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<br />東海道品川宿の散策を終え国道に出て品川神社へと向かいます。夕方から仕事が入っているため島津山・池田山にも足を伸ばそうと思っていましたが今日はこの後東海寺によって帰ります。

チャリに乗っての3時間の旅~品川散策 Part2~

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2007/04/14 - 2007/04/14

837位(同エリア1228件中)

旅行記グループ 東京サイクリングロード

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ぬいぬい

ぬいぬいさん


東海道品川宿の散策を終え国道に出て品川神社へと向かいます。夕方から仕事が入っているため島津山・池田山にも足を伸ばそうと思っていましたが今日はこの後東海寺によって帰ります。

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  • 品川神社は第1京浜に面して鳥居があります。<br />ここは文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃命を勧請して、最初は品川大明神と称しその後品川神社と改めた由緒ある神社です。

    品川神社は第1京浜に面して鳥居があります。
    ここは文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃命を勧請して、最初は品川大明神と称しその後品川神社と改めた由緒ある神社です。

  • 東海七福神 <br />ここは打ち出の小槌の大黒天です。

    東海七福神 
    ここは打ち出の小槌の大黒天です。

  • この石の鳥居も水盤ともに慶安元年(1648年)東海寺を建立した三代将軍徳川家光の側近、堀田正盛に寄進されたもので、品川区の指定文化財となっています。

    この石の鳥居も水盤ともに慶安元年(1648年)東海寺を建立した三代将軍徳川家光の側近、堀田正盛に寄進されたもので、品川区の指定文化財となっています。

  • この石の鳥居の左右の柱には竜が彫られています。左が昇り龍、右に降り龍が彫刻されています。

    この石の鳥居の左右の柱には竜が彫られています。左が昇り龍、右に降り龍が彫刻されています。

  • 本殿に登る参道の階段はかなりの急傾斜

    本殿に登る参道の階段はかなりの急傾斜

  • 境内にある神楽殿<br />ここで正月に行なわれる太太神楽は東京都の無形民俗文化財に指定されています。

    境内にある神楽殿
    ここで正月に行なわれる太太神楽は東京都の無形民俗文化財に指定されています。

  • 社殿は昭和39年に建て替えられた比較的新しいものです。

    社殿は昭和39年に建て替えられた比較的新しいものです。

  • 本殿の左にある宝物殿 開帳中です。

    本殿の左にある宝物殿 開帳中です。

  • でっかいサイズの絵馬 色がくすんでいますのでかなり年代ものです。

    でっかいサイズの絵馬 色がくすんでいますのでかなり年代ものです。

  • この額もかなりの年代もの

    この額もかなりの年代もの

  • 神輿が3台ありますが実際に祭礼の際に担いでいるのでしょうか?アップしてよく見てください。<br />屋根にも台にも葵のご紋が・・・。<br />そうです徳川家三代将軍家光公ご寄進の神輿がここのみこしの元祖です。

    神輿が3台ありますが実際に祭礼の際に担いでいるのでしょうか?アップしてよく見てください。
    屋根にも台にも葵のご紋が・・・。
    そうです徳川家三代将軍家光公ご寄進の神輿がここのみこしの元祖です。

  • 3代将軍家光奉納の『葵の神輿』

    3代将軍家光奉納の『葵の神輿』

  • 三代将軍家光公より寄贈された物を元に、明治17年に新しく作られたものです。<br />総重量2トン、高さ七尺、渡御人三百人により今も担がれている現役です。

    三代将軍家光公より寄贈された物を元に、明治17年に新しく作られたものです。
    総重量2トン、高さ七尺、渡御人三百人により今も担がれている現役です。

  • 手水舎の水盤も由緒あるものです。

    手水舎の水盤も由緒あるものです。

  • この水盤は、慶安元年(1648年)東海寺を建立した三代将軍徳川家光の側近、堀田正盛より寄進されたもので品川区の指定文化財になっています。 <br />組んだ竹の脇に河童が座ってます。

    この水盤は、慶安元年(1648年)東海寺を建立した三代将軍徳川家光の側近、堀田正盛より寄進されたもので品川区の指定文化財になっています。
    組んだ竹の脇に河童が座ってます。

  • この奉納 木嶋と書かれた暖簾のようなもの 実はこれ上野桜木の護国院の手水舎にもぶら下がっていました。そこも谷中七福神の大黒天を祀っていたところだったので縁があるのかも。

    この奉納 木嶋と書かれた暖簾のようなもの 実はこれ上野桜木の護国院の手水舎にもぶら下がっていました。そこも谷中七福神の大黒天を祀っていたところだったので縁があるのかも。

  • 赤い鳥居をくぐって下りていくとそこには阿那稲荷杜下社があります。ここには一粒万倍の泉があります。

    赤い鳥居をくぐって下りていくとそこには阿那稲荷杜下社があります。ここには一粒万倍の泉があります。

  • 阿那稲荷杜下社

    阿那稲荷杜下社

  • 祀ってあるのはもちろんお稲荷さんです。

    祀ってあるのはもちろんお稲荷さんです。

  • 一粒万倍の泉の奥の苔むした石を見ているとなんか御利益ありそうな感じを受けます。

    一粒万倍の泉の奥の苔むした石を見ているとなんか御利益ありそうな感じを受けます。

  • 一粒万倍の泉<br />ここでお金や印鑑を洗ったり,この水を持ち帰ってお店の四隅に降りかけると商売繁盛するそうです。<br />さしずめ鎌倉の銭洗弁天の品川版といったところでしょうか。<br /><br /> <br />

    一粒万倍の泉
    ここでお金や印鑑を洗ったり,この水を持ち帰ってお店の四隅に降りかけると商売繁盛するそうです。
    さしずめ鎌倉の銭洗弁天の品川版といったところでしょうか。


  • 一粒万倍の泉の水の注ぎ口の龍

    一粒万倍の泉の水の注ぎ口の龍

  • 包丁塚<br />かつて品川宿が宿泊客でにぎわっていた頃,旅館や料亭の板前達が包丁を供養するために建てたものです。<br />

    包丁塚
    かつて品川宿が宿泊客でにぎわっていた頃,旅館や料亭の板前達が包丁を供養するために建てたものです。

  • 参道の階段の途中から左の坂道を登るとそこに品川富士があります。

    参道の階段の途中から左の坂道を登るとそこに品川富士があります。

  • 富士塚は富士山を信仰する富士講という団体の人々が、富士山を崇拝する場所として造った築山です。<br />

    富士塚は富士山を信仰する富士講という団体の人々が、富士山を崇拝する場所として造った築山です。

  • 坂道の途中には1合目から頂上まで石杭で表示してあります。ここは三合目

    坂道の途中には1合目から頂上まで石杭で表示してあります。ここは三合目

  • ここは明治2年(1869年)に、北品川の丸嘉講という約300人の人々によって造られ、その後大正11年に、第一京浜国道の建設のため西に数十メートル移動して、現在の場所に再建されたものです。

    ここは明治2年(1869年)に、北品川の丸嘉講という約300人の人々によって造られ、その後大正11年に、第一京浜国道の建設のため西に数十メートル移動して、現在の場所に再建されたものです。

  • 富士塚の頂上から眼下に北品川の商店街を眺める。手前にあるガードは京浜急行の電車が走っています

    富士塚の頂上から眼下に北品川の商店街を眺める。手前にあるガードは京浜急行の電車が走っています

  • 丸嘉講は今も続いており、毎年7月1日にここで「山開き行事」をやっているこの日、丸嘉講の人々は塚のふもとの浅間神社に、白装束で集まり、富士塚に登ってお参りを続けているそうです。

    丸嘉講は今も続いており、毎年7月1日にここで「山開き行事」をやっているこの日、丸嘉講の人々は塚のふもとの浅間神社に、白装束で集まり、富士塚に登ってお参りを続けているそうです。

  • 頂上から品川駅方向の眺望

    頂上から品川駅方向の眺望

  • 丸嘉講の明治11年の年が刻まれた石碑 富士山の山岳信仰は古くからあったようです。

    丸嘉講の明治11年の年が刻まれた石碑 富士山の山岳信仰は古くからあったようです。

  • 沢庵和尚で有名な東海寺の鐘楼<br />寛永14年(1637年) 徳川家光が沢庵宗彭を招聘して創建したかつては寛永寺、増上寺と並ぶほどの名刹でした。<br />

    沢庵和尚で有名な東海寺の鐘楼
    寛永14年(1637年) 徳川家光が沢庵宗彭を招聘して創建したかつては寛永寺、増上寺と並ぶほどの名刹でした。

  • 山手通りに面してある通称「怪獣公園」<br />今から20年前、子供がまだ小さい頃遊びに連れてきた公園です。当時の子供の目から見ればさしずめ「ジュラシックパーク」のように映っていたんでしょうね。<br />なつかしい〜。

    山手通りに面してある通称「怪獣公園」
    今から20年前、子供がまだ小さい頃遊びに連れてきた公園です。当時の子供の目から見ればさしずめ「ジュラシックパーク」のように映っていたんでしょうね。
    なつかしい〜。

  • 東海寺大山墓地は、東海寺とは山手通り、東海道線、横須賀線の線路に分断されて離れてありますが、もともとは一帯がかなり広い墓域になっていたようです。<br />ここには沢庵和尚の墓地があります。

    東海寺大山墓地は、東海寺とは山手通り、東海道線、横須賀線の線路に分断されて離れてありますが、もともとは一帯がかなり広い墓域になっていたようです。
    ここには沢庵和尚の墓地があります。

  • 井上勝の墓<br />日本の鉄道の礎を作った井上勝。個人の遺志で東海道線と横須賀線のすぐ脇のここ東海寺大山墓地に眠っています。

    井上勝の墓
    日本の鉄道の礎を作った井上勝。個人の遺志で東海道線と横須賀線のすぐ脇のここ東海寺大山墓地に眠っています。

  • 賀茂真淵の墓<br />江戸中期の国学者・歌人の賀茂真淵の墓です。

    賀茂真淵の墓
    江戸中期の国学者・歌人の賀茂真淵の墓です。

  • 史跡 官営品川硝子製造所跡<br />東海寺大山墓地の入口に西村勝三が政府から払い下げを受けて経営した品川硝子製造所の碑があります。<br />ここは日本における近代硝子工業発展の礎となった場所です。

    史跡 官営品川硝子製造所跡
    東海寺大山墓地の入口に西村勝三が政府から払い下げを受けて経営した品川硝子製造所の碑があります。
    ここは日本における近代硝子工業発展の礎となった場所です。

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