2006/12/29 - 2006/12/29
1220位(同エリア17021件中)
wiz さん
12月29日(金)
朝一で、ギュスターヴ・モロー美術館を訪問した後は、
メトロ12号線でジュール・ジョフラン駅まで移動。
ユトリロの描いた風景 ☆ を楽しみながら、モンマルトルを散策しました。
・クリニャンクールの教会 ☆
・サン・ヴァンサン墓地
・ラパン・アジル ☆
・モンマルトルのブドウ畑
・ダリダ広場
・モンマルトル博物館
・サティの家
・モン・スニ通り ☆
・(旧)ベルリオーズの家 ☆
・コタン小路 ☆
・サクレ・クール寺院 ☆
・サン・ピエール・ド・モンマルトル教会 ☆
・テルトル広場 ☆
・ノルヴァン通り ☆
・サン・リュスティック通り ☆
・壁抜け男
・ラデの風車 ☆
・ルピック通り ☆
・エミール・グードー広場
・アトリエ洗濯船跡
・アベス駅
・サン・ジャン・ド・モンマルトル教会
・ゴッホ兄弟の旧居 (ルピック通り)
・ユトリロと母ヴァラドンのアパート (トゥールラック通り)
※旅行記中 (OR) と書いてある絵画の写真は、
翌々日 12月31日(日)にオランジュリー美術館で撮影したものです。
※モンマルトル関連旅行記
2008 http://4travel.jp/travelogue/10303656
2012 http://4travel.jp/travelogue/10725464
2014 http://4travel.jp/travelogue/10770989
- 旅行の満足度
- 5.0
-
M12 ジュール・ジョフラン Jules Joffrin 駅前。
ギュスターヴ・モロー美術館を訪問した後は、
サン・ラザール ST-LAZARE 駅から、メトロ12号線で、
ジュール・ジョフラン Jules Joffrin 駅まで移動しました。
この駅の上にある教会もユトリロが描いた教会なのです。 -
ジュール・ジョフラン Jules Joffrin 駅前にて。
モンマルトルの丘にあるモン・スニ通りはここまで続いています。 -
クリニャンクールの教会 Notre Dame de Clignancourt
この教会を、ユトリロが描きました。ノートルダム ド クリニャンクール教会 寺院・教会
-
クリニャンクールの教会 Notre Dame de Clignancourt
ユトリロが描いた構図は、もう少し右側からひいた図なのですが、
教会前の広場にメリーゴーランドなどがあったり、
木もあったりで、ユトリロが描いたのと同じようには撮りづらかったです。 -
ユトリロが描いた
クリニャンクールの教会 Notre Dame de Clignancourt, vers 1914 と、
現在の クリニャンクールの教会(ノートルダム・ド・クリニャンクール)。
(OR)
素朴さは変わらないけれど、絵の中の教会の方がかわいい感じがしますね。
( ※ 右側から撮りづらく、反対方向からの構図ですいません ! ) -
ジュール・ジョフラン駅前には18区役所があります。
モンマルトルのブドウ収穫祭開催時のパレードはここから出発します ! -
18区役所脇の エルメル通り Rue Hermel からは、サクレ・クール寺院の塔が望めます。
この後、
メトロ12号線で1駅ですが、ラマルク・コーランクール駅まで移動。
ラマルク・コーランクール駅から、
ユトリロのお墓がある 「 サン・ヴァンサン墓地 」 に向かいました。 -
サン・ヴァンサン墓地 Cimetiere de St.Vincent
右上にサクレ・クール寺院、左下にユトリロの眠るお墓が写っています。
このお墓の後ろ(お墓を囲う壁の後ろ)に、
シャンソニエ 「 ラパン・アジル 」 (ピンク色の壁) や、
「 モンマルトルのブドウ畑 」 (ピンク色の壁の右) があります。 -
サン・ヴァンサン墓地 Cimetiere de St.Vincent
上の構図よりさらに広角に映しました。
上と同じく、左下にユトリロのお墓が写っています。 -
サン・ヴァンサン墓地 Cimetiere de St.Vincent
この写真では、ユトリロのお墓が右端で、下の方を写した構図になっています。
( ※ 墓地の敷地内に勾配があります。 )
お墓を囲う塀の向こうは、ソール通り Rue des Saules です。 -
サン・ヴァンサン墓地 Cimetiere de St.Vincent
ユトリロ夫妻 のお墓 です !
(ユトリロは、1935年51歳の時、12歳年上のリュシー Lucie と結婚。) -
サン・ヴァンサン墓地 Cimetiere de St.Vincent
ユトリロのお墓に立てられていた絵筆。 -
モーリス・ユトリロ 1883 - 1955
MAURICE UTRILLO
26.12.1883 Paris - 5.11.1955 Dax
合掌。 -
サン・ヴァンサン墓地 Cimetiere de St.Vincent
ムッシュウ、モーリス・ユトリロ !
モンマルトルの通りの名前を
絵のタイトルにいっぱい残してくれて、あ り が と う !
そのおかげで、絵と同じ景色を見ることができたよ ! -
シャンソニエ ラパン・アジール Au Lapin Agile
店名を意味する 「 跳ねうさぎ 」 の看板が目印。
ユトリロ、ルノワール、ピカソらもこのシャンソン酒場に通いました。オ ラパン アジル バー
-
左の塀の中が、ユトリロのお墓のある 「 サン・ヴァンサン墓地 」。
右が、ピンクの壁のシャンソニエ 「 ラパン・アジール 」。
ずっと向こう側は、パリの北の町、
歴代フランス王の墓所であるサン・ドニ(大聖堂)の方角になります。
3世紀、ガリアにキリスト教の教えを広めるため
ルテティア(パリ)へたどりついた宣教師団の中にいたドニ
(ディオニュシウス)は、モンマルトルで迫害され斬首された。
しかし、斬首された後も、
ドニの体は切られた自らの頭部を腕に抱えたまま歩き続け、
カトラクスの村(現サン・ドニ)に着いたところで崩れ折れそこに埋葬されたという。
ドニが埋葬された地、その地が、歴代フランス王の墓所として選ばれた。 -
ラパン・アジールの前には、
モンマルトルのブドウ畑 Clos Montmartre があります。モンマルトルのブドウ畑 散歩・街歩き
-
ユトリロが描いた ラパン・アジル Lapin-Agile と
現在の ラパン・アジール。
ブドウ畑との間の通りは、サン・ヴァンサン通り Rue Saint-Vincent。
ユトリロの描いた絵だと、
現在モンマルトルのブドウ畑がある場所(写真右手)の前に
塀のようなものが描かれていますね。
左手前のラパン・アジールとその奥の建物の特徴的な形は、
今もユトリロの時代と変わりませんね !
ユトリロの時代が偲ばれる風景に出逢えるのは嬉しいことです♪ -
ソール通りとサン・ヴァンサン通りの交差点に位置する
ラパン・アジール(右奥) と モンマルトルのブドウ畑(右手前)、
塀のあるところが ユトリロが眠る サン・ヴァンサン墓地 。 -
アブルヴォワール通り の ピサロの旧居 という建物を撮りながら・・
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ダリダ広場 Place DALIDA に到着 !
ダリダ広場 広場・公園
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ダリダ広場 Place DALIDA にある 「 ダリダ像 」 。
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ダリダ広場 Place DALIDA (ジラルドン通り Rue Girardon から)。
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ダリダ広場から見た、曲線を描くアブルヴォワール通りとサクレ・クールは美しい !
ダリダ広場 広場・公園
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モンマルトル博物館 Musee de Montmartre
12 Rue Cortot コルトー通り12番地。
かつて、ルノワール、ユトリロ、デュフィが住んでいた建物に、
モンマルトルの丘の歴史やゆかりの芸術家の関する資料が展示されている。モンマルトル博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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モンマルトル博物館 Musee de Montmartre のお土産屋さん。
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サティの家 Maison de Satie
一時期、ユトリロの母ヴァラドンと交際していたこともある
作曲家サティは、1890〜98年まで、ここコルトー通り6番地に住んでいた。
恋と絵に生きた売れっ子モデルでもあったヴァラドンは、
サティをふったそうで、その時サティはかなりの傷心だったそうです。サティの住んだ家 博物館・美術館・ギャラリー
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サティの家 と コルトー通り。
-
ユトリロが描いた モン・スニ通り Rue du Mont Cenis, 1914 と、
現在の モン・スニ通り。
(OR)
上で写真を載せていた、18区役所前までつづいていた モン・スニ通り です。
左奥に見える赤茶色の建物は、ユトリロ時代と同じかもしれないですね !画家ユトリロが描いた通りの中でも有名な通りのひとつ、かつてはサン・ドニ大修道院までつづいていた Rue du Mont-Cenis (18区) by wiz さんモン スニ通り 散歩・街歩き
-
ユトリロが描いた ベルリオーズの家 La Maison de Berlioz, 1914 と、
現在の風景。
(OR)
上の写真の階段(モン・スニ通り)を下った場所に
ユトリロが繰り返し描いた 「 ベルリオーズの家 」 がありました。
作曲家ベルリオーズは、
1830年代に英国人女優の妻とここにあった’田舎の家’に住んでいたそうです。
今は大きな建物になっていて、ここはユトリロ時代とは雰囲気が違いますね。
今は、 ’田舎の家’ には見えません ! -
次は、ユトリロが描いた 「 コタン小路 」 に向かおうと思います !
-
サクレ・クール寺院の裏手の ボンヌ通り Rue de la Bonne。
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ボンヌ通り Rue de la Bonne から見た サクレ・クール寺院。
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シュヴァリエ・ド・ラ・バール通り Rue de la Chevalier de la Barre で左折・・
ユトリロが描いた印象的な 「 コタン小路 」 は、この階段の下にあります ! -
コタン小路 Passage Cottin の標示も1枚♪
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コタン小路 Passage Cottin
そうそう ! ここを見たかったのよ〜♪ -
コタン小路 Passage Cottin
ユトリロが描いた コタン小路 と、現在の コタン小路。
ここはほんとうに雰囲気が同じです ! うれしいなぁ♪コタン小路 散歩・街歩き
-
コタン小路 Passage Cottin
少し、後ろに下がると、サクレ・クール寺院の塔も見えました♪ -
ミュレ通り Rue Muller
コタン小路まで階段を下ったので、
今度は ラメ通り Rue Ramey を少し歩き
ミュレ通り Rue Muller に曲がって・・ 再度サクレ・クール寺院の方へ・・。 -
ミュレ通り Rue Muller
ユトリロは 「 ミュレ通り 」 というタイトルの絵も描いています。 -
ユトリロが描いた ” ミュレ通り ” というタイトルの絵と、
現在のモーリス・ユトリロ通り(階段)。
現在、ミュレ通り(上の写真)を歩いていくと、
自然と、モーリス・ユトリロ通り(階段)(この写真)につながります。
おそらく、現ユトリロ通りは、ユトリロ時代はミュレ通りだったのでは・・ ? -
モーリス・ユトリロ通り Rue Maurice Utrillo 1883-1955 PEINTRE (画家)
-
今、のぼってきた モーリス・ユトリロ通り(階段)の上から望む風景。
-
モーリス・ユトリロ通りの階段をのぼりきるとサクレ・クール寺院が目の前です。
小さいですけれど、左下の青い看板は、
モンマルトロビュスのバス停 「 ユトリロ Utrillo 」 です。 -
モンマルトルに来て、やっと、サクレ・クール寺院の正面から1枚撮影♪
サクレクール寺院 寺院・教会
-
サクレ・クール寺院 Basilique du Sacre Coeur の ジャンヌ・ダルク像。
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サクレ・クール寺院前から見るパリの風景1。
-
サクレ・クール寺院前から見るパリの風景2。
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サクレ・クール寺院前広場から望むパリの風景3。
今日は、パリの街が霞んでいますね。 -
サクレ・クール寺院 Basilique du Sacre Coeur
左が、聖王ルイ(ルイ9世)の像。
右が、サクレ・クール寺院建築中に列聖された (1909) 聖ジャンヌ・ダルク像。 -
サクレ・クール寺院 Basilique du Sacre Coeur
サクレ・クール寺院は、19世紀末当時は、
普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンによって命を失った
フランス市民を讃える公共建造物としても考えられていたが、
年月が過ぎるにつれてその位置づけが自ずと変容してしまう。
実際に着工したのは1877年で、
約4000万フランの費用と40年の歳月をかけ、1914年に完成したものの、
礼拝のために開放されたのは第一次世界大戦の終わり、
1919年のことであった故に、この寺院は皮肉にも
普仏戦争以来の独に対する復讐の象徴として多くのフランス人から捉えられた。
(wikipedia) -
サクレ・クール寺院 Basilique du Sacre Coeur
寺院内は、撮影不可でしたので、購入したポストカードを貼っておきます。 -
サクレ・クール寺院 内部を見学した後は、
アゼ通り Rue Azais を廻って テルトル広場 の方へ。
途中、エッフェル塔 が、眺められる場所がありました。 -
ユトリロが描いたサン・ピエール教会 Eglise Saint-Pierre ,vers 1914 と、
現在のサン・ピエール教会。
(OR)
ここは、ユトリロが描いた時と、だいたい同じ の構図で撮れる♪サン ピエール教会 寺院・教会
-
サン・ピエール・ド・モンマルトル教会 St-Pierre de Montmartre
教会内に入りました。
ここは、ユトリロの葬儀が行われた・・という教会でもあります。 -
サン・ピエール・ド・モンマルトル教会 St-Pierre de Montmartre
現在、観光客で賑やかな
「 サクレ・クール寺院 」 は、1876年着工、1914年完成。
(サクレ・クール寺院の隣りに位置する)
この 「 サン・ピエール・ド・モンマルトル教会 」 は12世紀の建造。
(身廊は15世紀の再建。)
ここは、サクレ・クールよりずっと古く中世の時代から建っていた教会なのです。 -
サン・ピエール・ド・モンマルトル教会 St-Pierre de Montmartre
教会のすぐ外には、テルトル広場があるのですが、
テルトル広場やサクレ・クールあたりの喧騒が嘘みたいに、ここは静かです。
とても落ち着ける場所でした。 -
サン・ピエール教会のすぐ前に位置する、テルトル広場。
-
テルトル広場 Place du Tertre
サクレ・クール寺院前とこのあたりは、
モンマルトルの中でも、特に人でいっぱいのところです。テルトル広場 広場・公園
-
テルトル広場 Place du Tertre にて。
サクレ・クール寺院を描いた絵画。 -
ノルヴァン通り Rue Norvins にて。
店先に、たくさんの絵が飾られていました。 -
プルボ通り Rue Poulbot。
サンタさんをあちこちで見かけました ! -
テルトル広場からノルヴァン通りを通って・・
ル・コンシュラ LE CONSULAT のところで1枚♪
ここからも、サクレ・クール寺院のドームが見える。
ユトリロが描いた場所でもあります。ル コンシュラ カフェ
-
オーベルジュ・ドゥ・ラ・ボンヌ・フランケット の脇の
ソール通り Rue des Saules。
ソール通りをまっすぐ下ると、さっき見てきた、
ラパン・アジールや、モンマルトルのブドウ畑があります。オーベルジュ・ドゥ・ラ・ボンヌ・フランケット ナイトライフ
-
ソール通りとサン・リュスティック通りのコーナー、
「 オーベルジュ・ドゥ・ラ・ボンヌ・フランケット 」。 -
サン・リュスティック通り Rue Saint-Rustique といえば !
・・ この通りもユトリロが描いた場所です♪ -
ユトリロが描いた 「 サン・リュスティック通り Rue Ssaint-Rustique 」。
ユトリロは、サン・リュスティック通りでは何枚か描いているので、
様々な表情のサン・リュスティック通りを見ることができます。 -
サン・リュスティック通りを通り抜けると、再度モン・スニ通り。
その、モン・スニ通りと
シュヴァリエ・ド・ラ・バール通りの角から見えるのは、サクレ・クール。
モーリス・ユトリロ 「 モンマルトルの通り 」 1925 -
再度、テルトル広場に戻り・・
現在の風景と、ユトリロ時代の風景。テルトル広場 広場・公園
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テルトル広場の先に見えるのは、サクレ・クール寺院の塔。
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テルトル広場にて。
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ノルヴァン通り Rue Norvins から見えるのは・・
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壁抜け男 Le Passe-muraille !
壁ぬけ男 モニュメント・記念碑
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ルピック通り Rue Lepic から見る ラデの風車。
見にくいけれど、ユトリロの絵の奥にも風車が見えます。ラデの風車 建造物
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エミール・グードー広場の、 「 アトリエ洗濯船 」 跡 (写真左)。
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エミール・グードー広場、「 アトリエ洗濯船 」 跡にて。
右上(茶色の背景)に見えるのは、ユトリロの母ヴァラドン。
ユトリロは、1883年12月26日、
(ヴァラドンの)母マリーでさえその父親を誰と特定できない
という 祝福されない 孤独な私生児 として生まれた。
ユトリロを産み落とした母マリーもまた、
彼女の母マドレーヌと行きずりの男との間に生まれた私生児だった。
母マリーは、少女から好きだった絵の才能を
ロートレックやドガに認められ、
画家シュザンヌ・ヴァラドンとしてもうひとつの人生を歩んでいた。
恋と絵画、情熱の日々を送る母に
入り込める隙間のなかったユトリロは、
少年の頃からアルコールの味に魅せられていた。
彼は、 アルコール中毒治療 として
打ち込める ” 絵 ” にのめり込んでいった・・。 -
母シュザンヌ・ヴァラドン(64歳位) と ユトリロ(46歳位) 1930年頃
-
サン・ジャン・ド・モンマルトル教会 Eglise Saint-Jean-de-Montmartre
アトリエ洗濯船跡を見た後は、アベス駅の方へ。
アベス駅前のサン・ジャン教会は、
アール・ヌーヴォー建築でユニークな教会で知られている。
パリで初めての鉄筋コンクリート造による教会建築。
モンマルトルの丘の麓で高低差が10mもある斜面に建てられていて、
ヴィオレ・ル・デュクの弟子、ボドー(建築家)の代表作。サン ジャン ド モンマルトル教会 寺院・教会
-
サン・ジャン・ド・モンマルトル教会 Eglise Saint-Jean-de-Montmartre
ファサードは、
アレクサンドル・ビゴ(Alexandre Bigot・Ceramiste)
http://lartnouveau.com/artistes/bigot.htm
の タイル装飾 で覆われ、東洋的な雰囲気も感じられる。 -
サン・ジャン・ド・モンマルトル教会 Eglise Saint-Jean-de-Montmartre
ここにもクレッシュが飾られていました。 -
サン・ジャン・ド・モンマルトル教会 Eglise Saint-Jean-de-Montmartre
祭壇側を撮った写真がぶれてしまったので、
この写真は、アベス広場の方を向いて撮った写真です。 -
アベス Abbesses 駅
こちらも、アール・ヌーヴォーで有名。
Hector Guimard 1900
パリ万博を記念して開通した地下鉄駅の1つで、保存状態の良い例。
基礎に使われているのは大理石で、欄干や支柱は、鋳物の鉄。
天蓋は、ガラス製。 看板の文字もギマールのデザイン。
欄干の装飾は、
アール・ヌーヴォーでよく見られる植物や花をモティーフにしている。アベス駅 駅
-
ルピック通り、花屋さんの店先で。
ルピック通り 散歩・街歩き
-
ルピック通りにて。 海の幸がおいしそう。
-
ゴッホ兄弟の旧居 (1886-88)
1853年3月30日にオランダに生まれ、
1880年、ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、
1886年、初めてパリに出た ゴッホ は、
弟 テオ が住む ルピック街54番地 に腰を落ち着けた。ゴッホの家 建造物
-
ルピック通り54番地、 ゴッホ兄弟の旧居 (1886-88)
-
ゴッホ兄弟の旧居 (1886-88)
小さいですが、記念のプラークも飾られています。
DANS CETTE MAISON
VINCENT VAN GOGH
A VENU
CHEZ SON FRERE THEO
DE 1886 A 1888ゴッホの家 建造物
-
ゴッホ兄弟の旧居から、トゥールラック通り Rue Tourlaque へ。
トゥールラック通り7番地が、ロートレックの初アトリエ、
お隣が、ユトリロが4歳の時、母ヴァラドンと住んだアパート・・なのだそうです。 -
ユトリロとヴァラドンが住んだアパートを見た後は・・
コーランクール通り Rue Caulaincourt を歩き、
ギュスターヴ・モローの お墓がある モンマルトル墓地 へ向かいました。
( ここは写真がないのでグーグルストリートビューの画像で。
この橋の下に、モンマルトル墓地がひろがっています。 )
この後訪問した モンマルトル墓地 の記録は、
ギュスターヴ・モロー美術館 の旅行記に載せておきました。
http://4travel.jp/travelogue/10116107
12月29日(金)
モンマルトル墓地 でモロー墓参の後は・・
→ クリシー広場
(クリシー広場からバス95番でオペラへ)
→ オペラ
→ ギャラリー・ラファイエット
→ シテ島 (ノートルダム寺院)
→ サン・シュルピス教会 (マルシェ・ド・ノエル)
→ ルーヴル美術館 (夜間開館日)
ユトリロが描いた風景を探しながらのモンマルトル散策、楽しかったです !
モンマルトル散歩 (2006.12)
Google Maps
http://bit.ly/n8cblw
【 ラ・ビュット・モンマルトル 〜ユトリロの風景〜 完 】
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画家モーリス・ユトリロ巡礼
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