1990/06/18 - 2025/06/17
100位(同エリア149件中)
砂布巾さん
~旅はハバロフスクから始まった イルクーツク、モスクワに下車してレニングラードへ あらゆる面で日本とは異質で少々疲れたが、長い旅を楽しくしてくれたのは日本人8人組のツアーの皆さんだった
1990年(平成2年)6月18日 やって来ましたХабаровск!
新潟からハバロフスクまではちょうど2時間。でもそれからが長い。2時間以上経った今でもインツーリスト(Интурист 国営旅行社)のバスの中。トランスファー(送迎)を申し込んでなかったけど構わないのか?
日本との時差は2時間だからもう22時近いけど、外はまだかなり明るい。入国して最初に接するロシア人である入国審査官や税関の職員は意外に愛想が良い。バスで一緒になったおじさんの話によると、それもここ1,2年のことらしい。ゴルバチョフのペレストロイカがようやくこの極東の町にも浸透してきたのだろう。但し、空港にはターンテーブルが無く荷物が無造作に待合室に投げてあるなど、設備はお粗末そのもの。こちらは30年来変わっていないそうだ。空港内の銀行では両替のため大勢の人が順番を待っていたにもかかわらず、時間になると係員はさっさと店じまいして帰ってしまった。早速社会主義式サービスを経験した。
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宿泊はインツーリスト・ホテル。アムール河沿いの11階建のビル。
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眺めは素晴らしいけど室内は殺風景。空っぽの冷蔵庫とラジオがあるだけでテレビはない。風呂はバスタブは無くシャワーのみ、タオルはあるけど石鹸はない。両替しなかった不安(結果的には心配なかったのだが)で、結局夜は何も食べなかった。
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空港では23歳のお兄さんがやって来て、アーミーウォッチから女性までいらないか、と話し掛けてきた。彼はホテルにまで来ており、外に出た時少し話もしたが別に悪気は無さそうだった。ただ日本円やアメリカ製タバコばかりか、小生のオンボロTシャツまで欲しがったのはよく分からない。
話は最初に戻ってアエロフロート(Азрофлт)。タラップから飛行機に乗ると右下から白い煙が濛々と上がっている。噂には聞いていたけど、良い気持ちはしない。トイレのドアは上部が腐食していて大変動かし難く、無理やり通り抜けたら肩が痛くなった。小さい箱に入った機内食の味ももう1つ。機内アナウンスは英語とロシア語。まくしたてるように喋るからよく分からない。 -
6月19日 ヤミ両替 Rechtswidriger Geldwechsel
昨夜は仲々寝つけない。午前2時の時報も知っている。目が覚めたのは10時だ。フロントに預けていたパスポート、ビザ、バウチャー(ソ連国内の経費支払いを証明する書類)を受け取り、インツーリストのオフィスでハバロフスク~イルクーツク間の列車のチケットを受け取る。このようにホテルをチェックアウトする際に次に乗る区間のチケットを受け取るシステム。
‘朝食は10時まで’と昨日お世話になったインツーリストのサジン氏から聞いていたのでダメかな?と聞いてみたけど食べることが出来た。その朝食は黒パン3枚と生ハムが少しに薄いホットケーキ(ロシアンケーキと言っていた)それに美味しくないコーヒーと甘味のないヨーグルト。1Fの外貨ショップには日清のカップヌードルがあった。
トランスファーに関する疑問はインツーリストのオフィスで請求されたので氷解。昨日の空港~インツーリストホテルが 5.5ルーブル(以下R)、今日のホテル~ハバロフスク駅間が10Rの合計15.5Rが日本円(ホテルでの支払いは外貨のみ)で\3,800だから、1Rはおよそ\250。これはオフィシャル・レート。銀行での両替は、アンオフィシャル・レートで10倍の \25程度だそうだ。銀行レートが非公定レートというのはどうも理解に苦しむ。 -
その後は小雨模様の天気だったが、ホテル裏のアムール河畔に行ってみた。かなり上流だが、川幅は随分広い。島を挟んだ遥か向こうは中国だ。社会主義の兄弟国でありながら1960年頃から厳しく対立していた中ソ両国は、1969年にはこの近くのダマンスキー島(中国名珍宝島)で武力衝突を起こした。
河の展望台では1万円札を見せながら近付いて来た2人組がヤミ両替を求めて来た。ヤミ両替は勿論非合法なのでちょっと迷ったが、両替していなかった不安もあって\2,000(= 100R)だけ両替した。
ルーブルの持ち合わせもヤミ両替分の 100Rでは足らないだろうと思い、ハイヤーで駅に向かう際サジン氏(共産党の建物の前を通った時には「人々は好きではない」と教えてくれた)に銀行に行くように頼んだが、彼が駅の待合室で\5,000分交換してくれた。何のことはない、うまいことヤミ両替をさせられたのだ。昨日から目を付けていたに違いない。待合室では大勢のロシア人がテレビを観ていたが、放映が終わると隣の駅舎に向かって一斉に席を立った。 -
ハバロフスク発 13:09のシベリア鉄道は約30分遅れて出発。明後日20時のイルクーツク到着まで50時間以上の長旅だ。窓の外に見えるのは一面野原ばかり。やはりロシアは広い。4人部屋のコンパートメントの同室は、同じく日ソ旅行社手配の個人旅行で参加の福本さん(仮名 以下同じ)。西日本の地方都市に在住する女性。モスクワからベルリンへ入り約2ケ月のヨーロッパ旅行だそうだ。日本人女性の森本さんとロシア人女性のエレナさんの2人は、日本人8人組ツアーの添乗員。スパイ活動防止のためかツアーの場合は日ソ双方から添乗員がつかなければならないのだそうです。隣では先程からリトアニアの独立がどうとか、急進改革派のエリツィンがどうとか、小生にはいい子守歌だ。
夕食は18時からツアーの皆さん方と一緒に。ロシア風スープ、ソリアンカとビーフ・ストロガノフ、野菜サラダにジュースとアフターコーヒで僅か2R。味自体は塩味がきつくて、あまり美味しくはない。福本さんはステーキを頼んだのにハンバーグが出てきた。ロシア人独特の手抜きに違いない。 -
6月20日 寝てばかりの1日 schlafen,schlafen…
昨夜は早目にベッドに入ったけど列車で寝るのは久々だったし、転落防止用の柵も無いのに上段で寝なければならない緊張感もあって寝付けなかった。 -
出発前の長谷川後輩の高松でも、従弟の大学生茂の下宿に泊めてもらった大阪でも飲み過ぎたか寝られなかったし、前夜泊の新潟でも遅くまで手紙を書いたり電話したりで十分眠られなかったし睡眠不足気味。朝食後はさっそく仮眠。
昼食からはツアーの方々と同じメニューにしてもらった。福本さんがコニャックを飲もうと言うので値段が少々張ったけど、それでも4Rは¥80。昼からはツアー参加者の前田さんという女性とずっと話す。 -
夕食の時もコニャックを飲んだので、食後再び仮眠。目が覚めてからは日の暮れる23時過ぎまでは、延々と湿地帯の中を走る。じゅうたんを敷き詰めたような景色は一種異様な光景だ。
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6月21日 シベリアのパリ、イルクーツク Иркутск
15時半。隣でにわかロシア語講座が始まった。右側にはバイカル湖が見えている。約3時間湖畔を走るのだそうだ。シベリア鉄道はフランスの援助で1891年に建設が始まったが、このバイカル迂回ルートの建設に時間が掛かり、完成が1905年にズレ込んだ。この遅れがロシアが日露戦争に敗れる一因になったとも言われている。明日はそのバイカルツアーに便乗参加する。午前中は晴れ間も見えたけど、午後は雲の多い天気で心配だ。 -
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午前中は‘安全地帯’と古いフォークソングのテープを新潟で買ったウォークマンでエレナと聴く。好きな斉藤由貴のテープを買わなかったのが悔やまれる。途中のモンゴルとの合流点ウランウデで葉書を書いて日本に送る。
(写真は停車中に撮影したウランウデの駅前)
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2時間近い遅れで走っていた列車だったが、イルクーツク到着は定刻の19時半。その気になれば速いものだ。ツアー出迎えの車に便乗すればホテルまでの足代が浮くとの目論見に反して迎えが来ていた(でも結局請求されなかった)ので、小生と福本姉は別の車でイルクーツク・インツーリストホテルへ。食事は列車内で済ませたので、2日間浴びてなかったシャワーへ直行。石鹸もバスタブもないのはともかく、湯が出ない! 気合を入れてシャワーを浴びたけど、到着時に13℃だったイルクーツクの水はさすがに冷たかった。
福本・前田の3人組で町中へ出てみたけど、町中のレストランが一杯だったので、アンガラ河畔で合流したエレナも含め4人でホテルの外貨バー‘カリンカ’へ。ビール2本とジュースが2つ、ウォッカで\1,620だから手頃な値段。ちょうどカーレースを行っているらしく、レーサーらしき人も大勢居た。 -
6月22日 神秘の湖、バイカル Байкал
ツアーの皆さんと郊外のバイカル湖観光に出掛ける。嬉しいことに天気も良くなった。リストビアンカ村の船着き場から水中翼船に乗り、1時間ほど湖内を遊覧。バイカルは正に神秘の湖そのもの。心が洗われる思いだ。バイカル湖 滝・河川・湖
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牛がのんびり歩いていて村の風景も実にのどか。ちょうど大安吉日に当たる日だったのか、新婚カップルを2組も見掛けた。
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(バイカル湖にアンガラ川が流れ込む正にその場所)
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午前中の市内観光の際には、下車する度に物売りや両替目当てのお兄さんが近寄ってくる。彼らが何故外貨を欲しがるかというと、ソ連にはベリョースカ(Берёзка 白樺)という外貨ショップがあり、彼らが‘紙切れ’と言っているルーブルでは購入不可能な外国製品が買えるからだ。昨夜アンガラ河畔を歩いていた時に小学生の男の子にルーブル札を見せられたのには幻滅した。
(45が見えるので、きっと戦没者慰霊碑) -
このような不正両替を防止するためソヴィエト当局は躍起になっており、銀行で両替をする際には入国時に手持外貨の申告をして係官の判子をもらった書類を呈示し、出国時に余ったルーブルを外貨に再両替する際にはこの書類を見せなければならない。簡単に言えば、ソ連国内で1回も合法両替をしていないのに国境で再両替を求めることになれば、その人は非合法両替をしたとしか考えられない。そうなればかなりお灸をすえられるのだそうだ。列車内で使うルーブル何て知れているので、依然として\7,000分近いRを持ち合わせている小生だが、入国してから長期間にわたって合法両替をしていないと怪しまれるとのアドバイスを受け、イルクーツクで\1,000分だけ両替。手持ちのルーブルは300R以上。エレナ Elenaの月給は 140Rだそうだから、2ケ月分以上だ。
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イルクーツク出発は30分少々遅れて20時半過ぎ。待ち時間があったので駅前でソフトクリームを買った。値段は60カペイカ(100カペイカ=1R 約¥12)。
前田さんと絶妙の師弟コンビを発揮していた元教員の上野さんだが、ご高齢で動作が鈍い上、一度言い出したら森本さんの言うことさえ聞かない頑固な性格。持ち込みの日本酒が当たったかお腹を下してしまったのはともかく、夜はイビキが相当大きいらしく、同室だった太田さん夫妻から強いクレームが出されてイルクーツクからは小生が同室(しかも2人部屋)になるハメとなる。バイカル湖へも船代の\800のみ(円払い!)で行けたから、文句も言えないか…。
イルクーツクのインツーリストホテルについて少し。設備が古いのか昨日は戸が閉まったのにエレベーターが動かない。同乗の人がジャンプしたら動き出した。夕食まで少し時間があったので、地下のバーでルーブル対策でロシアン・ビールを飲んでみた。アルコール分は12%だが味が薄く、水を飲んでいるような感じで飲めた代物ではない。夕食はルーブル払い可で4R弱と安いのは嬉しかったが、ハンバーグとサバの缶詰のようなもの。百歩譲ってハンバーグはともかく、高級ホテルの夕食が日本の缶詰まがいの料理とは余りにも侘しい。 -
6月23日 鉄道の旅、再び始まる
モスクワに向け出発した昨夜だが、車掌(ルームメイド、ターニャの兄)が胃潰瘍でダウンして、看護婦北山さん(金を溜めては海外旅行に行っているそうだ)の出番となった。彼女と連れの中田さんは年齢は近いのだろうが、正体不明であまり話していなかったけど、病人が出た途端に顔付きが変わったのは職業柄? 山田さん服用の睡眠薬を飲ませた結果、バケツ1杯分戻したという一昨日の夜とは打って変わって、今日は元気で仕事をしていた。このため2人部屋には森本・エレナの添乗員コンビが寝ることになったが、病人の隣だったし、車両の繋ぎ目だったのでよく寝られなかったそうだ。イビキはさほど気にならなかったが、深夜ロシア人が乗り込んだりしてきて目が覚めた。
*一番左がターニャ
列車は1日違いで大違い。冷房は効いているし、転落防止用のバンドもある。食事も朝からハムステーキやマッシュドポテトが出てゴージャス。食堂車のおじさんの愛想もいい。後日談として聞いたところによると、イルクーツクまでのハゲたおじさんは‘土産にキャビアを買ってくれ’(勿論小遣いの外貨稼ぎ)と言って大変だったそうだ。 -
日中は子供とウォークマンを聞いたり、上野さん問題で6者会談を開いたり。‘コンドーム’と耳元で囁くオカマみたいなロシア人もやって来た。後でエレナからみだりに他人をコンパートメントに入れないよう注意を受けた。
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6月24日 ウラル超え、欧州突入 Europa!
クラスノヤルスク(ゴルバチョフ演説でも有名)、ノヴォシビルスク(新シベリア オビ河畔)、チュメニ(油田)と昨昼から知っている名前の町を次々と通過し、先程有名なオベリスクを通過。遂にヨーロッパ突入だ。これからのウラル越えはかなり揺れるらしい。ノヴォシビルスクに停車して目が覚めた際には、オデッサへ行くというニコライとアレクサンドルが乗車していて、隣のコンパートメントのイーゴルと3人で話をしていた。‘ウォッカを飲め’と勧められたけど、アルコール分40度はさすがにきつい。
ロシア人はしきりに物を欲しがる。3人がタバコを欲しがるくらいは可愛いもので新潟でイザという時のワイロ用に購入していたマールボロ(ソ連は金本位制ならぬマールボロ本位制という人もいる位に絶大な力を持つ)を上げたが、ルームメイドのターニャがテープを、そしてアレクサンドルがウォークマンを、とエスカレートすると到底要望には応えられない。そういえばターニャは自分の兄の病気を治してもらったにも拘らず、お礼をするどころか女性2人組にタバコを要求したそうだ。これも価値観の違いか?
動き回らない割に食欲は旺盛。夕食はゴールプツィ(Голубцы)。怠け者のロールキャベツの意味だそうで、ハンバーグの中に米が入っている料理は仲々美味 -
6月25日 Москва到着 とにかく長かった
只今9:36。何回かに分けて時計を直したけど、やっとモスクワ時間。夕方にはソヴィエト社会主義共和国連邦(USSR CCCP 1923年成立)の首都に到着だ。ドイツ語が第一外国語のエレナにからかわれようが、カセットの欲しいターニャに遊ばれようが、北山・中田コンビに‘ボク’だの‘バブルス君’(マイケル・ジャクソンのペットの猿)だの言われようがあと少しの辛抱だ。
昨夜は上野さんとニコライのイビキ攻撃で仲々寝られず、おまけに午前4時からの上野さんの身支度で目が覚めた。疲れもあるのか体が若干重たい。明日ベルリンに向かう福本姉は‘今日も出掛けよう!’と張り切っているが、おとなしくしていた方が良いかもしれない。これまで2カ所とも同じホテルだったツアー8人組、福本、小生の3組だが、モスクワでは3カ所に分泊。
ヤロスラブリ駅到着は2時間以上遅れた18時半。極東方面の玄関口としては、吹きっさらしのお粗末な駅。トランスファー(送迎)を頼んでなかった2人だが、森本さんが運転手に頼んで寄ってもらった。勿論お礼のマールボロが必要。 -
新潟~ハバロフスクのチケット
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