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元カニ族さんのトラベラーページ

元カニ族さんへのコメント一覧(4ページ)全48件

元カニ族さんの掲示板にコメントを書く

  • 納得

    見たい景色を見せていただきました。
    グランドキャニオンまでは出かけていますが、その先はいまだ行けずにおりました。
    やっぱりこの目でみたい
    2015年07月10日10時15分返信する 関連旅行記

    納得

    途中で電話が入ってしまい、半端なメッセージが送られてしまいました。申し訳有りませんm(_ _)m

    やはり見に行きたいとの想い新たです。

    にしても、広瀬隆氏の著書は知りませんでした。確かに癌で亡くなってますね、ロック・ハドソンはエイズって事になってますが。
    幾ら砂漠とは言え、国内の陸地で核実験が繰り返されるって信じられません。日本に対し原爆で成功したと言う過信でしょうか?怖さ知ってるはずじゃないかとも思いますが。
    アメリカインディアンの血はナバホでは有りませんが16分の1息子に流れています。彼らもモンゴロイドですよね。居住地に遊びに行ったら、何も言わないのに息子はメチャクチャ歓待されました。
    もう30年近く前の話です。

    旅だけでなく、新しい知識をお分けいただき、本当に為になりました。
    ありがとうございます!
    2015年07月10日10時25分 返信する

    RE: 納得

    PHOPHOCHANGさん

    4トラの旅行記にここまで書いて良いものかどうか、迷いましたが、せっかく調べたことなので、思い切って表紙に書きました。

    西部劇は 学生時代、京都の「名画座」で良く見ました。この撮影現場に将来行けるなどとは、当時想像もしていませんでしたが・・・・
    時代が変わり、実際にこの撮影現場に行くことが出来ました。
    今回の旅行で最も行きたかったところの一つでもあります。そのため帰ってから、この場所を映画のシーンと比較などもして楽しみました。
    また、DVDの「西部劇シリーズ」も買い込み、鑑賞しました。

    PHOPHOCHANGさんの息子さん、京都の旅行記で拝見しました。
    お顔はわかりませんでしたが、堀が深くて、背が高くて、キットハンサムな青年でしょうね。成長を祈っています。

    アメリカ横断はまだ、3日目の途中です。まだまだ続きますが、これからもよろしくお願いします。

    元カニ族

    2015年07月10日11時07分 返信する
  • はじめまして

    元カニ族さん 今晩は。
    9月にアメリカ西部に行きます。
    ツアーであり、お任せですが、下調べをしていて、“元カニ族さん”に行き当りました。
    私は、学生時代は金が無く、アルバイトで貯めた金で能登半島を一周しただけでした。
    会社に入ってからは、仕事だけで余裕が無く、旅行はほとんどしていません。
    50歳を過ぎ、先が見えてきた頃から、徐々に旅行に行き始めました。
    今は、アベノミクスの恩恵で、タヒチに行き、今度はアメリカに行きます。
    商社に勤められ、仕事オンリーの、“元カニ族さん”と近い部分が有り、書き込みをしました。
    元気な内に旅行出来ればと思っています。

              【164-165】
    2015年07月09日19時41分返信する 関連旅行記

    RE: はじめまして

    【164-165】さま

    ご覧いただきありがとうございます。

    私の経験から、旅行は無理をしてでも、現役時代にやっておくべきだったと反省しています。
    退職してからは、時間はありますが、年金生活にでは残念ながら資金が続きません。

    元気なうち、資金のあるうちに、旅行をお続け下さい。

    元カニ族
    2015年07月10日06時01分 返信する
  • 凄い!

    行程を聞いただけでも体が痛くなりそうです。
    16日、お疲れ様でした。

    自分も元旦那の実家へ行くのに、他の親戚を尋ねたりしながら、アムトラックの旅はしましたが、ず〜っと車内に座っているのは苦痛でした。
    elephantさんと同じく30年以上前なので、ろくに写真も有りません。

    今後の旅行記をと〜っても楽しみにしております♪
    2015年07月04日08時42分返信する 関連旅行記

    RE: 凄い!

    PHOPHOCHANGさん

    出発する前に「アメリカ大陸を横断しても、見るものなんか何もないでしょう」といわれました。
    それに対し「その何もないところを、見に行くのです」と答えました。

    私は、何時間乗り物に乗っていても、飽きることなく、車窓の景色の変化を見ています。
    16日間、アッと言う間に過ぎてしまいました。その旅行を思い出しながら、旅行記を書いていきます。

    応援よろしくお願いします。

    元カニ族
    2015年07月04日17時31分 返信する
  • フイリピン旅行記にいくつもご投票を頂き、ありがとうございます。

    元カニ族様

    この度は小生のフイリピン旅行記にいくつもご投票をいただき、ありがとうございます。

    小生は現在フイリピンに住んでいますので、旅行記はすべてフイリピンに関するものばかりです。

    ご存知のように、フイリピンには戦争中多くの日本の方々が亡くなりました。未だにその遺骨が見つからずにいる方々も大勢います。日本政府は時折遺骨収集団を派遣して、収集に当たっていますが、まだまだ多くの方々が現地の山々や洞穴などに残されています。

    小生も時折日本から来られる慰霊団の慰霊式に出させていただくことがありますが、すでに関係者は高齢で、今後来ることは出来ないことが予想さされます。各地にある慰霊碑は崩壊したり、土に埋もれたりしているところも多々あります。小生たちに出来ることはただ記録を取って残すことだけしかできません。

    フイリピン各地の山の中を歩いていると、旧日本兵の慟哭の叫びが聞こえてくるような気がします。

    今後、元カニ族様の記録を拝見させていただきたいと存じます。お気に入りに加えさせていただきます。よろしくお願いします。

    ありがとうございました。

    Tamegai



    2015年07月01日14時49分返信する

    RE: フイリピン旅行記にいくつもご投票を頂き、ありがとうございます。

    Tamegaiさま

    私は、商社に入社4年後、1968年5月から1970年1月まで、フィリッピンに南洋材(ラワン材)丸太買付け・検品のため駐在しました。仕事は、ミンダナオ島が主体で、ブツアン、コタバト、カガヤンデオロ、ダバオなどをジープで駆け回っていました。
    もう50年近く前で、まったく観光地化されておらず、訪れる日本人もごくわずかな時代でした。

    駐在中には、機会をみて戦跡めぐりをしました。日本軍がどのようなところで、どのような戦争をして、そしてどのように多く日の兵隊兵が戦死したのか見てきました。ほとんど日本人の行かないマニラ湾の入り口の要塞コレヒドール島や、日本人捕虜が入れられたモンテンルパ刑務所も見てきました。
    コレヒドール島へは日本人とわからないように現地人のような姿で見に行きました。モンテンルパ刑務所は戦後渡辺はま子の歌った「モンテンルパの夜はふけて」が有名です。

    レイテ島にも行きましたが、レイテ島の木材には、砲弾の破片が入っているので、要注意でした。

    最近の状況を知るため、フィリピンの旅行記をいつも、興味深く拝見しています。今後のフィリピンの旅行記を楽しみに待っています。

    元カニ族

    2015年07月01日17時10分 返信する

    RE: RE: フイリピン旅行記にいくつもご投票を頂き、ありがとうございます。


    元カニ族様

    更に多くのご投票をいただき、ありがとうございます。

    元カニ族さんは約50年前にお仕事でフイリピンのミンダナオ島に駐在されたことがあるのですか。それならばあちこち回られたことがあるのでしょうね。その頃と言えば、まだ日本人に対する目は厳しいものがあったものと思われますが、そのような環境の下でお仕事や各地を訪ねられたことは今では考えられないものがあったと思います。

    私はまだ多くのところは訪ねていません。ルソン島の北部のLa Union 州のサン・フェルナンドというところに住んでいますので、どうしてもこの周辺を旅行するのが多いです。このサン・フェルナンドは戦前日本の船が出入りする港があったために米軍の攻撃があり、多くの日本人はもとより現地の方々も多数亡くなっています。

    以前この市の市役所を訪れた際、日本軍のたくさんの遺品が残されているのを見て、こんな所にも日本との関わりを見っけて驚きました。

    今後ともよろしくお願い申し上げます。ご意見やご感想をお寄せください。そうしたものが今後の励みになります。

    ありがとうございました。

    Tamegai
    >
    2015年07月02日09時48分 返信する
  • 無言の帰国

    元カニ族さま、こんにちは。


    今回の旅行記、前回同様、謹んで拝見させて頂きました。

    私事でございますが、小生、毎年10月に硫黄島に渡り遺骨収集に参加しております。
    灼熱の地、ブルドーザーで掻き分け、不発弾が存在しない事を確認後、掻き分けた所を見れば、人骨の山。

    参加者によりけりですが、小生、軍手をはめて作業では、御霊の方々に余りに失礼と思い、軍手をせず素手にて収集作業に従事します。
    収集された御霊で、氏名階級が判明するのは5%以下で、殆どの御霊は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に埋葬されます。

    焼いたサラサラとした人骨と異なり、自然死の御遺骨は、まるでガムテープ状と思える様にベタベタとしており、1片も残さず本土に帰してくれと言わんばかりに、御霊の方々の慟哭を感じます。

    また、或る洞窟内で発見された遺骨収集では、米軍に洞窟の入口を封鎖され呼吸困難になり窒息した跡が歴然として、バラバラの御霊は無く、全て原形を留めており、全員が入口に向け仰向け状態で発見された時など、胸が締め付けられる想いがさせられたものでした。

    今年も参加を予定しております。



    横浜臨海公園
    2015年06月30日16時16分返信する 関連旅行記

    RE: 無言の帰国

    横浜臨海公園さま

    硫黄島の貴重な現状を、お教えいただきありがとうございます。
    まだ、そんなに遺骨が残っているとを、初めて知りました。

    また、毎年骨収集作業に参加されえているとは!貴重なまた素晴らしいことをされていますね。

    今年、戦後70周年記念ツアーで「硫黄島・小笠原」訪問を見て、問い合わせたところ、硫黄島に上陸はしない。海上から見るだけというので、断念しました。

    硫黄島に残る御霊が、安らかに眠られることをお祈りします。

    合掌

    元カニ族

    2015年06月30日18時55分 返信する

    拝復

    元カニ族さま、こんにちは。


    掲示板を拝見させて頂きました。

    大東亜戦争末期、米軍は日本本土への空襲を容易にする為に、硫黄島占領後、B29離発着が容易となる滑走路を建設し、設置時間を短縮させる為に、日本兵の遺体が残置されるのも無視し、ブルドーザーで遺体ごと押出し、滑走路を設置した為に、あの滑走路の舗装を剥がすと、大量の御霊が発見させるであろうとされております。

    硫黄島に於ける遺骨収集は、年2回実施で、あと最低でも25年以上を要するものと言われております。




    横浜臨海公園
    2015年07月01日16時09分 返信する

    RE: 拝復

    横浜臨海公園さま

    貴重な情報ありがとうございます。
    それで、まだ一般人の上陸は、許されていないのですね。

    あと25年とはますます戦争の記憶も薄れ、世代交代も進んで行きますが、地道な作業の継続に、敬意を表します。

    元カニ族

    > 大東亜戦争末期、米軍は日本本土への空襲を容易にする為に、硫黄島占領後、B29離発着が容易となる滑走路を建設し、設置時間を短縮させる為に、日本兵の遺体が残置されるのも無視し、ブルドーザーで遺体ごと押出し、滑走路を設置した為に、あの滑走路の舗装を剥がすと、大量の御霊が発見させるであろうとされております。
    >
    > 硫黄島に於ける遺骨収集は、年2回実施で、あと最低でも25年以上を要するものと言われております。
    >
    >
    > 横浜臨海公園
    2015年07月01日16時45分 返信する

    硫黄島

    元カニ族さま、おはようございます。


    小生が硫黄島遺骨収集作業に参加して10年を超えましたが、兎に角、掘れど回収すれど、遺骨は雲霞の如く湧き出る様に次々と出てくるのが実情です。

    高温多湿な上に、米軍が上陸時に這い入ったと思われるサソリが生息しており、小生は未だ被害に遭っておりませんが、噛まれると死ぬ事こそございませんが、七転八倒の苦しみと痛さに、体格がガッチリした男性でも脂汗を流しバタバタとしております。

    一般の方々に硫黄島が開放されるのは、小生が見る限り、今後50年は無いかと思われます。



    横浜臨海公園
    2015年07月02日02時48分 返信する

    RE: 硫黄島

    横浜臨海公園さま

    硫黄島に上陸できない事情に驚きました。
    硫黄島周遊を企画する旅行社もこのような事情は知らないのではないでしょうか。

    貴重な情報をありがとうございました。

    > 一般の方々に硫黄島が開放されるのは、小生が見る限り、今後50年は無いかと思われます。

    元カニ族

    2015年07月02日06時58分 返信する

    拝復

    元カニ族さま、おはようございます。


    重ね重ね返信を賜りまして、深謝しております。

    兎に角、灼熱の地故に、作業が終了し、自衛隊駐屯宿泊所に戻り、風呂から上がると、皆憔悴しきっており、食事もそこそこ、横になってしまう状態で、帰ってきてからも3日間程度は体調が良くない状態が続きます。

    然し、あんな劣悪環境で戦った日本軍将兵の事を思えば、まだまだ頑張って遺骨収集を続け、御霊を本土に戻さねばと想う次第でございます。




    横浜臨海公園
    2015年07月03日09時50分 返信する

    RE: 拝復

    横浜臨海公園さま

    私は現役時代、フィィピンで丸太の買い付け、検品。パプアニューギニアで、伐採、製材、植林などの事業会社の経営に参画した経験があります。
    熱帯での、ジャングルや海岸での作業は良く知っております。

    遺骨収集の尊いお仕事、これからもご健闘を祈っています。

    元カニ族

    2015年07月03日10時54分 返信する
  • 靖國神社特別奉賛会会員として

    元カニ族さま、こんにちは。


    旅行記、謹んで拝見させて頂きました。

    戦犯戦犯と言う人々がおりますが、勝てば官軍負ければ賊軍の例えとして、東条英機元総理を初め、少なくとも、大東亜戦争開始直前に於いて、英米と戦争を欲していなかったのは歴史的事実で、現在では明らかにされている、アメリカ国務省内に存在したソ連スパイ工作に依る、ハルノートの提示で、我が国は追い詰められてしまい、東条元総理も止むに止まれず開戦に同意せざるを得なかったと言うのが真相です。
    戦後になり、東京裁判で一方的に悪人にされたものの、我が国の神道とは赦しの世界であり、亡くなれば神として、奉られて然るべきだと小生考えます。

    それから、旧幕府軍将兵や、西郷隆盛が祀られていない事実と共に、意外なのは、戦死した山本五十六海軍元帥の後任として連合艦隊司令長官に赴任した古賀峰一海軍大将は殉職故に、靖國に祀られていない事実は、常々矛盾に感じております。



    横浜臨海公園
    2015年06月26日12時41分返信する 関連旅行記

    RE: 靖國神社特別奉賛会会員として

    横浜臨海公園

    また、終戦の8月が近づいてきましたので、古い写真を整理して旅行記にまとめました。

    少なくとも、昭和天皇、今上陛下がお参りしない靖国神社に、政治家が100人も、誇り気にぞろぞろそろって参拝するするのはいかがなものでしょうか?
    あれを見るたびに、私は今の政治家のレベルを疑います。

    今回の私のレポートは、私情を抑えできるだけ客観的に書いたつもりで、ご批判は、読む人にお任せする方針で書いたつもりです。

    至らぬ点は、私の不徳のいたすところです。

    元カニ族

    2015年06月26日13時58分 返信する
  • 政治的なことではあるのですが、敢えて

    遊就館を見なかったのは残念でしたね。太平洋戦争は正しい戦争だったという主張が堂々と述べられていて、本当にびっくり仰天しましたが、ただ、日本の知識人でもそれをちゃんと知っている人はむしろ少ないのではないでしょうか。これだけ問題になっているのに、実際のところはあまり知らない。日本人のおめでたいところかなあと思います。
    A級戦犯については、実態として、戦争はプロパガンダはあったにしても、国民のほとんどが浮かれたように戦争を積極的に容認していたのであって、特定の人だけが戦争に導いたわけではない。だから、なんで東条英機とかA級戦犯だけが悪いんだという心情もわからないではありません。しかし、誰かが日本の責任を負わないと日本の国際社会への復帰もできなかった。その犠牲となることがリーダーの最後の役割であってとても大きな意味があることだったのに、遺族の人の主張はいわばそれを台無しにするもの。私としてはとても残念でなりません。責任を負うことで日本を救ったのであって、それに対してひそやかに胸を張ってもらいたいのですが、いかがでしょうか。
    2015年06月26日11時21分返信する 関連旅行記

    RE: 政治的なことではあるのですが、敢えて

    たびたびさんさん

    おっしゃる通りだと思います。
    東京裁判において、戦犯が決まり、それにより世界中が納得して、講和が結ば、日本は平和国家を目指して頑張れたので。
    それを今更、東京裁判は間違っておたとか、言うことこそ、国際秩序を乱すものと思います。


    「しかし、誰かが日本の責任を負わないと日本の国際社会への復帰もできなかった。その犠牲となることがリーダーの最後の役割であってとても大きな意味があることだったのに、遺族の人の主張はいわばそれを台無しにするもの。私としてはとても残念でなりません。責任を負うことで日本を救ったのであって、それに対してひそやかに胸を張ってもらいたいのですが、いかがでしょうか。」

    まったく同じ思いです。

    元カニ族
    2015年06月26日13時46分 返信する

    RE: RE: 政治的なことではあるのですが、敢えて

    ついでに申しあげると。
    靖国神社の問題が中国や韓国から言われると、日本には日本の歴史があり、伝統文化があるというような反論がされることが多いのですが、その説明では靖国神社が日本の歴史や文化の代表みたいなことを言っているように思えて、非常に違和感があります。
    冗談じゃないと思います。日本書紀や古事記もありますけど、縄文時代や弥生時代は大陸とのつながりがあってのこと。日本文化芸術の最高峰の一つは正倉院の御物ですが、これはシルクロードに代表される唐の文化の影響を受けたものです。いわゆる日本的なものといわれるものは、異文化との交流があって、初めて形となっているのが真実。小堀遠州の庭は典型的な日本庭園と言われてますけど、その特徴である直線の多用は西洋の庭園技術を取り入れたものです。織部焼きの緑も南蛮文化や東南アジアの影響を色濃く受けています。円山応挙だって、写真を見て、遠近法を学びました。
    幕末に鎖国は日本の伝統であると息巻いていた尊王攘夷派ですが、鎖国なんか、徳川家康だって御朱印船貿易をやっていたし、ちょっとの間だけのこと。遣唐使が終わったのも、鎖国しようということではなくて、新しいニーズがなくなっただけのこと。最澄や空海で仏教改革ができたので、十分に役割は果たしていたのです。
    幕末から明治になって、国学が流行し、神道を国是とする風が一世を風靡しますが、廃仏毀釈とか、津和野のキリスト教弾圧とか。むしろ恥ずべき事象もたくさん起きてしまいました。
    つまり、日本文化は純粋ではなくて、いろんな要素を含んだ多面的で、柔軟なものだという特徴があるのです。そして、中国や朝鮮半島からそうした文化を取り入れて育まれてきたのです。なんで、そのことを言わずして、靖国神社が日本の伝統の代表選手みたいな言い方をするのか。まったくわかりません。また、それにまったく違和感を持たない人が多過ぎる。つまり、それだけ日本人は自分のことが分かっていない。国際化は、外国のことを知るのも大事ですが、それ以上に日本のことを知ることが大事なんですが、本当に嘆かわしい。靖国のことはその一端に過ぎないのですが、とにかく、残念でなりません。

    2015年06月30日12時18分 返信する

    RE: RE: RE: 政治的なことではあるのですが、敢えて

    たびたびさま

    日本の文化と世界のつながり・・・・同感です。
    「井の中の蛙」では、わかりません。
    旅行をして、世界を見て、初めてわかります。

    旅行は「タイムマシーン」に乗っているようなものと思っています。
    折角「旅行」をするのですから、しっかり目を開き、歴史、風土、その他もろもろ見ていきたいと思っています。

    これからもよろしくお願いします。

    元カニ族

    2015年06月30日19時04分 返信する
  • 一石二鳥

    正に楽しみながら役に立つ技を身に付けられたのですね☆
    料理って結構面白いでしょ。
    自分は家事が嫌いですが、料理だけは学生時代から慣れ親しんだ化学の実験と同じ感覚で出来ますから好きです。工夫の結果が即判るって嬉しいですよね!
    大正生まれの父が台所で包丁を握っていた姿は、当時としては画期的な事だったので、とても自慢に思いました。今は面倒がって何もしませんけどね。やはり、出来る事が多いのは人生どの時点でも有利だと思います。
    にしても、お写真と献立を拝見して、つくづく自分は和食が苦手だと痛感しました。完食出来る月は0です(しょうが焼きの月は水菜の付け合わせが無ければクリア出来そうですが)。
    でも、もし今自分に旦那様が居て、作ってくれたら食べられるかもしれません(笑)。
    2015年06月24日09時48分返信する 関連旅行記

    RE: 一石二鳥

    PHOPHOCHANGさん

    おっしゃる通り、私も料理をしながら気づきました。「料理は理科系の人間に向いているのではないか?」と。
    調味料を測ったり、調合したり、材料をいかに切る(切断)するか・・・・
    時に料理をするのが面倒に感じることがありましが「世界の一流のシェフは男性がほとんど」と、自分で自分にハッパをかけて取り組んでいます。

    退職後始めた「ヨガ」と「料理」は、自分の人生に新しい境地を開いてくれています。

    元カニ族

    2015年06月24日10時54分 返信する
  • この度はフォローを賜りまして誠に有難うございます

    元カニ族さま、こんにちは。


    この度は、小生のページにフォローを賜りまして、誠に有難うございました。
    カニ族、ありましたね。
    昭和40年代から50年代初頭にかけて、リックサック1個だけで北海道内を周遊する1人旅の人の姿が...

    特に稚内駅では、超満員の夜行急行の利尻号から降りて、利尻礼文行フェリー乗り場まで、疲れた足取りで移動する旅行者の列が続き、小生、今でも記憶に残っております。

    小生の旅行記は史料としても活用可能な程度に仕上げる為に、時間ばかり喰って完成まで遅速ですが、元資料を精査する様に心掛けておりますので、何卒ご理解の程をお願いします。

    今後とも何卒宜敷くお願い申します。




    横浜臨海公園
    2015年06月11日10時53分返信する

    RE: この度はフォローを賜りまして誠に有難うございます

    横浜臨海公園さま

    こちらこそ フォローしていただきありがとうございます。

    横浜臨海公園さまの乗り物に特化した旅行記はユニークで、私の「皆のやらないことをやる」主義にぴったりで、感服しています。

    私は、元カニ族の精神を発揮した旅行記を模索中です。

    これからもよろしくお願いします。

    元カニ族

    2015年06月11日17時35分 返信する
  • 日比谷公園

    日比谷公園は好きなので時折散歩しています

    有楽門の所には 伊達正宗終焉の地の標識が立ちました

    江戸の昔には伊達家の日比谷御門が浮世絵に残る有ったとお聞きしています

    鶴の噴水も戦時中の鉄の供出の時は倉庫に置かれ接収をまのがれた

    歴史もあります、、公園関係者の方のお話ですが。

               横から失礼いたしました

                              義臣
    2015年05月16日06時07分返信する 関連旅行記

    RE: 日比谷公園

    義臣さん

    私の第二の職場は業界団体の事務所で日本橋にあ有りました。
    霞が関の役所との打ち合わせに、しょっちゅう日比谷公園を歩いて通り抜け役所に行っていました。
    日本橋から霞が関までは、約45分で行けました。
    地下鉄乗っていると、大きく想う東京も、歩けばそんなに大きくないと、この時実感しました。

    このたびは、私の旅行記をフォローしてくださるようで、それに恥じないる旅行記を書けるよう、精進します。

    元カニ族
    2015年05月18日11時23分 返信する

    RE: RE: 日比谷公園

    > 義臣さん
    >
    > 私の第二の職場は業界団体の事務所で日本橋にあ有りました。
    > 霞が関の役所との打ち合わせに、しょっちゅう日比谷公園を歩いて通り抜け役所に行っていました。
    > 日本橋から霞が関までは、約45分で行けました。
    > 地下鉄乗っていると、大きく想う東京も、歩けばそんなに大きくないと、この時実感しました。
    >
    > このたびは、私の旅行記をフォローしてくださるようで、それに恥じないる旅行記を書けるよう、精進します。
    >
    > 元カニ族

    恐れ入ります、 これからもよろしくお願いいたします、

    現役時代はわが家が商人でしたので。休みも少なく、、

    東京管内を歩くばかりでした。

                             義臣
    2015年05月18日12時02分 返信する

元カニ族さん

元カニ族さん 写真

4国・地域渡航

9都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 クリップ

元カニ族さんにとって旅行とは

50~60年前の私の学生時代、ザックをかついで、全国を旅行して回る若者達がいました。彼らを「カニ族」といいました。私もカニ族になって、全国を旅行して各地の社会を見ようとしました。北は北海道、利尻・礼文・知床半島から南は奄美大島・徳之島・沖永良部まで歩きました。旅行は当時の私にとって社会を知る勉強でした。
上のプロフィール写真は、1961年7月、私がカニ族となって最初に北海道旅行した時の礼文島での姿です。当時のザックはキスリングザックといい横に長く、後ろから見た歩く姿がカニのように見えたので、カニ族と呼ばれたました。
当時、海外旅行は夢のまた夢でした。

海外に行きたくて、貿易商社に就職し、ようやく海外出張、海外駐在などで海外に行くことが出来ました。会社時代、旅行は国内・海外を含め、仕事の一環で、自由な海外旅行は、休暇が取れず不可能でした。

退職して何度か自由な海外旅行をしましたが、現在の老いたカニ族は、体力的にも限られた小さな旅行しかできません。しかしその旅行を歴史的、文化的、社会的に色づけして、内容の濃い旅行にすることはできます。「元カニ族」の精神を忘れずに、老いてもカニ族を続けようと思っています。加えて旅行で歩くことが健康の維持に役立てばしめたものです。

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

北海道 知床半島

大好きな理由

学生時代、羅臼から定期船に乗って、知床岬まで往復しました。
定期船は知床半島で夏の間、昆布採りの人々に物資を輸送、人の往来のための船でした。定期船が洋上で停まり、陸に向かってマイクで「〇〇さん!お客さんです」、「〇〇さん!荷物が届いています」などというと、陸から小舟が近づいてきて、荷物の受け渡し、人の乗り降りがありました。
往時の知床半島の厳しい景色と、のどかな人々の生活が、今も脳裏に焼き付いています。

行ってみたい場所

現在4の国と地域に訪問しています

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動かせます。

現在9都道府県に訪問しています