2013/06/16 - 2013/06/16
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元カニ族さん
「靖国神社」を訪れた後、近くの千鳥ヶ淵に面した「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」を訪れました。
「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」は、昭和34年(1959年)、先の大戦において 海外で亡くなった戦没者の遺骨を納めるため、国により建設された「無名戦没者の墓」です。
ここには、昭和28年以降、政府派遣団が収集した遺骨や、戦後海外から帰還した部隊や個人が持ち帰った遺骨で、軍人軍属のみならず、海外において犠牲となった一般邦人の遺骨も含めて、すべて身元が分からず遺族に引き渡すことのできない遺骨が納められています。総数約240万人と説明板に書かれています。
「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」は二面を千鳥ヶ淵に面しており、敷地は約5,000坪あり、常緑樹を主とし、そこにケヤキなどの落葉樹をまじえた森になっています。写真は千鳥ヶ淵戦没者墓苑のHPによる上空からの写真です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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「九段下」から桜で有名な千鳥ヶ淵にそって歩きました。
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千鳥ヶ淵に沿った道は、桜の頃は多くの人々で賑わいます。
千鳥ケ淵 花見
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千鳥ヶ淵に沿った道は「千鳥ヶ淵緑道」とも呼ばれています。
千鳥ケ淵緑道 名所・史跡
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「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の道案内がありました。
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「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の入口に着きました。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑 名所・史跡
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入口の前の「千鳥ヶ淵」です。
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入口を入ると、写真の案内板がありました。これには「千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、先の大戦において 海外で亡くなられた戦没者の御遺骨を納めるため、昭和34年、国により建設された「無名戦没者の墓」です。」と、書かれ苑内の地図が描かれていました。
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HPによる施設配置図です。施設の説明として次のように書かれています。
「政府においては、戦没者墓苑の建設にあたり、簡潔で尊厳感のあること、相当多数を収容し記念行事を行いうること、特定の宗教様式にとらわれないこと等を基本設計の方針として、この戦没者墓苑を建設することになりました。建設後も時代の要請に応じて改善してきておりますが、この基本理念は生かされ簡潔で尊厳感のある中に親しみを感じさせてくれる立派な戦没者墓苑となっております。」 -
入口から入って真直ぐに進みました。
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すぐに左に写真の「前屋」がありました。
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「前屋」の向こう正面に「本屋(六角堂)」がありました。
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前屋の壁にはいろいろな展示がありましたが、写真はその中の一つです。大きなスチールの墓苑の紹介で
「・・・・ここに納められている御遺骨は、昭和28年以降政府派遣団が収集したもの及び戦後海外から帰還した部隊や個人により持ち帰られたもので、軍人軍属のみならず、海外において犠牲となられて一般邦人も含まれており、いずれも遺族に引き渡すことのできないものです。」
と書かれ、納骨室、陶棺の説明も書かれていました。 -
大きなスチールの地図に「先の大戦における海外主要戦域別戦没者数一覧図」があり、各地の戦没者の人数が示され、総数は240万人と書かれていました。
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本屋(六角堂)に進みました。
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六角堂の真中に「陶棺」が祀られていました。
前掲の説明板には「この陶棺は、形式をわが国古代豪族の棺を模したもので、主要戦域から収集した小石を材料とし、1,700度の高熱で処理した、重量5トンの世界最大級の陶製品です。昭和天皇後下賜の金銅茶壺型の納骨壺があり、戦没者を代表する御遺骨が納められています。」と書かれていました。 -
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「陶棺」の拡大写真です。
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納骨室は、六角堂の中央に置かれた陶棺の下の地下にありますが、平成3年、平成12年、平成25年に、写真のように六角堂の奥正面に増設されています。
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前屋の両脇に昭和天皇、今上天皇の御製碑がありました。
写真は昭和天皇御製碑「くにのため いのちささげしひとびとの ことをおもえば せまりくる」 -
昭和天皇御製碑
「くにのため いのちささげしひとびとの
ことをおもへば むねせまりくる」
墓苑創建の年の秋、昭和天皇陛下から下賜された御製を秩父宮妃殿下が謹書され、昭和35年(1960年)3月28日竣工したものです。
と書かれています。 -
写真は今上天皇の御製碑「戦なき世を歩みきて 思い出ず かの難き日を生きし人々」
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今上天皇御製碑
「戦なき世を歩みきて思ひ出ず
かの難き日を生きし人々」
終戦60周年を迎えるに当たり、新春「歌会始の儀」で詠まれた今上陛下の御製を、常陸宮妃殿下が謹書され、平成17年(2005年)9月27日竣工したもの。
と書かれています。 -
帰りがけに、入口の案合図に書かれていない写真のアーチのあるスペースを見つけたので、入ってみました。
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中には、写真の2つの慰霊碑がありました。左が「引揚げに伴う死没者の永遠の平和祈念碑」、右が「強制抑留者の尊い命を失われた方の追悼慰霊碑」でした。
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写真の左に、それぞれの説明碑がありましが、白い石に白い文字が刻まれており、非常の読みづらいのですが、下にその拡大写真を読んでみます。
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左側「引揚げに伴う死没者の永遠の平和祈念碑」の説明碑には、次にように刻まれていました。
昭和20年8月、今次大戦が終結し、終戦の大混乱の中、生活のすべてを失い、苦難の末祖国に引き上げてこられら方々は約320万人にも及んだ。しかし、終戦の失意と疲労困憊の極限状態にあった引揚者にとって祖国への道のりは遥かに険しいものであり、引揚げの途中20万余りが犠牲になった。これら引揚者の過酷な体験を記憶し、後世に伝えるとともに、犠牲となられた方々へ哀悼の意を表し、恒久の平和を祈念して、この碑を建立する。 -
右側の「強制抑留者の尊い命を失われた方の追悼慰霊碑」の説明碑には以下のように刻まれていました。
昭和20年8月、今次大戦が終結し、武装解除後にもかかわらず、旧ソ連は約57万5千人もの軍人軍属及び民間人をシベリアや中央アジアなどに長期にわたり強制抑留し、鉄道敷設や森林伐採のどの過酷な強制労働に従事させた。栄養失調や極寒の劣悪な作業環境下で約5万5千人が犠牲となった。この悲惨な事実を風化させすに、後世に伝えるとともに犠牲となられた方々へ哀悼の意を表し、恒久の平和を祈念して、この碑を建立する。 -
写真は「参拝者休憩所」です。
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墓苑の森林についての説明板です。
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この旅行記へのコメント (8)
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- 横浜臨海公園さん 2015/06/30 16:16:35
- 無言の帰国
- 元カニ族さま、こんにちは。
今回の旅行記、前回同様、謹んで拝見させて頂きました。
私事でございますが、小生、毎年10月に硫黄島に渡り遺骨収集に参加しております。
灼熱の地、ブルドーザーで掻き分け、不発弾が存在しない事を確認後、掻き分けた所を見れば、人骨の山。
参加者によりけりですが、小生、軍手をはめて作業では、御霊の方々に余りに失礼と思い、軍手をせず素手にて収集作業に従事します。
収集された御霊で、氏名階級が判明するのは5%以下で、殆どの御霊は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に埋葬されます。
焼いたサラサラとした人骨と異なり、自然死の御遺骨は、まるでガムテープ状と思える様にベタベタとしており、1片も残さず本土に帰してくれと言わんばかりに、御霊の方々の慟哭を感じます。
また、或る洞窟内で発見された遺骨収集では、米軍に洞窟の入口を封鎖され呼吸困難になり窒息した跡が歴然として、バラバラの御霊は無く、全て原形を留めており、全員が入口に向け仰向け状態で発見された時など、胸が締め付けられる想いがさせられたものでした。
今年も参加を予定しております。
横浜臨海公園
- 元カニ族さん からの返信 2015/06/30 18:55:22
- RE: 無言の帰国
- 横浜臨海公園さま
硫黄島の貴重な現状を、お教えいただきありがとうございます。
まだ、そんなに遺骨が残っているとを、初めて知りました。
また、毎年骨収集作業に参加されえているとは!貴重なまた素晴らしいことをされていますね。
今年、戦後70周年記念ツアーで「硫黄島・小笠原」訪問を見て、問い合わせたところ、硫黄島に上陸はしない。海上から見るだけというので、断念しました。
硫黄島に残る御霊が、安らかに眠られることをお祈りします。
合掌
元カニ族
- 横浜臨海公園さん からの返信 2015/07/01 16:09:55
- 拝復
- 元カニ族さま、こんにちは。
掲示板を拝見させて頂きました。
大東亜戦争末期、米軍は日本本土への空襲を容易にする為に、硫黄島占領後、B29離発着が容易となる滑走路を建設し、設置時間を短縮させる為に、日本兵の遺体が残置されるのも無視し、ブルドーザーで遺体ごと押出し、滑走路を設置した為に、あの滑走路の舗装を剥がすと、大量の御霊が発見させるであろうとされております。
硫黄島に於ける遺骨収集は、年2回実施で、あと最低でも25年以上を要するものと言われております。
横浜臨海公園
- 元カニ族さん からの返信 2015/07/01 16:45:44
- RE: 拝復
- 横浜臨海公園さま
貴重な情報ありがとうございます。
それで、まだ一般人の上陸は、許されていないのですね。
あと25年とはますます戦争の記憶も薄れ、世代交代も進んで行きますが、地道な作業の継続に、敬意を表します。
元カニ族
> 大東亜戦争末期、米軍は日本本土への空襲を容易にする為に、硫黄島占領後、B29離発着が容易となる滑走路を建設し、設置時間を短縮させる為に、日本兵の遺体が残置されるのも無視し、ブルドーザーで遺体ごと押出し、滑走路を設置した為に、あの滑走路の舗装を剥がすと、大量の御霊が発見させるであろうとされております。
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> 硫黄島に於ける遺骨収集は、年2回実施で、あと最低でも25年以上を要するものと言われております。
>
>
> 横浜臨海公園
- 横浜臨海公園さん からの返信 2015/07/02 02:48:15
- 硫黄島
- 元カニ族さま、おはようございます。
小生が硫黄島遺骨収集作業に参加して10年を超えましたが、兎に角、掘れど回収すれど、遺骨は雲霞の如く湧き出る様に次々と出てくるのが実情です。
高温多湿な上に、米軍が上陸時に這い入ったと思われるサソリが生息しており、小生は未だ被害に遭っておりませんが、噛まれると死ぬ事こそございませんが、七転八倒の苦しみと痛さに、体格がガッチリした男性でも脂汗を流しバタバタとしております。
一般の方々に硫黄島が開放されるのは、小生が見る限り、今後50年は無いかと思われます。
横浜臨海公園
- 元カニ族さん からの返信 2015/07/02 06:58:43
- RE: 硫黄島
- 横浜臨海公園さま
硫黄島に上陸できない事情に驚きました。
硫黄島周遊を企画する旅行社もこのような事情は知らないのではないでしょうか。
貴重な情報をありがとうございました。
> 一般の方々に硫黄島が開放されるのは、小生が見る限り、今後50年は無いかと思われます。
元カニ族
- 横浜臨海公園さん からの返信 2015/07/03 09:50:39
- 拝復
- 元カニ族さま、おはようございます。
重ね重ね返信を賜りまして、深謝しております。
兎に角、灼熱の地故に、作業が終了し、自衛隊駐屯宿泊所に戻り、風呂から上がると、皆憔悴しきっており、食事もそこそこ、横になってしまう状態で、帰ってきてからも3日間程度は体調が良くない状態が続きます。
然し、あんな劣悪環境で戦った日本軍将兵の事を思えば、まだまだ頑張って遺骨収集を続け、御霊を本土に戻さねばと想う次第でございます。
横浜臨海公園
- 元カニ族さん からの返信 2015/07/03 10:54:35
- RE: 拝復
- 横浜臨海公園さま
私は現役時代、フィィピンで丸太の買い付け、検品。パプアニューギニアで、伐採、製材、植林などの事業会社の経営に参画した経験があります。
熱帯での、ジャングルや海岸での作業は良く知っております。
遺骨収集の尊いお仕事、これからもご健闘を祈っています。
元カニ族
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