィシェフラドへ。 -
プラハは歌劇「ドン・ジョバンニ」や交響曲第38番「プラハ」が初演されるなど、モーツァルトゆかりの地でもありました。博物館では場違いな前衛劇が演じられていた。
モーツァルト博物館ベルトラムカ 博物館・美術館・ギャラリー
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ヴィシェフラドは「わが祖国」第1曲目の「高い城」、今では城壁を残すのみ。作曲者のスメタナや「新世界」のドヴォルザークらチェコの文化人がここの墓地で永遠の眠りについている。「ヴィシェフラド」から「モルダウ」を眺めながらウォークマンで「わが祖国」に耳を傾けた。近くには第6曲目と同じ「ブラニーク」という地名があったので行ってみたが、どうやら違うようだった
ヴェシェフラッド 城・宮殿
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ヴィシェフラット民族墓地 建造物
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9月10日 雨の中コノピシチェ城へ行くも… Konopische,geschlossen.
午前中コノピシチェ城のあるベネショフへ行く列車まで少し時間があったので、ポーランドの国営旅行社オルビス ORBISへ行ってみる。時刻表を借りてポーランド国内での予定を立ててみる。‘この列車は運行されますか? 国内の周遊券はありますか?’に対する返答は‘Cedokで聞いて下さい’。アー、東欧はどこも似たり寄ったりだ。
チェドックでは‘コノピシチェ城は今日は休み’と教えたが、切符は買っていたし、頼りにならない彼等のことだから、もしかしたら…と行ってみる。
列車に乗ったらベトナム人と間違えられ絡まれそうになったが、日本人だと言うと態度が 180度変わった。彼らのベトナム人憎悪を見た気がした。お城はベネショフの駅から2kmの道程。標識が全く逆方向を向いていたため、すぐ近くまで行っていたのに1時間近くも周囲をウロウロ。またまた雨は降ってくるし、帰路は揺れのひどいチェコの列車でも少し寝られた。
今日も2食とも立食スタンド。バーツラフ広場の端の店には毎日行っているから、皆勤賞が貰えるかもしれない。中はケーキ、前菜、スープ、ディッシュなどの各コーナーに分かれており、その気になれば立食フルコースも可能だ。一昨日のレストランで同席していた外国人3人組を見掛けた。彼らも金がなくなったに違いない。 -
9月11日 やっぱりプラハも雨だった Prag,auch regnet.
ドレスデンへ向かう列車は 12:50発だったので午前中はカレル橋や旧市庁舎、バーツラフ広場を再び歩いてみる。広場の記念像の下には1968年の‘プラハの春’事件の犠牲者の写真が飾ってあった。所々にあるビルは目障りだがプラハの町は中世そのもの、本当に美しい。でもプラハ滞在中はずっと小雨か曇天。一体いつになったら良い天気になるんだ!
チェコスロヴァキアは自然と特にプラハの町並みが美しい国。物価も安いし、ビールも美味しい。スメタナがあのように素晴らしい曲を書くことが出来たのも、この素晴らしい祖国があればこそなのだろう。ただやはり言葉が分からないのは致命的。YHには6泊したけど、ベルギーから来たおじさんと一緒だったカルロビバリの2日目以外は一人ぼっち。だから少し淋しい旅でもあった。
プラハからドレスデンまでは列車で3時間。両国の国境地帯の特にチェコスロヴァキア側はヨーロッパでもとりわけ公害と環境破壊の激しい地域と言われているが、列車から見る限りは確認出来なかった。国境での審査は簡単だった。以前なら、チェコ通貨の持出しをチェックし、荷物の中味を調べられ、不法出国者がいないかどうか座席の下まで調べていたそうだが、今はそれもない。もっとも現在では国民の出入国を完全自由化している訳だから、必要ないのだ。チェコスロヴァキアも人間味のある国になってくれて本当に良かった。(YHはこの団地群の中にあった) -
ドイツ側に入ってザクセンのスイスとも言われる美しい渓谷を通ってドレスデンに着くまでは車内検札もなし。だから結果的に国境からドレスデンまでは無賃乗車。チェドックも時には気の利いたことをしてくれる。
地下にはパブもあったYHは駅から10分程。朝食込みで16.6DM。数日前のノートには‘この素晴らしいYHがたったの9DM!’と書かれていたので、西に合わせてごく最近大幅値上げされたのだろう。同室には大学生風の日本人。彼は仲々の豪傑。強制両替を何故かしなかったチェコでは、恐ろしいことにヤミ両替屋と仲良くなって一緒に飲んで駅で寝たり、ブリュッセルではジプシーにパスポートを取られそうになった(新聞で注意を引いてウェストバックを取ろうする手口)り、DDRのビザを取って来たりとユニークな人。そのビザは、YH5泊で手数料も含めて \26,000だったとか。1泊当たりに直すと\5,200!彼がビザを持って入国した最後の日本人に違いない。 -
9月12日 爆撃の町、ドレスデン Dresden
ドレスデンはチェコではモルダウと呼ばれていたエルベ川の北岸が新市街、南側が旧市街になっている。駅前広場の大きなレーニン像には違和感が漂う。
昨日の夕方に続いて今日は1日掛けてゆっくり歩く。この町は第二次大戦末期の1945年2月13日の連合軍の猛爆撃によって一夜にして4万人ともいわれる死者を出した。町は戦後復元されたが、戦争の悲惨さを後世に伝えるためであろう、方々に当時のまま保存されている建物がある。代表的なものが聖母教会。本当に爆撃を受けたそのままを残している。フラウエン教会 (聖母教会) 寺院・教会
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少年合唱団で有名らしい聖十字架教会には、戦後復元されていく過程が展示され‘現在の粗末な椅子は一時的な措置に過ぎません’との説明があった。
有名なツヴィンガー宮殿 Zwingerは一部が博物館になっていて、昔の時計や地球儀、天秤等があり、計算機のコーナーには‘Soroban’もあった。ツヴィンガーから聖母教会へ向かう小路には長大な壁画。歴代ザクセン王なのだそうです。君主の行列 文化・芸術・歴史
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ドレスデンには大きなデパートがないせいか、露店が本当に多い。まとまってある所が3カ所ぐらいある。ジュウタンクリーナー実演販売のおじさん、
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ソフトクリームの自動販売機!なんてのもあった。
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*ユーレイルパス 3カ月で黒い部分の線に乗った
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