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西登山口バス停から乗ったバスは、山道をどんどんと登り、30分足らずで雲仙の温泉街へと入った。<br />降りたのは、雲仙お山の情報館というバス停。<br />この日の宿は、そのバス停の斜向かいにあるのだ。<br />雲仙温泉を訪れるのは、およそ8年ぶり。<br />とりあえず宿泊の手続きを済ませ、雲仙地獄を散策後、前に訪れることが出来なかった仁田峠に行ってみることにした。<br /><br />※2021.02.19 再公開(表紙写真の変更、写真の追加、文章の書き直し)

夜行列車で島原半島へ【2】~湯煙舞う雲仙温泉~

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2008/02/08 - 2008/02/08

5位(同エリア441件中)

旅行記グループ 【肥前国】

12

50

旅猫

旅猫さん

西登山口バス停から乗ったバスは、山道をどんどんと登り、30分足らずで雲仙の温泉街へと入った。
降りたのは、雲仙お山の情報館というバス停。
この日の宿は、そのバス停の斜向かいにあるのだ。
雲仙温泉を訪れるのは、およそ8年ぶり。
とりあえず宿泊の手続きを済ませ、雲仙地獄を散策後、前に訪れることが出来なかった仁田峠に行ってみることにした。

※2021.02.19 再公開(表紙写真の変更、写真の追加、文章の書き直し)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 今宵の宿は、バス停からすぐの『九州ホテル』。<br />大正6年(1917)創業の老舗のホテルで、温泉街のほぼ真ん中に位置している。<br />今回は、6300円の素泊まりコースでの宿泊だ。

    今宵の宿は、バス停からすぐの『九州ホテル』。
    大正6年(1917)創業の老舗のホテルで、温泉街のほぼ真ん中に位置している。
    今回は、6300円の素泊まりコースでの宿泊だ。

    Mt.Resort 雲仙九州ホテル 宿・ホテル

  • とりあえず、宿泊の手続きだけを済ませることにする。<br />早く着き過ぎたのでロビーで待っていると、しばらくして、お絞りと梅茶が出てきた。<br />

    とりあえず、宿泊の手続きだけを済ませることにする。
    早く着き過ぎたのでロビーで待っていると、しばらくして、お絞りと梅茶が出てきた。

  • 部屋に荷物を置き、まずは雲仙地獄を散策。<br />温泉街のすぐ脇が地獄地帯となっているため、湯煙が凄い。<br />

    部屋に荷物を置き、まずは雲仙地獄を散策。
    温泉街のすぐ脇が地獄地帯となっているため、湯煙が凄い。

  • まず目に入って来るのが、宿のすぐ横にある『清七地獄』。<br />隠れキリシタンであった清七と言うものが処刑された日に噴出したと言う地獄で、ここで処刑されたと言う説もあるそうだ。

    まず目に入って来るのが、宿のすぐ横にある『清七地獄』。
    隠れキリシタンであった清七と言うものが処刑された日に噴出したと言う地獄で、ここで処刑されたと言う説もあるそうだ。

    雲仙地獄 自然・景勝地

  • 続いて現れるのが『八万地獄』。<br />雲仙地獄で最も広い地獄だそうだ。<br />地獄道では、最も苦しいとされる地獄らしい。<br />だが、硫黄臭好き、温泉好きには、ここはまさに極楽である。

    続いて現れるのが『八万地獄』。
    雲仙地獄で最も広い地獄だそうだ。
    地獄道では、最も苦しいとされる地獄らしい。
    だが、硫黄臭好き、温泉好きには、ここはまさに極楽である。

  • 不倫をした挙句、夫を殺害した罪で処刑された女性の名が付いた『小糸地獄』を通り、さらに奥にある東屋へと進む。<br />東屋の背後の小高いところに見える噴気は、『大叫喚地獄』。<br />雲仙地獄で最も激しい噴気が見られるところだ。

    不倫をした挙句、夫を殺害した罪で処刑された女性の名が付いた『小糸地獄』を通り、さらに奥にある東屋へと進む。
    東屋の背後の小高いところに見える噴気は、『大叫喚地獄』。
    雲仙地獄で最も激しい噴気が見られるところだ。

  • 東屋のところから景色を眺める。<br />歩いてきた遊歩道の先には、『小糸地獄』の湯煙が望めた。

    東屋のところから景色を眺める。
    歩いてきた遊歩道の先には、『小糸地獄』の湯煙が望めた。

  • 東屋を降り、いよいよ大叫喚地獄の近くを通る。<br />そこは、100度近い温泉が湧き出ているらしい。<br />蒸気が至るところから立ち昇り、素晴らしい景観が広がっている。<br />各地で地獄と呼ばれる場所を観てきたが、ここも気に入った。

    東屋を降り、いよいよ大叫喚地獄の近くを通る。
    そこは、100度近い温泉が湧き出ているらしい。
    蒸気が至るところから立ち昇り、素晴らしい景観が広がっている。
    各地で地獄と呼ばれる場所を観てきたが、ここも気に入った。

  • 歩いていると、案内板に『泥火山』の文字を見つけた。<br />行ってみると、拍子抜けするくらいの可愛いものだった。<br />八幡平周辺と比べたら、これは泥火山とは言えない。

    歩いていると、案内板に『泥火山』の文字を見つけた。
    行ってみると、拍子抜けするくらいの可愛いものだった。
    八幡平周辺と比べたら、これは泥火山とは言えない。

  • 九州ホテルの隣に建つ『雲仙宮崎旅館』の敷地内にも湧出口があり、散策路から入れるので、誰でも見ることが出来た。<br />近付いてみると、泥湯のようだ。<br />至るところから熱泥が湧き、大地の息吹を感じられた。

    九州ホテルの隣に建つ『雲仙宮崎旅館』の敷地内にも湧出口があり、散策路から入れるので、誰でも見ることが出来た。
    近付いてみると、泥湯のようだ。
    至るところから熱泥が湧き、大地の息吹を感じられた。

  • 地獄巡りを終え、雲仙お山の情報館へと向かう。<br />仁田峠行の乗合タクシーが、この前から出るのだ。

    地獄巡りを終え、雲仙お山の情報館へと向かう。
    仁田峠行の乗合タクシーが、この前から出るのだ。

    雲仙お山の情報館 美術館・博物館

  • しばらく待つと、仁田峠行乗合タクシーがやってきた。<br />乗り合わせたのは、私も含めて6人だった。<br />往復840円で、片道20分。<br />仁田峠で1時間の自由時間があり、1日3便運行されている。<br />公共交通機関だけで旅をする者にとっては、とてもありがたい。

    しばらく待つと、仁田峠行乗合タクシーがやってきた。
    乗り合わせたのは、私も含めて6人だった。
    往復840円で、片道20分。
    仁田峠で1時間の自由時間があり、1日3便運行されている。
    公共交通機関だけで旅をする者にとっては、とてもありがたい。

  • 乗合タクシーは、どんどんと高度を上げ、仁田峠に到着。<br />駐車場から見えたのは、標高1333mの妙見岳だ。

    乗合タクシーは、どんどんと高度を上げ、仁田峠に到着。
    駐車場から見えたのは、標高1333mの妙見岳だ。

    雲仙 仁田峠 自然・景勝地

  • 駐車場からロープウェイ乗り場へ行く途中で、うずくまっている黒猫に出会ったが、視線を送っても、まったく振り返ってくれなかった。

    駐車場からロープウェイ乗り場へ行く途中で、うずくまっている黒猫に出会ったが、視線を送っても、まったく振り返ってくれなかった。

  • 駐車場から少し登ったところにあるロープウェイ乗り場に到着。<br />奥には、平成2年、200年ぶりに噴火した雲仙普賢岳によって誕生した平成新山(1483m)が見えた。<br />山肌には、火砕流の爪痕が残っていた。

    駐車場から少し登ったところにあるロープウェイ乗り場に到着。
    奥には、平成2年、200年ぶりに噴火した雲仙普賢岳によって誕生した平成新山(1483m)が見えた。
    山肌には、火砕流の爪痕が残っていた。

  • ロープウェイは、冬だというのに思ったよりも混んでいた。<br />山頂駅までは、約3分の空中散歩だ。

    ロープウェイは、冬だというのに思ったよりも混んでいた。
    山頂駅までは、約3分の空中散歩だ。

    雲仙ロープウェイ 乗り物

  • ロープウェイからは、平成新山が右手に見えた。<br />溶岩ドームが崩落した跡がよく分かる。

    ロープウェイからは、平成新山が右手に見えた。
    溶岩ドームが崩落した跡がよく分かる。

    平成新山 自然・景勝地

  • 山頂駅に着くと、かなり寒い。<br />とりあえず、駅の展望台から景色を眺めてみる。<br />駅舎の屋根には雪と氷柱が付いている。<br />温度計を見ると、氷点下だった。

    山頂駅に着くと、かなり寒い。
    とりあえず、駅の展望台から景色を眺めてみる。
    駅舎の屋根には雪と氷柱が付いている。
    温度計を見ると、氷点下だった。

  • 山頂駅から展望台へと向かう。<br />急な階段と山道な上、積もっている雪が凍っているため、滑ってかなり怖かったが、やっとの思いで辿り着いた展望台からは、絶景が望めた。<br />手前には普賢岳が見え、その奥には平成新山が白い頂を見せていた。

    山頂駅から展望台へと向かう。
    急な階段と山道な上、積もっている雪が凍っているため、滑ってかなり怖かったが、やっとの思いで辿り着いた展望台からは、絶景が望めた。
    手前には普賢岳が見え、その奥には平成新山が白い頂を見せていた。

    妙見岳展望所 名所・史跡

  • その平成新山の肩越しには、被災した地域が見えている。<br />展望所から見て右下奥のほうへと、火砕流と土石流が流れ落ちて行った。<br />多くの犠牲と被害が出たのは記憶に新しい。

    その平成新山の肩越しには、被災した地域が見えている。
    展望所から見て右下奥のほうへと、火砕流と土石流が流れ落ちて行った。
    多くの犠牲と被害が出たのは記憶に新しい。

  • 普賢岳に向かって、左へ90度顔を向けると、正面に見えるのが妙見岳。<br />その右肩越しには国見岳が見えた。<br />普賢岳、妙見岳、国見岳は、雲仙三峰と呼ばれている。<br />展望所から、妙見岳山頂を目指すことにした。

    普賢岳に向かって、左へ90度顔を向けると、正面に見えるのが妙見岳。
    その右肩越しには国見岳が見えた。
    普賢岳、妙見岳、国見岳は、雲仙三峰と呼ばれている。
    展望所から、妙見岳山頂を目指すことにした。

  • 妙見岳へは、雪の残る登山道を登って行く。<br />急な登りだったが、真っ青な空が気持ちいいので苦にならない。

    妙見岳へは、雪の残る登山道を登って行く。
    急な登りだったが、真っ青な空が気持ちいいので苦にならない。

  • 山頂直下まで来ると、朽ちかけた渋い鳥居があった。<br />今にも倒れそうだが、なかなか風情がある。

    山頂直下まで来ると、朽ちかけた渋い鳥居があった。
    今にも倒れそうだが、なかなか風情がある。

  • その奥に、妙見神社の小さな社があったので参拝した。

    その奥に、妙見神社の小さな社があったので参拝した。

  • 雪に埋まった登山道の笹を掻き分け、なんとか辿り着いた妙見岳山頂。<br />そこから見ると、普賢岳(1359m)と平成新山(1483m)の標高差がよく分かる。<br />平成新山は、現在、長崎県の最高峰だそうだ。<br />天気が良く、しばらく山頂からの眺めを堪能した。<br />再びロープウェイに乗り山麓駅へ降りると、タクシーに乗り合わせた他の人たちは、すでに車の中だった。

    雪に埋まった登山道の笹を掻き分け、なんとか辿り着いた妙見岳山頂。
    そこから見ると、普賢岳(1359m)と平成新山(1483m)の標高差がよく分かる。
    平成新山は、現在、長崎県の最高峰だそうだ。
    天気が良く、しばらく山頂からの眺めを堪能した。
    再びロープウェイに乗り山麓駅へ降りると、タクシーに乗り合わせた他の人たちは、すでに車の中だった。

  • 15時20分の便で温泉街へと戻る。<br />島鉄バスの営業所前で途中下車し、営業所の向かい側に建っていた温泉神社に立ち寄ることにした。

    15時20分の便で温泉街へと戻る。
    島鉄バスの営業所前で途中下車し、営業所の向かい側に建っていた温泉神社に立ち寄ることにした。

    温泉神社 寺・神社・教会

  • 温泉神社に参拝した後、温泉街を散策する。<br />そこには、珍しい指湯もある。<br />前に来た時には、そこで指を浸したことを思い出した。

    温泉神社に参拝した後、温泉街を散策する。
    そこには、珍しい指湯もある。
    前に来た時には、そこで指を浸したことを思い出した。

  • どこかで食事でもしようと、地図にあった『雲仙旅の麦酒館』へ行ってみたが、レストランは休業中で売店だけしかやっていなかった。<br /><br />※現在、閉館となっています。

    どこかで食事でもしようと、地図にあった『雲仙旅の麦酒館』へ行ってみたが、レストランは休業中で売店だけしかやっていなかった。

    ※現在、閉館となっています。

  • 仕方が無いので、他を探すことにする。<br />すると、指湯の近くで小さな食事処を見つけたので入ることにした。<br />と言うか、外の料理の見本を眺めていたら、中からお婆ちゃんが顔を出し、「どうぞ」と微笑まれてしまったので、立ち去ることが出来なかったのだ。

    仕方が無いので、他を探すことにする。
    すると、指湯の近くで小さな食事処を見つけたので入ることにした。
    と言うか、外の料理の見本を眺めていたら、中からお婆ちゃんが顔を出し、「どうぞ」と微笑まれてしまったので、立ち去ることが出来なかったのだ。

    朝日食堂 グルメ・レストラン

  • ラーメンと餃子、麦酒の三種の神器を注文。<br />ラーメンは細めの麺で、九州と言うこともありとんこつ味だった。<br />個人的に、少し苦手な味だった。<br />それでも、餃子が美味しかったので助かった。

    ラーメンと餃子、麦酒の三種の神器を注文。
    ラーメンは細めの麺で、九州と言うこともありとんこつ味だった。
    個人的に、少し苦手な味だった。
    それでも、餃子が美味しかったので助かった。

  • お腹も満たされたので、再び散策を再開する。<br />温泉街には、少し風情を感じる街並みが残る場所もあった。

    お腹も満たされたので、再び散策を再開する。
    温泉街には、少し風情を感じる街並みが残る場所もあった。

  • しばらく歩くと、温泉街の外れにある原生沼に辿り着いた。<br />冬枯れで殺風景な所だったが、初夏にはカキツバタが咲くそうだ。

    しばらく歩くと、温泉街の外れにある原生沼に辿り着いた。
    冬枯れで殺風景な所だったが、初夏にはカキツバタが咲くそうだ。

    原生沼 自然・景勝地

  • 原生沼からは裏道伝いに歩いて行く。<br />その途中にあった展望台からは、開けた風景が望めた。<br />眼下に見えたのは、旧八万地獄。<br />その向こう見えたのが温泉街だ。

    原生沼からは裏道伝いに歩いて行く。
    その途中にあった展望台からは、開けた風景が望めた。
    眼下に見えたのは、旧八万地獄。
    その向こう見えたのが温泉街だ。

  • 旧八幡地獄の一角には。大きな岩があった。<br />その岩の真下からは、温泉が湧き出していた。<br />岩の上には、少彦名神が祀られた小さな祠も置かれている。<br />神話では、大国主神とともに国造りをしたとされる神で、全国を巡って日本の国土を整えたと云われている。<br />そんな全国行脚の途中で、いくつもの温泉を発見したことから、温泉の神ともされている。

    旧八幡地獄の一角には。大きな岩があった。
    その岩の真下からは、温泉が湧き出していた。
    岩の上には、少彦名神が祀られた小さな祠も置かれている。
    神話では、大国主神とともに国造りをしたとされる神で、全国を巡って日本の国土を整えたと云われている。
    そんな全国行脚の途中で、いくつもの温泉を発見したことから、温泉の神ともされている。

  • 温泉街へと戻ると、歩道の板の隙間から湯気が立ち昇っている。<br />道の下からも温泉が湧いている証拠だ。<br />時には、視界がほとんど利かないほどの湯煙が立ち込めることもある。<br />夜になると、一面真っ白になり幻想的な光景に出会える。

    温泉街へと戻ると、歩道の板の隙間から湯気が立ち昇っている。
    道の下からも温泉が湧いている証拠だ。
    時には、視界がほとんど利かないほどの湯煙が立ち込めることもある。
    夜になると、一面真っ白になり幻想的な光景に出会える。

  • さらに歩いていると、かなり渋い共同湯があった。<br />入ってみたかったが、どうも地元専用のようだった。

    さらに歩いていると、かなり渋い共同湯があった。
    入ってみたかったが、どうも地元専用のようだった。

  • その近くで、地元のおじいさんに声をかけられた。<br />温泉に入りに行く途中で、しばらく道連れに。<br />そのおじいさんに教えられてのが、町外れのおしどりの池。<br />ここに沈む夕日が綺麗とのことだが、周りに人家も街灯も無かった。<br />日が落ちたら怖そうだったので、少し滞在しただけで引き返した。

    その近くで、地元のおじいさんに声をかけられた。
    温泉に入りに行く途中で、しばらく道連れに。
    そのおじいさんに教えられてのが、町外れのおしどりの池。
    ここに沈む夕日が綺麗とのことだが、周りに人家も街灯も無かった。
    日が落ちたら怖そうだったので、少し滞在しただけで引き返した。

    おしどりの池 自然・景勝地

  • 先ほど出会ったおじいさんが入った共同湯『里の湯温泉』で一風呂浴びようと入ってみると、なかなか風情のある共同湯だった。<br />しかも、入浴料は100円と格安だった。

    先ほど出会ったおじいさんが入った共同湯『里の湯温泉』で一風呂浴びようと入ってみると、なかなか風情のある共同湯だった。
    しかも、入浴料は100円と格安だった。

  • 脱衣室は、思ったよりも小奇麗だ。<br />湯船には、微かに濁った良質な湯が掛け流されている。<br />観光客の来ない静かな共同湯で、とても気に入った。

    脱衣室は、思ったよりも小奇麗だ。
    湯船には、微かに濁った良質な湯が掛け流されている。
    観光客の来ない静かな共同湯で、とても気に入った。

  • 良質な温泉を堪能した後、裏道を辿りながら宿へと戻る。<br />表通りと違い、細い道が家々の間を縫っていた。

    良質な温泉を堪能した後、裏道を辿りながら宿へと戻る。
    表通りと違い、細い道が家々の間を縫っていた。

  • 宿へ戻り、部屋へと案内される。<br />温泉宿では、やはり和室で寛ぎたいところだが、今回は格安だったため、部屋は味気の無い洋室だった。

    宿へ戻り、部屋へと案内される。
    温泉宿では、やはり和室で寛ぎたいところだが、今回は格安だったため、部屋は味気の無い洋室だった。

  • 部屋で少し休んだ後、宿の温泉をいただくことにする。<br />大浴場の内湯は思ったよりも狭く、少しがっかり。

    部屋で少し休んだ後、宿の温泉をいただくことにする。
    大浴場の内湯は思ったよりも狭く、少しがっかり。

  • 内湯から続く露天風呂はそこそこ広く、湯も濁り湯だった。<br />目の前が地獄地帯なのだが、塀が高く見えない。

    内湯から続く露天風呂はそこそこ広く、湯も濁り湯だった。
    目の前が地獄地帯なのだが、塀が高く見えない。

  • ところが、露天風呂の一角に展望台があり、湯船から出て観に行った。<br />そこからは、照らし出された清七地獄が見えた。<br />宿には、もう一箇所、展望檜風呂なる大浴場があったが、入ってみると展望は無かった。

    ところが、露天風呂の一角に展望台があり、湯船から出て観に行った。
    そこからは、照らし出された清七地獄が見えた。
    宿には、もう一箇所、展望檜風呂なる大浴場があったが、入ってみると展望は無かった。

  • 入浴後、夕食を求めて夜の温泉街へと出た。<br />地獄地帯を横切る温泉街の道は、湯煙で煙幕に包まれたようだった。

    入浴後、夕食を求めて夜の温泉街へと出た。
    地獄地帯を横切る温泉街の道は、湯煙で煙幕に包まれたようだった。

  • この日、温泉街では電飾がいたるところで観られた。<br />『雲仙灯りの花ぼうろ&#39;08』という催しだった。<br />『花ぼうろ』とは、雲仙地方で見られる霧氷のことだそうだ。<br />昼間訪れた仁田峠付近でも見られるらしい。<br />観光協会前でも、青色の電球で樹々が飾られていた。

    この日、温泉街では電飾がいたるところで観られた。
    『雲仙灯りの花ぼうろ'08』という催しだった。
    『花ぼうろ』とは、雲仙地方で見られる霧氷のことだそうだ。
    昼間訪れた仁田峠付近でも見られるらしい。
    観光協会前でも、青色の電球で樹々が飾られていた。

  • 観光協会の斜向かいには、『雲仙観光ホテル』が建っている。<br />前に訪れた時は、そこに泊まったのだが、瀟洒な洋風ホテルで、当時は足付きバスタブなどがあり印象的だった。<br />今は改装され、かなり変わってしまったらしい。<br />バーでカクテルを飲んだのが懐かしい。

    観光協会の斜向かいには、『雲仙観光ホテル』が建っている。
    前に訪れた時は、そこに泊まったのだが、瀟洒な洋風ホテルで、当時は足付きバスタブなどがあり印象的だった。
    今は改装され、かなり変わってしまったらしい。
    バーでカクテルを飲んだのが懐かしい。

    雲仙観光ホテル 宿・ホテル

  • その雲仙観光ホテルのすぐ近くで食事処を見つけた。<br />旅館に併設されているのだが、外からでも入れるようになっていた。<br />品書きにあった、『溶岩焼き』という文字に惹かれて溶岩焼きハンバーグを注文した、これが熱々でとても美味しかった。<br /><br />※当時の店名は『民芸茶屋 力』でした。<br /> 品書き等が変わっている可能性があります。

    その雲仙観光ホテルのすぐ近くで食事処を見つけた。
    旅館に併設されているのだが、外からでも入れるようになっていた。
    品書きにあった、『溶岩焼き』という文字に惹かれて溶岩焼きハンバーグを注文した、これが熱々でとても美味しかった。

    ※当時の店名は『民芸茶屋 力』でした。
     品書き等が変わっている可能性があります。

    山カフェ 力 グルメ・レストラン

  • お腹がいっぱいになったので、夜の温泉街を歩きながら宿へと戻る。<br />昼間に訪れた旧八幡地獄へ立ち寄ると、雪の結晶に見立てた電飾が、散策路を浮かび上がらせていた。

    お腹がいっぱいになったので、夜の温泉街を歩きながら宿へと戻る。
    昼間に訪れた旧八幡地獄へ立ち寄ると、雪の結晶に見立てた電飾が、散策路を浮かび上がらせていた。

  • 夜の温泉街は人通りもなく寂しい。<br />早目に寝ようと思ったのだが、宴会場のカラオケが煩すぎて眠れない。<br />23時半になっても続いていたので、受付に連絡してようやく静かになったが、他の宿泊客や時間を考えて楽しんでほしいものである。<br />明日は、いよいよ初めての南島原へと向かう。

    夜の温泉街は人通りもなく寂しい。
    早目に寝ようと思ったのだが、宴会場のカラオケが煩すぎて眠れない。
    23時半になっても続いていたので、受付に連絡してようやく静かになったが、他の宿泊客や時間を考えて楽しんでほしいものである。
    明日は、いよいよ初めての南島原へと向かう。

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この旅行記へのコメント (12)

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  • salsaladyさん 2021/02/19 08:30:05
    小糸地獄ー大叫喚地獄ー世紀末?
    ☆2008年以来そのま魔の姿ならば、地球もそろそろ終末期~

    ☆地震列島日本だから、火山と温泉はつきものですが。。。別府は寂れ模様~

    ☆九州から北海道まで温泉が湧くと言うことは、地震も又来るって証拠ですね。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/02/19 09:06:23
    RE: 小糸地獄ー大叫喚地獄ー世紀末?
    salsaladyさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    この後は訪れていませんが、今でもこのままの姿の様です。
    日本は、各地に火山や地獄地帯があり、温泉も豊富です。
    4つものプレートの境にあるので、地震が多いのもわかりますね。
    なんだか、最近、また活動期になってきているような気がします。
    怖いですね。

    旅猫
  • わきさん 2017/03/12 11:11:05
    キリシタン年表等
    続きです。
    旅行記、大変興味深く拝見致しました。

    雲仙地獄や、仁田峠
    平成新山、普賢岳など、
    思い出すことだらけで、何からコメントしようかと
    迷いますが、
    忘れもしない平成2年の普賢岳噴火で、実家(父が当時健在)は、
    土石流の餌食となり跡形もなくなってしまいました。
    平成13年に、換地処分で当方が手続きしました。

    仁田峠、正に旅猫さんの乗合バスに、3年前乗ったと思います。
    その時は、霧が深くて何も見えずカミさんと帰りに雲仙の温泉
    に浸かったことが蘇りました。

    当方の思い入れで、申し訳もありませんが、
    キリシタンのことも記載されていますので、
    当方なりのキリシタン関連年表を作成させて頂きました、
    お読み頂ければ幸いです。

    つい最近、映画、遠藤周作原作「沈黙」など鑑賞する機会があり、
    また、当方も当時のキリシタン迫害などにも、興味があり、

    天正遣欧使節など、長崎県人のことなどを、詳しく知りたいと思い、
    自分で色々と調べた結果です。

    以下は、その時系列での主な関連出来事など

    1 1494年 スペイン・ポルトガル トルデシーリャス条約締結(2国間の地球の海洋分割条約)
    2 1506年 フランシスコ・ザヴィエル生誕
    3 1529年 スペイン・ポルトガル サラゴサ条約締結(2国間の地球の海洋分割条約補足条約)
    4 1530年 大友宗麟生誕
    5 1533年 大村純忠生誕(純忠は千々石ミゲルの伯父、千々石ミゲルは有馬晴信、大村喜前といとこ同士)
    6 1534年 織田信長生誕  この年イグナテウス・ロヨラ43歳時 6名の仲間と共にイエズス会結成
    7 1537年 豊臣秀吉生誕
    8 1541年 ザヴィエル 35歳時東方布教に向けてリスボンを離れる 
    9 1542年 徳川家康生誕
    10 1549年 ザヴィエル43歳時 鹿児島到着キリスト教日本に伝来
    11 1551年 ザヴィエル45歳時 豊後で、大友宗麟21歳と出会う
    12 1552年 ザヴィエル46歳で、広東の上川島で、死去
    13 1556年 ロヨラ 65歳でローマにて死去
    14 1560年 桶狭間で、信長 今川を破る。
    15 1562年 大村純忠 29歳時 横瀬浦開港 教会建設
    16 1563年 大村純忠 30歳時 トーレスから受洗礼 キリスト教徒となる。この年、ルイス・フロイス来日する。
    17 1564年 山右近受洗礼
    18 1567年 有馬晴信生誕
    19 1568年 中浦ジュリアン 伊東マンショ 生誕 この年信長 上洛
    20 1569年 千々石ミゲル 原マルチノ生誕
    21 1570年 大村純忠37歳 長崎を開港
    22 1578年 大友宗麟48歳時 受洗礼
    23 1579年 ヴァリニャーノ 初来日口之津到着
    24 1580年 有馬晴信13歳で、ヴァリニャーノより受洗 この年大村純忠47歳時、長崎・茂木をイエズス会に寄進。
    25 1581年 ヴァリニャーノ 信長に謁見
    26 1582年 天正遣欧使節(14歳二人、13歳二人)ヴァリニャーノとともに、長崎からマカオへ。信長、本能寺にて死去
    27 1584年 有馬晴信17歳で浦上を、イエズス会に寄進。 この年、天正遣欧使節スペイン国王フェリペ2世に謁見
    28 1585年 天正遣欧使節(17歳二人・16歳二人、)教皇グレゴリウス13世に謁見
    29 1587年 大村純忠54歳で死去、大友宗麟57歳で死去。秀吉バテレン追放令発布。長崎没収。
    30 1590年 天正遣欧使節(22歳二人、21歳二人)ヴァリニャーノとともに、長崎帰着。
    31 1591年 秀吉、聚楽第にて、天正遣欧使節(23歳二人、22歳二人)ヴァリニャーノを引見。
    32 1592年 ヴァリニャーノ離日。
    33 1596年 スペイン船サン・フェリペ号土佐に漂着
    34 1597年 長崎西坂にて、26人殉教。26人殉教の報告書を書き終えたフロイス、長崎にて死去。
    35 1598年 フランシスコ会ジェズス、再来日して、潜伏。秀吉61歳で、死去。家康56歳時ジェズスを召喚。日スペイン間通商交渉仲介依頼。
    36 1599年 江戸で、フランシスコ会教会堂を建設。
    37 1600年 オランダ船リーフデ号、豊後佐志生に漂着、家康58歳、イギリス人航海士ウイリアム・アダムズを引見。
             この年関ヶ原の戦い。小西行長処刑。フランシスコ会ジェズス、家康の要請で、マニラへ。

    38 1601年 ジェズス再来日、家康に謁見、タバコ献上して、日本にタバコ伝来。
       この年、伊東マンショ・中浦ジュリアン33歳、マカオへ留学。千々石ミゲル32歳、この年カトリック脱会、
       従兄弟の大村喜前の家来となる。
    39 1602年 スペイン船エスピリト・サント号土佐に漂着 オランダ東インド会社設立
    40 1603年 加藤清正、熊本でキリシタン迫害し始める。
    41 1604年 家康イエズス会に資金援助。この年伊東マンショ・中浦ジュリアン36歳、マカオより帰国する。
    42 1605年 大村純忠の息子大村喜前は、カトリックから棄教、大村領内から、宣教師を追放。喜前の姉は、戸根に宣教師かくまう。
    43 1606年 マカオにてヴァリニャーノ死去
    44 1608年 伊東マンショ・中浦ジュリアン40歳、原マルチノ39歳長崎で司祭叙階を受ける。薩摩では、キリシタン迫害開始。
    45 1609年 薩摩島津家久、ドミニコ会士追放。有馬晴信、42歳 長崎停泊中のノッサ・グラーサ号を攻撃、撃沈。
       この年、イエズス会フェレイラ来日。
    46 1610年 ソテーロ、江戸で、伊達政宗と会い知遇を得た。
    47 1611年 スペイン副王大使 ビスカイーノ メキシコから来日する。ソテーロを仲介に、家康秀忠に会う。しかし、
       傲慢な態度で、不興をかう。
    48 1612年 岡本大八事件起こる。キリシタン岡本大八火あぶり刑、有馬晴信は、甲斐に流刑され、45歳で、斬首される。
       この年、伊東マンショ44歳、長崎で病死。江戸幕府直轄地江戸・京都・駿府に禁教令発布される。また、
       有馬直純、有馬領内で苛烈なキリシタン迫害を始める。
    49 1613年 秀忠 江戸浅草のフランシスコ会教会を破壊、信徒28人を斬首。ソテーロは、伊達政宗のとりなしで、釈放。
       ドミニコ会佐賀から追放。支倉常長などの慶長遣欧使節、伊達藩月の浦から出発。
    50 1614年 金地院崇伝「伴天連追放文」を起草、全国に禁教令。日本国内の宣教師長崎に集められ、マカオ・マニラへ追放。
       45名くらいの者日本潜伏。有馬直純、日向へ転封。この年、大阪冬の陣起こる。
    51 1615年 中浦ジュリアン47歳 口之津潜伏。大阪夏の陣で、秀頼自害。山右近、追放先マニラで病死。
    52 1616年 家康死去。千々石ミゲル従兄弟大村藩主大村喜前、死去。この年ペドロ・モレホン、メキシコで「日本殉教録」出版。
    53 1617年 支倉常長などの慶長遣欧使節、スペインアンダルシア、セビージャを離れ、帰国の旅へ。
    54 1618年 支倉・ソテーロ マニラまで帰着。
    55 1619年 京都で、52名火刑 長崎でも火刑(京都大殉教・長崎大殉教)
           この年、大村藩主、頼純毒殺か?急死。
    56 1620年 支倉常長などの慶長遣欧使節帰国、支倉1622年失意のうちに死去。
    57 1621年 中浦ジュリアン53歳、口之津からイエズス会宛に封書したためる。
    58 1622年 ローマにて、ザヴィエル・ロヨラ列聖。
    59 1624年 ソテーロ マニラ当局の反対を尻目に日本に再度来る。鹿児島上陸後すぐに捕まる。大村放虎原で、火あぶり刑。
    60 1627年 雲仙島原で、29名殉教、この年1597年に処刑された26殉教者のうち、23名ローマで列福。
    61 1629年 踏み絵開始。原マルチノマカオで、死去、60歳。
    62 1633年 フェレイラ、穴吊りで、カトリック棄教。沢野忠庵となる、キリシタン目付ともなる。
        フェレイラと同じ穴吊りの刑で、隣にいた中浦ジュリアン、殉教。この年千々石ミゲル64歳で、大村にて死去。
    63 1636年 イエズス会、フェレイラを除名。
    64 1637年 フェレイラ棄教の罪を償うために日本に来日したイエズス会宣教師マストトリ長崎で殉教。
       島原・天草蜂起、原城にたてこもる。
    65 1638年 原城陥落する。3万7千人全滅。島原藩主松倉勝家打ち首。
    66 1642年 イエズス会ルビノら、5名日本潜入、7ヶ月もの水責め拷問受ける、翌年全員殉教。
    67 1643年 イエズス会マルケス神父ら5名、ルビノらの音信確認のpため、日本潜入するも、
       全員カトリック棄教。


    先の旅行記1では、千々石展望台にも寄られたとのこと、
    あの辺は、カミさんの知り合いなど多く、ちょっと
    面はゆい気がしないでもありませんでした。

    極めて長いコメントで申し訳ありません。

    わき

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2017/03/15 22:25:50
    RE: キリシタン年表等
    わきさん、続いて読んでいただきありがとうございます。

    普賢岳の噴火で実家が被災されたのですね!
    以前、土石流の跡を観たことがありますが、自然の力の凄さに驚くばかりでした。

    わきさんもあの乗り合いタクシーで仁田峠へ行かれたのですね。
    でも、霧で何も見えませんでしたか。
    この時は、晴れてくれて、素晴らしい景色に出会えました。

    島原半島は、切支丹との繋がりが深い土地ですね。
    詳しい歴史を教えていただき、ありがとうございました。

    旅猫
  • Noririnさん 2008/03/09 15:47:41
    たくさんの地獄が・・・
    またまたお邪魔しています。

    チェックインで出てきた梅茶。
    さりげなく季節感を取り入れているところがニクイですね。
    梅園に行くと必ず梅茶を飲みますが、結構美味しいので大好きです。

    旅猫さん・・・硫黄臭好きだったんですね。驚き!!
    私は温泉大好きですが、修学旅行で硫黄臭にやられ具合が悪くなった苦い思い出があるんです。おかげで集合写真に写らなかった(泣)

    100度近い温泉を見たり氷点下の山頂へ行ったりと、この温度差は!?ってなくらい激しく差がありますね。
    まあ、あれだけの絶景が見れれば氷点下も怖くない!って感じですが。
    「指湯」って初めて知りました。冷え性の私としては足の指先だけでも暖めたいと思ってしまいますが、指湯の存在ってどうなんでしょう??

    旅猫さん=餃子の図式が健在で笑ってしまいました。
    Noririn

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2008/03/09 22:10:14
    RE: たくさんの地獄が・・・
    >チェックインで出てきた梅茶。
    >さりげなく季節感を取り入れているところがニクイですね。
    こんなちょっとした心遣いって、日本らしくて良いですよね。

    >旅猫さん・・・硫黄臭好きだったんですね。驚き!!
    温泉=硫黄臭ってぐらい好きですよ(笑
    Noririnさんは苦手でしたか!
    草津温泉の湯畑なんか行ったら、倒れてしまうのでは?
    北海道の登別なんかも強烈ですよ。

    雲仙温泉はかなり寒かったのですが、
    温泉のおかげで体はぽかぽかでしたよ。
    ちょとだけ、中からも暖めましたが(^^;

    指湯は、微妙ですね(笑
    手がかじかんでいる時は重宝するかも。
    遊び心で作ったのでしょうね。
    思わず指を入れてしまいます(^^)

    >旅猫さん=餃子の図式が健在で笑ってしまいました。
    メニューに餃子を見かけると、つい注文してしまいます。
    そして、必ずセットでビールも。。。
    実は、今日も新宿でやってしまいました(^^;

    旅猫
  • 前日光さん 2008/03/08 17:44:11
    指湯(>_<)
    こんにちは〜

    旅猫さんの旅行記を見ていると、行きたい所が増えて困ります!
    それにしても「指湯」って、初めて聞きました。
    入って?みたい! かわいい!

    雲仙普賢岳
    この近くにあったらしい私設美術館経営者兼美術商の人から、
    北村西望のレリーフを買ったことがあります。
    (宇都宮のデパートの九州物産展に行ったときに。)
    その人は被災されて、美術館もたぶん流出したらしく、
    物産展にも顔を出さなくなりました。

    私も、流出家屋がそのまま残っているあの場所には行ったことが
    あります。

    温泉があって、山があって、風景が美しい所というのは、危険と
    隣り合わせたような部分があるのかもしれませんね。

    強烈そうな硫黄泉、興味津々です。
    カメラが壊れないように注意して(笑)、行ってみたいなぁと
    思いました。
    仁田峠からの眺めと指湯に1票!

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2008/03/08 21:28:38
    RE: 指湯(>_<)
    前日光さん、こんばんは。
    いつもありがとうございます!

    「指湯」、初めて見たときはちょっとびっくりでした。
    今回は、再会を祝して、人差し指で入湯しました(笑

    北村西望、彫刻家の方ですね。
    今回の旅で、初めて知りました。
    南島原市に、記念館がありました。

    温泉があるところには、近くに火山があることが多いですからね。
    美しい風景と言うのは、そんなところにあるのかも。

    >強烈そうな硫黄泉、興味津々です。
    硫黄臭って、かなり好きですよ(笑
    地獄地帯って、大好きです!
    ぜひ、雲仙を訪れてみてください。
    仁田峠は、春のミヤマキリシマが咲くシーズンがきれいそうですよ。

    投票ありがとうございました!
    旅猫
  • はんなりさん 2008/03/06 23:35:27
    雲仙地獄
    旅猫さん こんばんは

    雲仙地獄は十年前の夏に訪ねましたが
    そのとき古い映画「君の名は」(アッ、はんなりも子供のときでしたから
    旅猫さんはご存じないかもしれませんが・・・
    中井貴一さんのお父様佐田啓二さんと岸恵子さんの)のロケ地だったと知り「大叫喚地獄」「小糸地獄」など懐かしく思い出しました。

    普賢岳も複雑な気持ちで眺めましたねぇ。

    相変わらず「旅らしい旅」をされていますね。

    はんなり


    旅猫

    旅猫さん からの返信 2008/03/07 00:19:49
    RE: 雲仙地獄
    はんなりさん、こんばんは!
    書き込みをありがとうございます。

    「君の名は」、タイトルだけは知っています(^^;
    雲仙温泉でロケのあった映画なのですね。
    中井貴一さんは、NHKの大河や映画「壬生義士伝」などの演技で、
    旅猫の好きな俳優の一人です。

    >普賢岳も複雑な気持ちで眺めましたねぇ。
    旅猫も、今回はとても感慨深かったです。
    前に訪れた時は、噴火前でしたので、
    山のあまりの変容に、かなり驚きました。

    >相変わらず「旅らしい旅」をされていますね。
    そういって頂けると、とても嬉しいです。
    ありがとうございます。
    旅猫
  • 義臣さん 2008/03/02 16:44:24
    時間
    此処へ訪れる時間はなくて。
     原城址で時間使いすぎたようです。
       一日の滞在時間では、、
      此方を見せていただいていったつもり(笑)
             義臣

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2008/03/02 20:15:59
    RE: 時間
    義臣さん、こんばんは!
    作成中のお越し、ありがとうございました。

    1日で島原半島は無理ですよね。
    原城跡だけでも、半日近くかかりましたから。
    旅猫の拙い旅行記で、訪れたように感じていただきうれしい限りです!
    この後、加津佐、口之津、北有馬、原城と続きます。

    旅猫

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