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宮殿の正面玄関は建物の北側にあり、コリント式の円柱が丸く囲んだ中庭がついている。<br /><br />我々はこのコリント式円柱を下から見上げるよう格好で、建物の西側から中に入った。<br />宮殿は中心に円蓋のある主廊、その両脇に直線的に伸びた両翼のある、約100mの、大王の宮殿にしては小じんまりした建物である。<br />宮殿の南側の庭からは広い緑の庭園と噴水、その先の森の向こうに、ポツダムの町が覗く。<br /><br />「憂いのない(サンスーシ)宮殿」と大王にいわせたのはこの景観なのだろうか。<br /><br />この宮殿の建設を命じたのは、第3代プロイセン王・フリードリヒ2世(1712〜1786)。<br />自ら基本構想をスケッチしたともいわれ、1745年から2年を掛けて建造された。<br /><br />フリードリヒ2世は軍事的、政治的才能を十二分に発揮してプロシアを強化した一方、「王は人民の僕であり、道徳的にも人民の範となるべき」という啓蒙思想の信奉者で、即位後ただちに啓蒙主義的な改革を活発に開始した。<br /><br />飢饉の時には、自ら食して見せることでジャガイモの栽培を奨励し、人民の飢えを凌いだ。<br />また音楽を愛し、自らフルートを演奏するだけでなく、その作曲も多数手掛けている。<br /><br />これらの功績に対し、「大王」の尊称が与えられ、民衆からは「老フリッツ」と何時までも親しみを持って呼ばれた。<br /><br />しかしこれらの世俗的な評価は、フリードリヒ2世の「憂い」を霧散してはくれなかったらしい。<br /><br />当時やや勢力が衰え始めた神聖ロー帝国の領土を狙って、ドイツ、フランス等が蠢いていた。<br /><br />そういう状況にあってオーストリアの将軍プリンツ・オイゲン(ウイーンのべルベデーレ宮殿のオーナー:詳細はウイーン編で)は神聖ロー帝国皇帝カール6世に対し、王女マリア・テレジアの結婚相手にフリードリヒを推挙した。フリードリヒ2世もこっそりマリア・テレジアに会いに行き、好意を抱く。<br />しかし当のマリア・テレジアは既に恋仲のロートリンゲン公(後の皇帝)が存在し、これを拒否。<br /><br />フリードリヒ2世は父親の命で意に染まぬ結婚をするも、夫婦生活とはいえるものでなく、子供もできなかった。この頃からフリードリヒ2世の女性蔑視発言が繰り返されるようになったといわれる。<br /><br />以後フリードリヒ2世とマリア・テレジアはお互いを相手として2度の戦争を経験。フリードリヒ2世の感情はいざ知らず、マリア・テレジアは彼の女性蔑視発言も増長して、終生フリードリヒ2世を憎んだという。<br /><br />フリードリヒ2世は心身ともに疲れた体をサンスーシ宮殿に横たえ、愛犬のグレーハウンドたちだけに見守られるように1786年8月17日老衰で死去。<br /><br />死後は愛犬たちのそばに埋めてほしいという願いも虚しく、世俗の価値観で処遇され、ポツダム衛戌教会に葬られた。<br /><br />願いが適ったのはドイツ統一後の1991年、墓はようやくサンスーシ宮殿東側の庭先の芝生に移され、現在は犬たちと共に眠っている。<br />墓の上にはジャガイモが転がっていた。<br /><br />詳細は下記をご覧下さい<br />http://www.geocities.jp/tshinyhp/tyuuou/tyuuoumap/framtyuuou4map.html

10フリードリヒ大王の夏の離宮・サンスーシ宮殿その1

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2007/09/23 - 2007/09/23

170位(同エリア216件中)

旅行記グループ 中欧4か国旅情 ドイツ編

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WT信

WT信さん

宮殿の正面玄関は建物の北側にあり、コリント式の円柱が丸く囲んだ中庭がついている。

我々はこのコリント式円柱を下から見上げるよう格好で、建物の西側から中に入った。
宮殿は中心に円蓋のある主廊、その両脇に直線的に伸びた両翼のある、約100mの、大王の宮殿にしては小じんまりした建物である。
宮殿の南側の庭からは広い緑の庭園と噴水、その先の森の向こうに、ポツダムの町が覗く。

「憂いのない(サンスーシ)宮殿」と大王にいわせたのはこの景観なのだろうか。

この宮殿の建設を命じたのは、第3代プロイセン王・フリードリヒ2世(1712〜1786)。
自ら基本構想をスケッチしたともいわれ、1745年から2年を掛けて建造された。

フリードリヒ2世は軍事的、政治的才能を十二分に発揮してプロシアを強化した一方、「王は人民の僕であり、道徳的にも人民の範となるべき」という啓蒙思想の信奉者で、即位後ただちに啓蒙主義的な改革を活発に開始した。

飢饉の時には、自ら食して見せることでジャガイモの栽培を奨励し、人民の飢えを凌いだ。
また音楽を愛し、自らフルートを演奏するだけでなく、その作曲も多数手掛けている。

これらの功績に対し、「大王」の尊称が与えられ、民衆からは「老フリッツ」と何時までも親しみを持って呼ばれた。

しかしこれらの世俗的な評価は、フリードリヒ2世の「憂い」を霧散してはくれなかったらしい。

当時やや勢力が衰え始めた神聖ロー帝国の領土を狙って、ドイツ、フランス等が蠢いていた。

そういう状況にあってオーストリアの将軍プリンツ・オイゲン(ウイーンのべルベデーレ宮殿のオーナー:詳細はウイーン編で)は神聖ロー帝国皇帝カール6世に対し、王女マリア・テレジアの結婚相手にフリードリヒを推挙した。フリードリヒ2世もこっそりマリア・テレジアに会いに行き、好意を抱く。
しかし当のマリア・テレジアは既に恋仲のロートリンゲン公(後の皇帝)が存在し、これを拒否。

フリードリヒ2世は父親の命で意に染まぬ結婚をするも、夫婦生活とはいえるものでなく、子供もできなかった。この頃からフリードリヒ2世の女性蔑視発言が繰り返されるようになったといわれる。

以後フリードリヒ2世とマリア・テレジアはお互いを相手として2度の戦争を経験。フリードリヒ2世の感情はいざ知らず、マリア・テレジアは彼の女性蔑視発言も増長して、終生フリードリヒ2世を憎んだという。

フリードリヒ2世は心身ともに疲れた体をサンスーシ宮殿に横たえ、愛犬のグレーハウンドたちだけに見守られるように1786年8月17日老衰で死去。

死後は愛犬たちのそばに埋めてほしいという願いも虚しく、世俗の価値観で処遇され、ポツダム衛戌教会に葬られた。

願いが適ったのはドイツ統一後の1991年、墓はようやくサンスーシ宮殿東側の庭先の芝生に移され、現在は犬たちと共に眠っている。
墓の上にはジャガイモが転がっていた。

詳細は下記をご覧下さい
http://www.geocities.jp/tshinyhp/tyuuou/tyuuoumap/framtyuuou4map.html

旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • <br /><br /><br />古都の魔法に幻惑・中欧4ヶ国の旅:?ドイツ編目次(26章)へ戻る<br />http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10199554/




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